幕間 プライド
「ふん、誤差はほとんどないようだな」
両手を自分の前まで持ち上げるとそこには金属で形作られた巨人の手がある。その理屈について詳しいも説明も一応されたが、自身の挙動と誤差もなく機体を動かせるものであるという理解があれば充分だろうと彼は思う。
「有用であるのは認めるが、な」
それはモーショントレースシステムと呼ばれる巨人機の操縦形式の一つ。全身に無数のセンサーを埋め込んだスーツを着て専用のコクピットに乗り込み、操縦者の動きそのものを反映させて巨人機を動かすというもの。
この形式の最大の利点は自分の身体を動かすのとまったく同じ挙動で機体を動かせるというところだ。パイロットの意思そのままに機体が動くのだから咄嗟の反応も早くなるし、細かい挙動だって思う通り簡単に行える。
だがその最大の欠点も自身の動きが反映されるという点にある。つまるところこのシステムは機体を動かすのに自分が動く必要があり…………端的に言えば疲れる。機械という人間の労力を代用させるはずの道具に乗りながら、普通に動くのと同様に体力を消耗してしまうのでは本末転倒。
そしてその代償を払いながらも、その挙動はAIのサポートを受けた通常の操縦とあまり変わらないレベルなのだ。
「軟弱な奴らだ」
しかしその欠点を彼はその一言で終わらせた。元々己の身で戦っていた彼からすれば戦闘で体力を消耗することなど当たり前であり、その上でAIのサポートとやらを上回る挙動を行ってやればいいだけのこと…………つまりそれができないスヴァルトのパイロット連中が軟弱なだけだ。
「的を出せ」
彼が告げると何もない空間だった試験場の床から数機の巨人機がせり上がって来る。それを確認すると同時に走り出し一瞬でその距離を詰める。巨人機と生身の身体では当然距離の感覚も違うのだが、彼は何の違和感もないように機体を動かしていた。
「ふんっ」
距離を詰めた勢いのままに標的の巨人機の頭へと拳を叩きつける。的といっても自律行動で回避や反撃を行ってくると説明されていたが、少なくともそう言った反応を見せる前に一機は大破して床へと転がった。
「鈍い、なっ!」
一機が破壊されようやく残る巨人機がこちらへ迫ろうとするが、手近の一機を回し蹴りで吹き飛ばす。それは他の一機も巻き込んで試験場の壁まで飛んでいき、二つのスクラップをその場に生み出した。
「これで終いだ」
最後に残った一機へと滑るように距離を詰め、流れるように胸部へと掌底を打ち込む。大きな陥没がその巨人機の胸へと生まれ、いくつかの小さな爆発を起こして後ろへと倒れてた。
「…………大したものだ」
鎧袖一触。けれどその口からは賞賛が漏れる。今しがたの攻撃で彼は体を動かしただけだでありその本領を一切発揮してはいない。それでも紙のように標的となった巨人機達を葬れたのは単純に機体性能に圧倒的な差があったからだ。
もちろんそれは彼の本領からすれば微々たるものでしかない…………だが、何の力もない人間であってもこれだけの力を振るえるようになる技術、それを直接実感すると流石に彼も賞賛を口にするしかなかった。
「次の的を出せ。武装も使って構わん…………次は強化を試す」
巨人機の真価はその兵装にある。今しがたのように素手で掴みかかって来るだけなら言葉通りの的でしかない。体の慣らしは今ので済んだので次からが試験の本番となるだろう。
「一応念のために確認しますがセーフティは万全ではありませんよ?」
先ほどのようにすぐに標的はせり上がらず、代わりに女の声がコクピットに響く。
「構わんと言っている。むしろ殺す気で設定しろ」
「わかりました」
彼がそう返すとあっさりと女はそれを受け入れた。別に彼を心配していたわけではなくあくまで言葉通りの一応の警告。データとしてより良いものが得られるなら仮に最悪の事態が起こっても構いはしないのだろう。
「では出します」
そう女が口にした直後に巨人機達がせり上がって来る。その全てが最初からレーザライフルを構えており、明らかに先ほどとは違う反応速度で彼の機体を視認してその引き金を引いた。
「ちっ、あの女」
舌打ちしつつその身を捻ってレーザーの射線から外す。三つの光の奔流が機体すれすれのところを通り過ぎ、さらにあえて射撃を遅らせていた二機が狙いすまして引き金を引く。
「こんなものっ!」
