十八話 博打
「そういうわけだから相手が毒ガスを使用している可能性がある」
哉嗚からそう警告されるとすぐにリーフは魔力障壁を展開した。彼はきちんと推察した理由も説明してくれたがその辺りは流していた…………彼女は哉嗚が警戒しろと言ったから警戒するだけだ。
結果として従うのだったら理由などどうでもいい。
「哉嗚、私はこれからどうすればいい?」
「現状維持で頼む」
貧民を安定して保護できている状況をギリギリまで変えたくはない。リーフの魔法は強力だが強力過ぎて小回りが利かない。相手側が保護対象を戦力としている以上は出来る限りこちらからの攻撃は控えて対応に徹したい…………動くのは敵の大将だけを確実に討ち取れるタイミングが理想だ。
「さっきも説明したけど毒ガスそれ自体も囮だと思う。万が一の可能性も無いようにリーフには油断せずに守りに徹して欲しい」
相手の目的はリーフの隙を突くことにあると哉嗚は考えていた。だが下手に攻勢に回る事無く防御に徹してさえしまえばリーフを討ち取ることはほとんど不可能だ…………そして残る僅かな可能性は哉嗚自身が摘み取る。
「うん、わかった」
少しばかり弾んだ声でリーフは答える。敵の目的も何もかもどうでもいい。ただ哉嗚が自身を案じてくれているというその事実だけが重要でありとても嬉しいことだった…………だからあえて認識の違いを口にはしない。
「くれぐれも気を付けて」
「哉嗚もね」
リーフが答えると通信が切れる。哉嗚から直接手渡されたその通信機を彼女は大切そうにポケットへとしまった。そして展開していた魔力障壁へと力を注ぎこみそれをさらに強固な物へと変えていく…………けれどそれは自分の身を守るためではない。
魔法使いにとって魔力は目に見えずとも感覚で捉えられるものだ。それなのにリーフが位置を悟られていないのは森中が彼女の魔力で満ちていて紛れているからだ…………しかし魔力障壁というのはその魔力を集めて生み出すものだ。いくら森中に彼女の魔力が満ちていても魔力障壁として固まっている部分を見つけ出すのは魔攻士にとって容易い。
けれどそんな感覚的な部分を魔攻士でもない哉嗚が分かるわけないし、リーフもあえてその点を説明しなかった…………だってその方が危険はリーフに集中する。彼女は哉嗚を危険にさらしたくないのは変わっておらず、その説明をしないだけで彼の指示に従ったまま危険を自分に惹きつけることが出来るのだ。
つまるところ毒ガスの狙いは失敗してもリーフに魔力障壁を展開させてその位置を把握することにあったのだろうと彼女は思う。そしてリーフが魔力障壁を展開することを想定しているならそれを破る手段も持っているだろう…………だが、関係は無い。
守れないなら潰すだけ…………それはずっと彼女がやって来たことなのだから。
◇
「三位の位置に間違いはなさそうだな…………嫌になるくらい強固な魔力障壁だ。あれなら目標を見失うなんてことは無いだろうよ」
リーフのいるであろう方角を感覚の目で見ながらニルは顔をしかめる。そこにあるのは城塞どころか聳え立つような岸壁だ。
それは魔攻士から見れば試しに攻撃して通じるか確認しようなどと思えるものではなく、感知した瞬間に息をひそめて逃亡を選択するような実力差をでかでかと見せつけている代物だ。
「あからさますぎませんか?」
それに部下が不安な表情を浮かべる…………いや、ずっとその表情は変わっていなかった。
「十中八九こちらの狙いには気づいているだろうな」
毒ガスをやり過ごすだけなら魔力障壁を薄く纏うだけでいい。その程度であれば森に満ちた魔力に紛れてその位置を悟られることは無かったはずだ…………つまりこれは明らかな挑発だった。
自分はここにいるから狙って来いと主張しているのだ。
「だが安心しろ、俺の魔法は初見殺しだ」
ふん、と強がりではなくニルは口にする。
「三位は慢心せず全力で待ち構えているんだろうが…………それ自体が油断だ」
自身が絶対的強者であるという驕り、それが油断に繋がっている。自分であれば万全の態勢で待ち構えればいかなる相手にも敗れはしない…………そう考えること自体が油断なのだ。
「だからやれ」
ニルは部下に命じる。しかし彼の部下はすぐには動かない。
「やらなければ勝ち目はないし、勝たなかったら逃げても俺たちに未来は無い」
「…………わかりました」
睨むように告げてようやく部下は頷き、ニルへとその手を翳す。
「全力でやります」
「それでいい」
中途半端に手加減されてリーフに対応されることが最悪なのだから。
「やれ!」
そう告げた瞬間、ニルの視界は凄まじい勢いで疾走を始めた。
◇
それなりに規模の大きい魔法が森の外で使われたのをリーフは感知した。魔法とは魔力を用いて引き起こされる現象なので大きく魔力が動けばそれは感知できる。問題はそれがなんの魔法であるかだ。
