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そうして連れて行かれた場所は、アリの巣みたいな作りのダイニングバーで……
ほぼ個室のその席は、薄暗さの中に木の温もりと照明の柔らかさが溶け込んでいて、絶妙な雰囲気を醸し出していた。
「料理も美味しいし、すごく落ち着くけど。
ここ選んだのって、あわよくばとか考えてない?」
「あ、バレてた?
じゃあ正々堂々といくけど。
ベンチシートだし、隣行ってい?」
「ストーカーしといて、そこ遠慮する?」
「じゃあ、キスもしてい?」
隣に移動してきた鷹巨に、そう見つめられ……
「……ん、いいわよ」
応えるや否や、後頭部に手が回されて。
甘いキスが絡み込む。
その甘さに溶かされて……
また夢中で、互いに唇を求め合うと。
「好きだよ、聡子……」
その瞬間、揚羽の胸は切なさと罪悪感で締め付けられる。
その気持ちには応えてあげられないのに。
その甘さは必要で、もっと欲しくてたまらなくて。
この前も、そしてこの先を見据えた今も。
結局利用している自分に、遣る瀬無くなったのだ。
「っごめん、鷹巨。
やっぱりこれ以上、利用出来ない」
キスから逃れて、そう俯くと。
「俺は利用して欲しいのに?」
切なげな声で問いかけられる。
「だから私が嫌なの!
そういう気持ちを利用するのが、一番許せない事だから」
そう、お金を取らないだけで、それじゃ赤詐欺と変わらない。
「……そっか。
じゃあ俺の事……
好きか嫌いかだったら、どっち?」
「はっ?
そんな事聞いて何になるの?」
「いいから。
利用した代わりに、ちゃんと答えて」
真剣な目で訴えられて。
戸惑いながらも、渋々答える。
「その二択しかないなら……好きだけど」
「だったら十分だよっ。
俺と付き合お?」
「はあっ?
どうやったらそうなるわけ?」
「だから、その好きから始めて。
あとは少しずつ、大きくしてけばいいかなって。
要はお見合い結婚みたいな感じで、お見合い恋愛的なっ?
それを利用って言うんなら、条件で選ぶお見合い結婚なんかもっとそうだよ。
それでも徐々に愛が育まれたりするんだから、あとは俺の腕次第って事で」
「もうっ、どこまでしつこいの?」
「しつこいよ?
それだけ好きだから」
その言葉と同時。
チュッと不意打ちのキスを食らって、思わず心臓が揺さぶられる。
「っ、そんな事しても時間の無駄よ?
私は誰も好きになったりしないから」
「じゃあその分俺が好きになるよ」
そう言ってまた、甘いキスを絡める鷹巨に。
揚羽の身体はふわりとなって、その胸はぎゅっとなる。
「やめてよっ、ズルい……」
流されそうな自分を断ち切るように、再びキスから逃れるも。
「聡子もズルいよ」
クイと向き戻されて、また唇を塞がれる。
「っ……
も、やめてってば!
私の何がズルいっていうのっ?」
「だって利用出来ないとか言われたら、もっと好きになるに決まってるじゃん。
てゆうかさ?
ズルいって思うのは、それに対して好意を持ってる証拠だと思うんだけど。
だったら全然利用じゃないし。
だから付き合お?彼女になってよ」
「もぉ、困らせないでよ……」
「ごめん、困らせたい。
いいって言うまで、ずっとキスするよ?」
「大した度胸ね……
だったら(キスして)いいわよ、好きにすれば?」
「やったほんとにっ!?
