第7話:水面の底
葦舟の語る海底人が北条の語る宇宙人なのではないかという説を立証するため、自分達は夜になるまで街中にあった喫茶店や他の店などで時間を潰した。
夜空に星が浮かび、街中を人工の明かりが照らし始めた頃、葦舟を先頭に再び海岸へと向かう。海岸では夜光虫らしきものが光っている様子は無い。夜空を反射しているといった風でもない。
「それで……まさか何の計画も無しに夜を待ったんじゃないわよね?」
「もちろん考えとりますよ。まずは……」
葦舟はスマホを真上の空へと向けて一枚写真を撮ると、今度は何かの操作をした後に再びカメラのシャッター音が聞こえてきた。どこかにレンズを向けているという感じではなかったので、スクリーンショットを撮ったのかもしれない。
「後はこの二枚をー……」
「魔姫ちゃん。簸子ちゃん何してるの?」
「いや、アタシにもさっぱりというか……」
近くに寄って見てみると葦舟のスマホには画像編集ソフトらしきものが開かれており、そこで夜空の写真とどこかのサイトで見つけたのであろう須磨の海の画像を加工していた。二つの画像が重なり合うように加工を行っており、やがて海面に夜空の星がそのまま映っているかのような画像が出来上がった。まさに海面そのものが宇宙であるかのような画像である。
「何それ」
「ポータルの依代を作っとるんです」
「ポータルの依代?」
葦舟によると、本来は海面が夜光虫で光っている状態になることを期待していたらしい。しかしそれがいつ起こるのか分からない上、そもそも彼女が想定している通りの光り方になるか分からないため、こうしてその代わりになるものを作ったのだという。つまり、本来であればポータルとして機能する筈の海面を人工的に作り出したということだ。
「まさかそれでホントにポータルが開くって言いたいの?」
「これだけじゃダメですね。後はぁ……お姉さん、スマホ持っとりますよね?」
「まあ持ってるけど……」
「ちょっと貸してもろうていいですか?」
どうしてもと頼み込んでくるため、仕方なく葦舟へとスマホを渡す。すると彼女はカメラアプリを開き、彼女が作った加工画像を画面内にぴったりと収まるようにしてアプリ上に映し込んだ。
「ねぇちょっと……何してるのか知らないけど壊さないでよ?」
「……出来ました!」
こちらの言葉を遮るように葦舟の声が響く。一瞬だが、彼女に渡したスマホの画面がぐにゃりと歪んだように見えた。
三瀬川さんも黄泉川さんも何が起こっているのかよく分かっていない様子だったが、それを察してか葦舟から何をしたのか説明が行われた。
葦舟がスマホを貸すように言ったのは、鏡となる道具が欲しかったかららしい。彼女によると鏡というのは像を映すということもあってか、儀式的にはもう一つの世界を映し出すものとして使われることがあるのだという。
「ウチの見立てだと、ホンマは海面が鏡の役割じゃと思うんです」
「えっと、少しいいかな簸子ちゃん。水面に星が反射するっていうのはなかなか起こらないんじゃないかと思うよ?」
「ん、私も賽と同意見」
「それはウチもそう思っとりますよ? じゃけぇ宇宙人さんも夜光虫を使うとるんじゃないかと思ったんです」
「……つまりアンタはこう言いたいの? 夜光虫を星と同様に光らせることで、疑似的な鏡の反射を再現してて、それがポータルとして機能した」
「お~それですそれです! ウチが言いたいんはそれですよ!」
あまり儀式術などについて詳しい訳ではないが、葦舟がこれが正しいと言うのであればその通りなのだろう。正体不明の存在がこちらの世界に来るために使ったのではないかと考えた方法を、少しアレンジを加えた形で再現しようとしている訳だ。
葦舟がこちらにスマホを手渡す。
「これで多分ポータルが開いとる筈です」
「……え、まさかアタシに先陣切れって言ってる?」
「ウチが最初に入ってもええんですけど、何かあった時にこんポータル閉められるん、多分ウチだけじゃと思いますし……」
どうするべきか迷い三瀬川さんと黄泉川さんに視線を向ける。
「……簸子、一つ質問」
「何ですか?」
「もし向こうで何かあった場合、あなたがポータルを閉じれば中に居る人は戻ってこれるの?」
「ウチも初めてやったんでそこは分かりませんけど……少なくとも閉じるんはウチしか出来んと思います」
そう聞かされた黄泉川さんは少しの間沈黙していたが、やがて背負っていた鞄をその場に置くと一本のまとめられたロープを取り出した。その端を自らの腰元辺りに巻き付けると反対側を三瀬川さんへと持たせる。
「全員で行くのはリスクが大きいから、二つのグループに分けようと思ってるだけどいい?」
