第3話:葦舟簸子≒日奉千草
葦舟と共に霞ヶ関から走って逃亡したアタシは、何とか自分達が住んでいる地域まで戻ってくることが出来た。街の街頭テレビでは霞ヶ関で発生した新たな怪異の発生を報道しており、映像の中ではJSCCOの人間と思われる者達が怪異相手に戦っている様子が上空から映されていた。そんな様子を神妙な様子で見上げる者も居れば、無視して進む者も居る。場合によってはスマホのカメラで撮影している者まで居た。
「……見世物扱いかよ」
「お、お姉さん……なんか大変な事になってしもうたね……」
「……葦舟、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「な、なん?」
「アンタに個人的な恨みを持ってる奴に心当たりはある?」
自分の中で引っ掛かっているのは逃げる時に見えた屋上の人影だった。あの光り方から考えて、何者かが双眼鏡のような物を使ってあの騒動を監視していた可能性がある。その目的が何なのかは不明だが、少なくともあのビニール紐の結界に何らかの関係があると見て間違いないだろう。
「どうでしょう……ウチは特にそういうの無いと思いますけど……」
「じゃあアンタが言ってる千草が誰かに恨まれてるとかは?」
「それもよう分かりません。ウチの中んある記憶にはそういうありませんけど……」
相変わらずどういう意味なのかはよく分からないが、葦舟ではないとすると自分が標的になっている可能性もある。もしああいった騒ぎを起こすのが目的なのであれば、わざわざあんな風に監視する必要などは無い。だが自分で出向いて見ていたということはそのままにする訳にはいかない理由があった筈だ。例えば誰かが死ぬのを見届けなければならないといったような。
「……葦舟、アンタ家族は?」
「今は居りません。独り暮らしです」
「……分かった。じゃあアタシのとこに泊まって」
「え?」
「多分あれは誰かを狙ってやったやつだと思う。もし場所や不特定多数を狙うなら、わざわざ見に行く必要なんて無い。アタシかアンタが狙われてる可能性がある」
「ちょ、ちょっと待ってください! どういうことなんです?」
葦舟はやはり気がついていなかったようだ。正直自分も偶然あれが目に入ったから気がついたようなものなので無理も無いが。
困惑している彼女に自分が見たものを教えると、アタシが何を言いたいのかを理解してくれたようだった。仮に自分達を狙った攻撃ではなかったとしても、あの様子だと解いている姿も目撃されているかもしれない。もしそうだとすれば、目撃者であり目的を邪魔する存在と認識されていてもおかしくはない。そんな状態で独り暮らしなど危険過ぎる。
「アイツに目をつけられたかもしれない。アタシはともかく、アンタは危ないでしょ」
「うーん、一応人避けの結界とかは作れますけど……」
「……別にアンタがそうしたいなら好きにすればいい。アタシ的には姉ちゃんに許可取らないといけないし、嫌なら手間が省ける」
「わわっ待ってください! お姉さんの言う通りじゃと思います!」
「……じゃあ姉ちゃんが帰ってくるまで家で待つよ」
こうして葦舟を説得したアタシは、彼女を連れていつも住んでいるアパートへと帰宅した。本来ならば高校の初日なので出席しなければならないが、具合が悪いという体で休んだ以上、今更向かうというのも変な感じになるだろう。正直あまり嘘をつくのは得意ではない。慣れない事をやって墓穴を掘るよりも嘘を貫いた方がバレにくいだろう。
葦舟を座らせお茶を出し、彼女と向かい合わせになるようにして腰を下ろす。
「ねぇ」
「はい?」
「今朝からずっと気になってたんだけど、アンタどうして死んだ人間の名前なんて名乗ってるの?」
「どうしてって……ウチが千草じゃけぇですけど……」
「だから、何でアンタが千草なのって聞いてんの」
