十六話 開戦
「宮城中尉。アスガルドの伝令より通達、ムスペル軍の出現を目視で確認したとのことです」
「ついに来ましたか」
高島からの報告に哉嗚は頷く。魔法使いによる軍は通常の進軍ではなく文字通り唐突に出現してくる。巨人機がいくら高機動といっても移動時間をゼロにする転移魔法に比べれば亀のような遅さだ…………けれどそれは今更驚く事ではないし、そういうものだと受け入れて対応するしかない。
「敵軍の位置は?」
「森から一キロほど離れたところに出現し、現状はそのまま布陣しているようです」
「流石にうかつに踏み込んでは来ませんね」
先方もリーフの存在は承知の上だ。植物を生み出す彼女の魔法を知っているなら森に踏み込むのはその口の中に飛び込むようなものでしかない…………流石にいきなりそんな愚かな真似を相手もしてこなかったようだ。
「かといってそのままじっとしているわけではないでしょう」
森の外から攻撃したところであちらに勝ち目はない。距離があれば魔法の撃ち合いになるがそれだと戦略が入る余地が少なくなり必然的に単純な力のぶつかり合いになる。そしてその場合戦略魔攻士三位であるリーフに敵うはずもない…………つまり相手は何かしらの方法で距離を縮めるしかないのだ。
「ええ、だから僕らはそれまで待機ですね」
哉嗚達スヴァルトの援軍は相手側に知られていないジョーカーだ。つまるところ相手のリーフを殺すための作戦を破綻させられる状況で存在を明かすのが理想的だ。
「中尉はどう動いて来ると思いますか?」
「まずは貧民たちを攻めさせてくると思います」
討伐軍の主力と呼べる魔攻士の数は恐らく少ない。その大半は貧民と呼ばれる大した魔法の力も持たない雑兵以下の存在だ。それがどれだけ集まったところで哉嗚達どころかリーフ一人で一蹴される程度でしかない…………だが、来るだろう。ムスペルにとって今回の討伐はアスガルト残党を排除するのと同時に、不要な貧民を処分する場でもあるのだから。
「囮、ですか」
「言い方は悪いですが他に使い道は無いと思います」
大軍で攻めて立ててもリーフが薙ぎ払えば一瞬だが、出来れば貧民は生かして保護したいというこちらの方針は向こうも気づいているだろう。だとすれば向こうの有効な戦術としてはそれを利用して貧民の中に戦力となる魔攻士を紛れ込ませることだ。
本来であればリーフに対しては接近することすら難しいが、貧民を囮とすることで攻撃を受けることなく接近することが出来る。
「貧民を囮にして距離を詰め、リーフに何らかの刃を届かせる…………そんなところだと思います」
圧倒的な力を持った個であるリーフを正面からどうにかできるのはそれこそ炎の魔王グエンくらいのものだろう。けれど討伐軍だって勝てる可能性が無い限り攻めては来ないはずだ…………少なくとも貧民を率いる側の連中は、だが。
そして正面からその刃が届くならその名はリーフより上にあって知られているはずだ。だとすればやはり相手は距離を詰めてから不意打ちを狙っていると考えるのが自然だろう。
「とすれば我々の役目はその刃を砕く事ですか」
「そうなりますね」
相手の最大の攻撃を不意打ちで砕き、そのまま押し切る。
成功すればそれは最小の犠牲でこの戦いを納めることが出来るはずだ。
◇
「来た」
森の中のひと際太く見える樹の中にリーフは身を潜ませていた。もちろんそこから外の様子は全く見えないが、自身の生み出した植物の感知したものを彼女は全て受け取れる。それはこの森中にリーフの目と耳が付いているようなものなのだ。
そしてその感覚はリーフに敵の軍勢の中から貧民たちが動き出したことを伝えていた。彼らは怯えながらも時折後ろから放たれる魔法に恐怖し、焦る様子で森へと踏み込んで来る。
彼らを葬ることはリーフにとって花を摘み取るより簡単な事だ。それこそ配置した植物たちに命じるだけで絞殺すことなど容易い。
「面倒だけど、哉嗚の頼みだから」
けれどリーフはそれをしない。別に貧民を殺すことそれ自体に抵抗はないが、前回はキゼルヌからで今回は哉嗚から直接彼らを生かすよう頼まれている。しかし問題なのは彼女が手加減が苦手であるという点だ。まとめて薙ぎ払うのは簡単だが死なないよう捕獲するだけに留めるなら対処できる人数は大きく目減りする…………その上で貧民に潜んでいるであろう敵魔攻士を区別するのは困難だ。
だがそんなことは哉嗚やキゼルヌもよくわかっている。プライドの高い上位魔攻士であれば自身の欠点は隠そうとするものだがリーフはそうではない…………そしてそれを知らされたならば出来る事だけやって貰えばいいと哉嗚もキゼルヌも判断した。
「迷いの森」
リーフがそう呟くと森が蠢き始める…………けれど森に踏み込んだ貧民たちはそれに気づけない…………元々深い森というのはまっすぐ歩くのが難しい。木々によって歩行は嫌でも曲げられるし似たような風景ばかりで目印もつけづらい。
それが気づけない程度の些細な変化であってもその進行方向を誘導するのは容易いのだ。
「後は待つだけ」
呟くとリーフは植物の蔓で編み上げられたハンモックへと体を預ける。一度命じた以上は森の植物たちは自動で侵入者を惑わし続ける。仮に貧民たちがそれに気づいても彼らの魔法では抜け出すことは敵わないだろう…………それができるのは貧民に紛れているであろう上位の魔攻士のみ。
けれどそれをするという事は自らその存在を明かすようなもの…………リーフへの不意打ちを狙っているであろう彼らからすれば容易くは決断できないであろうジレンマだ。
