第2話:くくられた場所
日奉千草を名乗る少女、葦舟簸子からの誘い受けたアタシは高校初日から早速学校をサボるという選択を取っていた。一応体調を崩したという体で電話はしておいたが、出歩いているところを誰かに見られれば言い訳は出来ないだろう。姉ちゃんはもちろん、アタシのことを知っている誰かに見られてしまえばおしまいだ。
霞ヶ関で確認されたという呪術を解除したいというのが葦舟の言い分だった。ビニール紐を使って作られた結界の一種であり、その領域内で起こる不幸の確率を上昇させるという力があるそうだ。様々な省庁が存在している霞ヶ関でその力が発生した場合、何が起こるのか想像がつかない。
霞ヶ関駅に着いたアタシ達は日比谷公園へと移動すると、人目につきにくい位置へと移り、そこでどういう方法で行くのか作戦を立てることになった。立ち入り制限がされているとのことだったが、幸い日比谷公園はその制限エリアには入っておらず、更にニュースの影響もあってか人の気配は無かった。
「……さて、それで? 普通に解いてくだけでいいの?」
「はい。一本一本取ってくっちゅうやり方です」
「一つ聞きたいんだけど、取る時に何か起こったりしないよね?」
「それはウチにもはっきりとは言えません……」
葦舟が試しに作ったという結界では解除する際には何も起こらなかったらしいが、彼女曰くこの結界は使用しているビニール紐の数が多ければ多い程に効果を増すらしい。この霞ヶ関の中にどれだけのビニール紐が存在しているのか分からない上に、無理に解呪しようとするとカウンターが発動するかどうかは未知数だという。
「それじゃ、何か起こったらアタシはそこでアウトってワケね」
「あ、ちち、違うんですよ! ウチは別にお姉さんを見殺しにしようとかは……!」
「分かってる。アンタの誘いに乗ったのはアタシだし、そこは何かあっても割り切る」
姉ちゃんからは近づかないようにと言われていたが、不幸が起こる確率を上昇させる結界術というのは中々に危険だ。もし放置すれば何が起こるか分からない。『大禍事件』を体験した自分だからこそ、不幸や不運というものの恐ろしさはよく分かっている。仮に葦舟から誘われなくても、呪術の正体が分かっていればここに来る選択をしていただろう。
「それで、問題の紐はどこにあるの? 全部自分で見つけないといけない感じ?」
「あ、それじゃったらウチに任せてください!」
そう言うと葦舟は持っていた鞄から何やらごちゃごちゃと取り出し、手作り感満載の小さな紙で出来たパラボラアンテナのような物を地面の上に置いた。そして続けて黒っぽい瓶を開け、中から何かの虫の死骸らしきものをアンテナを囲むように並べていった。
「ちょっ……何してんの!」
「ウチ、呪術とか儀式とか、そういうの得意なんです」
「いや、だから何っ!?」
「これ、ウチのオリジナルなんです。呪力を見つけ出すための特製儀式です」
葦舟によると彼女が設置したその道具によって、呪術を構築している呪物から発せられている呪力というものが探知出来るらしい。一部の人間の中には特別な道具を必要とせずに探知可能な人物もいるらしいが、葦舟はこの不気味なやり方によってそれを可能にしているようだ。
「……言っとくけどそれ作った手でアタシに触んないでよ?」
「お姉さん、虫ダメですか?」
「ダメ……というかそれ以前に、不衛生だって話をしてんの……」
葦舟はこういった事に慣れているからなのか、虫を触ることを屁とも思っていない様子だった。それどころかこちらが言ったことの意味をいまいち理解していないようにも見えた。
「はぁ……まあいいか。それで、どこにあるの? さっさと終わらせて帰るよ」
「えっとですね……この感じ、多分……この辺りですね」
そう言うと葦舟はスマートフォンの地図アプリを開くと、道路の一角を指差した。正確な位置までは分からないらしいが、おおよそその辺りに何らかの呪力が発生しているのは間違いないという。そしてそこから別の場所へと呪力が伸びていることから、やはり結界の類として機能しているようだとも語った。
「分かった。じゃあ解き終わったら電話するから、その都度次の場所を教えて」
「分かりましたお姉さん! ウチの番号はですね……」
葦舟から電話番号とメールアドレスを教えられたアタシは彼女が示した場所へと移動することにした。まず最初に彼女が示したのは法務省が存在している通りだった。どうやら警察やJSCCOにもその辺りの見当はついているのか、警察官やJSCCO調査員がそこら中で警戒態勢を取っていた。その様子を見るに日比谷公園はギリギリ制限区域から外れている状態だったようだ。
「……もうここから制限区域なんだ」
このまま進むのは不可能だと感じたアタシは自分の持って生まれた能力を使うことにした。
