十九話 障害
「ユグド!」
「了解です、哉嗚」
以心伝心。名前を呼ぶだけで頼れる相棒は哉嗚の意を読み取ってくれる。ミストルティンは即座に長銃身のライフルへと姿を変えてその狙いを空へと向ける。
だが森の中の視界は最悪と言っていていい。見上げた空も切り取られたように狭く、狙う対象がそこを通るとしても視界に収まるのはほんの一瞬だ…………故に、全てを哉嗚は自身の感覚に委ねる。
そこに見えた何かを撃つのではなく、撃つべきと感じたその瞬間に引き金を引く。
「っ!」
トリガーを押し込み、それと同時に膨大な光の奔流が空へと放たれる。標的の姿はまだそこにはない。
だが、まるでそれに飛び込むように現れた人影をY-01のカメラははっきりと捉えていた。
◇
ニルの魔法は物理的なものであればどんなもので切断できる…………だが、逆に言えば物理的な物でなければその効果は発揮されないし、斬っても意味がないものに対しては無力だという事でもある。
例えば迫りくる濁流をいくら斬っても意味はないし、膨大な炎を細かく切断したところでその熱を遮ることは敵わない…………つまり、眼下から迫る膨大な熱量を持ったレーザーに対してもその魔法は何の意味も持たないという事だった。
「ちぃっ!」
一瞬前まで見えていた希望が潰えたことを理解しながらニルは魔力障壁を展開させる。彼の魔法で障害を切り裂くならばその速度は落ちないが、魔力障壁でレーザーを受け止めれば間違いなくその速度は減じられる…………つまりはその選択をした時点でリーフ・ラシルへの道は閉ざされた。
「まさかもうスヴァルトの連中が援軍に来ているとは…………」
なんとなくヴァーリが自分達に隠していた情報はそれだったのだろうとニルは察した。そんな重要な情報を隠していたことに怒りを覚えるが、それはつまり彼からしてみれば討伐軍が壊滅した方が都合がよいという事なのだろう…………本当に、後ろも敵ばかりだ。
「だが」
それでもやらねばならない。やるしかない。例えどんな思惑があろうともリーフ・ラシルを討ち取りアスガルドの命運を断てばニル達を助けるとグエンは約束したのだ…………王が皆の前でした約束を破ればその信頼は揺らぐ。流石にあの傲慢な王でもそれは守るだろう。
「その為には!」
まずは目の前の小石を取り除く必要がある。それはリーフ・ラシルに対して手の内を晒しだす行為だが、スヴァルトの援軍がいると分かった時点で立てた作戦はもはや意味をなさない…………ここから始まるのは泥沼の混戦だ。最大の一手を第三位に届かせるためにもそれを遮る邪魔者を最優先で排除すべきだとニルは判断した。
「全軍に突撃を開始させろ」
重力に任せて落下しながら、彼は念話で部下へとそう告げた。
◇
殺意と言うものがあるならそれはリーフから自分へと切り替わったと哉嗚は直感した。だがそれはむしろ大歓迎だ。彼の見たところ突貫して来た魔攻士とリーフの相性は悪い。もちろんただ倒すだけならリーフが圧倒できるだろうと見立ててはいたが、守るべき対象がいて動きの制限されるこの戦いでは彼女が不利だと感じていた。
「好都合だ」
故に哉嗚はそう判断していた。そして自分達の存在が知られた以上は向こうも総力戦を決断してくるだろうと思えた…………もちろん普通なら戦場でイレギュラーな事態が起きれば一旦は退くものだ。けれど話を聞く限りでは討伐軍にも恐らく後は無く、であれば一気に総力を結集してこちらを叩きに来るしかない。
「宮城です。今の一射でこちらの存在は知られたものと思います。恐らく総力戦に移行してくると思われるので各自隠蔽を解いて戦闘に参加してください」
「了解!」
一斉に無線から返答が返る。
「細かい判断は各自に任せます」
今回参加しているパイロットはYシリーズを駆って各自で活躍していたエース達だ。哉嗚が細かい指示など出さずとも自由にさせたほうがその力を発揮できるだろう…………それに、他のパイロット達のことを気に掛けながら戦えるような相手でもないと感じていた。
「哉嗚、どうしますか?」
あの魔攻士は真っ直ぐに自分達目掛けて落ちて来る。それはつまりこちらの攻撃を捌く自信があるという事であり、同時にこちらへと接近したいという意図が見て取れる。
「恐らく初見殺しは可能です、哉嗚」
「いや、やめておこう」
ユグドの提案に哉嗚は首を振る。汎用性の塊であるミストルティンによる魔攻士への初見殺しを彼は彼女と幾つか考案している。確かにそれを使えばこちらに迫りつつある魔攻士を楽に殺すことはできるだろう…………だが、しないと哉嗚は決断した。
「今戦闘を監視している奴に見られたくない」
それはいつもの勘ではなく推測に基づく確信だ。ムスペルにとって討伐軍は使い捨てにしても問題ない存在であり、督戦の為の魔攻士も必ず派遣しているはずだ。そしてその魔攻士は討伐軍の監視だけではなくこちら側の情報を持ち帰る役目も担っているだろう…………グエンに届きうる可能性のある貴重な手札を見せたくはなかった。
「ではどうしますか?」
「徹底的に距離を取る…………引き撃ちで攻めよう」
