二十一話 交渉
哉嗚にとって討伐軍というのは絶対に倒さなくてはならない相手ではなかった。なぜなら事前情報で貧民たちではなくそれを率いる上位魔攻士達もムスペルからまだ味方と見なされていないことを知っていたからだ。
ただ哉嗚だって貧民たちほど彼らに同情しているわけではない。少なくとも討伐軍の連中には戦う力はあるし、自分達の為に貧民たちを囮に使ったのは間違いないのだから…………それが仕方ないことだとはわかっていても印象はマイナスだ。
「それでも、だ」
そう、それでも彼らを皆殺しにしたいとまでは哉嗚も思っていない。それにムスペルとの戦いでは戦力はいくらあっても足りない。
可能性があるのならば、多少気に入らない相手でも引き入れるべきだろう。
「ユグド、スピーカーを広域で起動してくれ」
「なにをするのです、哉嗚?」
「降伏勧告だよ」
戦場の流れはこちら側に傾いているのは明らかであり、その事は討伐軍にもわかっているはずだ…………普通に考えれば降伏のしどきであり双方ともに被害を最小でこの戦を終わらせられる機会だ。
「ムスペルの討伐軍に告げる」
「俺はスヴァルト軍に所属する宮城哉嗚大尉だ。今回はムスペルに追いやられたアスガルドの人々の援軍として派遣されてきた…………今やスヴァルトとアスガルドは敵ではなく同盟を結んだ関係にある」
「それを踏まえて結論から言う…………この戦場の趨勢はすでに決している。今すぐに抵抗を止めて降伏して欲しい」
哉嗚はスピーカーを通じてそう呼びかけると反応を待つ。味方には状況次第で降伏勧告をすることは予めて伝えてあるので状況に問題が無ければ戦闘を止めているはずだ。下手をすればそれでこちらに傾いていた戦場の流れが止まってしまう可能性もあるが、その辺りは降伏勧告を行う以上は考えても仕方がない。
しばらく待つとやはり敵側の大将だったのかリーフに突貫した魔攻士が近づいてくる。あまり近づき過ぎれば哉嗚も警戒せざるを得なかったが、彼は機体から百メートル程のところで足を止めてY-01を見上げた。
「私はニル・ヘーラグ。アスガルト残党を討伐するために派遣された軍の大将だ」
今しがた散々な目に遭わされたばかりでもニルは堂々とした態度を取り繕っていた。望んだ立場ではないとしても彼は一軍を率いる将だ。その将が情けない姿を見せていては相手に侮られて交渉が不利に進むこともあるし、何よりも肝心の部下たちへの示しがつかない。
情けない将だからと彼の決定したことに逆らわれても困るのだ。
「先ほど名乗ったばかりだがスヴァルト軍の宮城哉嗚大尉だ。わざわざ一軍の将が起こしになったという事は先ほどの降伏勧告を受け入れる用意があるということだろうか」
そう口にしながらも哉嗚は警戒を崩してはいない。ニルの魔法は距離を詰める必要があるのはほぼ明らかであり、交渉に応じる姿勢を見せるだけでも警戒されないギリギリの距離までは近づくことが出来る。
「いつでも魔力障壁は展開できるようにな」
「もちろんです、哉嗚」
恐らくだが距離を詰められたらこのY-01改修型でも危ういと哉嗚は感じていた。だから交渉に全力を尽くす心づもりはあるが油断するつもり全く無かった。
「降伏に応じるかどうかは条件次第だ」
「もちろん交渉には応じる」
迷うそぶりもなく哉嗚は答える。無条件の降伏を促すには相手の被害がまだ少ない。哉嗚達も手を抜いていたわけではないが相手側の死傷者が少ないように立ち回っていた。それは単純に貧民たちを巻き添えにしないための配慮でもあるし、今のように相手側に降伏を迫るケースを考えての事でもある。
とはいえ戦況が悪くとも実際の被害が少なければ無条件降伏は受け入れ難くなるのも当然のことだ。
「まずいくつか質問がしたい」
「わかった」
了承しながらも哉嗚は思考を巡らせる。十中八九それが時間稼ぎなのはわかっている。そもそもタイミングがあれば降伏勧告することを提案したのは彼ではあるが…………その成功の可能性が低いことは最初からわかっている。
なぜなら討伐軍はムスペルから認められていない者達で構成された軍だ。アスガルト残党を討伐することはムスペルから強制された事であり、極端な話最初からこちらに寝返ったっておかしくないのだ。ましてや哉嗚達スヴァルト軍の存在が明るみになったのなら勝ち目が薄いのは明らかで、降伏勧告をするより先に降伏を宣言してもおかしくは無かった。
つまるところでそう簡単に降伏できない理由があちらにはある。単純に考えるなら寝返りをしないよう督戦するムスペルの人間が混じっているのだろう…………交渉の中でそれらを炙り出せるかが降伏勧告を成功に導くための第一歩だ。