この世に生まれた時から持っていた能力。それは『他人の認識から外れる』というものだった。他人に対して一定以上の好奇心や興味関心を持たない人物は、殺月魔姫という人間を認識出来ないのだ。例え視界に入っていても脳がそれを認識出来ず、アタシが喋る声も音として脳が認識しない。それは写真や映像にも及び、アタシは実質透明人間のような状態になっていたのだ。そんな影響を受けないのは他人に対して一定以上の興味関心を持っている人物か家族だけだった。
「集中……集中して……」
元々この能力は上手くコントロール出来なかった。どんな力なのかも分からず学校では一部のいじめっ子から標的にされ、それにもかかわらず教師はそれに気がつかないということばかりだった。しかし3年前の『大禍事件』の年にアタシのこの力の真相が明らかになった。そして事件の後、アタシはこの力を制御出来るように特訓を重ねていった。
呼吸を浅くし、全身から力を抜いていき体から何かがふっと抜けるような感覚になるまでそれを続ける。そうして準備を終えたアタシは試しに近くに居た警察官の前に歩いて出てみる。すると警察官は目の前にアタシが居るというのにまるで見えていないかのようにその場で警備を続けていた。どうやら上手く能力が発動しているらしい。
「聞こえてる? ……よし、聞こえてないか」
最終チェックを終えたアタシは葦舟が記した場所へと近付き周囲を見渡す。すると歩道に設置されている公衆電話の周りに警察官や調査員が数人集まっているのが見えた。そこにあるのだろうかと近付いてみると、ボックス内部に設置されている公衆電話と受話器を繋ぐコードに白いビニール紐が結び付けられていた。
確かにこれは盲点かもしれない。スマートフォンなどの携帯電話やインターネットなどどこでも他人と繋がれるようになった現代では、公衆電話は非常時に使われる程度の存在感になっている。それ故に堂々と設置されていても意外と視界に入らない。入っていても気にも留めない。見えているのに見えていない。呪術を仕掛けるのにはうってつけの場所かもしれない。
「すみませんちょっと通ります。どいて。すぐ終わるから」
どうせ聞こえていないのだろうと分かってはいたが、警察官達を掻き分けながら公衆電話ボックスの中へと入っていき、コードに結びつけられたビニール紐を確認する。紐はしっかりと括られてはいるものの、普通に人間の手で簡単に取れてしまうような結び方になっていた。
ひとまず紐を解いたアタシはそれを回収し、ボックスから離れた人目につかない場所で葦舟へと電話を掛ける。
「もしもし、こちら殺月」
「あ、お姉さん! どうじゃった?」
「電話ボックスの中に一本あった。とりあず解いたやつは回収しといた。次は?」
「ウチの方でまとめて印付けといたのがあるけぇ、今から送りますね」
そう言って葦舟が電話を切った直後、スマートフォンにメールが届く。そこに書かれていたURLをクリックしてみると複数人で共同で編集が出来る無料アプリが開き、そこに貼られていた周辺の地図が姿を現した。地図にはいくつかのポイントに赤い丸印が付けられており、そこから呪力が出ているらしい。
その地図を確認したアタシは次に厚生労働省の前へと向かった。やはりそこにも警察官達の姿があり、入り口付近に固まっていた。今度は入口に設置されていたのか調べてみると、今度は車両入り口前の歩道に沿うように作られている植え込みの柵の部分に括り付けられていた。やはりそれも白い一般的なビニール紐だった。
「どいて。すぐ終わらせるから」
警察官達を掻き分けて紐を解き、すぐにその場から離れて次の場所へと向かう。
次に向かったのは農林水産省の方向だった。農林水産省は厚生労働省のすぐ近くだったが、地図に示されたポイントはさっきの場所からは離れた場所だった。
少し歩いて辿り着いたのは霞ヶ関駅の出入り口の一つだった。その出入り口から出てすぐに植え込みがあり、そこに埋もれるようにして歩行者等横断禁止という標識が存在しているのだが、その標識にビニール紐が括り付けられていた。どうやらこのポイントはまだ調査がされていないらしく、警備の人間はいるものの調査をしている様子の人物は確認出来なかった。
一応葦舟へと連絡をする。
「葦舟、どうも警察も全部見つけてる感じじゃないっぽい」
「ほうなんですか?」
「うん。今、アンタの地図に書かれてた駅出入り口付近のポイントに居るんだけど、まだ発見されてなかった」
「うーん……数が少ないけぇですかね?」
確かに葦舟から送られた地図に描かれていた丸印はそんなに数は多くなかった。近くに皇居などがあるにもかかわらず、そちらは狙っていないような配置だったのだ。あくまで省庁が存在しているこのエリアを取り囲むような配置になっていた。この呪術を仕掛けた人間の狙いは省庁だけを狙い撃ちにするというものなのだろうか。
