魔女の森③
いっそこの世の中全てを呪ってやろうか。そう思った時、アイシャの周りに銀色の竜巻が起きた。
ごう、と耳の奥を塞ぐような音とともに全てが巻き上がる。
檻も炎も、最初から何もなかったかの様に、竜巻が呑み込んで連れ去っていく。
「何事だ!?」
一瞬の出来事にローブの男は辺りを見回すが、村人が松明を片手に呆然としている以外変化はない。
「こんな手負いのおいぼれの気配すら感じれないなんて、ほんと、へっぽこな魔導士だね」
声のする方を振り向くと、いつの間にかアイシャの傍らにグリーニスが立っていた。
「お前いつの間に!? 毒にやられて死んだはずでは……」
「あんなおままごとみたいな調合で作られた毒で、この魔女様が死ぬと思ったのかい。私も随分甘く見られたもんだ」
そう言ってグリーニスはアイシャの腕や顔に負ったやけどに手を当てる。
「遅れてごめんよ。可哀想に、女の子だってのに顔にこんなやけど作らされて」
手を当てたところに淡い光が灯り、赤くただれた皮膚が癒されていく。
「グリーニス! 無事でよかった。私の事はいいから、早くここから逃げて!」
「逃げやしないよ。私にはまだやることがあるからね」
一通りアイシャのやけどを治すと、グリーニスはローブの男に向き直す。
「へっぽこ魔導士、あんたの魔力どこかで感じた事があると思ったら母と師匠を殺した時にいたやつだね。姿が違うから一瞬分からなかったよ」
「おいぼれにしては記憶がいいことで。前の入れ物は年老いて使い物にならなくなったから捨てたよ」
ローブの男はフードを脱いで嗤った。
どんよりとした眼の黒い短髪の若い男だ。瞳の奥に宿る禍々しい感じさえなければ、村人に紛れていても魔導士とは分からなかったであろう。
グリーニスはじっと魔導士を睨みながらアイシャを自分の後ろへと匿った。
「へっぽこ魔導士、入れ物ってことは、あんたはずっとそうやって姿を変えて生きてきたのかい?」
魔導士はグリーニスの睨みを恐れることなく、ゆっくりと二人の元へと近づいてくる。それに合わせるようにグリーニスも一歩また一歩と後ろへ下がっていく。
「そうさ。随分前過ぎて忘れちまったが、そうやってずっと生きてきた。寿命なんてあってないようなもんだから、生きてるって言っていいのかは知らんが」
見下したようにまた嗤う。グリーニスは嗤われた事を特に気にするでもなく、ああそうか、とひと言納得して魔力を溜め始める。
「ただのへっぽこ魔導士と思ってたらお前、魔王の手下だったのかい」
魔王の手下・不死者。その命は魔王の魔力を源として、核と言われる心臓部が破壊されない限り生き続けるという。
この魔導士も不死者ということなのか。
魔導士からアイシャを守るようにして、グリーニスは徐々に後退していく。が、突如退路を塞がれてしまった。
さっきまで呪いを怖れて遠巻きにしていた村人が幾重にも人壁を作り、これ以上二人を逃がさないようにしている。
「何で村人が……。さっきまでアイシャを怖がっていたのに……」
怖がるどころか徐々に距離を詰めていく。
「魔女さん、どっちがへっぽこなんだ? 俺の放った炎がただの炎だと思っていたのかよ」
「……消すことに気を取られて、そこまで気を回していなかったのが失敗したね。たかが暗示くらい、さっさと解いてやるよ」
言うとグリーニスは片手を上げ、手のひらから蒼い光を放つ。
光は村人の上に降り注ぎ、一面を蒼く包み込んだ。
が、何も起こらなかった。村人は一向にグリーニスとアイシャの退路を塞ぎ、各々持った松明を二人に向けてくる。
「!? 何故暗示が解けない」
「ただの暗示なわけないだろ。俺が何のためにこんな寂れた村に百年以上居たと思っている」
「魂核の暗示……」
「そうだ! 魔王様は眠りに就かれる前に我々におっしゃられた。『来る日に備えて星の落ちた村を抑えよ』と。その日のために我々は各地に散らばり、子孫根付く暗示を植え付けてきたのだ!」