強化の魔法を発動させて両手を振るう。それだけで二つの光は弾かれ明後日の方向へと焦げ跡を残す…………そのまま強く右足を踏み込み、その場から機体が消失する。
「らぁっ!」
呼気と共に振り下ろされた手刀が一番奥にいた巨人機を両断する。巨人機のセンサーですらすぐには分析できないほどの速度で移動した彼の機体を、それでようやく他の機体も認識するがすでに遅い…………レーザーライフルをそちらに向ける頃にはもうすでに彼の機体はいなかった。そのままほぼ同時とも言えるようなスピードで残る巨人機達を解体していく。
「ふん」
結局先ほどの五機よりも早いスピードで彼は全て片付けた。普段が生身で行っていることを巨人機でやったのだからある意味当然の結果だ。強化の魔法はその対象の元々のポテンシャルが高いほどより高い効果を発揮するのだから。
「結果は良好のようですね」
「この機体に俺の細胞とやらが組み込まれているというのは気分悪い話だがな」
本来彼の強化魔法が適用できるのは自身の肉体のみだった…………それがこの機体にも適用できるようになっているのはそういう理屈だ。彼の細胞が組み込まれているという金属を彼自身の肉体と魔法は見なしているらしい。
「これならあれ相手にも多少はもつだろう」
「それは重畳です」
言葉と裏腹に相変わらず女の声は平坦なままだ。
「それならば、時間稼ぎの役目は充分に果せますね」
「…………そうだな」
押し殺すように彼は答える。
「意外ですね」
それに珍しく女は言葉通りの感情を覗かせる。
「プライドの塊のようなあなたであれば激昂してもおかしくはないと思いましたが…………まあ、そもそもこのような状況になっている時点でおかしいわけですけれど」
敵国の兵器を使い、しかも実用に足るかという実験を許容している…………それはかつての彼の素性を知る女からすれば意外な事ではあった。
「ふん、確かに俺のプライドは高い」
彼はそれを認める。付け加えるならそのプライドは大きく歪んでいたことも自覚していた。
「だが、だからこそやらずにはおれんという話なだけだ…………例えかつての己にとっての恥辱に塗れようともな」
苦々し気に彼は答え…………その要因となった日のことを思い出す。
◇
あの日、目の前の全てが赤に染まり…………絶望と共に彼の意識は闇へと途切れた。その意識は目覚めることなく永遠の闇に包まれることだろうと彼自身も察していた。
「…………こ、こ、は?」
それがそうでなかったと知ったのは見知らぬ場所で目覚めた時だった。あまり上等とは言えない木造りの天井。周囲を見回そうとして体が異様に固く動かないのに気付いた。僅かに持ち上げようとした右腕もまるで鉛のように動かない…………そこにちゃんと自身の腕があるかどうかも定かではなかった。
「お気づきになられたか」
そんな彼の様子に気付いたのか、覗き込むように老人の顔が現れた。
「お前、は?」
喉も張り付くような違和感があるが、それでも声は出せた。
「わしは饒村洋二。この村の村長をしておるものじゃ」
「村……だと?」
彼の記憶が確かならばあの付近に村などありはしない。
「どこ、の……だ」
「所属であれば一応スヴァルトになるのでしょうな。位置をお尋ねでしたら両国の境界線である荒野に近いスヴァルト側の山間ということになります」
「スヴァルト、側、だと…………」
アスガルト側の荒野からスヴァルト側の荒野を抜けたとなれば、相当な距離を移動したことになる。
「俺は、どうして…………ここに?」
「茜が山のふもとで倒れているあなたを見つけましてな」
老人が彼から視線を別の場所へと向ける。彼も何とか首を動かしてそこに視線を向けると、七、八歳くらいの少女が部屋の扉から様子を伺うように顔を覗かせていた。
「見つけた時のあなたの状態はひどい有様で…………正直に言えば助かるとは誰も思っておりませんでした。しかし茜だけは諦めずにあなたの看病をずっと続けておりました」
「…………そう、か」
彼は僅かに上げた頭で自身の身体を見下ろす。見える範囲の肌には全て包帯が巻かれ、両手の感覚も鈍く両足に至っては全く感覚がない…………それは彼にとって驚くべきことではなかった。むしろあれで生きているほうがおかしいのであり、現状はそれに比べれば恵まれていると言ってもいいくらいだ。