「ウチはええですけど……」
「ごめんね縁ちゃん……」
「賽は気にしないでいいから」
黄泉川さんが考えていることが何なのかすぐに理解したらしく、三瀬川さんは申し訳なさそうに声を漏らす。最初はその意図が分からなかったが、黄泉川さんの作戦を聞いてすぐに理解した。
彼女が考えている作戦はこうだ。まず黄泉川さんと自分とが腰にロープを巻いた状態でポータルへと侵入する。そこで可能な範囲で探索を行い、ある程度の事が分かるか、あるいは身の危険を感じた際には急いで戻るか引っ張り上げてもらう。もしも問題や危険が無さそうなのであれば、三瀬川さんにも来てもらいあの怪談の謎を明らかにする。
「私は何年も前に死なない体になってる。死んでも蘇るし歳もとらない」
「えっ、そうなんですか?」
「魔姫には言ってなかったっけ。だから私が適任。何かあってもやり直しが利くから」
「あ、あんまり危険な事はして欲しくないんだけど……私の力じゃ守ってあげられないから……」
「だから賽は気にしなくていい」
「あのー、ほいじゃったら何でお姉さんもなんです?」
「単純な話。魔姫の能力がどういうものか知ってるから」
どうやら昔、姉ちゃんはアタシのこの力についてこの人達に聞いたことがあるらしい。その頃にはまだこの力を上手くコントロール出来ていなかったのだが、その際に貰った色々なアドバイスを基に姉ちゃんやその相棒は自分に様々な事をしてくれたようだ。あの頃はそんなことは知らなかったが、それを聞けば黄泉川さんがアタシを指名する理由に納得がいった。彼女もまた、この『認識から外れる能力』を身をもって体験しているのだ。
「あの時、写真に写ってる魔姫の姿を認識することが出来なかった。今思えば変だけど、その時の私はそれに違和感すら感じなかった。殺月魔姫っていう存在を脳が認識から無意識に外してたんだと思う」
「あの時は命ちゃんと菖蒲ちゃん、それと私くらいしか見えてなかったんだよね」
「ん……命から聞いたんだけど、自分である程度はコントロール出来るようになったんでしょ?」
「は、はい。一応は……」
「だから魔姫にも来て欲しい。仮に私が動けなくなっても、魔姫だけで調査したり逃げたり出来るでしょ」
葦舟の言っていることがどこまで合っているのかは分からないが、もしポータルの先に宇宙人や何らかの知的生命体が居るのであれば、黄泉川さんの考えに納得出来る。この能力は生物の脳に作用して認識出来なくするというものだ。いわゆるコトサマにも機能するのかどうかは試したことが無いため分からないが、自分であれば何かっても無事でいられる可能性が高いのは事実だろう。
「いい、魔姫?」
「こっちも手伝ってもらう手前、何もしないのは嫌ですし構いません」
「ありがとう。それで簸子だけど、あなたはここに残ってて」
「はい。何かあった時にウチの方で助ければええんですよね?」
「そう。このロープを引っ張ったら合図だと思って」
見たところ、ロープはそれなりの長さはあるものの、あまり長距離までは行けなさそうにも見える。ポータルの先がどうなっているかにもよるが、場合によっては全てを見て周るのは難しくなるかもしれない。そうなった場合もまた調査を中断して戻ることになるのだろう。
黄泉川さんと同様に腰にロープを強く結びつけると、問題なくしっかりと固定されていることを確認して葦舟がこちらに向けているスマホの前へと立つ。黄泉川さんとは違うロープで結ばれており、まずは黄泉川さんが先に入ることになった。
「行くよ、魔姫」
「お二人共、お気をつけて!」
「縁ちゃん、お願いだから無理だけはしないでね……」
「ん」
黄泉川さんの伸ばした右手がスマホの画面に触れた瞬間、空間が歪んでいるように彼女の右手が緩やかに歪んでいった。やがて彼女の姿は完全に目の前から消失してしまった。しかし腰から伸びていたロープはしっかりと動いていることから、ポータルを通して空間的に繋がっているようだ。
「いってきます」
意を決して同じように手を伸ばすと、するとやはり手が緩やかに歪曲していき、視界がぐにゃりと歪んだかと思うと気がついた時には見知らぬ場所に居た。
その場所は周囲そのものが藍色の明かりで照らされているかのような色合いをしており、周りには見たこともない建造物が大量に並んでいた。少なくとも日本に存在している建造物には見られない風貌をしている。建築関係に詳しくない自分にはよく分からないが、もしもここが海底人の住んでいる場所だとするのなら、何らかの耐圧構造の結果がこの形なのかもしれない。
そんな見たことも無い光景の中で黄泉川さんは上を見上げるようにして立っていた。
