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数日後。
倫太郎の病室に向かっていた揚羽が、そのフロアのデイルーム前を通りかかると。
自動販売機の前で戸惑っている、車椅子の婦人が目に入る。
「手伝いますよ?」
「あらあら、ありがとねぇ」
母さんが生きてたら、同じ(年齢)くらいだろうか……
そう感傷的になりながら、飲み物を買う補助をしていると。
他の患者さんの会話が耳に届く。
「でしょ!?
もうイケメンだし背も高いし男らしいし、あとクールだし!
個室にこもってるからなかなか会えないんだけどね〜」
「それ!だから看護婦さんとか用もないのに入り浸ってるよねっ?
担当じゃない人まで部屋に入ってくの見たし」
そのクールな男って、この男の事だろうか……
補助を終えて、その病室を訪れた揚羽は大きく溜息をついた。
「だからもう平気だっつってんだろ!
いいから退院させろよっ」
担当医に食ってかかる倫太郎。
これのどこがクールって?
「でも君の場合は、」
「自分の体は自分が一番っ」
「いい加減にしなさい?倫太郎。
あんたは開腹してるからまだ無理なの!」
途端、静まり返る病室。
揚羽は担当医と看護婦に頭を下げて、見送ると……
バツが悪そうにしてる倫太郎の側に腰を下ろした。
「つか毎日来るとか、アンタ暇人?」
再び溜息をついて、無言を返す揚羽。
「……悪かった、よ。
けどこれ以上、足手まといになれねぇし……」
「あのさ、誰がいつ足手まといなんて言った?」
「だってそーだろ!
このままじゃ、また作戦が延期になる」
「その事なら大丈夫。
同じ理由でしばらく会えないって、さっき連絡したから」
「はっ?
それで大丈夫なのかよ」
「誰に言ってんの?
大丈夫にするし。
ていうか、2人で大丈夫にするわよ?」
すると倫太郎は目を大きくして。
短く愛想笑いを吐き出すと。
「ったり前だろ?
なんだってやってやるよ」
嬉しそうにそう言いのけた。
「じゃあまずは、体を万全にしなきゃね。
あのターゲットの事も、ちょっと様子見したかったからちょうどよかったわ」
「様子見したいって?」
「んん、やっぱりなんか腑に落ちなくて気持ち悪いのよね」
詐欺師は基本、スピード勝負だ。
怪しまれる前に、ボロが出る前に、相手が冷静になる前に、決着を付けなければならない。
にもかかわらず、さっきした電話でも……
「僕は気長に待ってるんで、しばらくは親御さんの側にいてあげてください。
あ、でも僕の事忘れないでくださいねっ」
といった調子で。
どこまで間抜けなの?
それとも何かの手口なの?
と、揚羽は相手の出方を待つ事にしたのだ。
「ふぅん……
じゃあ俺も別の手段で探り入れとく」
「別の手段って?」
「……色々?」
「なにそれ……
まぁ無理はしないでよ?」
それから少しして、病院を出た揚羽は……
ふと思い付いて、盗聴器をオンにした。
入院中はそれを聴かないと思ったし、ゆっくり休んで欲しかったため。
鷹巨との電話では、敢えてオンにしなかったが……
「これ、独り言だから」
思わずそう呟いた。
「いつもありがと……
頼りにしてる」
足手まといなんかじゃないと示す、フォローを零した揚羽は……
途端照れくさくなって。
聴いてませんようにと、片手で顔を覆って項垂れた。
盗聴器の音声キャッチ通知を受けた倫太郎は、それを怪訝に再生して……
驚いたあと、泣きそうに顔を歪めた。
◇
「あの女何考えてるのっ?
美人局には絶好のチャンスだったのに、2度も棒に振るなんて……
鷹巨、なんかボロ出したんじゃないの?」
「いや、大丈夫だと思うけど……」
「だったらなんでっ……
手口変えたのかしら?」
「本当に親御さんの体調が悪いんじゃ?」
「そんな事で延期するっ?
医者じゃあるまいし、側にいたってどうなるもんでもないでしょ」
「そうだけど、そんな事って……」
鷹巨は、駅で待ち合わせした日の事を思い返した。
詐欺師が自分の立場を悪くしてまで、注目を浴びてまで。
誰かに任せればいい相手を、ほっとけずに助けようとするなんて……
まさしく、医者でもなければ自分の力でどうなるわけでもないのにと。
しかも遅刻の理由でそれを話せば、ターゲットの心を掴むのに有利なはずなのに……
夜の街で目にした美貌だって、そっちのほうが美人局には効果的なはずなのにと。
あの夜、偶然通りかかった鷹巨は……
慰めたのも遊園地に誘ったのも、元気付けて関係を発展させるためではあったものの。
聡子の涙は嘘には見えなかったし、遊園地デートも実際楽しかったのだ。
「彼女、ほんとに酷い詐欺師なのかな……」
そう思っていた鷹巨は、犯行が延期になった事をどこかほっとしていた。
「騙されちゃダメよ。
そう思わせるのが手口なんだから。
その証拠に、手料理なんて口実で美人局を仕掛けようとしてるじゃない。
言ったでしょっ?
その美人局で兄は、母の治療費を奪い取られて。
共犯の男から車椅子の身体にされたんだからっ……
絶対に許せない!」
「ん……
俺が必ず、敵を取るよ」
泣き出す彼女を、ぎゅっと抱きしめる鷹巨。
「ありがとうっ……
鷹巨がいなかったら、私……」
その時、急ブレーキの音とともにドンとぶつかる音がした。
すぐさま2人は、窓から外の様子を見ると。
目の前の道路で、車が電信柱にぶつかっていた。
「うわ、けっこう酷いな……
運転手出て来ないけど、救急車呼んだ方がいいのかな?」
「誰かが呼ぶでしょ。
それより鷹巨、延期したのは何かの手口かもしれないから気をつけてね?
何度もゆうけど、手っ取り早く"好き"とか言っちゃダメよ?
訴えにくくなっちゃうから」
それは、揚羽も同じくだった。
美人局など色恋ネタで脅す場合、そういった発言は不利になる可能性があるからだ。
例えばターゲットから……
「そっちが好きって言い寄って来て、手を出された方だ」と、証拠を突き付けられたら厄介なのだ。
「……わかってる」
そう返事をしながらも、鷹巨は……
ー「誰かが呼ぶでしょ」ー
その言葉が引っかかっていた。
愛する人でもそうなのに、聡子の駅での行動はやっぱり不自然で……
「でももし彼女が、美人局を仕掛けてこなかったら?
例えば、お兄さんを陥れた詐欺師の替え玉だったりとか」
「なにそれ……
そんなわけないし、間違いなくあの女は卑劣な詐欺師よ。
もしかして鷹巨、私の話信じてないの?」
「いやごめん、信じてるよ……」
◇
週末、ようやく柑愛が出勤してきて……
久保井も店に現れた。
「柑愛ちゃん、名刺か連絡先もらえた?」
仕事が終わると、揚羽はすぐに問いかけた。
「それが、今日は好きなものを教える日らしいです」
「はあ?
なにそれ……」
ずいぶん回りくどいわね。
それ教える気ないでしょ。
「じゃあとりあえず、それっぽい情報が入ったら教えてくれる?」
「……はい、わかりました」
柑愛にはそう言ったものの、埒があかないと。
揚羽は、田中の携帯をハッキングするしようと考えた。
だけど、もう少し様子を見ようと……
最大のターゲットを前に、焦らないよう自重したのだった。