エピローグ(4) 終幕にして開幕
「ようやく一息つけたというかなんだか気が抜けた気分だ」
自宅のアパートのソファに腰かけて天井を見上げながら哉嗚は呟く。戦争中でも長い休暇はあったがそれはいつか戦場に戻るための休暇だ。戦場に戻ることを考えなくていい、戦いの心構えを維持しなくていい時間というのは軍に入る以前以来のことだった。
もちろんグエン・ソールが死んだだけで世界が平和になったわけではない。火種となるような問題はまだいくらでも転がっていて、これからはその火種を消して回るための戦いが待っていることだろう…………ただそれでもこれまでの戦争と比べれば大分マシだ。
希望も見えず大きな絶望しかなかった戦争は終わったのだから。
「私としてはその気分のまま軍をやめてもらった方が安心できるんだけど」
隣で彼にもたれ掛かて座る晴香がそんなこと口にする。彼女にして見ても落ち着いて哉嗚と過ごす時間は本当に久しぶりだった。これまでのような危険はないとはいえ軍人を続ける限りは危険に相対し続けることになる…………これまで彼は充分だ戦ったのだからもう離れても許されるだろうと言うのが彼女の気持ちだった。
「軍人を辞めても俺にできる仕事がないよ」
苦笑して哉嗚が答える。生まれてこの方軍人以外の仕事をしたことはないし、することを考えたこともなかった。それ以外の仕事をしている自分と言うものがまるで思い浮かばない。
「別に哉嗚は働かなくても大丈夫よ。私が稼ぐから」
「軍の整備の仕事だって減るんじゃないのか?」
「軍を辞めたって機械整備の仕事なんていくらでもあるわよ。むしろ軍を辞めた方が給料は上がるかもしれないくらいだし…………それに整備じゃなくたって機械系の仕事ならいくつも資格は持ってるから」
まだ若いが晴香は優秀な整備員であり認められている自負がある。簡単にはとれないような資格もいくつかとってあるので軍を辞めても大手企業に就職するのにそれほど苦労はしないだろう。
「私が働くから哉嗚は家で家事とかしてくれればいいのよ」
「…………主夫になれと?」
別にそういうあり方を否定するわけではないが抵抗を感じる。
「もちろんやりたいことがあれば挑戦してくれて構わないわよ?」
「相変わらず晴香は強いなあ」
理解がありすぎて気後れするくらいだ。
「でもまあ、気持ちは嬉しいけど俺は簡単には軍から抜けられないよ。軍事機密もいくらか知ってるし…………世間でも英雄扱いされちゃってるしな」
哉嗚自身は望んでいないが世間的な評価として彼は英雄だ。元々そんな風に扱われてはいたが、炎の魔王を直接打倒した作戦の中核が哉嗚であった為にその人気はさらに高まってしまった…………流石にそんな状態では簡単に軍を抜ける事は出来ないだろう。少なくともそれが落ち着くまでは軍の顔としてそのイメージを高めるためのお飾りとして求められるはずだ。
「それにユグドの事もあるしな」
彼女は共に最後まで戦い抜いた相棒だ。しかし特別なAIである彼女を引き取って群を抜けるというのは不可能だろう…………そもそも哉嗚は詳しくないが巨人機に搭載されているコンピューターともなればそれなりのサイズになる。一般家庭で簡単に引き取れるとは思えなかった。
「ユグドは…………まあ、そうね。私だって軍を辞めるからさよならって見捨てるのは流石に気が咎めるわ」
ユグドが晴香を敵視していたので二人の仲は決して良好とは言えない。彼女からすれば散々哉嗚との逢瀬を邪魔してくれた相手でもあるが、同時に大切な人を共に戦って守ってくれた存在でもある…………それを二人の未来の邪魔だからと見捨てるほど晴香も狭量ではない。
「AIとしての最低限の機能を残すだけならそんなに大きなサイズにはならないと思うけど」
「問題は軍がそれを許してくれないってことだよな」
