エピローグ(三)
「まずさっきも言ったが俺は国としてはスヴァルトが残るべきだと思ってる。自分で言うのもなんだがこの力を持ったのが俺で良かったよ…………アイズの野郎みたいなのが持ってたとしたらぞっとする」
「…………それは、実にありがたい見識だな。他でもない君が言うことに意味がある」
グエンのその目をじっと見据えながら辻が答える。その言葉が虚飾であるかどうか、それを見定めることが今は最も重要な事だった。
「魔法使いは個人で力を持ち過ぎる…………それを考えれば俺たちを縛ってる呪いもそう捨てたもんじゃねえとすら思える。実際これがなかったら俺の性格もこうなってはなかったかもしれないな」
その考えはグエンにとってある種の戒めのようになっていた。彼は長老会が嫌いだしこの呪いも忌々しくて仕方ないが、それが無かったら自分の力に溺れて思い上がっていた可能性を否定しきれない。
「それで、君はつまり我々に負けてくれるということかな?」
「それが一番手っ取り早いが、生憎そうもいかなくてな」
スヴァルトを勝たせるだけなら簡単だ。グエンが適当にアスガルド側上位の魔攻士達を消し飛ばしてやればいい。
長老会の呪いで自分も死ぬだろうがスヴァルト側の勝利の障害は完全に消え去る…………それでアスガルドは滅ぶだろう。
「長老会のような連中がいくら死んでも俺は構わないしむしろ死ねと思っているが、流石に呪いで嫌々支配されてる連中まで死んでいいとは思ってない」
スヴァルトからすれば必要な犠牲と割り切れるかもしれないが、グエンはあくまでアスガルド側の人間であり、流石にその国民全てを滅ぼしたいとまでは思っていないのだ。
「だから、俺の望みは両国の和平だ」
「無理だ」
グエンの口にした本題を辻は即座に否定した。
「即答だな」
「幾度か議題にも上がっている内容だ」
そしてその度に否決されているものでもある。
「手を取り合うには我々は長く戦いすぎた。両国以外の国が存在しないこの大陸においてスヴァルトの敵国と言えばアスガルドなのだ…………それが建国当時から続いている。そもそも和平という言葉すら国民の頭には浮かばないだろう」
それが議題には上がるのは上層部が目の前の男の実力を把握しているからに他ならない。
絶対に勝てない戦争だと知っているからこそ。敗北よりはせめて少しでも良い条件での和平をという発想が浮かぶのだ。
しかしその真実を国民に告げたところで無駄に不安と恐怖を煽るだけだし、下手をすれば反発する者たちによってクーデターすら起こりかねない。
長く戦ってきたということはそれだけ殺し殺され合ってきたということであり、国民の多くが戦争によって身内を失っている。その恨みは簡単に消えはしないのだから。
「アスガルドとて同じことだろう?」
「まあな」
長老会などの権力ある上層部は選民意識が強く、魔法という力を捨て去ったスヴァルトと和平を結ぼうなんて思わないだろう。上からいいように使われる立場である下位の魔攻士や国民であれば話は別かもしれないが、そういう層こそ身内をスヴァルトに殺されている。
グエンからすれば使い捨てのように彼らを使う上層部の責任が大きいが、遺族からすれば直接の下手人であるスヴァルトに恨みを向けるだろう。
「だが方法はある」
「ほう」
断言するグエンに少しばかり辻は興味を持つ。
「そんな夢のような話があるのなら聞いてみたいものだ」
辻とて英雄に心躍らせる程度には人間だ。トップとして国の利益を最大限には考えるが和平が実現可能なのであればそれを選びたいとは願う。
「何、簡単な話だ…………敵がいればいいんだよ。アスガルドとスヴァルトの両国に対する共通の敵が、な」
敵の敵は味方、と単純にはいかないだろうが意識改革の切っ掛けにはなる。一度共闘した相手であれば再び殺し合うことに躊躇いを覚えるだろうし、そこから和平という考えに辿り着く人間だってそれなりには出るだろう。