自分も詳しい訳ではないが、日奉一族本家筋の日奉千草という人物は以前起こった『大禍事件』で亡くなっていた筈だ。脇腹の辺りに大きな負傷を負ってそれで亡くなったと聞いている。怪異相手に戦う公的機関であるJSCCOが嘘をつくとも思えない上に、千草の遺体は姉ちゃんも確認している。まず間違いなく日奉千草という人物は死亡している筈なのだ。
「あ、ウチが千草な理由ですか? ほいじゃったら説明出来ます!」
そう言うと葦舟は鞄の中にしまっていたのであろうノートとペンを取り出すと、何も書かれていない白い紙面上に何かを描き始めた。
「まず、お姉さんは魂は一人に一つっちゅうのは知っとりますか?」
「それ間違い。知り合いに二つある奴が居る」
姉ちゃんの相棒をやっているアイツはその体質故に魂が同時に二つある状態らしい。正確にはその状態自体がそいつの能力にとってはイレギュラーな状態で、まだ正確に制御出来なかった際にそうなってしまったと語っていた。もっと正確に言えば、『大禍事件』の首謀者であるアタシの従姉の魂も封印されているため一度に三つの魂を持っていることになる。
「二つ!?」
「まあアイツのことはいいから。それで?」
「あ、えっとですねぇ……」
葦舟が描いたのは人体だった。その内側に同じように人型の形を別の色のペンで描く。
「この内側のがその人の魂。これは分かりますか?」
「ええ」
「で、ウチのはこれがこんな感じなんです」
そう言って葦舟は先程別の色で描いた魂部分に内側から線を引いていった。まるでケーキを切り分けるかのように。
やがて紙面に描かれた人体の魂は五つに分けられた。それが何を意味しているのかは嫌でも分かった。
「これがウチです」
「……は?」
「千草お姉さんが死んじゃう前に自分の魂を鏡の欠片に移しとったんです。あれ……この場合はウチが移しとったの方が合っとるんかな……?」
「それじゃあこういう事? 今のアンタは葦舟簸子の体に日奉千草が乗り移った存在」
「えっと、ほうじゃのうてですね。葦舟簸子じゃった時のウチに、千草お姉さんじゃった時のウチが混ざって、ほいで今のウチが出来たって感じです」
「頭痛くなってきた……」
「んーと……千草お姉さんが葦舟簸子の体に魂移したら、二つの魂が混ざって今のウチになったって言えば分かりますか?」
つまり今の葦舟は本来どこにも存在しなかった筈の存在ということらしい。葦舟簸子だった時の記憶も日奉千草だった時の記憶もあるが、それが混ざった結果出来た新しい人格。それが今の葦舟ということだそうだ。
「まあ……大体アンタの言いたいことは分かった。それ、他の人達は知ってるの?」
「他ん人?」
「JSCCOだとか、そういう奴ら」
「誰にも話しとりません。お姉さんが初めてです」
「何で言わないの? 皆、千草は死んだと思ってる。アンタの持ってる証言とかも欲しがってる人が居る筈だと思うんだけど」
「ウチ……あん時ん事は秘密にしたいんです」
葦舟はあの事件の時の記憶は誰にも話すつもりは無いらしい。その理由は何となくだが分かる。元々日奉千草は本家筋の人間であり、本家の人間は怪異と人間が共に暮らす社会を拒絶していた。怪異は全て殺すべきだという考えで動いていたのだ。千草がどうだったのかは分からないが、彼女も本家の人間である以上、周囲からそういう考えを持っている人間だと思われてもおかしくない。
「分かった。アンタが話したくないなら話さなくていい」
「ありがとうございます」
「それで、これからの事なんだけど」
「はい。屋上でこっち見よった人を探すっちゅう認識で合っとりますか?」
「そう。仮にアイツが犯人じゃないとしても、何か知ってる可能性がある。あのアラームが鳴ってからすぐに出てきたんだとしても、準備が良すぎるし」
「ほうですね。じゃけどどうやって探すんですか?」
「そこを話し合うんでしょ」
