第1話:隠されしもの
本作は前作「特異事例調査員 日奉菖蒲の調査ファイル」の続編ですが、本作品からでも読めるように説明などは入れていきます。
怪異というのはいつの時代もこの世界に存在していた。いや、もしかするとどこかで怪異が生まれるだけの理由があるのかもしれないが、いずれにしても怪異というものは今の時代では当たり前のものになっていた。
怪異が当たり前になったのは7年前だった。怪異の総大将であった如月慚愧という鬼と、超能力者だった日奉桜。この二人が人間世界に大量の怪異と共に攻め込んできた『黄昏事件』。それによって今までフィクションだと思われていた怪異の存在が立証されたのだ。そしてこの事件は世界を大きく変えた。
「続いてのニュースです。昨夜未明、霞ヶ関各所にて呪術の痕跡が確認され、現在立ち入りが制限されています」
「何も……変わってないじゃん」
怪異の存在が証明されてから、一部の怪異には人権のようなものが与えられ、そしてオカルト技術が発展した。当然それによって、そのオカルトを悪用する者達も現れた。それだけでなく、未だに非超常と超常存在の間には溝があり、超常犯罪は後を絶たない。あれだけの事があったというのに。
机の上に置いていたスマートフォンに着信が入ったことに気がつき、電話に出る。
「もしもし」
「あ、魔姫? ニュース見てる?」
「霞ヶ関の事でしょ姉ちゃん。知ってるよ」
「なら良かった……絶対に近づいちゃダメだよ? いい?」
「はいはい……」
アタシの姉、殺月命は日本特異事例対策機構ことJSCCOと呼ばれる所に勤めている。この組織は日本で起きたオカルト技術や怪異が関連している事件の調査を行っている。元々はかなり大きな組織ではあったが、3年前に起こったある事件によって大きく衰退した。多くの人員が命を落とし、関連施設が大量に機能不全に陥ったのだ。
「それで? 今日は遅くなるの?」
「問題無く終われば早めに帰れると思う」
「そ。じゃ、学校終わったら適当にご飯用意しとくから」
「ごめんね魔姫……あ、そろそろ現地に着くから切るね」
「はいはい」
電話を切り、そのままスマートフォンでかつての事件を検索する。
『大禍事件』。アタシと姉ちゃんの従姉である殺月真臥禧によって引き起こされた、超常能力による過去最大級の最悪の事件。強い悪意と憎悪によって引き起こされた、最早天災と言ってもいい程の誰にも忘れられない事件だった。
カレンダーにチラと視線を移す。今日は入学式だった。今年で丁度高校生になるアタシにとっての一つの晴れ舞台と言ってもいい日だ。だが唯一の家族であるあの人は、そんな日でも仕事を優先していた。別にそれを悪く言うつもりはない。自分ももう高校生だ。昔と違って物事の分別はつく。
「……行くか」
事前に荷物をまとめていた鞄を肩から下げ、鏡で簡単に身だしなみを整えると住んでいるアパートを出た。
通学路では同じく今日が初登校であろう生徒達の姿があった。やはり晴れ舞台という事もあってか、親と一緒に登校している人も居る。中には中学時代からの友人なのか、仲が良さそうに登校している生徒の姿もあった。そんな中で一人で登校している自分の姿は目立ったかもしれない。
「あ、あのっ……」
「……」
「あの!」
横断歩道前で信号が変わるのを待っていると後ろから声を掛けられた。最初は自分に話しかけられたとは思っておらず無視していたのだが、周りの視線から自分なのだと気付く。
振り返って見てみると、そこには自分よりも少し年下と思われる少女が立っていた。右目の色素が薄くなっており、左目だけが動いている様子から右目はほとんど機能していないものと思われる。彼女も今日が入学式なのか以前アタシが通っていた中学校の制服を着ており、胸元には新入生を表すリボンを着けていた。しかしそんな格好とは逆に、艶のあるボブくらいの長さの黒髪は所々で跳ねていた。着飾っているのは服だけで、髪には意識が向いていないといった感じである。
「殺月……魔姫さんであっとりますか?」
「……悪いんだけどアタシはキミの事を知らない。キミ、一神中学の新入生でしょ。こっちは檉高校の通学路だよ」
「あの、ウチぃ……日奉千草、言う者なんですけど……」
