岡本綺堂 平家蟹 考察
この平家蟹は小説というよりは、芝居の台本になります。この岡本綺堂という方は、小説家でもあり劇作家でもあったようです。そういうわけで、この作品にも演技の注釈部分がそこかしこにあります。
作品の設定は壇ノ浦の戦いで平氏が敗れた後で、生活もやっとの貧しい境遇にいる平家の高貴な女性達を中心に書かれています。二人の姫が登場しますが、姉は玉虫、妹は玉琴という名です。一緒に食うもそぞろの生活を送っています。また、雨月という元は平氏の禅僧も登場します。諸国を回って敗れた平家の供養をしています。
平家蟹のテーマは、玉虫が持つ源氏への怨念が最も大きなものになると考えられます。タイトルにもなっている平家蟹ですが、壇ノ浦で敗れた平家の怨みが蟹に乗り移ったものといういわれがあるようです。実際にそういう蟹がいて、甲羅に憤怒の表情を持った顔が刻まれるようにあります。その蟹がわらわらと玉虫の足元に寄り付き、彼女が懐かしそうに蟹達と話す場面も存在します。玉虫は生粋の平氏の女であり、源氏への怨みはとてつもなく深く感じられます。
対する妹の玉琴ですが、彼女は容姿が良くまだ若いのもあって、その身を売って生計を立てています。そして、身を売った男の中で玉琴を憐れんだ者がおり、彼女を娶ろうとします。その一連の事を玉虫に打ち明けると玉虫は激怒し、さらに相手の男が源氏ゆかりであるのも知ると、その憎悪は何かに取り憑かれたようにも読めました。怪談話を得意とする作者の筆力が感じられる場面です。
そして、玉虫は玉琴と相手の男を油断させ、平家蟹の身で作った毒酒を飲ませて呪い殺してしまいます。その時の玉虫の様子は、もうこの世の者とは思えないものです。僧の雨月が彼女を怨念から解き放とうと考えますが、完全に取り憑かれた様子を見て匙を投げたように諦めるほどです。
この身朽ちても末代まで祟ると決めた玉虫ですが、怨念の塊となった彼女自身はそれで救われたのでしょうか? 実際の平家にこのような女性がいたとすればやや宗教的になりますが、死後、手厚い供養を行い怨念を解き放たないと救われなかったのではないかと私的に考察します。