ユグドの存在は軍事機密だ。同様のAIが他に存在しないことを考えると現状では再現できていないワンオフの存在である可能性も高い。だとすれば戦争も終わり戦力として必須でもなくなった現状ユグドの量産の為の研究が行われてもおかしくない…………いくら哉嗚が英雄と謳われていても身分的にはただの中尉でしかなく、そんな貴重な物の持ち出しなど許されるはずもないだろう。
「やっぱり軍に残りつつ研究に協力って形しかないな」
ユグドの性格の厄介さは軍も知っているだろうから、彼女を気持ちよく研究に協力させるために哉嗚も呼ばれるだろう。そしていつかユグドのようなAIが量産できるようになればその希少さも失われて持ち出しの許可も出るかもしれない。
「…………それに軍に残っていないとアスガルドとの戦争再開を狙う勢力を抑える事も出来ないし」
アスガルドとの講和はなったがかの国に対する人々の恨みが消えたわけではない。軍の内部にもこの好機を逃さずアスガルドを滅ぼすべきと主張する勢力も存在して、それらの勢力を絶対に台頭させるわけにはいかない。
軍内部の勢力を抑えられるのは同じ軍内部の人間だけだ。軍を辞めて部外者になってしまえば何もすることはできない。
「高橋さん達も同じ考えてみたいでやっぱり軍に残るって言ってたよ。Yシリーズのパイロットはみんなエースだし影響力があるからって」
アスガルドとの同盟の際に確認したが高橋らベテランパイロットは和平賛成派だ。前線で戦い続けたからこそ誰よりも戦場の悲惨さを知っている。
「まあ、哉嗚ならそう選択するとは思ってたわよ」
深い付き合いなのだから彼が自分だけ楽になるような道を選ばないのは晴香にだってわかっていた。それでも彼女からすれば危険の付きまわる軍からは離れて欲しかったが、それが叶わないなら次善の案を口にするしかない。
「これはまだ表に出てないどころかまだ構想が始まった段階の案らしいんだけど…………スヴァルトとアスガルド共同で中立都市を作る計画があるらしいの」
今は戦勝ムードで落ち着いているとはいえ両国の国民がいきなり仲良くなれるわけでははない。だからいきなり自由に国民を交流させるのではなく中立都市に比較的友好的な人々を集めて交流を深め、そこから少しずつその交流を広めていきましょうという話だ。
「そんな計画がって…………晴香はどこからそんな情報を?」
驚きはあるがまずそこが哉嗚は気になる。明らかに国家絡みで構想が始まった段階のそんな計画を普通に考えて優秀なだけの整備員が知れるはずもない。
「信用ならない科学者からメールで送られてきたのよ」
「信用ならないって…………」
信用できる情報ではないのではと反射的に哉嗚は思ったが、すぐに該当する相手の顔が頭に思い浮かぶ。確かに彼女であれば目的の為に平然とこちらを利用してきそうで信用ならない雰囲気はある。しかし同時に下手な嘘を吐いて利用できる相手からの信頼を損なわないだろうという信用もあった。
「それでまあ、その案の中にはスヴァルト側の象徴として哉嗚を赴任させる構想もあるみたいよ」
「俺が? そりゃ確かに俺は英雄だなんだと買い被られてはいるけど…………戦争中は向こうから死神って呼ばれてたんだろ?」
哉嗚はアスガルドへの恨みは戦争中だったからと今は割り切れているが、それはあくまで彼自身の話でしかない。散々あちら側の魔攻士を殺した彼を恨む人間は少なくないはずだ。
「でも同時に炎の魔王を討ち取るのに大きな戦果を挙げたでしょ。恨みはあるけど感謝もあって押し殺そうと思う人は多いだろうし…………あなたあの戦略魔攻士第三位の女と仲がいいんでしょう?」
「別に仲がいいって程じゃ…………」
突如として冷たい視線で睨みつけてくる恋人に哉嗚は背筋を凍らせる。
