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「あれ、聡子さん?」
その呼び名と呼び声で。
涙と酔いが一気に引いて、まずいと焦る。
揚羽は夜の仕事といわんばかりのドレス姿で、聡子とは正反対の派手なメイクをしていたからだ。
どうしようと、頭を大急ぎで回転させながら……
ゆっくりと声の主に視線を向けた。
「鷹巨さんっ……
どうして、ここに?」
「僕は接待が長引いて、今お見送りしたとこです。
聡子さんは……
大丈夫ですか?」
泣いていたのを目にしてか、心配そうに問いかける。
「……はい。
実は、夜の仕事の友達に頼まれて、今日だけ手伝ってたんですが……
駄目ですね、私。
せっかくこんなに綺麗にしてもらったのに、何の役にも立てなくて……」
再びぼろっと涙を零した。
すると鷹巨は、揚羽の隣に腰を下ろして……
おもむろにそっと抱きしめた。
「泣いてください。
僕がこうやって隠しとくんで……
でも1つだけ。
僕はこんな素敵な人が隣にいたら、それだけで。
たとえ会話が弾まなくても、どんなミスがあったとしても。
来たよかったなぁって思います」
そう言って、揚羽の頭を優しく撫でた。
さすが詐欺師……
上手く懐に入り込んできた。
私の話が事実だったら、このフォローはさぞかし嬉しかっただろう。
そう思いながらも、今の揚羽には有り難い温もりだった。
嘘でいい、嘘がいい。
どうせ全てのものが、いつどうなるか分からない幻なんだから……
しかもこのまま甘えれば、こっちも懐に入るのに好都合だと。
揚羽はその胸を吐け口に利用して、ぎゅっと抱きついて泣き濡れた。
そんな2人を……
やっぱり心配で様子を見に来た倫太郎は、車から眺め。
何も出来ない自分に胸を痛めながら、悔しさにきつく拳を握りしめていた。
「あの、もう大丈夫です。
ありがとうございました。
おかげで胸のつかえが取れました」
「……なら、良かったです」
そこで揚羽は気になっていた事を切り出した。
「でも、よく私だと気付きましたね?
自分でも別人みたいだと思っていたのに」
パッと見で同一人物だと見極めるのは困難で、今まで見破られた事などなかったのだ。
「はい。営業の仕事がらか、相手の特徴を捉えるのが得意なんです」
「すごいですね。
それよりすみません、明日も早くからお仕事ですよね?
なのに私まで帰りを遅くしてしまって……」
「いえ僕は、少しでも聡子さんの役に立てたならそれだけで。
だだ、我儘を言わせてもらうなら……
今度、遊園地デートしてもらえませんか?」
「遊園地っ、ですか?」
何考えてんの?
多忙なはずなのに、そんな一日中使って……
表の顔で詐欺をするとは思えなかったが、するならするで回りくどい手口だと怪訝に思う。
何より、揚羽自身が手っ取り早く終わらせたかった。
だけど……
「はい、喜んで。
楽しみにしています」
嘘の優しさでも詐欺の手口でも、受け止めてもらった事で気持ちを切り替える事が出来たため。
付き合ってやるかと、誘いに乗る事にして。
そこで一気に距離を縮めようと謀ったのだった。
次の日。
揚羽は気持ちを新たに、久保井への復讐に乗り出した。
「柑愛ちゃん、昨日席に着いた久保井さんなんだけど。
連絡先とか聞いてる?」
「あぁ、田中専務のお連れさまの……
聞いてないです。
揚羽さんの指名席だったし」
「そっか……
実は私、久保井さんの事すっごくタイプなの。
でも田中専務の手前、連絡先とか聞けないじゃない?
だからね?
柑愛ちゃんが気に入ってる事にして、呼び出してもいい?」
そうすれば今後は柑愛も指名に出来ると交渉し、シングルマザーで少しでもお金が欲しい柑愛は快く了承した。
揚羽はすぐに田中専務に連絡を入れると、昨日のお礼とともにその旨を伝えて……
久保井の来店を待ち望んだ。
倫太郎とバディを組んでしばらく経った頃、当然その名は調べてもらったが……
その時は何の情報も得られなかった。
でもここで電話番号や何らかの情報が得られれば、そこから何か掴めるはずだと見込んで。
次こそは心を乱さないと、腹をくくったのだった。
そして日曜。
揚羽はさっそく、鷹巨と遊園地に来ていた。
「聡子さん、次あれ乗りませんっ?」
「えっ、あの落っこちるやつですか?
