一話 勝てない戦争
アスガルドという国がある。東西に大きく広がった大陸に唯一であるその国の人々は物理法則を超えた現象を引き起こす魔法という力を持っていた。しかし生まれの才能に左右されるその力は格差を生み出す…………やがて魔法の弱い人々は虐げられるようになり、その境遇に耐えきれなかった一部の人々はアスガルドから逃げ出した。
逃げ出した人々は遠い地でスヴァルトという国を興し、そこで古代文明の物と思われる遺跡を見つけた。遥か昔の物でありながらもまるで劣化していなかったその中にはこれまで彼らが知る由もなかった知識と技術が眠っていた。当時の彼らにはその全てを理解することはできなかったが、それこそがアスガルドの魔法使いたちに対抗できるものと信じて長い年月をかけその科学の理解に努めた。
魔法と科学、二つの異なる力によってアスガルドとスヴァルトは国を広げ……やがてぶつかった。アスガルドの人々は魔法を使えぬ下等な民族とスヴァルトを見下し、スヴァルトの人々は建国の理由からアスガルドを敵視した。
それから長い戦争が続いた。国境線の荒野はさらに荒らされ、やがて戦線は膠着状態となり多くの命を消耗し続けた。どちらの国も敵国に侵攻かけるだけの余力も、戦力もない…………そう、思われていた。
◇
「そう緊張しなくていい、先に明言しておくがこの場は査問の場ではない」
対面してソファに座る男が威厳ある声でそう告げる…………だが無茶を言わないで欲しいと哉嗚は思った。
緊張するなという方が無理である。何せ目の前に座る年嵩の男性のことは哉嗚どころかスヴァルトの国民であれば誰もがよく知っている。彼を知らないのは精々小さな子供くらいだろう。
スヴァルト軍元帥、辻孝政。つまり軍のトップ。スヴァルトは民主国家とはいえ長く続く戦争で軍部の持つ力は非常に大きい。それを踏まえれば目の前にいる人間はこの国で最大の権力を持つ存在と言っても過言ではない。
そんな人物に哉嗚は呼び出されて対面していたがその理由が全くわからない。哉嗚がやったのは待機命令を無視の上に新型機を強奪しての無断出撃。特に後者が問題で懲罰どころか軍事裁判にかけられてもおかしくない…………それを覚悟していたところで呼び出しからのこの対面だ。戸惑うなという方が難しい。
「ふむ、こう物々しくてはそうもいかんか」
そんな哉嗚の様子をどう受け取ったのか辻は部屋を見回す。ここは襲撃の被害を受けなかった士官用の応接室の一つだ。それなりに豪華な家具が置かれているものの大人数は想定していないのかそれほど広くはない。
その中央のソファに哉嗚と辻が座り、元帥の背後に二人に扉の前に二人、さらに窓際に二人と護衛が無表情で立っていた。
「護衛は必要ない。少し出ていてくれ」
「はっ、しかし!?」
「必要ないと言っている」
「了解しました!」
平坦に繰り返された言葉に慌てて護衛達は部屋を出ていく。
「いいんですか?」
「部屋を出ただけでどうせ扉に張り付いておるよ。襲撃されたとはいえ排除済みでここは我が国の領域だ…………その程度で十分なのに連中は過保護すぎる」
「…………そうですか」
この国のトップの身柄なのだから、過保護くらいでちょうどいいのはないかと哉嗚は思ったが口には出さないでおく。
襲撃を排したとはいえ相手は何でもありの魔攻士連中だ。生き残りがこっそりと基地に潜入して重要人物を狙う可能性もゼロじゃない…………護衛の人達は気が気ではないだろう。
「まあ、仮に君が私の命を狙うというのなら過保護とも言えんがね」
「そんなことしませんよ」
する理由が無い。それに目の前にいる彼は明らかに歴戦の風格を備えている。うろ覚えではあるが辻元帥の経歴は前線からの叩き上げだったはずだ。登り詰めても鍛錬を欠かしていない様子だし、まだ実戦配備されたばかりの自分が敵うようには思えない。
それに仮に成功したところでこの国での哉嗚の居場所がなくなるだけだ。
「それで、そろそろ自分に何の用があるのか教えていただけますか?」
「…………もう一度言うがこれは査問ではない。そう警戒しなくてもいい」
堅さの消えない哉嗚に辻が繰り返す。
