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虹色アゲハ  作者: よつば猫
ジャコウアゲハ
6/41

「いらっしゃいませ、田中専務。

今日は突然、どうされたんですか?」


「いや揚羽ちゃんを驚かそうと思って、サプライズしたんだよ」


「そうなんですかっ?

もぉ、やられました。すっごく嬉しいですっ」


「良かった良かった。

今日は後で若いのも来るから、よろしく頼むね。

あ、僕には負けるけどいい男だから、浮気しちゃ駄目だよ〜」


「やだ、私が田中専務の事大好きなの知ってて、そんな事言うんですかぁ?」


「ははは、一本取られたなっ」


 田中専務とは、揚羽の表の仕事である高級ラウンジの指名客で。

後で来る男とはゴルフコンペで知り合ったらしく、それを機に、田中の物産会社で大量注文してくれたそうで……

以来、懇意にしているとの事だった。



「おお来た来た、久保井くん!

先に始めさせてもらってるよ」

そう手を挙げる、田中の視線の先を……


 目にした途端。

揚羽の心臓はドクン!と弾けて、ぶわりと騒めき始める。


「いえもう全然っ、遅くなってすみません」


 その声は……

久保井という名は……


 そしてそのミステリアスな、シャム猫のような風貌は……

あの頃より大人びてはいたものの、当時の面影をありありと残していて。


 そう、それはまさしく。

揚羽を絶望に陥れた、かつての少年だった。



「揚羽ちゃん、言った通り僕の次にいい男だろ?」

その声かけで。

釘付けになってた揚羽は、ハッと我にかえる。


「はい、本当に。

思わず見惚れてしまいました」


「ええっ、浮気しないんじゃなかったのっ?」


「もぉ専務ったら、ヤキモチ妬いて欲しかったんですよ?」


「ははは、また一本取られたなぁ」


 ボタニカルカフェで、この男がいると勘違いしたワンクッションを挟まなければ、動揺を隠せなかっただろうと。

ヒヤリとする揚羽。


 その間、新人ホステスの柑愛かんなが、久保井の水割りを用意して……

乾杯を済ますと。


「久保井くん、彼女が僕のハニーの揚羽ちゃん。

べっぴんさんだろ?」

すぐにそう紹介された。


 この男は私に気付くだろうか?

鼓動を暴走させながら、恐る恐る視線を向けた揚羽は……

目が合った瞬間、不可抗力に心臓が止まる。


 ところが。


「はじめまして、久保井仁希くぼいまさきです。

本当に綺麗な方でびっくりしました」


 何の機微もない様子で、くしゃっと八重歯を覗かせて笑う姿に……

その懐かしくて残酷すぎる笑顔に……


 この男、私に微塵も気付いてない。


 名刺とともに挨拶を返しながら、胸が容赦なく切り裂かれる。


 確かに、あの頃とはだいぶ雰囲気も違うし、化粧も派手に施してる。

でも声は変わらないし。

あんなに何年も過ごして、あそこまで私を追い込んで……

なのに気付きもしないなんて!


