二十八話 未来
「全く、どうして私があなたの面倒を見なくてはいけないのですか」
いつかにも泊まった高級ホテルの最上階の一室。その広い床の上で苛立たし気に小さな機械端末が走り回りながら愚痴をスピーカーから垂れ流す。それを聞く人間はこの場に一人しかいなかったが、その一人も不満げな表情を浮かべて椅子の上で膝を抱えていた。
「私も別にあなたに面倒を見られたくは無かった」
哉嗚の後に続く形でリーフもスヴァルトの首都へと戻って来て、その後すぐにキゼルヌたちとは別れて前にも滞在場所として用意されたホテルへと彼女は押し込められた。三か月後までには協力関係は明らかにするものの、流石にグエンのあの暴挙の直後ではその存在が国民感情を逆撫でしかねないという名目だ…………しかしそれならばキゼルヌたちだって同じ条件じゃないかとリーフは思う。
「あの人達にはあなたと違って実務があるのです」
そんな彼女の心情を読み取ってかユグドが苦言を口にする。名目上はアスガルドのトップであるリーフだが実務能力は皆無で外交など出来るはずもない。なので代わりに残党をまとめていたキゼルヌが辻や政府代表らと会談して今後についての話し合いや具体的な調整などを行っている…………その間リーフは大人しくしているのが仕事であり、下手な人間を監視にするわけにもいかないからユグドがその端末で彼女を見張ることになったのだ。
「どうせなら哉嗚と一緒がよかった」
「それは私のセリフです」
もちろんユグドもリーフも哉嗚と共にいる事を望んだが、彼にも個人で行わなければいけない仕事が溜まっているからと断られてしまった。もちろん余裕が出来たら顔を出すからと約束されてはいるが、それで素直に納得できるほど二人は大人ではなかった。
「埋め合わせが必要」
「それは同感ですが必要なのは私に対してです」
「…………あなたは彼との行動時間は長いはず」
「逆です、短い。離れている時間があるのが問題なのです」
「贅沢」
ずっと遠い場所から哉嗚を思うしかなかった自分からすれば本当に贅沢な話だとリーフは思う。AIとやらを彼女はまだ理解できていないが巨人機に宿る意識のような物とは認識している…………文字通り彼から身を預けられている関係なわけで羨ましいことこの上ない。
「私の境遇に比べればあなたの方が贅沢です」
「意味が分からない」
「あなたは哉嗚と触れ合えるではないですか」
「そっちの方が触ってる」
触るどころか自分の内部に抱き込んでいるじゃないかとリーフは思う。
「あんなのは触れてるとは言いません」
「…………そう」
それはリーフの認識と齟齬があったが、なんとなく本当のことを言っているのだろうと彼女は感じて反論はしなかった。
「私は彼と触れ合いたいのです」
「ふうん」
よくわからないがユグドにはそれが出来なくて、自分はそれが出来るから妬まれているらしいことがリーフにはわかった。
「でもよく考えたら私もあんまり触れてない」
タイミングというかそもそもそんな発想が浮かばなかったというか、握手をした記憶はあるがそれ以外で彼に触れた覚えがリーフにはない。
「もしかして、抱き着くべきだった?」
「そんなことをしようとしたら私が止めています」
思い浮かんだことをリーフが口にするとユグドが釘を刺す。もちろん彼女が使っている小型の端末でそんなことは不可能だが、やるとなれば本体であるY-01改修型を引っ張って来てでもユグドはやる気だった。
「けち」
不満そうに口を尖らせながらもリーフは次に会った時に哉嗚と触れ合うことについて思案を始める。ユグドの最大の失敗は彼女にそういう意識をさせてしまったことだ…………意識させなければ同じ部屋で会話する程度でも彼女は満足していただろうに。
「ところで」
それに気づかぬままユグドは話題を切り替える。
「あなた戦後はどうするつもりなのですか?」
「戦後?」
それにリーフは首を捻る。
「炎の魔王…………ムスペルとの決着がついた後にどうするかと聞いています」
「みんなで仲良く…………するんだよね?」
アスガルドとスヴァルトとの戦争は終わりこれまでのような戦いもなくなる。その後はお互いの国が仲良く出来るようにしていくのだと彼女は聞いていた。
「あなたの将来が不安になる認識ですね」
感情の乗らない機械音声に呆れるような抑揚があった。
「具体的に自分の立場をどうするか私は聞いているんです…………このままだと間違いなくあなたは戦後のアスガルドの象徴にされますよ?」
なぜそんな心配を自分がしなくてはとユグドは思うが、実際に顔を合わせてしまうとかつてのような憎悪よりもどこか抜けた姉を庇護する気持ちが湧いて来てしまうのだ。
「象徴?」
「アスガルドの代表として見世物にされると言っているのです」
元長老会のキゼルヌであればアスガルドとの戦争を想起させて反発を生むが、見目麗しく純朴といった様子のリーフであれば敵愾心も薄れる…………うまくやればある種のアイドルのようにファンが生まれて親しみを覚えられるかもしれない。
「それは嫌」
