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「おいしっかりしろよっ……
望っ!」
切羽詰まった声とともに、身体を揺さぶられて。
望……?
うつろに目を覚ました望は、そう呼んだ相手を映すと。
「っ、倫太郎っ」
そういえば倫太郎も本名を知っていたんだと思いながら。
「……どうして、ここに?」
「PCがウイルスにヤられて。
オマエのと繋がってるから大丈夫か連絡したら、携帯解約されてるし。
なんかあったんだと思って家来たら、呼び出しても出ねぇし。
合鍵で入ったら、部屋荒れてるしオマエ倒れてるし……
すげぇ焦った」
「っ、ごめん……」
心配をかけた事もそうだが。
「私のせいなのっ。
私があの男に負けたから……
久保井に負けたからっ!
たぶんこのPCから、倫太郎のに感染したんだと思う」
結局、倫太郎まで巻き添えにしてしまったと、胸が捻り潰される。
「俺のはいいよっ。
それよりオマエは大丈夫なのかっ?」
「私の事より!
復元出来るのっ?
仕事には響かないのっ?」
「だからいんだって!
復元はムリだけど、仕事の方は問題ねぇから」
「ほんとにっ?
けど倫太郎でも復元出来ないなんて……」
「……たぶん専用のUSBで、タチ悪いウイルス入れられたんだろ」
「そんな……
倫太郎には迷惑かけたくなかったのに、ほんとにごめんなさいっ」
「っざけんなよ。
俺なんつった?
いつでも助けてやるっつったよな?
なに遠慮してんだよ」
その瞬間、望はぶわりと涙が溢れ出す。
何もかも奪われた先に、残ったものは……
「倫太郎っ」
一番大切な存在で。
思わずその胸にしがみつくと。
堪らず倫太郎も、ぎゅっとぎゅうっと抱き返した。
さすがに今回は、心配で拒否出来ないのかと思いながらも。
その温もりに、望は胸が詰まっていく。
「バカでしょ?私……
せっかく倫太郎が、幸せになれって後押ししてくれたのにっ……
鷹巨を裏切って、あの男を選んでしまったの。
自業自得よねっ、挙句このザマよ。
詐欺データも通帳も、全部奪われて。
約束通り、今までの人生も捨てなきゃならなくて……
もういっそ、命も捨ててしまいたいっ」
しゃくりあげながらそう話す望に、倫太郎は胸を抉られる。
「そんな事言うなよっ……
大丈夫だから!
これからは俺が面倒みるからっ」
「なにそれ……
同情してんのっ?
バディだからって、そこまでする必要ある!?」
「あるよ!
バディになった時、守るって約束しただろ?
だからずっと守って来たつもりだし、それと変わんねぇだろっ。
これからもずっと、俺が守ってやるから……
だから泣くなよ、なっ?」
「っっ、倫太郎っ……」
相変わらず余計泣かす倫太郎に、いっそうぎゅっと抱きつくも。
内心、素直に喜べずにいた。
その申し出は、この上なく嬉しいものだったが……
大切な存在だからこそ、足手まといになりたくなかったのだ。
「とにかく、今は身体を休めろよ。
寝室どこだ?」
倒れていた事を危惧してそう促すと。
「っ、嫌っ!
そこには行かない、行きたくないっ」
久保井に抱かれたベッドに、睡眠薬というトドメを刺された場所に……
身を置くなど屈辱でしかなく。
それを察した倫太郎は胸を痛める。
「なら、俺んち来るか?
つかそうしろよ」
「……いいの?」
「さんざん勝手に来といて今さらだろ。
じゃあいるもんまとめろよ。
その間に部屋片付けとくから」
「っ、ありがとう……」
足手まといにはなりたくないものの。
久保井の痕跡が残るキッチンも、その記憶が甦るこの部屋さえも、居るに堪えない場所になっていたのだ。
そうして、準備が整うと。
「じゃあ車回してくる」
「待って!一人にしないでっ。
一緒に行く……」
望は、待ち続けるのや置き去りにされるのがトラウマになってしまい。
いつも強気な望がそんなふうに弱ってる姿に、倫太郎は幾度となく胸を潰される。
「大丈夫か?」
憔悴した様子でフラフラしている望を、優しく支えるも。
ぶっきらぼうな倫太郎がすると、悪い男が痛めつけた女を連れ去っているようで……
道行く人から不審な目を向けられる。
だけど、望が心配でたまらない倫太郎はそれどころじゃなく。
家に連れて帰って、ベッドに寝かしつけたところで……
ようやく胸を撫で下ろした。
その夜、睡眠薬が完全に抜けて目を覚ました望は……
「倫太郎っ?
