三十一話 鎧袖一触
「ふん、まず最低限の統制はとれていることは褒めてやろう」
宣告した刻限になってもスヴァルトの軍隊は動きを見せなかった。普通であれば次の瞬間に燃やされているかもしれない恐怖に耐えかねた兵が暴発してもおかしくは無いのだ。それがないことを考えれば軍としての統制はかなり高いレベルで取れていることになる。
「だが」
だから何だという話でもある。対峙しているのが軍隊であったら待機して相手の出方を待つというのは大きな意味があるだろう。軍隊というものはその規模が大きいほど一度動き出したらそれを止める事は難しい…………つまりは相手が動くのを見てから対応した行動を選ぶことで状況を有利にできる。
けれどグエンは一人だ。背後に軍が控えてはいるが身を守る以外での行動はするなと言明してある。だから彼はこの場で最も身軽な存在であり且つ最強の攻撃力を持つ存在でもある。
「その俺の出方を見る?」
それは愚かしいことこの上ない。出方を見るも何も自分がその力を振るえばそれだけで片付いてしまう可能性があるのだ、もしもグエンが相手の立場であれば先制で全力の攻撃を仕掛けるだろう。
「辻、まさかこれで終わるようなことはないよな?」
問いかけを呟きながらスヴァルト軍へと向けてグエンはその手を翳す。全力を出すつもりはないが観客がしらけるような手加減をするつもりもない…………何もなければこの一撃であの軍は全滅する。
「リーフ!」
だがその寸前で哉嗚が叫ぶ。彼の声に応えてリーフは即座に彼女の魔法を発動し、地面から一瞬で伸びた大木がグエンの周囲を覆い隠すように伸びて圧縮する…………ほんの数秒の間、その次の瞬間には内側から破裂するように燃え広がった炎が体重を消し飛ばした。
「なるほど、リーフを含めたアスガルドの連中は中にいたか…………まあ、妥当な判断だな」
何事もなく燃えカスから現れたグエンはそう評する。せっかくスヴァルトとアスガルドで連合を組んだのだから分かれて戦う理由はない。生身の魔攻士をそのまま外で戦わせるより頑丈な巨人機などの兵器に乗せたほうが生存率は上がる。もちろんその状態では有効に魔法を使えない魔攻士もいるだろうが、大半の魔攻士には問題がない。
「だがその程度じゃ俺の前には焼け石に水…………っと!?」
不意に覚えた圧力に呟きが遮られる。見やれば大樹が視界を遮った数秒の間に移動したのかスヴァルトの兵器軍がグエンを取り囲むように展開していた。
「数も増えてるな」
やはりある程度は背後を取りやすい位置に潜んでいたのだろう、その数は明らかに先程までよりも多かった。
「巨人機全機、斥力障壁を最大展開!」
哉嗚が全ての巨人機に対して指示を飛ばす。この場に集まった数百機もの巨人機による完全同調の斥力障壁。四方からたった一人の人間対して向けられたそれはその動きを封じるどころか圧力だけで押し潰してもおかしくはない…………普通の人間であれば。
「全員、攻撃して」
だがグエンは普通ではない。今その動きを止められているように見えるだけでも奇跡だと思える…………故にリーフはアスガルドの全ての魔攻士に攻撃を命じた。即座に各魔攻士達がその魔法を放ち、その全てがグエン一人に集中する。炎が、雷が、風が、目に見えない何かが彼へと作用する。
もちろんそれだけではない。戦闘機からはミサイルが飛び、戦車がその砲を放ち、機銃や搭載されたその全ての兵器がたった一人目掛けて集中する…………爆発と炎とそれ以外にも形容できないあらゆる事象がその一点で起こった。
「これで終わりか?」
だがその場に立つグエンには何の揺らぎもない。その圧倒的な魔力によって構築された障壁がその場の全ての害意から彼を守っていた。彼はあらゆるものを焼き尽くす最強の魔攻士であるが、それは同時にその莫大な魔力で障壁を展開できる最硬の魔攻士でもあるということだ。
「まあ、アイズの野郎くらいならこれで倒せたかもしれんが」
グエンは周囲を見回す。数百機の巨人機や兵器類に逸れに搭乗した魔攻士達。彼の要求した敵対勢力全てというにはまるで足りないが、一人を相手に治からを集中させるならそれくらいが限度だろうという数にも見える…………これ以上多ければ数だけが多くても力を集中させられず全体の動きを鈍らせるだけになるだろう。
だが、足りない。
この程度の力ではグエンがやられてやるにはまるで足りない。
「おっと」
その眼前で炎が走る。宙に見えない糸でも走っていたようにそれが焼き切れていく。その先には薄緑の巨人機の姿。不意を突いて魔攻士を殺すには悪くない方法ではあるが、ネタが割れていては他愛のない悪戯レベルだ。
「やはりだめでしたか」
「想定通りだ、問題ない」
一度使って見せた時点で哉嗚も有効とは思っていない。そう言う手管があるのだとグエンに意識させて、少しでもその動きが鈍ってくれれば御の字だ。
「それより、そろそろ来るぞ」
哉嗚がそう口にするのと同時に、グエンがぐるりと軍勢を見回す。
「さて、そろそろ反撃だな」
