二十六話 家
グエンの映像が消えてからはひと騒ぎがあった。軍人として場数を踏んでいる哉嗚の部隊やキゼルヌたち上位魔攻士はともかく、非戦闘民のほとんどはリーフに無理やり移動させられて状況がまるで掴めていなかったからだ。
そんな彼らに何が起こったかを説明して説得し、哉嗚がスヴァルト本国に連絡して双方の状況を確認してこれからの行動についての指示を受け、またそれをアスガルドの面々と共有して行動に移るのにおおよそ三日が掛かり…………先行して哉嗚達の小隊がスヴァルトの首都に帰り着いたのはグエンの宣告から二週間近く経ってからの事だった。
「晴香っ!」
見慣れたアパートの扉を開けて哉嗚は飛び込むように中に入った。投げ捨てるように靴を脱いで玄関を上がり、リビングの扉を開けて驚きに目を丸くしている晴香を勢いのまま抱きしめる。
「良かった、無事で」
それでようやく落ち着いたというように哉嗚は呟く。あの時グエンが放った炎は一つだけではなくスヴァルトの各地にも撃ち込まれていた。主要都市から地方の集落に古代文明の遺跡と複数個所に撃ち込まれ…………その被害の範囲内は壊滅していた。生存者は尽く存在せず撃ち込まれて唯一無事で済んだのは哉嗚達がいたあの場所だけだ。
この首都にもその惨劇は起こっており、抵抗も虚しく住宅街の一角が焼失していた。とはいえ哉嗚は本国と連絡を取った際に晴香の無事も確認していた…………ただ、それでもこうして直接顔を合わせるまで不安のようなものが晴れずに燻っていたのだ。
「おかえり」
晴香はその事には何も言わずただ出迎えの言葉を口にする。彼女自身も哉嗚の無事は聞いていたが今のこの瞬間まで不安を抱えたままだった…………けれど彼女は以前に自分が哉嗚の帰ってくる場所になると宣言していて、こうして彼が自分をその場所として帰って来てくれたことが何よりも嬉しい。
「…………落ち着いた?」
「ああ」
しばらくして晴香が尋ねて、ようやく哉嗚は彼女を抱きしめる手を緩める。そのまま甘い雰囲気に持ち込みたい気持ちもあったが、世を取り巻く状況を考えると少しばかり不謹慎のようにも思えてしまった。
「大変だったみたいね」
そんな哉嗚の心情を読んでか、晴香の方も話を現実に戻した。
「…………こっちほどじゃないさ」
それを考えれば自分は幸運だったのだろうと哉嗚は思う。Y‐01改修型とユグドを始めとして高橋らYシリーズに乗る巨人機パイロット達、そしてリーフを始めとしたアスガルト残党と討伐軍を合わせた魔攻士達…………考えるにこちら側の戦力の最高峰があの場には集っていたのだ。
だからこそ生き残れたし、自分一人なら死んでいたと哉嗚は思う。
「たくさん、人が死んだわ」
「…………知ってる」
グエンの魔法による死者はアスガルドとの戦争の中でも起きなかった数だ。アスガルドとの戦争は前線での小競り合いが中心だったし、時折戦略魔攻士による被害もあったがそれにしたって部隊単位の話だ…………都市の一角、それも非戦闘民が中心になるような被害というのは初と言っていい。
「世情はどんな感じになってる?」
「滅茶苦茶ね。悲嘆に憤怒に諦観…………良くも悪くも炎の魔王という存在が感情の頂点にいるせいでアスガルドの事なんてみんな気にしてない」
哉嗚が聞きたかったであろうことを察して晴香が答える。
「共通の敵、か」
「うん、炎の魔王を倒すためにならアスガルドとの同盟も受け入れそうな雰囲気になってるわ」
「力を合わせなけりゃ勝ち目はゼロだからな…………複雑な気分ではあるが助かる話だ」
温和な話し合いによるものではなくグエンに対する共通の恐怖による同盟なのだから。
「それでもきかっけはきっかけよ」
これまでは講和どころか交渉の余地すらなかったのだ。目の前の破滅を回避するためにやむなく手を組む形とはいえ、一度手を組んだのだからそれをずっと組み続けるという選択も不可能な話ではな
い。
一度止まった戦争を再開したいと思わない人間はそれなりの数がいるはずだ。
「ああ、殺し合いはもうたくさんだよ」
それは今回の救援に参加したスヴァルト軍のエース達との共通見解でもある。実質的にアスガルドのトップであるキゼルヌの意向も確認したし、これからムスペルに対して共同で挑むことになれば現場の人々の感情も共に戦う相手として緩和されていくだろう…………非戦闘民だってグエンの暴挙で戦争の悲惨さを間近に見せつけられたことになる。
これまで家族を失った恨みがあっても、そんな光景をまた見たいと思うことは無いはずだ。
「だが、全てはあの炎の魔王を倒せたらの話だ」
それが叶わない限り全ては絵に描いた餅でしかないのだから。
「…………彼は本当に実行するつもりだと思う?」
こちらの方でもあのグエンによる宣告は投影されていたし、国は規制することなくメディアで繰り返しその後の惨状と共に流され続けている…………恐らくは今後のプロパガンダに利用する腹積もりなのだろう。