あの魔攻士の行動から見ても距離を詰めたがってるのは明らかだ。恐らくは近距離で絶対的な効果を発する魔法なのだろうが、それに付き合ってやる理由はない。
「距離を詰められそうになったら速度じゃなくて斥力障壁での対応を優先してくれ」
「了解です、哉嗚」
斥力障壁は便宜上障壁と呼んでいるが、それはあくまで機体から生み出される斥力によって生み出された力場の事だ。物質的な障壁ではないから単純に壊すようなことはできず、相手を確実に機体に寄せ付けない。
「ですが哉嗚、問題があります」
「わかってる。リーフに通信を繋いでくれ」
ユグドの抱いた懸念は当然哉嗚だってわかっていたものだ。
「リーフ、動き回れる場が欲しい…………森を引かせてくれ」
「うん、わかった」
即座に返答。自分でも客観的に見れば無茶苦茶な要求だと思えるのだが、それをあっさり了承できてしまうのが戦略魔攻士第三位の実力だ…………しかもそれは返答した次の瞬間には実行される。瞬く間に森は地中へと沈んでいき、少し前までそこが森林であったことが信じられないような何もない平地へと変貌していく。
それまで隠れていたものが露になり、アスガルト残党の全軍であるキゼルヌたち十人ほどの魔攻士と、その援軍であるスヴァルト軍の巨人機六機…………そして未だ保護されず森をさ迷っていた大勢の貧民たちが平地に出現した。
「この程度の数で我々を迎え撃った、だと」
それを落ちながら確認してニルが驚きと悔しさの入り混じったような表情を浮かべる。敵の数が少ないことに安堵するよりも自分達相手にはその程度の数で充分だと嘲笑されたようで屈辱が胸に浮かぶ…………何よりも平然とリーフ・ラシルが姿を現したことが腹立たしい。
「なんで隠れてないんですか、あの女は」
それにはユグドも隠せぬ苛立ちの籠った声を哉嗚に聞かせていた。リーフ・ラシルはアスガルト残党の実質的な旗頭だ。実務を任せるために表向きはキゼルヌがトップとなっているが、彼女が死ねば残党が瓦解するのは周知の事実だ。
だからこそ哉嗚もキゼルヌもリーフを戦力として生かしつつもその安全を最優先に考えていた。森を引かせるように頼んだのも、当然それと同時に彼女も引いてその位置を再び隠してもらう目的もあったのだ。
「…………守るしかないだろ」
溜息を吐きつつも哉嗚がそれに答える。幸いというか敵の魔攻士の意識はリーフへと向けられている…………その隙を狙わない理由は無い。納得いかなそうなユグドを余所に哉嗚は狙いを定めて再びトリガーを引く。
「っ!?」
再び自身に迫る光の奔流にニルは我に返る。咄嗟に展開した魔力障壁が間に合うがそれによって落下が止められ再び空へと押し上げられる。
「ぐ、このっ!?」
呻くが彼の魔法ではどうにもならない。レーザーもいつまでも続くわけではないので耐え忍んで接近を…………と考えたところで敵巨人機の位置が微妙に動いていることに気付く。これまでの経験からその行動はこちらの特性に気づいて距離を取ろうとしているものとすぐにわかる。
「っ!」
わかるがニルにはどうにもならない。接近できれば無類の力を誇るがそもそも接近するための力が彼には無いのだから。
「ならば!」
光の奔流が消え去りようやく地面が近づいてくるが、ニルは落下することを止めて障壁を展開したまま宙を移動する。あの巨人機とリーフのいずれに接近せねばならないのなら最大の目標を選ぶ…………真っ直ぐに彼は見えるリーフへと宙を駆った。
もちろんそれは人の歩みに過ぎず逃げるのは簡単だが、彼女は逃げない。
「ユグド、威力を上げるぞ」
「はい、哉嗚」
けれどその歩みを再びの光の奔流が止める。先程よりも出力を上げて放たれたレーザーはニルの展開した魔力障壁を撃ち抜きかけ、彼が全力でそれを強化するまでの間に少なくない熱量で彼の身を焼いた。
「がぁっ!?」
致命傷ではなく軽く炙られただけ、だがそれでも魔力障壁を一瞬とは言え破られた事実は魔攻士の心を深く抉る。それはニルに対して哉嗚の駆る巨人機に背を向けることは出来ないと思い知らされるには充分な事実だった。
「哉嗚、急激な気圧の変動を感知」
「っ、機体を固定!」
とっさの判断に応えユグドは射撃を止めて機体の足を浮かせていた斥力を停止し、地面へと着地させて固定用のアンカーボルトを打ち込む。その次の瞬間には機体を渦巻く暴風が巻き込んで激しく揺らす…………さらには巻き上げられた土がカメラを遮った。
「ユグド、斥力障壁全開!」
答えるよりも早くユグドはそれを実行した。機体から発生した膨大な斥力が巻き上げられた土ごと機体を揺らしていた竜巻を吹き飛ばす。相手がこの隙に接近しようとしていたとしても同時に吹っ飛ばされている事だろう。
「冷静だな」
だが敵の魔攻士はそんな危険を冒すことなく今しがたの竜巻を起こしたであろう魔攻士と合流していた。それはつまり先程までとは違い素早くこちらに近づける移動手段を手に入れたという事でもある。
「さて、どう攻めるか」
対峙する二組は、同時に同じことを頭に思い浮かべた。