「正直に言うなら私は君に期待している…………希望を抱いていると言い換えてもいい。先に結論から述べてしまうが君の犯した軍法違反を咎める気もない。あまり誉められた行為ではないが私の権力で揉み消すつもりだ」
辻は堂々と不正を口にするがそれを咎められる者はこの国にはいない。だがそれよりも哉嗚はなぜ自分にそんなに高い評価を彼は抱いているのかが疑問だった。
「失礼ですが、俺は正式な出撃はまだ一度のみの新兵ですよ?」
今回の無断出撃を除けば訓練後にたった一度の哨戒任務を行ったのみ。しかもその一度で部隊が壊滅して彼だ
けが生き残り、以後は病院でずっと待機だ。とても軍のトップから期待をされるような戦歴ではない。
「謙遜は美徳だが過ぎれば傲慢だよ…………少なくともあれと遭遇して生き延びたのは君の他には存在しない。それを否定するのはこれまであれと遭遇して戦死した全ての将兵に対しての侮辱になるとは思えないかね?」
「…………運が良かっただけです」
「確かにそれはあるだろう…………しかし君はあれに手傷を負わせている。それは称賛されてしかるべきだと私は思う」
その言葉に偽りないというように正面から辻は哉嗚を見据える。
「アスガルド三位の戦略魔攻士リーフ・ラシル。少なくとも我が軍がこれまで傷一つ付ける事も出来なかった相手に君は一矢を報いたのだからね」
「っ」
その名前を聞いて哉嗚が顔をしかめる。思い浮かぶのはあの戦場。先任の兵士達の乗る巨人機が紙のように蹂躙され、なす術もなく自身の機体も破壊された記憶。
その後の出来事を思い出そうとすると哉嗚は恐怖と憤怒の入り混じった何とも言えない衝動を覚える。
「俺は…………見逃されただけだ」
思わず口からそんな言葉が漏れる。手は固く握りしめていた。
「君の乗っていた巨人機は大破したものの記録系統は生きていたから私も映像を見た。確かに君は見逃された形ではあるが、それも君自身が動いた結果だ」
「…………俺に何をさせたいんですか」
さっきから辻は哉嗚を持ち上げすぎている。
「そう邪推しないで欲しいものだな。最初に言った通りは私は君に期待している」
視線は変わらずに哉嗚を見据えたままで彼は答え、肩を竦める。
「とはいえリーフ・ラシルに傷をつけて生き延びたというだけなら私も直に会おうなどとは思わなかった…………現に私は君を数カ月の間放っておいている」
「…………」
治療後の理由も告げられない待機命令。見張りまで立てて基地の隊員とすら接触を禁止されたまま哉嗚は本当に放っておかれていた。
「あれは、何の意味があったんですか?」
「君の判断が知りたかった」
辻は端的に答える。
「あの事実を知って君がどういった選択を取るのか、他の意思を介在させることのない状態で知りたかったのだよ。ああ、一応言い訳させてもらうが君が上層部とコンタクトを取ろうとしたならすぐに私に連絡させるように手配はしてあった」
しかし哉嗚はただじっと待機命令を守り続けた。
「半ば隔離させてもらった理由は言わなくてもわかるだろう…………君が知った事実は広められると困るものだ」
威圧を込めたような視線が哉嗚へと向けられる。
「この戦争が、絶対に勝てない戦争だという事がですか?」
「そうだ」
その威圧に負けずと視線を返す哉嗚に辻は頷く。
「大局的に見て現状の我が軍は非常に優勢だ…………だが勝てない」
スヴァルトの主力は搭乗型の人型機械である巨人機だ。
僅かな燃料で莫大なエネルギーを生み出すリアクター。
そのエネルギーを背景に魔攻士の魔力障壁を貫通する光学兵器。
機体の推進力であり魔攻士の様々な魔法を無効化する斥力発生装置。
それらを万全に運用するためのサポートを行う高性能のAI。
そのどれもが未だに原理を解明しきれていない古代文明の驚異的な技術の賜物だ。
そして巨人機の性能はアスガルドの平均的な魔攻士の能力を大きく上回っている。数を集めれば戦術級魔攻士だって相手取れるだろう…………そして何よりの強みが量産品であること。
未だ巨人機の兵装は詳しい原理こそ解明されていないが生産工場自体はそのまま残っており複製も可能なのだ。
