十七話 看破
戦闘が開始して二十分ほど経過したが、哉嗚の目からは現状は順調のように見えた。
貧民たちはリーフの誘導によってキゼルヌたちの待つ森のるつぼへと集まり、そこで速やかに無力化して保護されている。
貧民たちに紛れているであろう魔攻士達であればそれを破るのも容易いだろうが、それをすれば自らの位置を露呈しリーフに狙い撃ちにされる。相手もいずれは覚悟を決めて姿をさらすだろうがその稼げた時間で多くの貧民を保護できる…………現状はそれがうまく行っている形だ。
「…………」
しかし哉嗚はそれが腑に落ちない。言っては悪いがこんな反撃くらいは相手だって想定してしかるべきだ。それが無策のまま手をこまねているというのは考えづらい…………で、あればこの状況は裏で何かが進行していると考えるのが妥当ではないだろうか。
「ユグド」
その考えを確かなものにするために哉嗚は頼れる相棒の名前を口にする。
「なんでしょうか、哉嗚」
「ユグドは今の状況をどう思う?」
「静かすぎる、と判断します」
「ユグドもそう思うか」
同様の懸念が返って来たことに哉嗚はほっと安堵を覚える。自分の意見の正否を確認できる相手が身近にいるのはやはり安心感がある。もちろん哉嗚には高島などの信頼できる部下もいるが、皆を率いる隊長という立場からすると判断の正否は尋ねにくい。
気兼ねなくそれを尋ねられる対等な相手は貴重だった。
「哉嗚ならこの状況でどうしますか?」
「まず派手な手段はとらない」
リーフ相手に自分の位置を晒すような手段は悪手に過ぎる。
「同感です、そもそも前提としてあちらはリーフの位置を知りません」
「そうだな」
本来であれば魔法使いはお互いの魔力でその位置を感知できるらしいが、リーフが生み出したこの森には彼女の魔力が張り巡らされているのでその位置を把握できない…………らしい。
「つまりあちらは何らかの方法でリーフの位置を把握するか、リーフがどこにいても構わない形で攻撃を仕掛けるしかない」
前者は可能ならすでに仕掛けていてもおかしくはなく、しかし後者であれば派手な手段を取らないという前提に矛盾するし…………そもそもそれができるようなら正面からリーフと戦えるように哉嗚には思える。
「広範囲で、地味な方法か」
結論からするとそうなる…………恐らく速効性はそれほどない。スピードを優先すればどうしても隠密性が低くなって派手になってしまうからだ。
「毒…………毒ガス、か?」
「はい、哉嗚。その可能性は十分にあります」
超人たる魔法使いに対して真っ先に思い浮かぶのはいかに正面から戦わずして相手を倒すかだ。そしてその方法で真っ先に挙げられるのは毒…………それも相手に気付かせず吸わせやすい毒ガスなどになるだろう。
実際に哉嗚がスヴァルト軍の過去の戦術などを調べた限りでは、強力な魔攻士に毒ガスが使用された記録がいくつかあった。
「でも、今のスヴァルト軍はその戦法を選んでいない」
確かに魔攻士に対して毒は有効ではあった。いかに魔法による強力な攻撃手段を持っていようが毒に侵されれば関係は無い。毒を癒すような魔法を持つ魔攻士ももちろん存在したが全ての戦場にいるわけではなかった…………けれど、毒ガスが有効だったのはそれがアスガルド側に知れ渡る前だけだった。
知られた結果、それは有効な戦術ではなくなり現在に至っては廃れてしまったのだ。
「ユグド、キゼルヌさんに通信を繋いでくれ」
「了解です、哉嗚」
恐らくはアスガルド側でも有効ではないとされる戦術…………だからこそ、この戦場では意味があるように思えた。
◇
「貧民たちが魔力障壁を展開しているか、だと?」
緊急の要件だと繋がれた哉嗚からの通信にキゼルヌは怪訝な表情を浮かべる。魔攻士が戦闘中に魔力障壁を展開するのは当たり前のことで、それは貧民であっても変わらない。むしろ彼らは弱者であるからこそより怯えて魔力障壁を維持することだろう。
「でも彼らは素人ですよね」
「む」
言われてみると確かにキゼルヌは違和感を覚えた。彼の見たところ貧民たちはその全員が魔力障壁を維持していた…………しかもよく観察してみれば彼らの悲壮な表情は状況ゆえというより、障壁を必死で維持しているからのように見受けられる。
魔力障壁それ自体は素人だって展開は可能だ…………しかしそれを途切れることなく維持し続けるのはそれなりに訓練が必要である。それをほんの少し前までは戦闘要員では無かったはずの貧民たちが行っているのは確かにおかしさを感じる。
「君はどう考えている?」
「毒ガスではないかと」
「なるほど」
可能性はあるとキゼルヌは哉嗚の意見に納得した。無色透明で無臭の毒ガスを生み出せる魔攻士は長老会も手駒として持っていた。その魔法は戦争にはほとんど役に立たないが、平時に邪魔者を粛正する際には有効に働いたからだ。
「しかし毒ガスなど貧民ですら簡単に対処できる代物だぞ?」