引き起こされた現象によってはもはや魔力が絡んでいないことも多く感覚だけでは把握できない。
だがリーフには自身の生み出した大量の植物がある。彼らと共有した感覚は魔法の発動と同時に自身目掛けて高速で飛んでくる物体を捉えていた。
それが魔法により生み出されたものか魔法によって打ち出されて接近しようとする魔攻士かどうかを判断するにはその速度が速過ぎる…………故に、何も考えずに対応するのが最善手だとリーフは判断する。
「潰せ」
その為の仕込みはすでにしてあった。飛来する何かに対して森が蠢き、まるでそれが巨大なアギトのように木々が伸びて左右から飛来物を押し潰さんとする…………だが止まらない。その大質量をものともせず、その速度を減じることもなくそれはリーフへと更に距離を縮めた。
「っ!?」
対応されたこと自体は驚くべきことではない。魔法には相性があり物理的な効果を発する魔法に対して無敵に近い魔法を擁する魔攻士だっている。リーフの使うのが植物を生み出すという魔法である以上は物理的な効果しか及ぼせないので、基本的にはそういった手合いは圧倒的な質量と魔力量の差で防御の上から圧し潰すのが常道だった。
だが今の状況は違う。こちらの攻撃で潰れなかったのは問題ないが、それで動きを止められなかったことは問題だった。相性差を魔力差で覆すなら時間が必要だが、相手の動きを止められないならその時間を稼げない。
逃げろ
そうこれまで培った経験が訴える。別にリーフに戦いに対するプライドなどない。グエンから逃げ出した時もそうだったように戦わず逃げることにも何の躊躇もなかった…………そして逃げるだけなら容易い状況だ。
彼女が魔力障壁を展開するまで位置を掴めなかったという事は相手に有能な索敵役は居ないという事。それであれば魔力障壁を解いて自身の魔力に満ちたこの森の中へ再び紛れてしまえば相手は簡単に見失う…………けれどそれは出来ない。
「哉嗚は、私が守る」
自分を討ち取れると判断する手段を持つ危険な相手を彼の元にやるわけにはいかない。
その一心を胸に、リーフはより大規模な魔法を起動すべく思考を巡らせた。
◇
ニルの魔法は切断である。イメージとしてはあらゆるものを分断する刃を自身の周囲に生み出してそれを振るえるというもの。その数に制限はなく、また彼が知る限りで切断できなかった物体は存在しない…………その刃が届きさえするのならば、リーフどころかあの炎の魔王の魔力障壁すら切り裂いて殺すことは可能だろう。
問題はそう、その届きさえすればという点だ。
ニルが思うに魔法というものは対人戦において殺傷性の高さはあまり必要ではない。なぜならそれを振るう相手が人間である以上は殺すことそれ自体に大した威力は必要ない…………どれだけ強力な魔攻士であっても転んだ拍子に頭を打って死ぬことはあるのだ。
威力が最低限でいいのなら、結局のところ人間同士の殺し合いはそれをいかに届かせることが出来るのかになる。もちろんその際に堅い守りを破るための威力が必要になることもあるだろう。けれどそれは別の方法で回避できる可能性もあり、結局は手段の一つであって必須のものではない。
以前チームを組んで任務を行う珍しい魔攻士達がいたが、彼らなどその最たる例だろう。彼らは転移魔法の使い手を巨人機のコクピットに直接送り込むことを奥の手としていた。それこそ彼らは威力を最低限に抑えそれを届かせることだけに特化していたと言える。
そして肝心のニルの魔法と言えば威力は過剰にありながらもそれを届かせる手段が極端にかけていた…………つまるところその射程が異常に短い。あらゆるものを分断できるその刃が届くのは精々自身から一メートルの範囲であり、並の人間程度の身体能力で戦闘中にその距離まで相手に接近するのは並大抵のことではない。
それを可能にするには相当の無茶が必要であり…………その無茶をこなしてきたからこそニルは魔攻士としてそれなりの位置に登ることが出来た。
「が、あああああああああああああああああああああああああああ!」
そして今もその無茶を行っている。風魔法の使い手によるニル本人を対象とした射出。もちろんいかに高速に彼を撃ち出そうとも魔法使いならば迎撃は可能だろう…………だが、リーフ・ラシルの魔法であれば彼はその全てを切り裂ける。彼女の魔力障壁も含めた障害となる物を全て切り裂いて自身の魔法の射程距離まで接近できるのだ。
唯一の懸念は完全なる逃げに回られることだったが…………それも彼女の油断と慢心によって取り除かれた。もちろんそれはニルの想像とまるで違う理由によるものではあったが、結果が同じであれば大した違いではありはしない。
届く。
届く。
届く。
それは祈りでもあり確信でもあった。
そしてその全てを、彼の眼下から放たれた光の奔流は消し飛ばした。