無理です無理です、死んじゃいますっ」
「大丈夫ですっ。
僕がこうやって、手を繋いどくんで」
それ何の解決にもならないから!
そう思いながらも。
見るからに怖そうなフリーフォールを前に。
繋がれた手を、思わずぎゅっとする揚羽。
「ふっ、可愛い聡子さん」
優しく笑う鷹巨。
「いえもう、ほんとに。
乗った事がないので、どうなるかわかりませんっ」
「絶叫系、苦手なんですか?」
「まぁ……」
というより、まだ身長的に乗れなかった子供時代にしか来た事がなかったため、単純に未知への恐怖だった。
「でも試しに乗ってみましょう!
意外にスカッとするかもしれないですよっ?」
揚羽はこの時ほど、詐欺を面倒だと思った事はなかった。
ところが……
「もうあのスカッと感たまりませんっ。
もう1回乗りませんかっ?」
「あははっ、いいですよ何度でも」
すっかり虜になってしまう。
そのあと行ったホラーハウスでは……
「うわあ!ビックリしたっ。
聡子さん、怖くないんですかっ?」
「はい私、ホラー系は平気なんです。
なので、今度は私が手を繋いであげますねっ?」
本当は怖がって親密度を深めようと謀っていたが……
鷹巨が思いのほか怖がっていたため、方向性を変えたのだった。
「なんか俺、情けなくないですかっ?」
俺……
怖さで素が出てるし。
「いえ、可愛いです」
「いやそれ嬉しくな、うわっ」
「あはっ、大丈夫ですよ〜」
「それバカにしてませんっ?」
「してないです、素敵です」
事実、他が完璧すぎるため、ほっとする一面だと思っていた。
「絶対バカに、てうわあ!」
「ふふっ、もうすぐ出口なので頑張りましょうね〜」
最初はこれも詐欺の手口で、演技かとも思っていたが……
鷹巨の手汗がほんとに怖いのを物語っていた。
「すみません、手ぇ気持ち悪いですよね。
すぐ洗いに行きましょう」
「全然平気ですよ?
座っててください、何か飲み物買って来ますね」
そうして揚羽は、2人分の飲み物を買って休憩場所に戻ると。
鷹巨がいるはずのテーブル席には、知らない家族連れが座っていた。
「聡子さん、こっちです!」
鷹巨は近くのアトラクション前にいて、揚羽に気付くとそう手をあげた。
「すいませんっ。
あの家族連れのお父さんが、僕より青ざめてる感じだったんで譲っちゃいました。
すいません、聡子さんまで立たせちゃう事になって……」
「ふふっ。
私は全然構いませんよ?」
揚羽は素で吹きだした。
お姫様扱いすべきターゲットに不便をかけてまで、なんの得にもならない男性を気遣うなんて……
そこはせめて「あの子供が」と嘘をついて、子供好きアピールからの結婚願望をほのめかす所じゃないの?
と、優しくて間抜けな結婚詐欺師を微笑ましく思ったのだ。
もっとも、表の顔で詐欺をするつもりならばの話だが……
とはいえ、詐欺でないなら何なのだろう?と怪訝に思う。
コーヒーかけられて一目惚れしたとも思えないし……
「それにしても、聡子さんがホラー系平気だとは意外でした」
「ふふ、子供の頃は怖かったんですけどね」
ホラーハウスで泣きじゃくって、父親に抱っこされて脱出したのを思い出す。
するとふいに、鷹巨から優しく頭を撫でられる。
「え……何ですか?」
「すみません。
なんだか一瞬、泣きそうな顔に見えて……」
相手の特徴を捉えるのが得意というだけあって、人の表情を逃さない男だ。
揚羽はきゅっと胸を掴まれながらも、油断ならないと気を引き締める。
「鷹巨さん、さっきから謝ってばっかりですね?
私なら大丈夫ですよ」
そうきっと、人は絶望を味わうと強くなるのだろう……