三十話 最終戦、開幕
「これはスヴァルト軍の将へだけではなく、同盟者たるアスガルドも含めたムスペルと相対する全ての人間に向けた言葉である」
Y-01改修型のコクピットに辻総司令官の声が響く。それは彼の言葉通りに軍への通信回線だけではなくあらゆる通信手段やメディアを用いて全ての人間へと放たれたものだ。そしておそらくはその全員が哉嗚やユグドと同じように黙して耳を傾けている。
「知っての通り炎の魔王の定めた刻限は間近であり、これより我々は総力をあげてかの魔王を打倒するための作戦を開始する…………それが失敗すれば彼は宣言通りに敵対するもののほとんどを焼き尽くすだろう。運よく生き残った者もその後は子々孫々に続く奴隷生活が待ち受けている」
敗北すれば自分達に未来などない、ないのだ。
「それを回避するには軍が、国民が、同盟者の全てがその全力を持って事に当たるしかない」
何せ相手は全てを集中してなお届かないと思わせるような存在だ。
「もちろんそれが簡単でないことを私は理解している。与えられた猶予である三カ月は我々の長い争いの歴史からすればほんの僅かでしかない…………だが、それでも我々は今同じ目的の為に共に歩まねばならない」
スヴァルトとアスガルドの両国の関係は全て争いの歴史だ。開戦当初はスヴァルト側が大きな被害を出し、遺跡の技術によって巨人機が運用されるようになってからは膠着状態になりつつもスヴァルト優位で互いに人員の消耗を続けて来た…………当然それらの家族や友人は相手の国に対して軽く無い感情を抱いている。
「無論、家族や友人を奪われた憎しみを忘れろとは言わない。だがそれでも我々は同じ脅威に脅かされる者同士であり同じ被害者である…………共に力を合わせなければ生き残る道は見えず、足を引っ張れば全てはお終いとなる」
だが、それでも他に道は無いのだ。総力を結集しても敵わないかもしれない相手に足を引っ張る存在を抱えたままでは絶対に勝てない。怒りも憎しみもその何もかもを抑えて今はただ生き残るために進む道を選ぶしかない。
「炎の魔王を打倒する計画は経てた。しかしそれは勝利の可能性があるだけで絶対の勝利を約束するものではない。その可能性を少しでも上げるには現場で戦う軍人だけではなく文字通り全ての人間の協力が必要だ」
それは比喩ではなく言葉通り。搔き集められる者は全て集めて力にするのだと辻司令官は口にしていた。
「恐らく、前線で戦う軍人だけではなく民間人にも被害は及ぶだろう。命を救う為に命が犠牲になるのは矛盾した話だが…………家族を、友人を救うためには己を犠牲にすることも必要になる。それを仕方ない犠牲とは言わないが、恐らくは必要な犠牲なのだろう」
だが、それでもと辻は続ける。
「自分の為ではなく、友人や家族の為に戦えるのが我々の強さであると私は思う…………それは己一人の為だけに戦う炎の魔王にはないものだ」
熱がこもった演説であるはずなのに、不思議とそこだけ言葉の内の感情が弱まったように哉嗚には感じられた。
「己ではない誰かの為に、どうかその全力を持って戦って欲しい」
けれど哉嗚はそれに特に強い疑問を抱くことなく、演説は終わり士気を高めた。
◇
辻の演説から数日、グエンが定めた三カ月の期限もあと僅かという所でかつてスヴァルトとアスガルドとの国境線であった無の荒野には大量の巨人機と装甲車、そしてこれまでほとんど戦場には派遣されていなかった戦車や戦闘機やヘリなどのあらゆる兵器が配備されていた。
けれどそこにはアスガルドの魔攻士を含めた歩兵の姿は無い。もちろんそれぞれの兵器にはそれを動かすパイロットが乗っているのだろうが、少なくとも傍から見て人の姿はどこにもなかった。
「どうやらムスペルの側もぼちぼち集まり始めているようですね」
その光景を見ていると高橋からの通信が届く。哉嗚がカメラの映像を切り替えると、こちらの布陣の反対側に魔攻士らしき人影が見えてその数が少しずつ増えている。恐らくは転移魔法で直接魔攻士を運んでいるのだろう。
「ええ、恐らく約束の期限までに向こうも全軍を配置するつもりでしょう…………間違っても攻撃をしないように徹底してください」
「わかっていますよ」
少数の敵を見ると今のうちに叩いてしまいたい衝動に駆られるが、それで本命の作戦が狂っては元も子もない。
「ユグド、念の為に各部隊に注意喚起の通信を頼む…………リーフも各魔攻士達に自重するように連絡してくれ」
「了解です、哉嗚」
「うん、わかった」
すぐ近くから二つの返答が聞こえる。この決戦に当たってY-01改修型にはさらなる改修が行われていた…………と、言っても以前のような大幅な改造ではなくコクピット内部の改造だ。以前にリーフが座っていたのはあくまで非常用の補助席でしかなかったが、今彼女が座っているのは正式な複座であり彼女に合わせた専用の機能が備え付けられている。
「先走ったら潰すって言っておいた」
「…………次はもう少し柔らかくな」