うわどーしようっ」
激しく喜ぶ鷹巨に、面食らって……
すぐにハッとする。
「違う!キスの方よっ」
「じゃあキスもいっぱいする」
「んっ、もぉ………」
抵抗する手は、次第に力が抜けていき……
2人は甘い甘いキスに溺れていった。
◇
「何か掴めた?」
数日後、揚羽は倫太郎の家を訪れて、久保井の調査経過を確認していた。
「や、情報操作されてる。
けど、久保井も名義の女も、たぶん組織ぐるみで動いてる。
それも、下手に手ぇ出せないくらいヤバめの」
「そうなのっ?」
どうりで、と。
憎らしいほどの余裕さや、完璧なまでに手掛かりを残さない狡猾さに合点がいく。
そして思わず。
名義の女はただの仲間かと、どこかホッとしてしまい……
慌てて打ち消そうとした矢先、タイミングよく鷹巨から電話が入る。
「ちょっとごめん」
倫太郎に断りを入れて、縋る気持ちで電話に出ると。
『もしもし聡子っ?今大丈夫?』
「……大丈夫よ、どうしたの?」
まるで胸の内を心配された気分になって、心がほころぶ。
反して倫太郎は、客に対したものとは違う優しげな口調に。
相手は岩瀬かと、胸を痛める。
『今さ、お客さんから行列が出来るケーキをホールでもらったんだけど。
モンブランとか食べれる?』
「食べれるどころか、大好きよ?」
『良かった!
じゃあ仕事が終わったら一緒に食べよ?』
「嫌よ、太るじゃない。
1人で食べたら?」
『ええっ、じゃあ脂肪と糖の吸収を抑える飲み物買っとくし。
一口だけでも!』
「ふふっ、冗談よ。
でも遅くなるのに大丈夫?」
『全然!
じゃあ終わる頃迎えに行くよっ』
「はっ?
来なくていいわよ。
そんな暇あったら少しでも身体休めてて」
すると、なぜか無言が返されて……
『好きだよ、聡子』
不意打ちの言葉に、今度は揚羽が絶句する。
『あ、もしかして照れてる?』
「っ、照れてないわよ!
もう切るわよっ?」
『待って聡子っ。
聡子は?俺の事、ほんのちょこっとくらいは好き?』
「はあっ?
なに調子乗ってんのっ?」
『ごめんごめん。
じゃあ、好きか嫌いかだったら?』
「っ……
言わないから!」
倫太郎の手前、言いにくく感じる揚羽。
『この前は言ってくれたのに?
今から大事な商談だから、言ってくれたら勇気が出るのになぁ。
ほらっ、さっきみたいな感じで。
俺をモンブランだと思って言ってみてよ』
大好きよ?
その言葉を思い返して……
言えるわけないじゃない!
「だからもぉ、困らせないでよ……」
『あははっ、可愛い聡子。
もうそれだけで頑張れるよ。
じゃあまた夜に』
通話はそんなふうに終わったものの。
普通の女の子みたいに、あどけなく笑ったり、照れたり焦ったり困惑したり……
岩瀬にだけ見せる可愛らしい揚羽の姿に、倫太郎の心は打ちのめされる。
「ごめんね倫太郎。
ええと、ヤバい組織なんだっけ」
「ん……
つか危ねぇし、男出来たんなら足洗えば?」
「……そんなワケにはいかないわよ。
あの男だけは、絶対にケリつけなきゃいけないし」
交際を否定しなかった揚羽に、胸が張り裂けそうになる倫太郎。
一方揚羽も、簡単にバディを解消しようとする倫太郎にショックを受けていた。
「ただ、その(男絡みの)事なんだけど……
これからは鷹巨の家にいる時も、帰宅扱いでいいから。
倫太郎は気にせず眠って?」
実際のところ、鷹巨との関係はうやむやなままだったが……
倫太郎に迷惑や心配をかけないように、交際の否定をせずそう言ったのだった。
でも当の本人は、これからは鷹巨に守ってもらうと言われた気がして。
もう自分は用無しだと切り捨てられた気がして。
胸が切り裂かれて、苦しくて……
「……わかった」
やっとの思いで、その一言を絞り出したのだった。
そんな夜。
平日にもかかわらず、久保井が閉店30分前にやってきた。
そのためナンバーワンの指名席も、他に1つしかなく。
その席ももうすぐ終わるため、揚羽がつくのは最初の10分ほどだった。
「あ、ウーロンでいいよ。
車だから」
「何しに来たワケ?」
「そんな事言うっ?
近くに用があったから、ちょっとでも会いたかったのに」
「ありがと。
私も会いたかったわよ?」
にっこり笑顔を貼り付けると。
「うわ、嘘くさっ。
電話番号教えても全然連絡くれないし。
俺の事落とす気あるっ?」
「あるわよ?
だからこそ、私の事好きになりかけてるんでしょ?
そっちこそ、あれ嘘だったの?」
すると久保井はくしゃっと吹き出す。