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エピローグ(1) 次なる舞台へ


「こんなところに呼び出して、ついに私を始末するつもりにでもなりましたか」


 男が呼び出されたのは軍の研究所の一つだった。それも機密性の高い一般の軍人ですら立ち入りを制限されるような場所だ。その内部で何が起こったとしても外部に漏れる事はないだろう…………そんな場所への呼び出しに応じる事は彼の派閥の人間にも止められていた。しかし現状を鑑みてある種の覚悟をもって彼はこの場に訪れていた。


 スヴァルト国総理大臣、綾瀬崇あやせたかし。まだ三十代という若き首相は国民からもその若々しさを武器として支持されているが、目の前に座る男に比べれば今やその人気などないに等しい。


 辻政孝


 スヴァルト軍の総司令官。遠い昔から続いていたアスガルドとの戦争を同盟という形で終わらせ、スヴァルトにも多大な被害を与えた炎の魔王を討ち取りムスペルとの戦争をも終わらせた男。今やスヴァルトを平和に導いた英雄との声も名高く民衆からの人気は鰻登りだ。


 もしも今彼が王になる事を望めばそれは簡単に叶うだろう。新たな国を興すことなどせずとも軍の総司令官と総理大臣を兼任するという特例を押し通すことは容易い。


「私が今更そんな愚かな真似をするとでも?」

「私は愚かとは思いませんよ」


 自分が覇権を握る前に敵対派閥を消しておくことは当然の準備だろう。


「そんなことをするつもりなら私はそもそも君を総理大臣になどさせていない」

「…………」


 返ってきた言葉に綾瀬は顔をしかめる。彼も疑問に思ってはいたのだ。いくら軍部に力があるといっても建前上は民主国家であるスヴァルトに置いて総理大臣という権力は無視できるものではない…………故に歴代の大臣には軍の息が掛かった人間が就くことが慣例だった。


 しかし綾瀬は軍との関りの薄い初の人間として総理大臣となった…………それも驚くほどスムーズに。


「私とあなたの求めるものは異なっていると思っていましたが」


 だからこそ自分が総理大臣となる際に何の妨害も無かったことを綾瀬は疑問に思っていたのだ。敵対派閥の人間をあえて権力の要職に置いておく理由などはないはずなのだから。


「それこそ君の勘違いだ」


 しかし辻は眉一つ動かさず彼の勘違いを正す。


「私は最初から最後までこの国の平和の事だけを考えている」

「ではなぜ」

「君と私の違いを述べるなら私は目的の為に手段を選ばないという点だろう」


 その為のいかなる犠牲でも辻は許容する。将来的にこの国が平和になるのならば今の犠牲をいくら積み上げることになっても彼はやる…………その合理的な冷淡さを綾瀬は政敵としてよく知っていた。


「確かに、私であれば先日のような作戦は行えなかったでしょう」


 炎の魔王を葬るために行われた国中のエネルギー全てを集中するというあの作戦。結果としては成功に終わり人々は歓声を上げてその喜びに浸ったが、決してその作戦による犠牲は少なくない。


 まずスヴァルトの国民ではないがアスガルドの同盟者達の中には限界を超えて魔力を注ぎ込むことで衰弱死してしまったものも少なくない。もちろん彼らにはそうなる前に止まることだって出来ただろうが、その躊躇いが炎の魔王を討つという目的を果たせなくするかもしれないという強迫観念が限界を超えさせたのだろう。


 そして直接的にエネルギーを捻出したわけではないスヴァルト国民にもその影響は大きかった。作戦開始からそれが終わって数日の間はまともにエネルギーを使うことも出来ず原始的な生活を強いられることになり、その間に重病者などその生存に医療機器が必要であった者たちの多くが亡くなってしまった。


 その結果は最初から見えていたから、綾瀬は作戦に反対とは言わずともその修正を軍へと強く要求し却下されている。最低限人の生死にかかわるインフラへのエネルギーの確保を望んだことの正否はもはや不明だ。自身の要望が通っていれば炎の魔王を倒すにはエネルギーが足りなかったかもしれないし、そうではなかったかもしれない…………結果としてあるのは炎の魔王は倒れて民衆はそれを支持しているということだ。


「だがもはやあのような手段を選ぶ機会はない。そして戦争が終わった今、民衆の支持は少しずつ軍から離れていくことだろう」


 今は国家の英雄として辻も彼が率いる軍への指示は最高潮だが、軍隊というのは戦いが無ければ無用の長物だ。もちろん抑止力としてその存在は必要だが今のような規模で維持し続ける理由は無くなる…………だからこそ綾瀬は辻がここで自分を排除し、権力を軍から政府へと切り替えて来るものと考えていたのだ。


「まさかここからは私に任せるとでも?」


 そんな馬鹿な話がと思いつつも綾瀬は口にする。辻の側にはどう考えてもそんなことをする理由はない。先程も思考したように民衆の支持が軍から離れていくなら政府の中枢へと権力の基盤を移していけばいいだけなのだ…………それが容易く出来る権力と支持が今の彼にはあるのだから。