落胆を含んだ声色で彼は呟く。流石にこのまま攻撃を受け続けるのは不自然極まりない。そろそろ反撃の一つも見せなければいけないわけで…………それで終わってしまわないことをグエンは望む。
「燃えろ」
無造作に、けれどその効果は絶大に。投げやりにも聞こえる言葉と共に放たれたとは思えないほどの炎が彼を取り囲む軍勢の足元から吹き上がる。傍から見ればそれは巨大な炎の竜巻のように見えた…………無論無事なのはその中心だけだ。
「…………損害は?」
「巨人機以外の兵器軍は全滅。巨人機もYシリーズ以外のほとんどは全壊及び消失。まともに戦闘続行可能なのはYシリーズ及びその担当の魔攻士だけです」
「概ね想定通りか…………」
予想された結果ではあるが哉嗚の言葉は沈む。壊滅は想定内であってもグエンは全く消耗していない。多少なりとも彼を消耗させたうえでの壊滅が理想的ではあったのだ…………もちろんそんなものは理想でしかないが落胆はする。
「まあ、あの程度ならあれは残るか」
そしてグエンの側からしても燃え残しが出るのは想定内だ…………そしてリーフも搭乗しているであろう薄緑の巨人機が残るのも予想の範疇。
弱者を選別して残る強者を屠るというのはある種の様式美である…………問題は彼にとっての強者というものは存在しないということだが。
「これより宮城機は炎の魔王に接近戦を挑む。各機は援護を」
「了解!」
残る巨人機たちの返答を聞くと同時に哉嗚は機体をグエン目掛けて前進させる。
「リーフ!」
「わかってる」
機体の前進と同時にリーフもその魔法を発動させる。周囲の地面を突き破るように生えた無数の大樹が津波のようにグエンへと伸びてさらに哉嗚達の姿を覆い隠す。
「はっ」
それをグエンは鼻で笑って右手で薙ぐ。それだけで現れた炎が波となって逆に大樹の波を喰いつくす…………けれどその隙をつくように周囲の地面から無数の刃が現れて彼の首を狙う。
「駄目です哉嗚、防がれました」
けれどその刃は無情にも魔力障壁によって弾かれる。
「わかってる!」
哉嗚の応える声と共に大樹の燃えカスから姿を現した機体がレーザーを放つ。それに合わせて他の巨人機達も一斉にグエン目掛けてレーザーを照射する…………だがやはりグエンは微動だにもしない。その全てを圧倒的な硬度を誇る魔力障壁が遮った。
「その程度じゃ無駄なんだよ!」
苛立ちと共にグエンは炎を放つ。生れ出た巨大な火球は薄緑の巨人機に直撃してその周辺ごと焼き尽くした…………残されたのはそのライフルのみ。けれどそれは地面から伸びた一本の線と繋がっていた。
「!?」
リーフの魔法によって生み出された植物によるデコイ。それに気づいたその瞬間にグエンの身体は地面からの衝撃によって突き上げられていた…………大樹の波で姿を隠したその瞬間にはデコイと入れ替わって地中を進んでいたのだろう。
「斥力障壁、全力展開!」
その身に纏う魔力障壁ごと機体の両手で掴んで哉嗚が叫ぶ。
「リーフ、合わせますよ」
「うん、ユグド」
それと同時にユグドとリーフがその魔法を同調させる。もちろん哉嗚もリーフもそれが特別な兵装によるものと考えていて魔法とは思っていない。しかし実際はリーフの魔法と同質のものであり、合わせることで相乗的に効果を高められる。
ミストルティンは樹海創造の魔法によって操作できるように作られた金属の樹だ。当然二人が協力して魔法を使えばそれはいくらでも増殖して形を変化させることが出来る。ユグドの計算によって生み出された無数の金属樹の槍が斥力障壁の後押しを受けてグエンの魔力障壁へと突き刺さる。
「小賢しい!」
だがグエンから吹き上がる炎がその全てを灰燼に帰す。自身に迫る金属樹の槍を焼き、薄緑の機体を焼いてさらには他の巨人機たちを焼くほどに広がっていく。彼らの斥力障壁や魔力障壁などものともしなかった…………全てが赤く焼きただれていく。
「…………リーフ」
流石というべきか薄緑の巨人機は形を残していた…………もっともそれは以前に相対した時よりもひどくコクピットに当たる部分は完全に溶けてなくなっている。その程度の力でなぜ自分に挑んでしまったのかと思う気持ちで思わず呟いてしまったが、これも自分の選んだ道なのだとグエンは先を見据える。
「さて、残りを焼きに行くか」
「それにはまだ早いな」
不意に届いた念話にグエンの思考が一瞬止まった。その瞬間にまるで流星のように巨大な質量の塊が魔力障壁に直撃して流石にそれを揺らす。しかし打ち砕けぬと察っすると即座に障壁を取って距離を取る。
「お前は…………」
思わず呟いて見やった先にそれが着地する。漆黒に色塗られた巨人機。これまでグエンが目にした巨人機とは違い装甲が流麗に作られており機動性を重視しているように見える…………だが問題はそれに乗る声の主だ。
「アイズ・マグニ………か?」
かつて殺したはずの相手の名前をグエンは口にする。流石に掛け値なしに彼はその生存の可能性を考えてはいなかった。リーフと違って生かしておく理由のない相手だったし、手加減をする必要がないくらいには強力な魔攻士だったからだ。
「久しぶりだな」
だがアイズはそこに居て、
かつての彼を思い起こさせぬ、冷静な声色で言葉を返した。