「黄泉川さん」
「あの子が言ってた通り、どこかしらかには着いたみたい」
「ホントに海の中なんですかね? 息は出来てますけど……」
「海はまだ全部が解明されてる訳じゃないから、単に発見されてない場所の可能性もあるにはある。でも、発見されるリスクを考えるとやっぱりここは普通の海底じゃないと思う」
黄泉川さんも言っていた、この世と地続きでありながら専用の手段を使わないと侵入出来ない空間の一つなのだろうか。彼女の言う通り、もしも科学の発展によってこの場所が海底で発見されようものなら大変なことになりかねない。わざわざポータルを使わないと来れない場所である以上、彼らにとっても自分達の存在が公になることは避けたい筈だ。であればやはり、普通の場所ではないということなのだろう。
後ろを振り返り、ロープが繋がっているかどうかを確認する。空間に歪みが出来ており、そこからロープが伸びてきているため空間的には問題無く接続が続いているようだ。
「黄泉川さん、まずはどこから見て周ります?」
「適当にぶらついてみる。建物に入るのはリスクがあり過ぎるし、まずは簡単な地理を見ておきたい」
彼女の言う通り、完全にアウェイと言えるこの場所で建物に入るというのは危険過ぎる行為である。入り口のようなものは確認出来るものの、ここに住んでる存在がどんなものなのかが全く分かってないからだ。あの怪談で語られていた宇宙人や緑色の子供が本当にここと関係しているのであれば、少なくとも自分達人類とは生活様式も生態も大きく違う可能性が高い。
ロープを握りながら黄泉川さんと共に見知らぬ街を歩いて周る。いくつか看板のような物も確認出来るが、そこに書かれている文字は見たこともないものだった。黄泉川さんに聞いてみたものの、彼女もあんな文字は見たことが無いという。だが、文字が存在しているということは、最低限人間と同レベルの知能を持っている可能性が高いため注意が必要だと語られた。
そうして街中を歩いていると、ふと何者かの視線を感じた。
「……魔姫」
「何ですか?」
「誰かに見られてる」
「……アタシもそんな気がします」
嫌な感覚だ。昔イジメられていた時期を思い出してしまう。よりにもよってイジメをするような連中に限って、アタシの能力の影響を受けなかったせいで、今みたいに陰からこそこそと笑われていたのだ。今でこそイジメは無くなったが、体に染みついてしまったこの感覚は一生取れないのだろう。そのせいで黄泉川さんみたいに少し冷たい感じの人には無意識に体が強張ってしまう。そしてこうやって陰から見られているとなると、胸の中でもやもやとしたものが湧き上がってきてしまう。
「魔姫、次の曲がり角で右に曲がるから、その後能力使ってもらっていい?」
「……分かりました。顔見ればいいんですよね」
「ん」
言われた通りに次の角を右に曲がった瞬間、呼吸をなるべく浅くして能力を発動させる。隣に居た黄泉川さんが一瞬こちらを探すような動きを見せたことから、恐らく上手く認識から外れることが出来たのだろう。
そうして能力を発動させたまま曲がり角の近くで息を潜めていると、視界にふっと緑色の影が映り込んだ。なるべく慌てないように少し後ろに引いて見てみると、そこに居たのは緑色の肌をした小学校低学年程に見える少年だった。
「……」
その子供は黄泉川さんを観測するように覗き込んでいるものの、急にアタシが居なくなった事に疑問を感じているらしく、他の方向にもキョロキョロと顔を動かしている。先程からこちらを尾行してきていたのはこの子供で間違いないらしい。
一旦この事を知らせるために黄泉川さんの所まで戻り、次の角を曲がったところで能力を解除してこのことを説明した。
「ん、分かった。他には誰か居た?」
「多分あの子供だけです。どうします?」
「……無意味な接触は避けたいから今はそのままにしておこう」
「監視とかしなくて大丈夫、ですかね? 何かされるかも……」
「……そうだね。一応、魔姫がその子の後ろにつくなりして警戒はしてくれると助かるかな」
「分かりました。じゃあ次の角で」
「ん」
あの少年が何か仕掛けてきた時のためにまた能力を使うことになったのだが、どうにも不可解だった。何故今のところあの少年しか姿を見ていないのだろうか。これだけの都市であればもっと人数が居てもおかしくはない。だがそれらしき気配は彼しかない。ポータルが開いたことで既に警戒状態になっており、建物の中に避難しているという可能性もあるが、それにしても静かすぎる気がする。
そんな奇妙な違和感を覚えながら、少年の背後から黄泉川さんの後を付いて行くことにした。