天体観測の夜。その5。
正直に言って、ドームではちょっと感動した。
彼らは宇宙人なのだという事実にも、今さらながらロマンチックを感じた。
だけど。
「なんでさっきから、そこにいるの」
背を向けたまま高梨さんが言った。
「え、なにか見せてくれるんじゃないの?」
千両くんが、さもがっかりという声をあげた。
六・五センチセミアポ屈折望遠鏡を操る高梨さんのすぐ後で、千両くんが体育座りして待っている。
「なんで私が、あなたに星を見せてやらなきゃなんないの」
「いいじゃん、見せてあげなよ」
闇の中を近づいてきた長澤露穂子さんが声をかけてきた。
「ハルちゃんは二重星のエキスパートでしょ」
高梨さんは返事もせずに望遠鏡にかじりついている。
「春だと、ミザールとアルコル、かに座のι星……」
露穂子さんの言葉を高梨さんが継いだ。
「しし座のγ星」
露穂子さんはニッと笑って、千両くんに囁いた。
「千両くん、二人目はハルちゃん?」
「天文部は部員が少ないんだから、全員仲良くなるべきだ」
「がんばってね。ハルちゃんはなかなか難攻不落だよ」
「聞こえてる!」
肩をすくめ、露穂子さんは千両くんにウインクをして歩いて行った。夜の闇の中で、千両くんにそれが届いたかどうかはわからない。
さて実のところ。
座敷わらし高梨春美さん。
先ほどから軽くパニックに陥っていたのである。
小さいときから、男と言えばお父さんと、お隣のお兄ちゃんしか知らなかった。
お兄ちゃん。
長澤先生のことだ。
この二人で彼女の世界の中の男成分は充分だった。
それ以外の男は知らなくてよかったし、知る必要もなかった。かろうじて存在を認められているのはふたりのじいじだけだ。
それが今、背後に男がいる。
顔にへのへのもへじでも描いておけばいいクラスメイトや教師や通りすがりの男とは違う。彼女と交流しようという意志を持って、彼女の後ろに座っている男がいるのだ。
困った。
どう話をしていいのかわからない。
そもそもしたくない。
このちびやろう。
なめられてたまるかこのやろう。地球の少女をなめるなこのやろう。
「あのね、千両くんねっ!」
頑なに背を向けたままの高梨さんが言った。
「うん」
「私、お父さんやお兄ちゃんのちんちんを見た事あるんだからねっ!(おフロで)」
とりあえず落ち着け。
ぶほっとむせたのは、となりのビルの吹きさらしの屋上にいる二人である。
『人間無骨さん』
「はい、一号機さん」
『私たちは、逸材と出会ってしまったのではありますまいか』
「同感ですな、一号機さん」
スナイパーにとって、射撃技術としての狙撃はそれほど難しいことではないという。元SASの作家クリス・ライアン氏によれば、SAS隊員の技量であれば誰でも狙撃くらいできるということだ。問題なのは、狙撃のチャンスまで何時間でも何日でも気配を消し、狙撃後に一切の痕跡を残さずに去ることなのだと。
人間無骨さんは同田貫一家きってのスナイパーだ。
その人間無骨さんがむせた。
しかもこの時、息ができるようになるまで実に数秒かかってしまったのだという。
「しかし、こちらの千両も負けておりますまい」
銃を構え直し、人間無骨さんが言った。
「それはよかったねえ」
千両くんのこの返事には、人間無骨さんは目立った反応を見せなかった。
さすがである。
しかし一号機さんは、無表情を装いながら小刻みに頬を震わせている。
『もったいない……!』
一号機さんが言った。
『これは、私たちだけで聞いていては罰が当たります……!』
一号機さんはスマホを取り出した。
『みなさま。一号機でございます』
高梨さんは千両くんの「それはよかったねえ」という反応は予想していなかった。
もっとも、どんな返事も予想していなかったのだが。
しかしこういう時にはどう返事しろと言われたろうか。お母さんからなんと教えられたろうか。考えたあげく、高梨さんは言った。
「おかげさまで」
そのあと、言葉は続かなかった。
不器用な二人に再び沈黙が訪れた。
そしてこの二人、夜の闇の中で自分たちの会話に聞き耳を立てている人々がいることを知らない。
「あれ、なんだか急に暇になったな」
ドームの中では、長澤先生が首をひねっている。
星空ガイドソフトを弄りながら、これを見せろ、あれを見せろとうるさかった鳴神くんまでもがいない。
「まあいいか。三〇センチ望遠鏡を独占できるなんて、僥倖だ」
屋上への昇降口は混雑していた。
携帯を手に、千両くんと高梨さんの次の会話が始まるのをじりじりと待っている。
露穂子さんや歌仙くんに鳴神くんどころか、井原先輩をはじめチーム井原まで揃っていたりする。
『膠着状態ですね。ここは私がてこ入れしてきましょうか』
二号機さんまでもが来てしまった。
『だめです。先輩が口を挟めば、ぜったい先輩がぜんぶ持っていってしまいます。いいかげん自覚して自粛してください』
当然、神無さんもいる。
一方、地学教室でトランプに混ざっていた西織先生、みんなトイレに行ったのだとトランプを手に根気よく待っていたりする。
「後腐れのない8を二枚も持っているんだもん、負けるわけがないぜ」
ふふふ、と不気味に笑いながら。
「みんなトイレ長いなー。アンドロイドのトイレってどんなんかしら」
『なんだか、こうしていると……』
あっという間に待つのに飽きたらしい二号機さんが、またなにか余計なことを思いついたようだ。
『修学旅行のホテルみたいですねっ! 好きな子と屋上でこっそり待ち合わせするんですよっ! 私たちも好きな子の告白大会とかしましょうかっ!』
