吉川英治 宮本武蔵第三巻 考察
吉川英治の代表作の三巻目です。この巻から武蔵や、武蔵の周りが大きく動き出していきます。
前巻で武蔵は旅の道程において釘が付いた板を不注意で深く踏んでしまい、大怪我を負ってしまっています。常人なら患部を治すために安静にしておくものですが、武蔵は自分の未熟さからその大怪我を負ってしまったと考え、大怪我を克服するために大岩壁を登ります。失敗して落ちたら命はありません。それを見事登りきった武蔵は「克った!」という声と共に、脚の大怪我をも膿を出し抜き克服します。実際に出来るとすればとんでもない精神力と言えますが、武蔵ならあるいはと思わせられる描写は読んでいて爽快感がありました。
三巻では大怪我の克服以外に二つ武蔵にとって大きな出来事があります。京の吉岡道場の惣領である吉岡清十郎との果し合いと、同じく京で本阿弥光悦との出会いがあります。吉岡一門との果し合いの中で、武蔵は巌流島で勝負をすることになる佐々木小次郎と初対面します。小次郎は武蔵とは人間的に対照で、よく喋り、驕慢な性格で派手やかに書かれています。人格的に武蔵ほどではないにしても、小次郎も剣の道をほぼ極めた者として厳格な性格を想像していたのですが、吉川が書いている小次郎はそれとはかなり離れたものでした。これに私は少なからず意外性を感じました。
惣領である吉岡清十郎との果し合いは呆気なく終わります。武蔵との間で力量の差が有りすぎたのです。京の遊郭で酒を飲み女と遊びを繰り返してきた清十郎の剣では、武蔵には太刀打ちできませんでした。私も自分の力量が不十分なままで仕事に取り組み、失敗することがあります。命をかけた彼らの果し合いと比べると小さなことと思われますが、自分の仕事と重ね合わせ、武蔵が私には大きな壁のようにその部分から読めています。まだ叩けば崩れる所が多い壁ですが、塗り固められた頑健な壁に巻が進むとなっていくのでしょう。
名家の刀研ぎ師、本阿弥光悦との出会いもこの巻では重要な転換点になります。武蔵と光悦とは彼の母親と共に、偶然、京の野原で出会っています。野原で茶を立て自然の風情と美を感じ楽しんでいた親子ですが、悪鬼のような武蔵と出会った時、意外にも非常に好意的に彼を受け入れます。その意外な行動を取らせたのは、武蔵の名声が徐々に京でも広まり始めていたのもありますが、それよりは武蔵の本質をすぐに本阿弥親子が見抜き、酌み取った所が大きいと考えられます。そして、本阿弥光悦と宮本武蔵は友人となり、名家である本阿弥は、武蔵の後ろ盾のようなものにもなってくれました。
第四巻では武蔵の成長や三巻で転換していった話の広がりがどうなって行くのでしょう。