そうなれば簡単に解ける訳がない。術者の死か、魔王の死か。
「ここでアイシャを殺し、手柄を立てれば俺は魔王様のお膝下で仕える事が出来る! この余計な知識を蓄えた魔女もろとも殺してしまえば、もう魔王様を脅かすものはいない! 殺せ! 村人ども!」
魔導士の怒号を受け、村人が一斉に二人に向け松明を放つ。
松明自体に魔導士の魔術が込められているのか、消し止めようとするグリーニスの魔力が銀色の光となって散っていくのがはっきりと見える。
「……そうやって自分の手を汚さず母も師匠も殺していったんだね。私の大事な人々をいとも簡単に」
押し殺した声でグリーニスが魔導士に向かって話しかける。
その間も松明の炎を消そうと試みる魔法を放つが、どれも効をなさず打ち消されていった。
「母に言われたよ、『憎んではいけない、呪ってはいけない』。でも『例外』はあるって」
そう言うと突然グリーニスは魔力を収めた。
大きく深呼吸すると先程より厳しい顔つきで魔導士を睨み付ける。
「そう、自分の命に換えても守りたいものが壊されれ、それを憎いと思う気持ちが心の底から拭えないのならば……」
ゴゥンと地の底から響くような音が耳の奥につんざく。
「『心の底から呪うがいい』と。それが白魔女が魔女である宿命だとね」
グリーニスの身体を黒い霧が覆う。
一瞬魔導士がグリーニスに放った魔力かと思ったが、それはグリーニスの身体から溢れ出る魔力だと分かるまでそんなに時間はかからなかった。
禍々しく感じる霧の中にグリーニスの温かい魔力の波動を感じる。
ただ、やはりいつもの魔力とは違う。本質は温かい波動なのに、まとわりつく魔力の余波は魔導士のそれに似た心を黒く塗りつぶすような嫌なものだった。
「グリーニス!? 何をする気なの!?」
「黙ってみておいで」
霧は渦を巻き、徐々に大きさを増していく。
グリーニスの身体を覆うだけの大きさの霧はあっという間に広場を超え、村の殆どを覆うまでに成長した。
「後悔しな、自分の手を汚さずに私たちを殺そうとしたことを。私の母を、師匠を殺したことを。そして、私が黙っているのをいいことにアイシャまでも殺そうとしたことを!」
霧は濃さを増し、視界を奪う。
どこに村人がいて、どこに魔導士がいるのか、そして目の前にいる筈のグリーニスの姿すら分からなくなっていた。
村人の持つ松明は既に役に立たなくなっている。魔導士の魔力が込められているにも関わらず、黒い霧に炎は消されていっていた。
「こんな老いぼれの魔力くらい。……!?」
魔導士が自分の魔力で消滅させようとするが、魔力自体が生み出せない。
「さぁ、老いぼれの本気を見せてやろうじゃないか! 本気で呪うって事を身をもって知るがいい!」
ついに広場は闇に包まれた。音も月明りも何もない。人の気配すら感じられない。
「グリーニス!!」
アイシャの言葉も闇に呑まれる。全てがグリーニスの魔力の中に呑まれて消えていった。
アイシャが気が付くとそこには何もなかった。
正確には人がいなくなっていた。
村人も魔導士もそこには誰一人として存在していなかった。
その代わり広場一面を銀色の砂のようなものが月明りで反射して光っている。
「グリーニス!?」
反射する月明りを頼りに辺りを見回すが、グリーニスらしき人の影は見当たらない。
「アイシャ……」
どこからかグリーニスの声と思われる声が聞こえる。
「どこ!? グリーニス、どこにいるの!?」
耳を澄まし、神経を研ぎ澄まし、グリーニスの声を追う。
もう一度グリーニスの名を呼び、応えた声を追った先に、小さい銀水晶が落ちていた。
「グリー、ニスなの……?」
アイシャの呼びかけに呼応するようにほのかに光を放つ。
『そうさ、情けない姿だよね。呪った最期がこれだもんね。……許せなかったんだよ。あんたが魔王の手下に殺されちまうのがさ』