「日奉、千草……」
遥か昔から怪異を封じるために活動してきた日奉一族という一族が居た。彼らの存在は『黄昏事件』によって表沙汰になり、そして今では一部の構成員がJSCCOへと所属している。今彼女が言ったのはその日奉一族だったのだ。だが、その名前を聞いたアタシの中には疑問が浮かんだ。
「……それは死んだ人間の名前でしょ」
「あ、えっと……死んだっちゃ死んだんじゃけど、でもウチはホンマに日奉千草っていうか……」
「日奉千草は3年前の『大禍事件』で命を落とした。別に知り合いじゃないけど、そうだって聞いてる」
実際は聞いた訳ではない。姉ちゃんがつけている日記をこっそり見た時にそれを知ったのだ。姉ちゃんの相棒と同じ苗字をしていたため、何となく記憶に残っていた。
「3年前に死んだ千草はウチじゃのうて、でもウチも千草と言いますかぁ……」
「言ってる意味が分からない。くだらない冗談に付き合う暇は無いの。じゃあね」
青へと変わった信号を見て歩き始める。すると千草と名乗った少女もトコトコと後ろを付いて来た。初登校からいきなりおかしな人間に絡まれてしまい苛立ってしまう。
立ち止まって後ろへと振り返ると、反応が遅れた少女が胸元にぶつかる。
「へぶっ……!?」
「……いい? アタシはキミのことは知らないし、死人の名前を名乗るような不謹慎な奴に構ってやるほど暇じゃないんだよ。JSCCOにでも行ってやればそういう冗談は?」
「じょ、冗談じゃないんです!」
少女は何の迷いも無さそうな真っ直ぐな瞳をこちらへとぶつけた。今まで自分が見てきた人間の中で一番曇りの無い瞳かもしれない。
「ハァ……それで? その日奉千草さんが何の用?」
「実はお姉さんに、頼みたい事があるんです」
「何?」
「お姉さん、今日の朝んニュース、見ましたか?」
「……怪異関連ならJSCCOに言いなよ。アタシはただの学生なの」
「じゃ、じゃけど! サエお姉さんからお姉さんのことは聞いとるんです! お姉さんの力が必要なんです!」
恐らく彼女が言っている「サエお姉さん」というのは三瀬川賽という人物だろう。霊魂相談事務所という事務所を開いており、姉ちゃんとも知り合いである。そして姉ちゃんの相棒であるアイツとも知り合いだ。大方、アイツがペラペラと喋った時に賽さんもそれに乗ってアタシのことを喋ってしまったのだろう。
「意味が分からない。何でそこでアタシの能力が関係してくるの」
「こっそり動くんには、うってつけの能力……ですよね?」
アタシの生まれつき持っている能力、それは『生物の認識から外れる』というものだ。以前は不安定であり、他人に一定以上の関心を持っている人物でなければアタシを認識する事が出来なかった。しかし3年間様々な訓練を積んだ結果、この能力を自分である程度制御することが可能になった。
「……キミ、JSCCOの人間じゃないよね?」
「はい。ウチは特にどっかに所属しとるとかは無いですよ」
「それなら何でキミはあの事件に関わろうとしてるの? キミにそんな義務は無い筈でしょ」
「ウチも、ウチも皆ん役に立ちたいんです!」
少女によると彼女も『大禍事件』に巻き込まれた一人であり、その際に家族である日奉千草を失い、被災した多くの人達を見てきた事で誰かを助けたいという想いを抱いたのだという。やはり千草という名前を名乗っている理由がいまいち分からないが、迷いの無い喋り方から嘘はついていないと感じた。
きっとここで彼女の誘いに乗れば確実に入学式は欠席する事になるだろう。そもそもこんな人物の誘いに乗る事自体がそこまでするだけの価値があるのかという疑問もある。だがこの真っ直ぐな瞳を見ていると、アイツのことを思い出してしまう。今でも姉ちゃんの良き相棒として活動しているアイツのことを。
「……それで?」
「え?」
「どうするつもりかって聞いてるんだけど。ニュースだとどんな呪術が使われてたのかも言ってなかったし、それ聞かないと行く行かないは決められない」
「一緒に来てくれるんですか!?」
「だからまずは詳細を話しなさいってば。それ次第だから」