「その敵は強大であればあるだけいい…………どん底まで追い詰められるような相手の方が共闘にありがたみが出るからな。連帯感も湧くだろうし、そこで消耗しきれば戦後にすぐに戦争再開なんて考えも出てこないだろう」
その戦争が過酷であればあるほど戦争そのものに対する忌避感も生まれるだろう。
「どこにそんな敵がいるというのかね」
この大陸には二つの国家しか存在しないというは先ほど述べたばかりだ。海を越えた別の大陸であれば可能性はあるかもしれないが、アスガルドの技術で確認できる範囲には存在しない…………確認できない範囲にしても古代文明の記録によれば存在しないはずだ。
「ここに、いるだろう?」
不敵な笑みを浮かべてグエンが言った。
「君が、第三勢力になると?」
「ああ」
グエンは頷く。
「俺が両国の共通の敵になって共闘を促す、その過程で戦後の融和の邪魔になるような連中もまとめて殺す…………簡単な話だろう?」
「なるほど、確かにそれを実行する実力が君にはある」
それはとても個人が容易く口にできる内容ではないが、一人で国を滅ぼす事すら可能であろう個人であれば現実味の無い話ではない。
「だが問題がある」
「答えよう」
試すような辻の視線をグエンは真っ直ぐに受け止める。
「その方法は両国に甚大な被害が出るな」
「出るだろうな…………むしろ出すつもりだ」
さっきグエンも口にしたが戦後に両国が消耗しているほど戦争が再開する可能性は減る。そしてグエンが恨まれれば恨まれるほどアスガルドへの印象も薄まる…………その為には罪のない人間の死も大勢必要となるだろう。
「その被害は恐らく私の許容できる範囲を超えている」
「だろうな」
辻はスヴァルトの最高権力者だ。アスガルド側ならどれだけ死者が出ようが許容するが、その逆は看過できない。
「だが、俺がスヴァルトを滅ぼすよりはマシな被害だろう?」
脅しではなく、起こりうる未来としてグエンは答える。実際アスガルドへの侵攻を行ったことでグエンにそういう命令が下る可能性は上がった。この話がご破算になれば現状で唯一のスヴァルトの勝利の可能性である新型機関係は全てグエンが潰す…………スヴァルトは今以上に突然国が滅ぶ可能性に怯え続けることになるだろう。
「…………ひとまずそれは受け入れよう」
受け入れたわけではないが、今そのことを議論する意味はないと辻は判断した。
「しかしそれよりも大きな問題がある」
「なんだ?」
「君が裏切らないという保証はあるのかね?」
犠牲に目を瞑れば確かにグエンが共通の敵となることで両国に和平の可能性は生まれる…………だがそれはグエンを共闘して倒せることが前提の話だ。彼が私欲に走って世界の征服を望めばそのままそれは実現されるだろう。
「そこは信じて貰うしかない…………とは言わないさ」
流石に保証くらい必要であることはグエンも理解している。彼自身の圧倒的な力を背景に無理やり承諾させることは可能だろうが、脅しでは信用は得られない。常に裏切ることのできる可能性を探られるようでは彼の側も信用できず行動に制限ができる。
「長老会のクソ爺どもに掛けられた呪いは対象自身の力を利用するものだからな、それと同質の呪いによる制約なら俺でも抗えない。もちろんそれはあくまで前提としてそちらの要望があるなら受けてもいい」
魔法はアスガルドの分野だから信用できないということもあるだろう。仲間へ覚悟を示すために呪いで制約をかけること自体はすでに確定しているが、辻からの信用を得るために追加で受ける事にも躊躇いはない。
「ではとりあえずこの問題も良しとしよう」
妥協に次ぐ妥協であるが、詳細を詰めるのは全体を把握してからでいい。
「だが今の話にも出たが長老会による呪いは大きな問題ではないかな?」
根本的な問題としてそれがある限りグエンはアスガルドを裏切れない。
「解く方法はある」
「…………」
無言で辻はグエンの表情を検める。それはつまりいつでも目の前の男は長老会という枷から解き放たれて自由になれるということなのだ。
「それならすぐにやればよかろう」