「世間はそうは思っていないみたいよ?」
「…………」
融和の象徴として二人の交流が喧伝されているのは哉嗚も知っているし、一部では敵国同士の禁断の恋だったとあることないこと書かれていることも知っている…………しかし事実としてそんな関係ではない。
「そりゃ作戦で一緒に行動したし険悪だったわけでもないけど…………精々が友人関係ってところだよ。プライベートではほら、ずっと晴香といたわけだし」
「そんなに必死に否定しなくてもわかってるわよ」
整備員とはいえ晴香も軍人なのだ、彼がきちんと作戦に従事して休暇を偽ったりなどしていなかったことは知っている…………そもそも自分に隠れて浮気などと器用な真似ができる人間性でもないだろう。
「でも信じてたって不安になることくらいあるのよ」
信用できないのは自分の愛が足りないのだと言われればそれまでだが、もっと安心させて欲しいと思うのも女心なのだ。
「えっと、同棲じゃ足りないか?」
かつて仕事を復帰するために哉嗚と離れることを不安がった彼女を安心させる為に彼が提案したのが同棲だった…………必ず彼女の待つこの家に帰って来るからと。
「あの時と今じゃ状況が違うでしょ?」
「それは、まあ…………」
あの時は晴香を不安にさせるような女が現れたわけでもない。ただその距離が遠くはなれてしまうことを不安にさせたのだ。
「その、同棲以上の安心というと一つしかないんだが…………」
「そうね」
頷いて晴香が哉嗚を見る。その表情は期待に満ちていた。
「あー、うん…………戦争も終わったし問題はない、な」
もちろんゼロではないだろうが戦死して晴香を未亡人にするようなこともない。
「えっと、それじゃあ…………する、か?」
「ちゃんと言葉にして」
「え、あ、それは…………」
しどろもどろになりながら顔を赤くする哉嗚を晴香は微笑ましく見つめる。
「言って」
「…………わかったよ」
覚悟を決めたように息を吐き、哉嗚は表情を改める。
「晴香、俺とけっ…………」
ピンポーン
しかしその覚悟を決めた言葉はチャイムによって遮られた。
「いきなり誰よ」
人生で最も幸福な瞬間を邪魔された晴香が不機嫌そうに玄関の方を睨む。
「何か配達とか頼んだっけかな」
そんな彼女とは対照的にどこかほっとしつつ哉嗚が立ち上がる。
「一旦仕切り直しね。次はもっと雰囲気のある時にお願い」
「…………わかった」
しかしハードルは上がったらしく哉嗚は少し消沈しながら玄関へ向かう。けれどその消沈はすぐに困惑に取って代わった。
「え?」
玄関前を映すカメラには予想だにしない人物が…………二人、映っていた。そのどちらにも見覚えがあるからこそ哉嗚は困惑する。見覚えがある一人がなぜか二人いるのだから。
「どうしたのよ?」
そんな彼を不思議がって晴香も玄関へとやって来る。
「あ、いや」
どう説明すればいいのか哉嗚にもわからない。
ピンポーン
わからない彼を急かすようにチャイムがもう一度鳴り響く。二人の訪問者は今か今かと期待を胸にしながらその扉が開くことを待ちうけている。
宮城哉嗚の戦争は終わった…………けれど、その平穏はまだ程遠いらしかった。
これにて完結となります。元々の自分の作風というか技量的にあんまり向いてない話なので勉強になるかなと最後まで書いてみたわけですが…………プロローグで終わっておけばよかったと思う次第です。小説でロボットのものは難しいとは聞いていましたが本当に難しかった。そして楽をするための設定で固めたら長編にするにはきつかった。多分もうロボットもので長編は書かないけど、思いついてしまった話はあるのでそのうち中編くらいで書くかもしれないです。
それではここまで読んで下さりありがとうございました。気が向いたら私の他の作品も読んで頂ければ幸いです。