それを聞くと少女はポケットに入れていたのであろうスマートフォンを取り出すと、一枚の画像を開いてこちらに見せてきた。そこには電柱に結び付けられている一本のビニール紐の姿が写っていた。続けて見せられた写真にはガードレールの足元に括られたビニール紐の姿があり、その次に見せられた写真にはどこかの階段の手すりに括られていた。
「何これ」
「これ、ビニール紐を使った呪術なんです。まだ未解明な部分も多いんじゃけど、それでも危ないモンっちゅうのは確かなんです」
「……アタシはこういうの専門外だから知らないんだけど、何で未解明なのに危ないって分かるワケ?」
「お姉さんは、『黄昏事件』って知っとりますか?」
「ハッ、当たり前でしょ。知らない奴なんてその時赤ん坊だった人くらいでしょ」
「あの時、大阪にも同じようなビニール紐が発見されとるんです。それでよう調べたら、それが結界みたいになっとって、その範囲内の被害が特に大きかったっちゅう話が出とるんです」
少女によると大阪でも酷似した方式の呪術が確認された事があるらしく、そのせいで大きな被害が出たというのだ。このビニール紐に関する件は昔テレビで放送された事もあったためか、余計な混乱を防ぐために表向きには知られていない事らしい。
「どこ情報なのそれ」
「ウチ調べです!」
「いや、キミがこれをどこから知ったのかってこと。JSCCOの誰かから聞いたの?」
「ネットです!」
あまりにも馬鹿馬鹿しい答えに脱力しそうになる。ネットなどという嘘の情報が腐るほど転がっている肥溜めの様な所から出た情報など、信憑性はかなり低いだろうに彼女はそれをソースにしているのだ。
「探偵ごっこがしたいならもっと調べてからにしなよおチビさん。それが真実だっていうソースがどこにあるの」
「ウチが試しました」
「試した?」
「はい。簡単な結界を作って確かめたんです」
どうやら彼女は呪術に関する深い知識を持ち合わせているらしく、実際に家で試してみたところその情報が事実だったと確信したそうだ。ビニール紐で作った結界の中で百回以上もサイコロを振った結果、それ以外の場所で振った時と比べて出た目の平均が圧倒的に小さかったのだという。つまりビニール紐の結界は低確率で起こり得る不運を生じやすくさせる効果があるらしいのだ。
「信じてもらえませんか?」
「……自分で見てみない事には何とも言えない。でもそれで何でアタシの力が関係してくるの」
「この結界を崩すには紐を解いていくしかないんです。じゃけぇ、お姉さんの力が必要になるんです」
「……つまり、術者にバレないようにエリア内で紐を解ける人員が必要って言いたいワケ?」
「き、聞こえは悪いとは思うんですけど、そん通りです」
JSCCOにバレれば大目玉では済まされないだろう。間違いなく姉ちゃんの耳にも届き叱られる事になる。民間人が勝手にそんな事をするなど危険性ゆえに本来許されないからだ。しかしこの千草を名乗る少女の話が事実なのであれば、放置するのはまずいだろう。霞ヶ関には複数の省庁があり、もしも呪術が発動すればその被害は計り知れない。
「お姉さん、お願い出来ますか?」
「今日は欠席ってことにしとく」
「……ありがとうございます!」
「でもその前に、キミの本当の名前を教えて。アタシの中じゃ日奉千草って人間は死んだ事になってるの。そこが引っ掛かってしょうがない」
「そうに言われても、ウチ、ホンマに千草じゃし……」
「他に何か呼び名とか無いの? 例えば、小さい頃に呼ばれてた名前とか」
そう尋ねると少女はあっと声を上げる。
「ウチ、小さい頃は葦舟簸子って呼ばれとりました!」
「何それ。それがキミの本名なんじゃないの?」
「うーん……本名っちゃ本名なんですけどぉ……でも今のウチには本名じゃないっちゅうか……」
「ハァ……それじゃあまあ、死んだ人間の名前呼ぶのも嫌な感じだし、葦舟って呼ぶから」
「分かりました。じゃあお姉さんのことは……」
「お姉さんとでも何とでも好きに呼べば?」
葦舟はうんうんと少し悩んだ後、手をぽんっと叩き口を開いた。
「お姉さん!」
「そ。それじゃ行きましょ。どうせもうJSCCOが先に着いてるんでしょうけど」
こうして入学式を欠席することになったアタシは、死人の名を名乗る奇妙な少女、葦舟簸子と共にメディアの裏へと隠された呪術の解呪へと向かうことになった。