「だからってグリーニスが呪った代償で死ぬ必要なんてなかったのに! こんな呪われた私のためになんて……」
『そんな事言うもんじゃないよ。あんたがいてくれなかったら、私は死んでいたようなもんだったからね』銀水晶のグリーニスは微笑んだかのように光る。
その光を徐々に失いながら、銀水晶はアイシャに語り掛ける。
『母が殺され、師匠が殺され、もうこんな人間のいる村なんて滅ぼしてやろうと思い詰めて実行寸前のところにあんたが来た。元気になって、笑うようになって、口ごたえするようにまで成長して……、ああ、生きてて良かったって思ったんだよ』
銀水晶の光が消え、表面にひびが生じ始める。
『そんなあんたを二度も殺そうとするなんて、もう、私には許せなかった。これ以上、こんな村を……助ける必要も……、また殺しにくる……という不安……も……』
声がだんだんと途切れ途切れになってくる。銀水晶の表面はもう、触れれば崩れるほどにまでひび割れている。
『だから……いいんだ、これで。こうなる……と、分かってたら……あんたの呪い……のこと……』
「グリーニス!? まだ教わってないことがいっぱいあるのよ!? 消えないで!!」
アイシャの叫びも虚しく、銀水晶は形を崩し始めた。もう声も殆ど聞き取りが難しいほどに小さくと切れ途切れになっている。
『呪いを……解く……は、…の…国……、さが……して……。……にしか……と……けな……』
言い終わる前に銀水晶は砕け散け、地面の銀色の砂に混ざり合うように舞い散った。
「グリーニス!!」
もう声は聞こえない。
いつの間にか月も雲に隠れ、静寂な闇のみが残された。
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全ての部位を解体し終え、食料等で持っていく部分を詰めながらアイシャはあの時を思い返す。
あの時グリーニスはどこの国を目指せと言ったのだろう? 誰を探せと言ったのだろう?
そしてまた思う。
あの時何故私はグリーニスの後を追って死ななかったのだろうか、と。
死んでいればこんな旅もしなくて良かったし、呪われた自分を呪いながら生きていかなくても済んだのに。
そんな事を考えながら作業を終え、出発しようと立ち上がった時、背後から声を掛けられた。
「突然すいません。薬草をお持ちではありませんか?」
振り向くと一人の男が立っていた。考え事をしながら作業をしていたせいなのか、男が近づいてきていた事にまるで気が付けなかった。
「……あなた誰なの」
あの日以来人に警戒心が強くなってしまったアイシャは、鞘に納めた剣を向けながら男に尋ねた。
「い、いえ! 決して危害を加えようとしている者では……。私の連れが、主人がけがをしてしまい、丁度手持ちの薬草を全部使い果たしてしまっていまして……」
男は剣を向けられて、少々怯えながらもアイシャに答えた。
「その主人ってどこにいるの」
「薬草を分けていただけるのですね!」
「主人ってのを確認したらね」
警戒心を緩めずアイシャは男を見据えて言った。
「こちらです! ここの少し奥に入ったところにおります」
男は表情を明らめ、背後を指さしてアイシャに一緒に来て欲しいと促した。
(この男、態度は怯えたフリしてるが全然怖がっていない)
男について奥へと進むと、樹に寄りかかっている男がいるのが見えた。
「ミハル様! 薬草を持っている旅人と出会えました!」
小走りで主人の元へ行く男に付いてアイシャもゆっくりと近づき、その男の顔を見た。
(兄……さん……?)
読んでいただきましてありがとうございます。
ようやく少しだけ進みました。
次からちゃんと本編(?)です。
私としては早く魔王様出したいです。
ストレスで死にそうですが頑張ります。
それではまた次話お会いしましょう。