それに対して魔攻士は生まれの才能が全てであり成長に時間が掛かる、だが道具でありAIによるサポートのある巨人機は個人の才能に左右されにくく補充が容易だ。
「戦争というものは個人の武勇ではなく戦略によって行うものだ…………その観点から言えば我が軍はすでに勝っている。現状動員できる総戦力で一気に侵攻すればアスガルドの戦力では支えきれない。首都侵攻まではあっという間だろう…………そして我が軍は負ける」
馬鹿馬鹿しい話だと言うように辻は息を吐く。
「戦略が個人の武勇によってひっくり返されてな」
「…………戦略魔攻士」
苦々しい口調で哉嗚が呟く。アスガルド最強の魔攻士たち。その力は文字通りに戦略級でありその称号が与えらえているのはたったの三人。その力は絶大で彼らの出現した戦場で全てにおいてスヴァルトは大敗を喫している…………だがそれでも大多数のスヴァルト軍人は危機感を抱いてはいない。戦略級と呼ばれていてもその戦果はこれまで局地的であり、大局に影響を与えられるとは思っていないからだ。
だが、哉嗚はそうでないことを知っているし、目の前の辻もそうなのだろう。
「現状我々がどれだけ戦力を集めても戦略魔攻士は倒せない…………それどころか抑える事すら難しいだろう。つまるところあの臆病者のアスガルド上層部がスヴァルト侵攻を決断した瞬間に我が国は敗北するわけだ」
国を守る戦力の全てを集めても蹂躙され、あっという間に首都が陥落する…………たった三人相手にだ。
「もちろんそれをさせないために様々な手段を取っている。情報工作は全力で行っているし万が一にも自棄になられないように戦線のバランスも調整している…………長く続く膠着状態はそれが理由だ。連中には自身らがやや不利であることを自覚して切り札を温存してもらわなくてはならない。彼らを追い詰めすぎてもいけない…………我々は優勢でありながら常に薄氷の上に乗っているというわけだ」
実に理不尽な話だった。国家としては勝利が決定していながら、大きな力を持って生まれただけという個人に負けるのだから。
「この事実を知った人間は大体が信じることを拒否するか絶望する。ただ受け入れるには少々酷な話だから仕方ないがね」
ある日突然個人の気まぐれで国が滅ぶかもしれない、そんな状況で平然と過ごせる人間はそう多くは居ないだろう。
「だが君は立ち上がった」
それも人づてではなく目の前でその脅威を体感しながら、だ。
「勝てるとは思ってませんよ」
それが哉嗚の本音だった。安易に勝つ方法を見つけると決意できないくらいに圧倒的な力の差があの女とはあったのだから。
「ただ、理不尽に抗いたくなっただけです」
だからあの時、哉嗚は病室を抜け出した。めそめそと怯えて死にたくなかった。勝てないことがわかっていて、せめ
て最後まで抗って死にたかったから。
「それだけでも充分だ、君の決断を待っていたかいはあった」
「…………買い被りですよ」
謙遜でもなく事実として哉嗚は答える。
「自分はただの新兵です」
「だがその新兵が戦略魔攻士に初めて傷をつけ、不良品の新型機を動かして基地を襲撃した戦術魔攻士を倒して見せた」
辻も同じくして事実を口にする。
「何度も言うが誰にでもできる事ではない…………期待してはいけないかね?」
伺うように辻が哉嗚を見る。
「強大な個人に理不尽な思いをさせられている私達が個人に縋るというのも皮肉な話なのだがね、希望が無くては前に進めないのもまた人間なのだよ」
「…………何をしろって言うんです」
納得したわけではないが目の前の人間が意見を変えないことも哉嗚は理解できていた。
「大それたことをしろと言っているわけではない。別に私も君が独力で戦略魔攻士を倒せるとは思っていないとも…………我々は個人ではなく組織だ。勝つための手段は我々全員で用意するべきだろう」
それがアスガルドとスヴァルトの大きな違いであり強さなのだから。
「その一つは君も体験したばかりだろう?」
「あの新型機、ですか」
従来機とは隔絶した性能を持った巨人機。
「そうだ、形式番号Y―01機体名ユグド…………我々の反撃の一歩だ」