ねぇどこっ!?」
その姿が見当たらず、部屋中を探し回ると。
玄関の扉が開いて。
「あ、起きたのかっ?」
帰って来たその人に、思わず抱きついた。
「倫太郎まで、いなくなったのかと思った……」
「っ……
俺んちなのにいなくなるわけないだろ?
起きたら腹減ってると思ってメシ買って来たんだ」
胸を締め付けられながら、片手でぎゅううと抱き締める。
「……ありがとう。
でも今は食欲ないから、後で食べるわ……」
だけど後になっても、少ししか口に入らず。
それからも望は、あまり食べれず。
繭に閉じこもるように塞ぎ込んでいった。
そう、生きるのにうんざりしていた望は、当然食べる気など起きるはずもなく。
足手まといになっているという状況からも、消えてしまいたいと思っていたのだ。
なのに。
「望っ。
目玉焼き焼いたんだけど、食うか?
見た目は悪いけど、たぶん食えるから」
手作りなら食べてくれるんじゃないかと試みたり。
毎日あの手この手で、甲斐甲斐しく世話を焼く倫太郎に……
望は少しずつ絆されていく。
仕方なく、焦げて黄身も崩れてるそれを口に運ぶと……
その温かさに、思わず涙が零れる。
「そんな不味かったかっ?
つか泣く事ねぇだろ……」
そうじゃないと、望は首を横に振る。
「ねぇっ、なんでそんなに優しくするの?」
「はっ?
なんでって……
……オマエの事が、すげぇ大事だからだよ」
愛しげな目でそう見つめられて。
いっそう涙が溢れ出す。
好きでも愛してるでもないその言葉が、逆に深く沁み込んで……
痛いくらい、望の胸を締め付けていた。
「だから、オマエが元気になるなら何でもする」
「……なんでも?」
「ん。
俺に出来る事なら、どんな事でも」
「……じゃあ、キスしてよ」
途端、耳を疑って目を見開く倫太郎。
例のごとく上書き目的と。
今なら拒否されないんじゃないかと期待した望だったが……
了承せずに、ためらう倫太郎を前に。
「……冗談よ」
胸を切り裂かれながら、顔を背けた。
次の瞬間。
グイと向き戻されて、望の唇に倫太郎のそれが触れる。
刹那、心臓が爆発したかのようになり。
今度は望が目を見開いた。
そのキスは、ぶっきらぼうな倫太郎がしてるとは思えないほど優しくて。
チュっと甘い音を立てて、何度も吸い付くように絡んでは……
思わずといった様子で食んで、愛しくてたまらなそうに食んで……
望の身体は、ぶわりと激しい波に飲まれて。
胸はありえない力で締め付けられて。
堪らず、その唇から逃れてしまう。
「ごめっ……
倫太郎とは、今までそういう関係じゃなかったから……
なんか、耐えられなくて」
「っ、じゃあもうしねぇよっ」
「そうじゃなくて!」
立ち去ろうとした倫太郎の腕を、すかさずぎゅっと引き止める。
「休憩、しながらでいい?
やたら感じて、耐えられなくて……」
「はっ?
……いやムリだろ」
言い終えるや否や。
望の後頭部にぐっと手を回して、再び唇を奪う倫太郎。
「待っ、倫っ……」
2度目のキスは1度目と違って強引で……
逃してくれない。
どうにかなりそうで、嬌声にも似た甘い吐息が零れると。
「ヤバい、俺が限界」
そうぐっと抱きしめられて。
そこでキスは終わりを迎えた。
そのあと望は、変に気まずくなった空気を誤魔化すように食事に戻ると……
倫太郎が作ってくれた目玉焼きを、美味しいと思いながら完食したのだった。