「よく分からない。ひとまず全部回収したらまた連絡する」
「はい。待っとりますねお姉さん!」
電話を切りビニール紐を回収すると、残された他のポイントへと向かった。最終的にアタシが回収したビニール紐は15本だった。内閣府はもちろん警察庁まで含めた省庁の数だけ存在しており、そのどれもが人目につきにくい絶妙な位置に隠されていた。最初に見つけた電話ボックスの中のように見えているのに気づきにくい箇所など、人間の認識を利用した隠し方だと感じた。
「……もしもし葦舟?」
「あ、お姉さんどうですか? ウチの方じゃと反応が消えたんですけど……」
「多分全部回収出来た。今からそっちに戻る。ちょっと確認したいことがある」
「え? はい」
しばらく歩いて日比谷公園へと戻ると、呪力を探知する儀式を続けていた葦舟へと声を掛け、回収し終えたビニール紐を全て彼女へと渡す。
「ねぇ、アンタはこれどう思う?」
「紐自体は普通のやつですねぇ……」
「そうじゃない。犯人の目的」
「え? うーん……ウチ的に思うのはやっぱり、省庁の動きを鈍らせるとかミスを起こさせるとかじゃと思います」
そこが自分の中で引っ掛かっていた。この結界の範囲内には全ての省庁が入っていた。それらが何らかの不幸に見舞われれば日本そのものに大きな打撃を与えることになる。だがもし日本そのものに打撃を与えるのが目的なのであれば、何故犯人はわざわざここまで発見されやすい方法を取ったのだろうか。自分の素人考えになるが、日本全国の沿岸部に設置していき日本そのものを取り囲むような結界にした方が効率的で発見もされないのではないだろうか。
「どこか一つの省とかならアンタの言い分も分かる。でも犯人は全部狙ってる。日本の国力を弱らせるのが目的みたいにね」
「あ、ほいじゃあそっちが目的なんでしょうか」
「それなら日本そのものを囲うようにした方が確実な気がするんだけど、どうなの? アンタから見てあの呪術にはそれだけの効果範囲があると思う?」
「不可能じゃないと思いますよ。じゃけど、ほいじゃったら交通費がかさみません?」
「……どうも変な感じがする」
その直後、スマートフォンから緊急警報のアラートが鳴り始める。何事かと急いで見てみると霞ヶ関の各所で不可解な存在が確認されたらしい。怪異が当たり前のように暮らしているこの現代でそういった表現をされたということは、恐らく今まで一度も確認されたことがない怪異が発見されたということだろう。
「何これ……」
「もしかして……!」
葦舟は慌てた様子で鞄からサイコロを三つほど取り出すと地面へと転がした。するとどのサイコロも不自然な軌道を描いて三つとも6の目を出した。それを見た葦舟は何度もサイコロを転がしたが結果はほとんど変わらず、5回投げた内4回は6の目が出た。
「お姉さん、ウチら全員騙されとったみたいです……」
「どういうこと……?」
「ウチは勘違いしとったんです。あの結界は内側の不幸や不運の確立を上昇させるもんじゃと思っとりました。でも違ったんです」
「分かるように言って」
「あの結界のホンマの力は、確率を流入させるっちゅう力じゃったんですよ!」
葦舟によると、不幸や不運などというものはそんなに頻繁に起こるものではない。つまりそれらに遭遇するというのも一瞬の強運と言えるのだ。サイコロの出た目が小さいというのも人間から見た上での不運でしかない。何度も同じ目が出続けているという点では強運なのは間違いないのだ。あの結界は周囲から運を吸い取るようにして運の量を取り込み、逆に周囲の確率を狂わせるという力がある。
怪異が新たにこの世に生まれるのにはいくつかパターンがあるらしいが、その中には突発的にこの世に生まれる者も居る。当然それは誰にも予測が出来ない運によって引き起こされるものであり、滅多に起こらないとされている。
「犯人のホンマの目的はこれじゃったんかもしれません!」
「新しい怪異を生み出すこと……運の配分を狂わせること……そういう意味で合ってる?」
「ウチはそう考えとります」
「……逃げるよ葦舟。犯人の狙いは省庁のあるエリアじゃない。それ以外全てだ」
「はい!」
犯人の狙いの推測をつけたアタシ達はアラートが鳴り響く中、急いでその場から逃走した。電車に乗るのは身動きが取れなくなる可能性があるため、とにかく自らの足で家がある方へと向かった。その際、逃走しているアタシの視線にチラリと光が差し込んだ。その方へと一瞥してみると、離れた所にあるビルの屋上に人影が見えた。そこから光が時折射している事から、何者かが双眼鏡などを使って下を見下ろしているものと思われる。
「……」
これ以上自分達の手で調査をするのは難しいと考えて葦舟へは伝えず、新たに生まれた怪異から逃げるために足を動かし続けた。