相手が何者か分からない以上、こちらから下手に仕掛けるのはかなり難しい。しかし向こうは双眼鏡か何かで既にこっちの顔を見ている可能性がある。そうなれば今の自分達は圧倒的に不利な状況となる。少しでも早くあれが誰なのかを特定しなければならない。
「探偵さんに頼むっちゅうんはどうですかね?」
「探偵って誰よ」
「それは……とにかく探偵さんです!」
「適当に言ったワケね……」
これは姉ちゃんに頼む訳にはいかない。もしJSCCOのような機関が動けば、相手は完全に姿を暗ますかもしれない。そうなれば追跡は難しくなるし、それこそ国外にでも逃げられたらどうしようもなくなる。相手がこっちを素人だと思って油断している状況を保たなくてはならない。
謎の人物の特定をどうするかはなかなか決まらなかった。葦舟の探偵を使うという案は普通なら悪くはないが、超常事件を起こすような相手となればバレた時に何をされるか分からない。しかしかと言って公的機関を頼るのはもっとまずい。そうなるとやはり、一部の信頼出来る人間に頼るしかなくなるだろう。
「葦舟、ちょっと電話するから」
「え? あ、はい」
スマホを手に取り部屋の隅へと移動すると、公的機関でなく、なおかつ自分が知る中では一番秘密を守ってくれそうな人達へと電話を掛けた。
「はい。こちら霊魂相談事務所です」
「お久しぶりです三瀬川さん」
「あっ、魔姫ちゃん! 久しぶりだね~!」
電話口に出たのは街で霊魂相談事務所という事務所を経営している三瀬川賽さんだった。三瀬川さんは姉ちゃんとも知り合いで、そして姉ちゃんの相棒のアイツの師匠に当たる人物だ。アイツ自体は好きじゃないし信用出来ないが、三瀬川さんは信頼しても大丈夫だという確信がある。
「どうしたの? 今日学校じゃないの?」
「実は、ちょっと三瀬川さんにお願いしたい事があるんです。他言無用で」
「えぇっと……それって危ないお仕事?」
「いえ、少し情報提供と言いますか……」
三瀬川さんは『大禍事件』だけでなく『黄昏事件』も経験している。経験どころか事態の収束のために動いてくれていた一人でもある。それもあってかこちらの雰囲気を感じとって、危ない内容なのではないかと探りを入れてきている様子だった。
そんな彼女に正直に伝えようとしたところ電話口で雑音が聞こえ、また別の聞き慣れた声が耳に届いた。
「魔姫?」
「あ、黄泉川……さん」
その声は三瀬川さんの事務所で働いている黄泉川縁さんのものだった。小学生と見間違う程に小柄な人だが、三瀬川さんよりも年上らしく、よく三瀬川さんのストッパーになっているらしい。少なくとも三瀬川さんはそう言っていた。
「学校は?」
「いえ、お話したい事があって――」
「学校」
「ですから――」
「質問してるんだけど」
「……休みました」
「……ん、分かった。それで、何で休んだの」
彼女はあまり得意なタイプではない。三瀬川さんはいつでも優しく対応してくれるが、黄泉川さんは冷たくこちらを威圧してくるような感じがするのだ。アイツは「縁師匠優しいと思うけどなぁ」とか言っていたが、それはアイツが可愛がられているからであって、普通に他人からしたら十分冷たく感じると思う。
「黄泉川さん。今日のニュース見ましたか?」
「霞ヶ関のやつ?」
「はい」
「見たけど」
「実はアタシ、現場に行ってたんです」
「……は? 魔姫、JSCCO入ってないよね?」
「ちょっとワケがありまして……」
「それ、命は知ってるの?」
「いえ……急な理由でその、行くことになりまして……」
電話口から黄泉川さんを諫める声が聞こえ、三瀬川さんへと変わる。
「あ、魔姫ちゃん? ごめんね縁ちゃんが……」
「い、いえ……」
「それで、どうしたのかな。私に言ってみて?」
後ろから聞こえる黄泉川さんの皮肉を聞き流しながら、三瀬川さんは優しく問いかけてきた。そのおかげで詰まってしまっていた言葉が出せるようになり、今朝自分があそこに居た理由とそこで起こった事、そして何者かがその様子を見ていたことを伝えた。