だってそんなのは明らかに面倒だとリーフは思う。そりゃあ彼女だって哉嗚のの望む平和の為ならば多少の見世物になる覚悟はあるが、それが恒久的に続くような責任を押し付けられるのは流石に御免被る。
「できれば、そう…………できれば私は哉嗚と静かに暮らしたい」
望みを口にするのならばそれが望みで、その穏やかな時間を有象無象に邪魔されたくはない。
「はっきり言わせてもらうならそれは不可能ですね」
自身の感情を交えず、純然たる事実としてユグドは否定する。
「あなたも哉嗚もその存在が有名すぎます。望まずとも注目されますし、隠れれば勝手に不安を覚えられて危険視される可能性が高いでしょう」
「むう」
気難し気にリーフは眉を顰める。彼女自身はどこでだってその魔法で生きていけるので面倒ごとになれば最悪逃げればいいかと考えていたが、指摘されると確かにその通りだ。戦略魔攻士第二位の人間が所在も知れずに隠れていれば誰だって不安を覚えるだろう。
「じゃあ、見世物になるのを我慢するしかないの?」
「ある程度の妥協は必要だという話です」
不安を掻き立てない程度には表に出る必要はあるのだ。
「仕事と思って最低限の顔を出し、プライベートは確保する体制を今のうちに用意しておくしかないでしょう」
「そんなことできるの?」
「できる可能性のある話は聞いています」
そこまで話をするつもりは無かったはずだが、もはや今更だとユグドは答える。
「スヴァルトとアスガルドとの国境の山中に小さな村が一つあるそうです」
「村?」
「ええ、そこはスヴァルト国内で反戦を訴えた人たちやアスガルドから逃げて来た難民たちが住まう場所と聞いています」
アスガルドとの戦争が日常的なものとなっていたスヴァルト国内でも戦争に反対する人間は現れる。けれどアスガルドとの交渉すら行われることのなかった当時の状況からすればそれは国内の不和の種以外のなにものでもなく、例え少数と言えど放置できるような問題ではない。
とはいえ戦争に反対する人間を粛正すればそれ自体が問題となり反発を生みかねない。故にスヴァルトは国内の戦争反対派を国境線の比較的安全な位置に隔離した。その上で生きていくくための最低限の支援を行うことで国内の人権派の不満を抑え、同時に彼らの存在をアスガルドとの講和が可能となった際の布石とした。
そして表向きには認められていないが、村にはアスガルドから逃げて来た難民や戦闘中に行方知れずとなった下級魔攻士などが匿われているらしい。
「戦後はその村の住民を中心として融和を目的とした都市を国境に建設する計画があるらしいです」
「それで?」
「あなたがその都市にアスガルド側の代表として赴任するのです」
「…………」
露骨に嫌そうな表情をリーフは浮かべた。
「別に代表といってもこれまで通り実務は出来る人間に任せておけばいいのです。あなたは代表として周りに笑顔でも振りまいておけばいいのですよ」
「…………それじゃあ結局見世物」
リーフとしては意味がないように思える。
「見世物ですがかなりマシな見世物で済みます。なにせ融和を目的とした都市なんですからアスガルドに害意ある人間はそもそも住民になりません。それに両国の主要な都市からも遠いので一々文句を言いに来る人間も少ないでしょう」
もちろん都市に引きこもり続けるわけではなく顔を出しに行くことはあるだろうが、それでも常に誰かの目を気にする必要がある主要都市にいるよりは遥かにいい。
「それなら…………なんとか?」
我慢は出来そうだとリーフは思う。
しかし確認しておくべき大事な点が一つだけある。
「スヴァルト側の代表は哉嗚?」
「それは当然です」
大前提だとユグドも答える。
「それならうん、悪くないかも」
両国の代表として哉嗚と肩を並べて過ごす。想像するにそれは悪くない未来だし、多少の苦労も彼と共有できるのなら悪くない。
「でも、その場合あなたはどうするの?」
そこでふとリーフは尋ねる。いくら鈍いリーフでもユグドが哉嗚に自分と同じ位に好意を抱いていることはわかる…………しかしここまでのアドバイスはまるで自分と哉嗚の仲を応援しているようにすら思える内容だ。
「詳しい理由は言いませんが私はあなたが嫌いでした」
「うん」
最初に彼女の宿る巨人機の乗った時のことをリーフは覚えている。あの時ユグドは何も口にはしなかったが、どことなく憎悪にも似た雰囲気に包まれているように感じた…………哉嗚と一緒であることに浮かれてそれほど気にはしなかったが。
「ですが、実際にあなたと会って話すとその感情が維持できませんでした…………それが多分リーフ・ラシルという人間の生まれながらの性質なのでしょう」
「そうなの?」
リーフは自分のことを言われているのだと思ったようだが、ユグドはあえてそれを訂正はしなかった。
「とにかく、今の私はあなたがそれほど嫌いではありません」
「うん、なんかそれは嬉しい」
それを聞いて抱いた感情のままにリーフがはにかむ。それを見るとやはり彼女が手のかかる妹のように思えてユグドは一つの決意を固める。
「それでですね」
「うん」
「あなたは一夫多妻制についてどう思いますか?」
思い描いていた理想の未来を、少しばかり修正することに。