「まず、スヴァルトの人間だという君の決定でアスガルトの連中も我々の降伏を受け入れるのか?」
「その点については問題ない。事前にアスガルドの側と協議して降伏交渉の全権は俺が預かっている」
当然と言えば当然の質問だ。スヴァルトの人間である哉嗚が降伏を受け入れてもアスガルドの人々が裏切り者めと討伐軍の人間を襲っては意味がない。死なないために降伏するのだからその命を保証するのは最低条件だ。
「スヴァルトとアスガルド共に我々への隔意は無いと?」
「隔意はある」
隠すことなく正直に哉嗚は答える。
「それは討伐軍のあなた達だけじゃなくてアスガルドの人々にも同様だ…………これだけ殺し合ってきていきなり全面的な和解なんて出来るもんじゃない」
アスガルトとの戦争で家族を失った人々は数えきれないし、哉嗚自身も家族や部隊の仲間を失った過去がある。
「だからってどちらかが滅ぶまで戦争を続けるのはもっと不毛だ。いきなり仲良くするのは無理でもまずは戦争を止めて少しずつ歩み寄る努力をして行くべきだ…………その為にも、それを邪魔する脅威には立ち向かわなくちゃいけない」
割り切れないものを無理に割り切る必要はない。まずは不毛な殺し合いを止めてお互いに妥協できる部分を妥協していくだけでも随分とマシになる…………完全な和平は何世代か後に任せればいい。
「立ち向かう、か」
嗤わず、けれど諦観の表情でエルが呟く。
「では降伏後の我々の待遇はどう予定されている?」
「まず貧民たちはこちらで保護する」
討伐軍で最も数が多いのは無理矢理徴収された貧民たちだ。戦闘の開始からキゼルヌたち二は彼らの保護を優先して貰っていたが、降伏したならその全員がアスガルトの残党へと組み込まれることになる…………もちろん戦力ではなく国民として、だ。
現状では貧民たちは危険が無いよう保護しているだけの状態だが、将来的にはスヴァルトからの技術供与による労働や移民などが検討されている。
「では私達魔攻士は?」
「あなた達がムスペルから強制されて今回の討伐にやって来たことをこちらは理解している」
「だから許すと?」
「もちろん無条件にではない」
被害者ではあっても実害が出ている以上はただ許すわけにもいかない。
「こちらへの叛意がないか、ムスペルとの繋がりが残っていないかを確認するまでは監視付きで軟禁させてもらうことになる…………待遇は悪くしないとあちらからは約束されている」
スヴァルトであれば檻の中に入っていてもらう所だが魔攻士相手にはそうもいかない。相応の実力を持った魔攻士による監視の元である程度の自由を約束した方が面倒はない。武器を取り上げることが出来ない相手なのだから自発的に軟禁に納得してもらえる待遇にしておくのが一番なのだ。
「その後は?」
「その後と、とは?」
「身の潔白が証明された後という意味だよ」
「ムスペルに戻らないのであれば自由にしてもらって構わない…………が」
もちろん哉嗚達の希望としては別にある。
「俺たちとしてはアスガルドに復帰して貰いたいと考えている」
失敗したとはいえリーフに勝てるだけの算段を立てられる魔攻士というのは貴重だ。少数精鋭で固めつつあるムスペルに対抗するには戦力はいくらでも欲しい…………特にあの炎の魔王を倒さなくてはいけないのだから猶更だ。
「つまり、あの炎の魔王と戦えと?」
「彼を倒さない限りはムスペルの打倒はできない」
というよりもグエンの打倒こそがムスペルの打倒だ…………極端な話彼以外の魔攻士は全てリーフ一人でも打倒が可能なのだから。
「そうか」
ニルは大きく息を吐く。
「ではこの交渉はこれで終わりだな」
「つまり?」
「降伏勧告を拒否するという事だ」
「…………」
それは予想の範疇だが、次にかける言葉を哉嗚は選ぶ。
「それは勝利の可能性が低いことを理解した上での選択か?」
「ああ、少なくとも私は死ぬだろうな」
ニルは事実を認めて肩を竦める。
「だが、降伏したところでどうせ死ぬ」
「条件は今話したはずだが……………疑っているのか?」
「いや、降伏の条件としては申し分ない」
そう答えるニルの表情には嘘は無いと哉嗚には感じられた。
「ではなぜ死ぬ」
「そんなもの、炎の魔王に殺されるからに決まっているだろう」
「…………彼はここにはいない」
「今は、な」
諦観の表情を浮かべてニルは答える。
「だがいずれは現れて私達を焼き尽くす…………アスガルドの残党と、君たちスヴァルトをまとめてな」