三瀬川さんはメモを取りながら聞いていたのかこちらが話し終えた後に少し沈黙していたが、やがて優しい口調で口を開いた。
「ありがとう魔姫ちゃん。魔姫ちゃん達が何とかしてくれたんだね?」
「成り行きでしたけど……」
「そっかそっか。えっとね、色々お話したいことはあるんだけど、まずはその……葦舟っていう子とお電話変わってくれるかな?」
「葦舟にですか? いいですけど……」
アタシが名前を口に出したからか葦舟をこちらを向き、自分からこちらに近寄ってきた。そんな彼女にスマホを渡す。すると葦舟は勝手に画面をタップし、スピーカーモードへと切り替えた。
「もしもし」
「あ、簸子ちゃん? 私のこと覚えてるかな?」
「お~、お姉さんじゃ! 覚えとるよ! 確かぁ……JSCCOのお部屋でお話しましたね!」
「覚えててくれたんだ! お姉さん嬉しいな。それでね簸子ちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「何ですか?」
「簸子ちゃん、あの時の魂のままってことでいいんだよね?」
「えーと……話すと長うなるんですけど……」
そう言いながらも葦舟は簡潔に今の自分が何者なのかを説明し始めた。それが出来るなら最初からそうしろとも思ったが、先にアタシに説明していたから出来た事だろうと目を瞑る。
やがて説明を終えた葦舟はいくつか世間話や思い出話のようなものをした後、スマホをこちらへと渡してきた。
「電話変わりました、魔姫です」
「とりあえず必要な事は分かったよ。私的には今からでも大丈夫だけど、どうする?」
「賽! あの子には学校を優先させるべき!」
「あー、あはは……と、縁ちゃんは言ってます……」
「じゃあ明日でもいいですか?」
「うん! 基本的に事務所に居るから、来る前に連絡してね」
「はい。あっそれと、今回のことは――」
「命ちゃんには内緒、だよね?」
「……ありがとうございます」
「うん。じゃあね」
その言葉の後電話は切れた。
やはり三瀬川さんを選んで正解だった。あの人はこういう約束は絶対に守ってくれる人だ。あの人には嘘が通用しないが、代わりにあの人も他人を傷つけるような嘘は絶対に言わない。黄泉川さんは少し不安要因ではあるものの、あの人は基本的に三瀬川さんの最終的な決断には反対しないらしいので大丈夫だと思いたい。
「ぶちびっくりしました。お姉さん、賽お姉さんと知り合いじゃったんですね!」
「それはこっちのセリフ。それよりアンタ、さっきどうしてスピーカーにしたの?」
「え?」
「していいなんて言ってないよね?」
「うーん……ウチ、お姉さんに隠し事しとるでしょ? その、あん事件ん時のこと、話しとうないって」
「それが何?」
「じゃけぇ、ウチこれ以上お姉さんには隠し事しとうないなって思ったんです」
葦舟の理屈はよく分からないが、少なくとも彼女はアタシに嘘をつくタイプではなくなったというのは今ので感じられた。これから一緒に行動する以上、信頼は大切になってくる。もちろん言いたくない事や個人の秘め事は尊重するべきだが、何を考えているのか分からない相手とは組めない。
「……あっそ」
「ウチ、何か変なこと言いましたか?」
「何でよ」
「だってお姉さん、笑っとるもん」
「っ……!」
口元に意識を向け無理矢理固く口を結ぶ。正直自分が笑っているかどうかなど分からなかったが、家族でもない葦舟相手に笑顔を見せるというのは何だか癪だった。自分としたことが情けない。
「あっ、ウチ怒らせてしもうたんですか……?」
「怒ってない」
「でもお姉さん口が――」
「お・こ・って・な・い」
「うーん……お姉さん笑ーとる方が可愛ゆうて好きなんに……」
今日初めて会ったばかりだというのに何を言っているんだろうかこいつは。
改めて葦舟の奇妙さに戸惑いつつも、姉ちゃんが帰ってくるまで大人しき部屋で待つことにした。