「その通りだ」


 しかしそんな馬鹿な話を綾瀬の目の前の男は肯定した。冗談を言っている雰囲気などまるでなく、彼の知る鉄の意思を体現したような視線がまっすぐに自身を捉えていた。


「君は今後我が国とアスガルドとの関係はどうなると思う?」

「それは、同盟は成ったのですから融和路線に向かうでしょう」


 投げかけられた質問に動揺しつつも綾瀬は答える。


「最初の内はそうだろう」

「いずれはそうでなくなると?」

「我々は言うなれば勝ち過ぎた」


 それが単純な勝利という意味でないことはそのニュアンスから綾瀬も理解できた。


「もともと国力という点で我々はアスガルドに勝っていた。その上で炎の魔王によるクーデターが起こり、その粛正もあって人口は大幅に減少している…………我々の国も相応の被害を被ってはいるがアスガルドのそれと比べれば軽い」


 ましてや科学技術が力であるスヴァルトと違いアスガルドはそこに住まう人こそが力だ。人口の減少の国力への影響はとても大きい。


「先の作戦にしても我々の国が主導だ。今は勝利の熱と共に炎の魔王を討ったという連帯感で対等に見ているが、冷めればやがて見下すようになるだろう」


 元々両国は長い戦争を続けていた間柄だ。恨みつらみは根深く存在しており、相手を見下すようになればその恨みを発散しようとしだしても不思議ではない。


「見下されればアスガルドも反発する」


 元より恨みがあるのは向こうも同じなのだから。


「それでも国力の差があるから運が良ければ我々がアスガルドを滅ぼして終わる…………だが運が悪ければ第二の炎の魔王が生まれる事だろう」


 魔法は個人の才能であってその生まれをコントロールできない。グエンのような存在が生まれる前にアスガルドを滅ぼしきれればいいが、そうでなかった場合は今度こそ個人によってスヴァルトが滅ぶ可能性がある。


「それを防ぐためには両国のバランスを取るしかないだろう…………そして何よりも戦争に対する国民の忌避感を強くすることだ」

「それは、あなたが散々妨害して来たことでしょうに」

「それがこれまで必要であり、そしてこれからは必要ないというだけの話だ」


 あくまで目的を果たすために必要な事をするだけ。答える辻の表情には微塵の迷いもない。


「…………確かに私の政党は将来的にはアスガルドとの講和を目的としてきました」


 その表情を前に綾瀬は諦めたように話し始める。それは彼の政党に属するものであれば共有している事ではあるが、もちろんそれを表向きに掲げて来たことはない。そんなことをすれば反逆者の汚名は逃れることが出来ず、あくまで将来的な可能性の一つとして備える程度の事しか出来ていないのが現状だった。


 そして綾瀬も別にアスガルドに好意があるから講和をしたかったわけではない。単純に国政に携わるものとして資源と人員を浪費する戦争の不毛さを数字として理解しているからであって、講和はアスガルドを完全に滅ぼすことよりもリスクが小さいと考えていたからに他ならない。


「ですがあなたも言った通り国民は勝利の熱に浮かれています。そんな状態で戦争は良くない事だと喧伝したところで空気が読めないと思われるだけでしょう」

「その通りだ…………故に冷水を浴びせる」


 そう答えると辻は傍らに置いていたファイルから取り出した書類を綾瀬の前へと置き、その横に小さなデータ記録端末を添える。


「これは?」

「この戦争に勝利するために私が行わせた非人道的な実験や法に反する数多くの特例措置を記す書類とその証拠になる証拠や証人に関するデータだ」

「っ!?」


 その答えに驚きつつ綾瀬は書類を手に取って軽く目を通し、目の前の人間が嘘を口にしていないという事を実感する。わかりやすく彼に書類は戦争においてスヴァルトの旗頭でもあったYシリーズのブラックボックスについて記されており、そこに書かれていた事実にはその戦果の華々しさと相反し過ぎており綾瀬も思わず言葉を失ってしまった。


「それをどう使うべきかは君にならわかるだろう」

「これを使って…………あなたを追い落とせと?」


 この戦争に勝利するために行われた非道の数々。それらが明らかになれば辻は英雄ではなく戦争犯罪者として糾弾され、その内容からスヴァルト国民はアスガルドに対して強い罪悪感を抱く事だろう。


 それは冷水どころか氷水となって人々の熱狂を覚まし、戦争の悲惨さとそれを繰り返してはいけないという戒めを刻み込むはずだ。


「追い落とすのではない…………私を死刑台に送り込むのだ。こんなことを平気で実行させるような人間が生きていていいはずも無かろう。その名は汚名として歴史に刻まれ、そんな技術は廃棄されて永遠に抹消されるべきだ」

「そこまでの覚悟、だったのですか?」

「私は必要な事をするだけだ」


 歳の離れた友人がそうしたように、と辻は綾瀬に聞こえない声で小さく呟く。


「それに大変なのは君も同じだ…………言っておくが私はただでやられてやるつもりはない。君が私を死刑台に送り込むその最後の瞬間まで権力の座に縋りつくために足掻き続けるつもりだ…………間違ってもその足掻きに敗北してくれるなよ?」


 試すようなその視線に綾瀬は奥歯を噛み締める。彼は国の為にやむを得ず非道を犯した英雄としてではなく、自らの権力の為に横暴を尽くした愚者を最後まで演じて死ぬつもりなのだと宣言しているのだ。


 そしてその愚者を断罪した者は新たな英雄となり、その政策も支持されることだろう。


「私に、そのような茶番を演じろと?」

「そう、茶番だ」


 辻は頷く。


「だが本気で行う茶番でなくては意味がない」


 辻は綾瀬の心の内を見通すように、目を逸らすことを許さぬ威厳で彼を見据える。


「君はこの茶番に、命を懸ける意思があるか?」


 己の心はすでに告げた通り。


 辻は次なる茶番劇へと配役された役者の返答を待った。

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