2
「うまっ!
薄味なのにこんな旨いとか……
望、料理上手なんだなっ」
「やめてよ。
透析患者用の分量とかわかんなかったから、ググってレシピ通りに作っただけだし」
その調理の最中。
腎臓が悪かったから、あまりお酒を飲まなかったのかと合点していた。
「レシピ通りでも、作る人の技量で全然違うよ。
ほんと、めちゃくちゃ旨いし。
ずっと望の手料理を、食べたくて仕方なかったからさ……
これでもう、思い残す事もないかなって」
「バカな事言わないでっ。
私が絶対、どんな手を使っても逃してあげるわ」
「望……
ごめんな。
俺、あんな酷い目に遭わせたのに」
「そう思うなら、何もかも正直に話して。
どうして私を騙したの?」
「……騙すつもりなんか、微塵もなかったよ。
まぁ、結果的にそうなったけど」
仁希は悲しげに微笑して……
ゆっくりと話し始めた。
「俺が義父に育てられてたの、覚えてる?
その義父が、今逃げてる組織の幹部なんだ」
「え……
そんな昔から組織にいたのっ?」
「ん……
本当の親は、デタラメな人間でさ。
金欲しさに売られたんだ。
それも、だった数万で……
笑えるだろ?
俺の命なんか、数万なんだってさっ」
思いもよらない事実が、望の胸に突き刺さる。
「……っ、笑えるわね。
仁希の価値がわからないなんて。
そんな人間に傷付く必要なんかないわ。
私にとっては、自分の全てだった存在なのよ?」
すると仁希は一瞬固まって……
切なげに笑った。
「俺も望が全てだよ。
あの頃からずっと……」
その言葉に、ぎゅううと胸を掴まれて。
泣きそうになる望。
「じゃあどおしてっ」
「駅には行ったよ!
ほんとに結婚するつもりだったんだ」
「嘘っ!
あの戸籍は別人だったじゃないっ」
そう言われて怯んだ仁希を前に。
さっきからどこか違和感を感じていた望は、それが不信感に変わりかけると。
「ん……
俺さ、無戸籍なんだ」
「無戸籍?」
「そう。
そんな親だから出生届も出してなくて。
義父もその方が都合いいからって、そのままで」
「そんな……」
それは日本でも年間3000人、1日に8人以上発生しているらしく。
珍しい事じゃないと聞きながら……
だから仁希を調べても、何の情報も得られなかったのかと腑に落ちる。
ちなみに久保井という名は、実際あの秘密基地の近くに住んでいた少年の苗字で。
仁希という名は、義父に捨てさせられた本名だが漢字はなく。
不憫に思った祖母が、亡くなる前に当てがってくれたものらしい。
「だから俺、そいつとして人生やり直そうと思ったんだ」
「でもその男はどうなるのっ?
戸籍を乗っ取ったのがバレたら、」
「とっくに死んでるよ」
そう遮ってきた言葉に、驚愕する望。
「組織に潰されたんだ。
うちにはそんな奴らが、ゴロゴロいてさ。
それを一つ、秘密裏に奪ったつもりだったんだけど……」
「見つかって、逃げられなくなったってわけね」
「まぁ、結果的には」
「だったら!
なんでそれを話してくれなかったの?
駅には来てくれたんでしょ?
そのあと、あの秘密基地でも待ってたのよっ?」
「改札口の前で捕まって、刺されちゃってさ。
そんでしばらく寝込んでたから、秘密基地にも行けなかったんだ」
苦笑いしながら下腹部を指差す仕草に……
望はハッと思い出す。
ー「自由奔放な猫みたいな?」
「それいいねっ。
でもあんまそうすると、刺されたりするからな〜」ー
「もしかして……
前に刺されたって言ってたのは、その事?」
「そっ。
自由を求めて思うままに行動したら、グサリってね」
私はなんて事を……!
その壮絶な過去を、知らなかったとはいえ。
そんな仁希をずっと憎んできて。
その時も心で、死ねばよかったのにと毒づいてしまった事に……
自責の念と遣る瀬無い思いで、涙が零れる。
そしてなにより。
「ごめんねっ、仁希……
私が遺産の相談なんかしたせいでっ。
それを守るために、そんな酷い目に遭わせてしまって……」
「望のせいじゃないよ。
確かに、遺産は守ってあげたかったけど……
それ以前に。
俺が望と結婚したかっただけだから」
「仁希っ……」
ぶわりと涙が膨れ上がる。
「でも私はっ!