むしろやらない選択肢こそないだろう。
「その方法だと仲間が死ぬ上に成功率も半々ってところだからな」
それにグエンはそう答えて肩を竦める。
「多くの犠牲を出すと言っておいて仲間の犠牲は惜しむのかね?」
「必要な犠牲であれば躊躇うつもりはないさ」
むしろ犠牲が必要な時には仲間を優先するつもりですらある。そうでなければ目の前の男に国民の犠牲を強いることはできないだろう…………だが、この件に限れば話は別だ。
「スヴァルトは呪いを外す手段を持ってるんだろう?」
「その根拠は?」
「そうでなきゃうちの国に情報操作までやれるスパイを送り込めないだろ」
一般市民や下位の魔攻士ならともかく、アスガルドで情報を動かせる立場であればそれなりの魔法を使える上位者だ。となればスヴァルト人の潜入は不可能で、つまりはアスガルド人の魔攻士を裏切らせるしかない…………だが長老会に不満を持つ者を見つけるのは簡単でも呪いによる制約がある。裏切らせるならそれを解く技術が必要だ。
「その見識は正しい」
辻は素直に認める。
「だがその為にはこちらに君の命を預ける必要があるが?」
「それはまだ困るな」
今の状況であれば間違いなく辻はグエンを殺すだろう。
「それに問題はまだある。仮に戦後に両国が和平を結んだとしても突然君のような魔法使いが生まれる可能性は消えない。むしろ長老会の呪いによる制約が消えることで危険性は増すとすら言えるのではないか?」
「それに関してもそっちが解決法を持ってるんじゃないかと思うんだがな」
探るようにグエンが視線を向ける。
「我々の国にも魔法使いが消えたわけではない」
「ああそうだろうな、あの新型機に乗ってたパイロットみたいにな」
「…………その通りだ」
スヴァルトもアスガルドも祖先は同じだ。ただスヴァルトは建国の経緯もあってからその力を使うことを忌避して来た。結果として元々弱かったその力は退化して消えたと思われているが正確にはそうではない。
わかりやすく物理的な現象を引き起こすような外部的な干渉を行える力は確かに失われたが、思考速度を強化するとか超常的なまでの勘を発揮するというような内面的な方向性のものは失われていないのだ。
「巨人機はよくできた兵器だ。AIのサポートがあれば誰が乗ったところで似たような結果を出せる…………その上でパイロットを選抜する基準は、つまること魔法使いとしての才があるかどうかになる」
僅かなりとも勝率を上げるための苦肉の策だ。かつて自分達が難民となった要因を忌避しながらも、現状はそれに縋るしかないのだから実に情けない話だと辻も思う。
「だがそれでも抑制できてる…………だがな、ありえねえんだよ。いくら使わないって言っても外部的な干渉のできる魔法使いが一切生まれないわけがない。それに魔法の才は確かに遺伝の割合が大きいが、俺みたいなイレギュラーは絶対に出る。それが建国から何の問題になってないのは、何かしらその出生を制御する方法があるからだろう?」
「…………」
辻は黙してそれには答えなかった。
「まあ、すぐに答えないならそれでもいいさ」
だがその沈黙が答えのようなもので、グエンとしては充分すぎるくらいだ。
「話すことはまだたくさんあるしな」
「それには同意しよう」
否定的な事を幾度か口にしたが辻にこの交渉を打ち切るつもりはない。少なくともこのまま無謀な賭けとも言える侵攻を続けるよりは遥かに望みがある。
そしてそれはグエンも同様だろう。交渉が失敗したから辻を消して終わり、とはできないはずだ。なぜなら自分の死に連動させた爆弾を用意するような相手が、ここで得た情報を他に伝える手段を用意してないわけがない。辻を殺して爆発を耐えきっても情報を長老会に漏らされて呪いで死んだ、では仲間に申し訳が立たない。
つまるところ、この交渉そのものは成功することがお互いに確約されている。
「続けようか」
「そうだな」
故に後はどちらがより多く自分の条件を通せるか。
その為の前哨戦はまだ先が長いようだった。