思わずか哉嗚に苦笑が浮かぶ。暴虐を行う炎の魔王に立ち向かうための軍勢なのに、力で脅しつけるような真似をするのはちょっとまずい。
「すみません、哉嗚。教育が行き届いていませんでした」
それにユグドが謝罪する。この三ヶ月の間哉嗚がリーフの傍に居られない時はユグドが彼女に着くようになっていたが、どうやらその間に二人は仲良くなったらしかった。
彼と出会った当初はリーフへの憎しみで一杯だったはずなのに、一度戦った後に再会してからはまるで彼女の姉のように接している…………どうしてこうなったんだろうと思わないでもないが、リーフの側もそれを受け入れているようだし藪をつついて蛇を出す必要もないかと哉嗚は疑問を抑える。
「気にしてない…………まあ、これからの戦いを考えれば気を引き締めて貰った方がいいのは確かだしな」
「そうですね、まず相手するのは今集まっている魔攻士達でしょうから」
もちろん彼らには勝つ前提ではあるがそれであまり調子に乗り過ぎられても困る。戦いに自身は必要だがそれが蛮勇に繋がっては作戦に支障をきたす可能性があり、そして今回の作戦にはそれを助長しやすい要素が多く含まれている。
「そうかな?」
けれどそれにリーフが首を傾げる。
「そうかなって…………普通はそうだろう?」
けれどそれに哉嗚の方が訝しむ。確かにグエン・ソールは最強の魔攻士ではあるが今や一国の王なのだ。普通に考えれば最高権力者が自ら前線に出てくることなどありえないし、出るにしても部下をぶつけてこちらの戦力や動きをはかってからだろう。
「グエンはそういうタイプじゃない」
けれどリーフはきっぱりそれを否定する。袂を分かったとはいえ彼女はこの場ではグエンの傍に一番長くいた人間だ。その性格もよく知っているはずでその言葉には充分な説得力があった。
「彼は自分で口にしたことは違えないし、自分でやれることならやるタイプ」
「哉嗚、確かに炎の魔王はあの宣言で自分にとって必要にない存在を焼却するというニュアンスで全て口にしています」
それはつまり自らの手で行うという宣言でもあるようにもとれる。
「普通なら、ありえないが…………」
少なくとも哉嗚から見た炎の魔王は普通ではない。
「あいつならありえるの、か?」
そう口にしつつも哉嗚が軍人として学んだ合理性はどうにもその不条理に納得できないようだった。
「哉嗚、現れました」
「現れたって…………」
言われてモニターに映る映像を見て、その言葉が詰まる。これまで対峙していた魔攻士の軍勢ではない。その遥か前方、こちらの部隊からはっきりと視認できる位置に一人の人間がいつの間にか現れていた。
「グエン、ソール…………」
本当に彼はいつも予想外に現れる。当人を転移させたと思われる魔攻士の姿もすでになく、彼は自身の軍勢とこちらの間にただ一人で立っていた。
「まさか本当に…………いや、でも好機だ」
信じられないというように呟きつつも哉嗚は冷静に状況を見極める。はっきり言って予想外ではあったが状況自体はこちらに有利になっただけだ。本来であればあの魔攻士の軍勢を相手にした後でグエンに対峙するところが、何の消耗もなく彼に挑めるのだから。
「全軍に戦闘の準備を…………でも、絶対に先走らないように」
「了解です、哉嗚」
「うん」
二人の返答を聞きつつも哉嗚はモニター上のグエンを注視し続ける。操縦桿を握る手は僅かに震えていた…………モニター越しでも彼を見るだけであの炎の光景を思い出す。先走ってしまいそうなのは自分も同じだった。このうちから湧き上がる恐怖を抑えるためにもそのトリガーを引いてしまいたいという衝動が哉嗚の中にはある。
「よう、燃えるゴミ共」
けれどそれを抑え込むようにグエンの声が響き渡る。
「まあまあの数が集まってるがアスガルドの連中の姿が見えねえな。別働隊でも用意してるのか? 確かにまとめて集まれば俺に燃やされるだけだが、散発的にやって来る程度の数で俺がどうにかなると思うなら勘違いだぞ?」
嘲笑するようにグエンは肩を竦める。
「まあいい……………どんな作戦を練って来たんだろうがどうせ俺はその全てを燃やしてやるだけだ。例えば別働隊を回り込ませて俺を包囲したいなら好きにすりゃいい…………後ろの連中は唯の見学だ。もしも手を出すようなら燃やすと言い含めてあるから余計な戦力を割かない方が賢いぞ?」
「…………馬鹿にしてくれる」
思わず哉嗚は唇を噛みしめる。つまりあの魔攻士達はグエンにとって戦力でも何でもないのだ。恐らくは今後の統治の為に自分の力を見せつける、そういう味方に対する示威の為だけにこの場に呼びつけたのだろう。
「さて、今更お前らゴミ共にいう事も他にない。前に宣言したとおり俺は全ての邪魔者を焼き尽くす。ここでお前らを焼いた後はそのままスヴァルトに向かって目につくものすべてを焼いて行くつもりだ…………それを止めたいなら精々足掻く事だ」
悪魔のような笑みをグエンが浮かべる。それに湧き上がる感情を抑え込んで哉嗚は冷静にモニターを見やる。
「…………時間だ」
グエンの宣言から三カ月の刻限が過ぎた…………最後の戦いの始まりの時間だ。