歌仙くんのスマホを聞くために顔を近づけていた井原先輩と歌仙くんが視線を合わせてしまった。そして気まずそうに二人は顔を背けた。せっかくいい感じになりかけていたのに、ほんと、ロクなことをしないアンドロイドである。
『先輩、修学旅行をしたことないじゃないですか』
『余計なこと言わなくていいのです、後輩』
「ロボ子って好きな人いんの?」
鳴神くんがニヤニヤ笑いながら言った。
『いませんよ』
「いないわよ」
同時に口にして、ふたりは顔を合わせた。
『長澤露穂子さん』
なぜだか、二号機さんは少し真面目な雰囲気だ。
『その露穂子というのは、やっぱり「ロボ子」なのですか?』
「うん。大おじいさまが三鷹の天文台でひとりで観測の準備してたら、猫を抱いた信じられないほどきれいな子が迷い込んできて、自分は「ロボ子」だって名乗ったんだって。大おじいさまの初恋で、その話を聞いたお兄ちゃんが、生まれたばかりの私の名前にロボ子ってつけようと提案して、馬鹿家族が変なテンションで賛同しちゃってつけられたのが、露穂子」
『ふうん……』
ロボ子さんは曖昧に答えて、そして嬉しそうに微笑んだ。
『そうだったんですか。そうか、初恋だったんですね……うふふ……』
二号機さんの笑顔に、露穂子さんは長澤先生が前に言ったことを思い出してしまう。
――案外、お前の名前の元になったロボ子さん、その本人かもしれないよ。
当時から雪月改がいた?
それとも時間旅行?
まさか、そんな。
二号機さんは謎めいた微笑を浮かべるだけだ。
『三号機さんの好きな人って、やっぱり清麿さんなんですか?』
『馬鹿いわないで。マスターは私の崇拝者よ』
みな、この神無さんと誰かさんの会話を聞き流しかけた。
最初に振り返ったのが二号機さんだったのは、さすがだと言わざるを得ない。なにが。とにかく、二号機さんは神無さんの隣にいるゴスロリ少女を指さしたのだった。
『な、なんで三号機さんがここに――』
その時だ。
「千両くんっ!」
唐突に高梨さんと千両くんの会話が再開されたのだ。
みな、一号機さんが中継する携帯にかじりつき、アンドロイドはガンマイクの感度を上げた。
「千両くんっ! わわ、私に恋しても無駄なんだからねっ!」
ベイベィ!
こいつぁ、次の会話も期待できるぜえっ!
■主人公編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
■学校編。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。高校一年生。天文部。通称ロボ子。
クラスメイト。ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
高梨 春美。(たかなし はるみ)
地球人。高校一年生。天文部。ハルちゃん。
小柄でボブでちょんまげ付きなので、座敷わらしと言われてしまう。長澤先生が好き。
広田 智。(ひろた さとる)
地球人。高校一年生。美術部。サトル。
歌仙くんの友達。普通っぽいアホ。
井原 優子。(いはら ゆうこ)
地球人。高校三年生。美術部部長。
板額先生と双璧の美女だが、歌仙くんらぶ。
松田 詩織。
中沢 弓子。
井川さんの親友ふたり。
長澤 圭一郎。(ながさわ けいいちろう)
地球人。地学教師で天文部顧問。露穂子さんの兄。三〇歳。
飄々とした人。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、変人。三〇歳。
山本 瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。ひとりだけ既婚者。三〇歳。
山本 一博。(やまもと かずひろ)
山本先生の夫。長澤先生の友人。この人も別の高校の物理教師。
■同田貫組周辺編。
人間無骨。(にんげんむこつ)
えっち星人。宙兵隊副長・代貸。中尉。
いつも眠っているような目をしているが、切れ者。陰険。代貸だが、代貸と呼ばれても返事をしない。
同田貫 正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。同田貫組組長。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
■アンドロイド編。
長曽禰 ロボ子。(ながそね ろぼこ)
雪月改二号機。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公だが、番外編では性格が変わる。よりひどくなると表現してもいいかもしれない。番外編では、露穂子さんがいるため「二号機さん」で統一。
一号機さん。
雪月改一号機。マスターは同田貫正国。マスターからは弥生さんと呼ばれる。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。和服が似合う。通称因業ババア。
神無。(かむな)
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
二号機さんを「先輩」と呼び、二号機さんからは「後輩」と呼ばれる。雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
板額。(はんがく)
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。護衛としてえっち星に渡ったので世界的な有名人。