 復讐するなら、気付かれていない方が都合いいに決まってた。

だけど揚羽は、ショックで深追いせずにはいられなかった。


 会話が盛り上がってくると、早速。


「久保井さんも、女の子たくさん泣かせてきたんじゃないですかっ?」


「いえそんなっ……

僕なんか田中専務の足下にも及びませんよ」


「おいおい、まいったなぁ」


「モテる男は罪ですね。

2人とも、いったいどんな悪さしてきたんですかぁ?」

危険な男に惹かれる素振りでそう訊くと。


 田中に続いて、待ち構えていた久保井の答えが明かされる。


「僕はよく、待ち合わせすっぽかしたりとか?」


 よく……

その言葉から、同じような手口で何人も騙してきた事がうかがえた。


「ええ〜、すっぽかされた女の子たち可哀想。

騙されてるとも知らずに……

冬だったら凍てつく寒さの中で、何日も何日も待ってたかもしれないのに」


 会話に出てもない、騙すという言葉で挑発しながらも……

口にした、不安で心細くて辛かった日々が脳裏をよぎる。


 すると久保井はきょとんと固まって。

「そんな馬鹿な子いるっ?」と吹き出した。


 許せない。


 あの時の自分が笑い者されて、周りが盛り上がる中。

揚羽の胸は激しく抉られる。



 本当は、心のどこかで信じていたのだ。

いつか再会した時、誤解だと事情が明かされるんじゃないかとか。

やっぱり詐欺でも、今は懺悔の念に苦しんでるんじゃないかとか。


 そんな、潜んでた最後の希望が無残にも打ち砕かれる。


 しかも久保井の名は……

義父に付けられた通称だという、あの頃の名前と同じで。

本名にしろ詐欺名にしろ、あまりに無防備で舐めきってると、新たな怒りが込み上げる。


 どうりで私に気付かないワケだ……

この男はそれほど、人を軽んじて罪を軽んじて、大勢騙してきたんだろう。


 揚羽は悔しくて悔しくて、泣き崩れそうなほど悔しくて。

狂いそうなほど憎らしくて……

それらを必死にお酒で誤魔化した。




 仕事が終わると、揚羽は逃げるように倫太郎の家に押しかけた。


「ねぇ今日も泊めてぇ〜?」


「酒くさっ……

アンタ酔ってんの?」


「そうヤな客が来てさ〜」


「だからって珍しいな……

そんなヤな奴?」


「……そ。

殺したいくらいにね……」


「はっ?」


 ぼそりと吐き出された言葉に耳を疑って、聞き返した直後。

靴を脱ぎ終えた揚羽が、よろけて転けそうになる。


「おい大丈夫かっ?」

すかさず倫太郎が支えた、次の瞬間。


 揚羽はその胸にぎゅっと縋り付き。

倫太郎は心臓が止まる思いで目を見開いた。



 無意識のうちに、倫太郎が拠り所になっていた揚羽は……

遣り切れない感情とアルコールに侵されて、思わず甘えてしまったのだ。


 そして倫太郎は……

抱きしめたくても出来なかった存在が、触れることすらままならない存在が、自分にしがみついてる現実に。

鼓動を高鳴らせながら、ぎゅっと抱き返そうとして……

その手を止めた。


 でも抱きしめたくて。

抱きしめずにはいられなくて。

だけどバディじゃいられなくなりそうで……

ぐっと拳を握って、必死にその衝動を押し殺した。


 途端、バクバクいってる胸の音が今さら恥ずかしくなった倫太郎は……


「飲み過ぎだろっ。

水持ってくるからソファ座ってろよ」

バッと揚羽を引き離して、キッチンに向かった。


 私、なにやってんだろ……

取り残された揚羽は、酔いながらも我に返って。

急に恥ずかしくなったと同時、倫太郎の拒絶にショックを受ける。


「ねぇタクシー呼んで。

店に忘れ物したみたい」

いたたまれなくなって。

だけどこんな気持ちのまま家に1人でいられなくて、そう嘘をついた。


 本当はすぐにでも飛び出して行きたかったが……

そんな事をしたら、心配して追っかけてくるに決まってて。

余計惨めなうえに、GPSを切るのも不自然なため、そんな嘘をつくしかなかったのだ。


「は?

だったら送ってやるよ」


「今さら心配?

やめてよ、誰かに見られたらどうすんの」


 そう、どこで情報が漏れるとも限らない。

赤詐欺を狙う以上、男の影を匂わすわけにはいかないのだ。




 そうして、タクシーを店のビルまで走らせると。

そこから近くにある公園に、ふらふら足を伸ばして……

ベンチに腰を下ろした。


 ふいに。

行き場のない激情が、ぶわっと涙になって溢れ出す。


 久保井の事で酷くダメージを受けてた心に、倫太郎から拒絶されたダメージも重なって……

それをアルコールが助長していた。


 その時。


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