それらの魔攻士が戦争では役に立たなかったのはそれが理由だ。巨人機が主力となったスヴァルトは軍にはもちろん通じないし、同じ魔攻士に対しても魔力障壁を展開するだけで対処されてしまうという大きな欠点があるからだ。
魔力障壁は魔法使いであれば誰でも展開可能な障壁だが、術者にとって必要な物は通すという性質がある。そのおかげで長時間魔力障壁を展開しても空気を取り入れ可能で呼吸を阻害することはなく、逆に不必要な毒ガスなどはきっちりと遮断してくれるのだ。
戦闘中は不意打ちを防ぐため魔攻士は魔力障壁を基本は維持する。もちろんそれは最低限度のもので脅威に対してはより強固なものを展開するが、毒ガスに関して言えばその最低限度で防げてしまうものでしかない…………だから実戦で使われることは無くなった。
「ですがそれは臨戦態勢の話でしょう?」
戦闘中でなくては流石に魔攻士だって魔力障壁を維持はしない。
「今は戦闘中だが…………あー、確かに彼女はそう判断していないかもしれないな」
リーフ・ラシルにとって現状はまだ戦闘と呼べるようなものではない。そもそも彼女は魔力障壁を展開せずとも自身の魔法によって強固な木々の防壁を作り出せる…………その内側に籠り安穏としているのであれば毒ガスが届きうる可能性はあった。
「しかしリーフの位置がわからず森中に毒ガスを充満させるというのなら流石に気づきそうなものだが…………その為の貧民への魔力障壁の強制か」
貧民であれど魔力障壁さえ維持すれば毒ガスは防げる。事前に障壁を維持しなければ死ぬと伝えれば彼らも必死になって障壁を維持するだろう…………そして敵側のキゼルヌたち魔攻士はその染みついた習性から勝手に魔力障壁を維持して毒ガスを防ぐ。
もちろん森には魔力障壁を展開することなど出来ない野生動物なども存在する。しかし拠点としている辺りは元々森があった場所だが、戦場となっているこの辺りはリーフが魔法によって生み出した人工の森であり原生生物は存在しない。
「なるほど、誰も気づかぬままリーフにだけ届く可能性はありうる」
意識せずとも防がれるものだからこそ毒ガスは気づかれずに森に充満する。問題はリーフが少しでも慎重な性格であればそれだけで防がれる可能性があること…………しかし彼女はアスガルドにおいて三番目の有名人であったと言っても過言ではない。資料に置いては事欠かないだろうからその性格を読み切られている可能性は十分にあった。
「だが君が気付いたならそれだけで頓挫したわけだな」
何せ対処法は簡単だ。リーフにそれを伝えて魔力障壁を維持させるだけで済むのだから。
「ええ、それはこれからすぐに伝えます。キゼルヌさんには貧民たちの安全確保をお願いします」
「ふむ、それは確かに必要だな」
キゼルヌたちはリーフに誘導された貧民たちを眠らせて保護していたが、当然ながら意識を失えば魔力障壁も消えてしまう。現状ここまでは毒ガスが届いていないようだが、届く前に対処しなくては彼らを保護した意味がなくなる。
「ただ」
話はそれで終わりと通信を切らず、哉嗚は会話を続けた。
「彼らの作戦がこれで終わりってことは無いと思います」
「まあ、それは当然だろうな」
リーフを打倒するための乾坤一擲の作戦と言うには確実性が低い。仮にキゼルヌであれば失敗する前提で作戦を組むことだろう…………なにせそれはあちら側の主力が絡んでいない作戦のはずだ。
毒系統の魔法を使う魔攻士のランクは実用性の低さから高くない。リーフを討伐しようという軍なのだから当然上位の魔攻士を派遣しているはずだ。普通に考えればそれらの魔攻士を組み込んだ本命の作戦を用意する。
「油断しないよう留意しよう」
「お願いします」
それを最後の言葉として通信は切れた。
「ふむ、真面目な男だな」
だからこそ苦労しているだろう。
そう考えるとキゼルヌは哉嗚に共感が持てた。
◇
「どうやら気づかれたようです」
「そうか、あまり期待はしてなかったが残念だ」
部下の言葉にニルは大きく溜息を吐く。期待はしていなかったが毒ガス作戦はこちらの損耗無しでリーフ・ラシルを討ち取れる唯一の可能性だった…………それが失敗したとなるとやはり落胆はする。
「向こうに時間は与えられん、すぐに本命の賭けに出るぞ」
「大丈夫、何ですか?」
「さあな…………失敗した後のことは任せる」
無責任ではあるが他にやりようもない。むしろ覚悟を決めたことでニルの内心は落ち着いていた…………投げやりになっただけかもしれないが。
「ああ、そう言えば監督官殿はどこにいる?」
「到着した際には確かに居ましたが、今は姿が見えませんね」
「だが監視はしてるんだろうさ」
ヴァーリにとって討伐軍が勝とうが負けようが関係は無い…………自分達が不穏な行動を見せた時にだけ動くつもりなのだろう。
前も後ろもニル達には敵しかいない…………それは貧民の立場と何も変わりが無いのだ。