後はただ相手がぼろを出すのを待つだけ。悠然とそれを待てるのは彼女が圧倒的な強者であることと…………傍に絶対の信頼を抱ける相手がいるからだった。
◇
「ふう、お姫様はちゃんとこちらの指示に従ってくれたか」
なにもわからぬまま誘導されてくる貧民たちを見てキゼルヌは安堵した表情を浮かべる。彼はリーフという少女の事を正確に理解していた…………基本的に彼女は面倒ごとが嫌いな人間だ。手加減が苦手なのもなんてことは無い、これまで手加減を覚えるという努力を面倒がってやって来なかっただけのことだ。
そもそも彼女は宮城哉嗚と言う人間以外に対して殆ど価値を見出していない。それ以外の存在に対する冷淡さは他者を見下しまくっていた第二位と比べても上なくらいだ。あのプライドの塊であった第二位でさえ利用価値という点で下の人間に価値を見出していたが、リーフの場合は間違いなく利用するのが面倒だと感じている。
「あの姫様が彼を裏切るような真似はしないと思いますけど」
部下のナナイがその魔法で貧民たちを眠らせながら答える。さらには別の部下が眠らせた貧民たちを念動の魔法でまとめて運んでいく。キゼルヌたちがいるのはリーフが森の中に作ったある種のるつぼだった。貧民たちは森の中を誘導されて一か所に集まって来る…………そこをまとめて彼らが処理しているのだ。
「恋に盲目というのは厄介だよ。宮城中尉の為ならなんでもするというのなら、彼を抑えてしまえばどうにでもなるのだからな」
仮に哉嗚を人質に取ってキゼルヌを裏切るように命じられればリーフは迷わずに裏切るだろう…………結局彼女からすればキゼルヌ達の存在なんて哉嗚と距離を縮めるための小道具に過ぎないのだから。
「それに、破局した場合にどうなるかわらかん」
「破局も何もまだ付き合ってすらいないようですが」
「だからこそ頭が痛いんだろうが」
これで二人が恋人同士というのならキゼルヌも頭を悩ませはしない。すでに結ばれて安定しているものを維持するのはそう難しい話ではないからだ…………しかしリーフの一方的な片思いとなれば話はまるで変わってくる。
「下手をすれば彼に振られただけで敵に回る可能性すらあるんだぞ」
傷心のリーフがどう動くは予測不能だ。落ち込んで戦力にならないならまだマシで、自棄になって敵に回られたらどうしようもなくなる…………彼女の存在は戦力としてもだがアスガルト残党がまとまるための象徴として不可欠なのだから。
「ええとでも、悲観するほど仲が悪いようには見えませんでしたよ」
もちろん哉嗚の側に気を遣っている様子は見られたが、比較的打ち解けているようにナナイには感じられた…………元が殺し合っていた敵同士であったことを考えればそれはものすごい進展であり可能性を感じさせるものだった。
「これは出来れば打ち明けたくなった話だが」
それにキゼルヌは沈痛そうに口を開く。
「スヴァルトから送られてきた資料によれば彼には同棲する恋人がいるそうだ」
「ひ、一人くらいなら…………」
「あちらの国は完全な一夫一妻制だよ」
アスガルドでは一定以上の順位の魔攻士であれば一夫多妻が認められている。その理由は単純でより強力な魔攻士の子孫を多く残したいと考えているからだ。しかしそれに対してスヴァルトは完全な一夫一妻制を取っており妻以外との関係は不貞として見咎められる。
社会としてそれのどちらが正しいかをキゼルヌは問うつもりはないが、現実として哉嗚が同棲相手と破局しない限りはリーフが妻の座を勝ち取る可能性は無いだろう。
「そこはその、協力を餌にスヴァルト側から同棲相手と別れてお姫様と付き合うように矯正することも出来るのでは?」
「それができるなら私も苦労はしない」
スヴァルトの軍人は命令に忠実だし、哉嗚の人柄からすれば戦争終結の為であれば私心を犠牲にすることは厭わないだろうと思えた。恐らく彼は国から命令されたなら同棲相手に別れを告げてリーフを愛そうと努力するだろう…………問題は、それをリーフが受け入れるかだ。
「彼女がグエンから逃げて来た時のことを聞いたがね、彼は宮城中尉を奴隷として彼女が所有することを認めると言ったそうだよ…………それを蹴って彼女はここに来たわけだ。奴隷として自由意思を奪われた宮城中尉を手に入れても意味がないとね」
だとすればそれが軍からの命令であっても同じことだ。哉嗚の本意ではない形で結ばれてもリーフは喜ばないどころか反発してこちらに見切りをつける可能性すらある。
「つまるところ正攻法で同棲相手の彼女から彼を奪い取る必要があると?」
「そうなるな」
キゼルヌは大きく溜息を吐く。
「あの、正直に申し上げればそれはムスペル軍と戦うより大変なのでは?」
「私もそう思う」
単純に戦うだけならどちらが強いかで済むが恋愛はそうもいかない…………ましてやそれをするのはリーフなのだ。お世辞にも容姿以外で異性を惹きつける魅力があるとは言い難いい。
「嫌われていないのは救いではあるが…………」
しかしそれはマイナスではないというだけであって恋愛面でプラスなわけではない。普通の友人関係を結ぶのは容易そうではあるが、それ以上となると難易度は跳ね上がる。
「キゼルヌ様、その事は当事者同士に任せて今は目の前のことに集中しませんか?」
「…………そうだな」
棚上げではあるが目の前の戦闘も手を抜いてよい類のものではない。
「しかし胃が痛い」
なぜ自分が娘のような年齢の相手の恋愛で悩まなければならいのかと、自分の境遇をキゼルヌは少し呪った。