「やるだろうし、その意思は行動で示して見せた」
脅しではないのだとその力を振るうことでグエンは示した。そしてそれはやるという意思だけではなくこちらにそれが出来ると思わせる可能性を示したのだ…………つまり彼はその力で敵対するもの何もかもを焼き払えるということを。
「理屈も通っちゃいる」
その考えそのものは破綻しているというわけではない。魔法使いという存在が生まれの才能で決まる事を考えればグエン以上に強力で悪辣な者が生まれる危惧は確かにある。その誕生を確実に監視できる数まで魔法使いの数を減らすというのは理屈が合っているし、逆に有用な魔法使いが生まれなかった時の為に一定数の奴隷を労働力として確保するのも間違ってはいない。
…………全てはその為に粛正される犠牲を許容できるか否か、だが。
「常人の考えではないわ」
「色んな意味で常人ではないんだろうさ」
普通の人間であればそんなんことを想像してもまず実行できない。実行することが出来なければそれはただの妄想で、ほとんどの人間はしばらくすれば妄想からは覚める…………けれどグエン・ソールという存在は違う。
彼はその妄想を実行できるだけの力を持っていた。つまりグエンにとってそれは妄想ではなく実行できる計画であり覚める事が無かったのだろう…………哉嗚にはあれだけの力を持った個人がどういう思考に育つのかは想像できない。話した限り戦略魔攻3位であったリーフの場合は破綻した感じではなかったが、その彼女とすらグエンは隔絶した力を持って育ったのだ。
それこそ神の如き力を持って育った彼が戯れに世界を滅ぼそうと思ったとしても不思議ではないのかもしれなかった。
「でも、哉嗚はそんな奴と戦うつもりなのよね」
「ああ」
迷わずに哉嗚は頷く。
「死ぬかもしれない…………ううん、多分死ぬわよ」
眉を歪めて晴香が口にする。彼女は楽観的希望を持たないリアリストだ。なんとかなるだろうとは思うことなく冷静に彼我の戦力差を理解していた。
「今のままなら、な」
だから哉嗚はあえて希望を口にする。軍人として訓練を受けた彼も本質的にはリアリストではある…………だけど、今はそれこそが必要なのだと理解していた。
「アスガルドと、魔攻士達と協力すれば戦力だけじゃなくて新しい可能性も生まれる」
グエンの炎を皆で耐えきった時のことを哉嗚は思い出す。巨人機も、魔攻士も、力なく貧民と見下されていた人々も…………恐らくその誰かが欠けても耐えきる事は出来なかったと哉嗚は思う。
「でも猶予は三ヶ月…………それももう二か月と二週間しかないのよ?」
三カ月という時間はグエンという脅威に対してあまりにも短く、しかもその内の二週間はすでに哉嗚が帰還するまでに過ぎてしまっている…………その残った時間でスヴァルト国内の動揺や不満を抑えてアスガルドと同盟を結び、両者でグエンに対抗できる新たな道筋を見つけ出すなんて言うのは無茶な話だった。
「でも、やるしかない」
そう、時間があろうがなかろうがやるしかないのだ。例えそれが僅かな時間だとしてもその間に出来る事を、生き延びる道をやれる限り模索するしかない。
「そうじゃなきゃ、俺も晴香も死ぬだけだ」
グエンは一定数のスヴァルト国民は奴隷として生かすと宣言している。しかし生き残りから適当に選ぶとも口にしており先に慈悲を求めることに意味は無い。そして仮に生き残ったとしてもグエンは自分に抵抗する可能性がある物を選ばないだろう…………そしてリーフから聞いた話によれば彼はスヴァルトが古代文明から受け継いだ技術を残すつもりはない。
哉嗚を含む軍人たち、そして晴香のように深い科学の知識を持つ者をグエンは許さないだろう。
…………座すればその命を失うだけだ。
「昔も今も俺が戦う理由はくだらない意地だ…………でも、今はそれに加えて晴香を死なせたくない」
自分だけなら哉嗚は最後まで足搔き続けるだけで後悔しないで死ねる。けれどその結果として晴香が死ぬことを考えるとそれはどうしても許せなかった。
「俺は、晴香のいるこの場所に帰るために戦いたい」
ニルへの説得の際に語ったのは本心ではあるがその胸の内を全て明かしたわけじゃない。晴香を守るために戦うそれこそが哉嗚の後悔しないための選択だ…………流石にあんな場所でそれを公言するのは恥ずかしかったというだけのこと。
「馬鹿」
それに恥かしそうに晴香は顔を赤くする。
「そんなこと言われたら、頑張れとしか言えないじゃないの」
弱音とか、現実から逃避するようなことが言えなくなってしまった。グエン・ソールという圧倒的な脅威を前に、恋人に無謀な抵抗して欲しいと願うしかできなくなった。
「頑張れって、言って欲しいんだよ」
その言葉に背中を押されればきっと力になる。
「…………頑張れ」
小さく、呟くように晴香が口にする。
「頑張れ!」
そして強く。
「ああ」
それに哉嗚は頷く。
「頑張って、やるさ」
この場所に、帰ってくるために。