「さて、確認したいのじゃがあなたは魔攻士ですな…………それも高位の」
「…………」
「先ほども言ったようにわしらはあなたが助かるとは思っておらなんだ。もちろん茜の看病も含め助かるよう手は尽くしたが…………それでも普通ならば助かるはずはない」
それでも命が繋がったのならばそれは彼が普通の存在ではなかったからに他ならない。
「そうだ…………今は、満足に……動けも、せんが、な」
例え殺されようとしても抵抗すら出来ないだろうと彼は皮肉気に嗤おうとした…………ただれて固まったその顔の皮膚はピクリとも動かなかったが。
「勘違いしないで欲しいのじゃがわしらにあんたをどうこうするつもりはない。元々わしらは反戦を唱えて僻地に追いやられた者の集まりじゃし…………アスガルドから逃亡した魔攻士も村の一員となっておる」
「…………そう、か」
アスガルドの国民には全て長老会による呪いがかけられている。そのせいでいかに過酷な任務を押し付けられようが魔攻士は裏切ることが出来ない…………しかし長老会が重要視しているのは戦術魔攻士以上の魔攻士達であり下級魔攻士は使い捨てだ。その彼らの一部が行方知れずになっても戦死したと見なしてわざわざ呪いを発動させなかったのだろう。
「この先にどうするにせよまずは大人しく傷を癒すことじゃな」
「…………ああ」
言われるまでもなく、この有様では歩くこともままならない。
「爺様」
話の区切りがついたからか茜と呼ばれた少女が近寄って来る。
「む、治療の時間か」
「うん」
茜は頷き彼を見上げる。
「回復魔法、かけるから」
そう呟く少女をじっと見て、彼は村長へと視線を戻す。魔法を使うと言うが少女の名前はスヴァルト特有のものでありアスガルドで付けられる名前ではない。
「その子は村のスヴァルト人とアスガルドから逃げ出した下級魔攻士のハーフじゃ」
その視線で察したのか村長が説明する。
「もっとも両親ともに病に倒れてしまってな…………お主を助けようとしたのもその姿が二人に重なったからじゃろう」
「…………」
彼はそれに何も答えず、視線を茜へと戻す。
「始める、ね」
少女はそれに少し目を逸らすようにして彼へと手を翳した。するとすぐにその手が淡い緑の光を放ち彼の身体へと浸透していく…………弱い、と彼は感じた。魔法の才能を失ったスヴァルトとアスガルド人とのハーフだからなのだろう、その力は明らかに下級魔攻士よりも弱い。
だが、その弱い力がなければ自分は死んでいただろうと彼は冷静に分析する。確かに上位の魔攻士の生命力は凄まじいが、それでも死に瀕するような重症では自然回復など追い付かずに死ぬ。仮に生き残ったとしても命を守るために四肢は切り捨てられただろう…………今のように、満足動かせずとも回復の見込みがあるような状態にはなりえない。
「…………くそ、が」
それは彼にとって最悪の事実だった。
下級魔攻士以下の、アスガルドでは貧民と呼ばれるような少女に命を救われたのだから。
◇
「俺は貧民レベルの力しか持たないガキに命を救われた…………アスガルドにいた頃なら視界に入れば目障りだと蹴り飛ばしていたような存在に、だ」
「あなたにとってはひどく屈辱でしょうね」
「ああ、屈辱だ」
それ以上にないというような苦々しさで彼は口にする。
「だからこそ、だ…………俺はお前が言った通りにプライドの塊のような男だ。その俺があんなガキに命を救われてそれを仇で返すようなこれ以上の恥辱に耐えられると思うのか!」
相手が誰であろうと救われたのは事実なのだ。プライドがなければゴミが勝手にやったことだと無視できたかもしれないが、彼の高すぎるプライドはそれを許せない。
「あのガキは俺の命を救った…………ならば、それ以上を返すしかないだろうが!」
命を守るのは当然としてそれ以上となれば幸せな人生を送らせるしかない…………それにはグエン・ソールをぶち殺し、この世界を平和にしてやる必要があった。
「その為であれば貴様らにいくらでも力を貸してやる」
「あなたも随分歪んでますねえ」
呆れるような女の声が響く。
「まあ、いきなり改心したとか言われるより信用は出来ますけど」
「ふん、それより次だ」
どうでもいいと彼はテストの続きを促す。
グエンを殺すのに、準備はいくらしても足りないのだと身をもって知っているがゆえに。