遺産なんかより、結婚なんかより、ただ仁希と一緒にいたかった。
仁希さえいれば、それだけでよかったのにっ……
だからこんな事になる前に、ちゃんと事情を話して欲しかった」
「っっ、ごめん……
でもそれは出来なかったんだ。
望の事を、守りたかったから」
「……どういう事?」
それは……
組織に2人の関係がバレたり、情報を漏らした事がバレたりしたら、望まで狙われるといった内容で。
だから連絡は公衆電話からかかってくるのみで、会うのも秘密基地だけだったのかと納得する。
「でもそれなら逆に、情報を共有して口裏を合わせた方が隠せたんじゃない?」
「あの頃の望ならすぐに見破られたよ。
こっちはカマかけも尋問もプロなんだし」
「だとしても、そんな事で消されたりはしないでしょっ?」
「可能性はあるよ。
俺の唯一の弱点だから、なんかあったら狙われるし。
仲間に引き込まれて、一生組織に飼い殺される」
しかも望の場合、身寄りもなく好都合で。
ビジュアル的にもかなり稼げるため、絶好のカモだという。
「だからそうならないように。
俺のカモに見せかけて、遺産を預かる事にしたんだ。
さすがに結婚や逃亡となると、隠すのが難しくなるからさ。
その作戦なら望の存在がバレても、詐欺のターゲットだって誤魔化せると思ったんだ。
事実、逃亡資金を得るために詐欺した事になってるし」
当時、まだ少年と呼ばれる年代で……
出会った頃からずっと、そこまで冷静に状況判断していた事に。
これまでの勝負でしてやられるわけだと脱帽する。
「けどそのせいで、望を金銭的にも追い詰める事になって……
ほんとにごめん」
「ううん、私を守るためにしてくれた事だし……
むしろ私の方こそごめんなさい。
何も知らずに、恨んでた」
「恨んで当然だよっ。
結局、守るどころか苦しめて……
あの秘密基地でも、ずっと待ってたんだろ?
凍てつく寒さの中で、何日も何日も……
店でそれ聞いた時、本当にショックでさぁっ」
「……嘘。
きょとんとして小馬鹿に笑ってたじゃない」
「あぁそれは、クセってゆうか……
俺、ずっとこんな環境で生きてきたから、自分の感情を見破られないようにしてるんだけど。
ショックが大きいとボロが出そうで、そう誤魔化すようになってて」
「なるほどね……
でもこっちはたまんなかったわよ。
その時もこの数カ月の間も、色々と傷付いてたのよ?」
「うん、わざと傷付けてた……」
切なげに顔を歪める仁希に。
どういう事?と怪訝な顔を向ける望。
「どうせ望との未来がないなら、とことん嫌われようと思ったんだ。
そしたら、こんな奴と切れて良かったって、過去に踏ん切りがつくかなって。
それにどんな理由だろうと、望を苦しめた事に変わりはないから……
下手に誤解を解いたら、苦しみのぶつけ先がなくなって、余計辛くなるかなって」
それはつい先程、望自身もとった行動で。
そう、鷹巨に対して考えた事で。
好きな人を苦しめる、あの胸を抉られるような思いを……
仁希は何度も味わってきたんだと、再び涙が込み上げる。
「でも1番の理由は、もう俺に関わらせないためだった。
なのに矛盾してるよなっ。
電話でも言ったけど、会いたくて近づきたくて……
気持ち止めらんなかった」
そう切なげに見つめる仁希に。
望は胸を締め付けられて、いっそう涙が溢れ出す。
「ほら泣かないっ、大丈夫だから。
組織に望との関係はバレてない。
そのために柑愛を隠れ蓑にしたんだし。
たとえバレてもまたカモと思わせるために、勝負をふっかけたんだから」
「それであんな勝負をっ?」
その抜け目のなさに感服するとともに。
そこまで徹底して守ろうとするほど、危険な組織なのかと。
思ったところでハッとする。
「ちょっと待って……
じゃあ私のために、柑愛を傷付けたって事?」
「うん、そうだよ」
「ふざけないでっ!
そんな事して私が喜ぶと思うっ?」
すると仁希は箸を置いて、情けなさそうに溜息を零した。