一週間が無事過ぎる。
昨日はあれから美術室に戻らなかった井原先輩だったが、今日は昼休みから顔を出し、楽しげに友人たちとお弁当を食べている。
「私、ぜんぜん傷ついてないから」
というアピールなのだろうか。
これだけ美人なんだから、相当にプライドを傷つけられただろうに、気丈と言えば気丈だ。ところで昨日は、鞄をどうしたのだろう。
「あれが、昨日、歌仙に振られたって女か」
弁当をかっこみながら鳴神くんが言った。
「もったいなーい。美人じゃないか、歌仙くん」
こちらはぽそぽそと食べている千両くんだ。
今日も三人組のお弁当は、一号機さん手ずからのものだ。
あのハートマークはどうやら全員につけていたようで、今日は海苔とおかずで全員の似顔絵(らしきもの)が作ってあった。実は凝り性らしい。
「なんでおまえらが知ってるんだよ」
むすっと歌仙くんが言った。
「もうけっこう話題みたいだよ。三年の有名な美女が一年生に振られたって」
と、千両くん。
「おれは振ってない。彼女は振られていない。ただ、会話がすれ違っただけだ」
「あーあ、昨日は板額先生に粉かけられてたし、なんで歌仙だけモテるんだよー」
と、鳴神くん。
「合格」「候補」。
あれはやっぱり粉をかけられたのか。
でも、そう思ってたわりに、こいつら、すぐに話題を変えてたよな。
「あ、あの……歌仙くん……」
定まらない視線で、体をがちがち震わせながら言ったのは広田くんだ。
「なんでこの人たち、美術室で弁当食べてるのかなあ……?」
あっという間に歌仙くんを呼び捨てにするようになった広田くんなのだけど、「不良三人組」を目の前にして、また「くん」づけが戻ってしまったようだ。
「だって、座敷わらしに地学教室を追い出された」
歌仙くんを通さず、鳴神くんが言った。
もう食べ終えて、お弁当箱を片付けている。
「なにしたんだよ、おまえら」
「なにもしてねえよ。長澤先生と話すの楽しいだけだよ」
「子供の独占欲だよねー」
千両くんが言った。
わかっているなら、すこしは気を使ってやればいいのに。
ぽそぽそ食べていたわりに、千両くんもう食べ終わっている。軍隊ではゆっくり食べるのは許されないのだ。
「ちょっとあなたたち!」
一年女子の一人が立ち上がって近づいてきた。
「よしなよ、よっちゃん」
「怖いよ、あの人たち」
友人たちの止める声を振り払い、よっちゃんさんは歌仙くんたちが囲んでいるテーブルの前に立った。
「ここは美術室です。美術部じゃない人は出ていってください!」
頭の後ろで腕を組み、じろりと鳴神くんはよっちゃんさんを見上げた。
よっちゃんさん、さすがに怯んでしまう。
「美術室でメシ食っていいのは美術部だけとか、そんなん決まってるわけじゃないんだろ」
「そ、そうですけど」
部外者にあるまじき鳴神くんたちの態度の大きさや、聞こえてくる話題に怒っているだけなわけだし。
にっと鳴神くんが笑った。
「あんた美人だね。今度デートしてくれない?」
「……!……」
顔を真っ赤にさせてしまうよっちゃんさんだ。
(あ、揺らいだ)
(あ、揺らいだ)
(今、よっちゃん、ちょっと揺らいだ)
まるわかりである。
「ば、バッカじゃないの!」
よっちゃんさんは背を向けた。「実はけっこう嬉しい」オーラが漏れまくっているのだが、鳴神くんにはわからない。
「なんだよー。高校生になっても、ちっとも彼女できねえ……」
鳴神くんがテーブルに突っ伏した。
「ぼくもぜんぜん友達増えない……まだ長澤さんひとりだけだよ……」
千両くんも突っ伏した。
二週間遅れで高校生活に入って、一週間。
歌仙くんは思う。
うまくやってるかどうかわからない。
これが楽しいのか、そうでもないのかすらわからない。
でも、これがおれたちの高校生活だ。
『一週間、もっちゃいましたね、先輩』
『もっちゃいましたね、後輩』
ポテチをつまみながら、ジャージ姿の二号機さんと神無さんがゴロゴロしている。
『二日ともたず、鳴神くんがライフル一丁で立てこもり事件起こすってのがいちばん人気だったのに』
『私が賭けたのは、鳴神くんが廊下でナイフ振り回して、「ムシャクシャしてやった。今は満足している」と満面の笑顔でニュースに出るってヤツです』
「あのなー」
鳴神くんが言った。
「おれのキャラは、あんたらの中でどういうことになってるんだ」
『私たちの中ってわけじゃないです』
『同田貫全組員に、パーク全社員、源清麿さんまで参加の賭け事なのです』
「みんなしてかよ……!」
『つまんなーい』
『つまんなーい』
ゴロゴロゴロ。
「やめてくれよ。あんたらがベッドに乗るとマットがへたれるんだよ。おれたちの非常食も勝手に食うな。あんたらアンドロイドだろ。動力、電気だろ」
二号機さんと神無さんがゴロゴロしてるのは、三人組の宿舎のベッドの上なのである。
「ていうか二号機さんと神無さん。このごろ夜はクラブ補陀落渡海に入り浸ってるって聞いたけど。今日は行かなくていいの?」
漫画を読んでいた千両くんが言った。
その言葉を聞いた二号機さんと神無さん、ずぅぅん!とふたりそろって凹んでしまった。
「ええっ! どうしたの、ふたりとも!」
『私たちの楽しかった日々はもう終わってしまったのですね、先輩……』
『たいせつなものは、いつも失ってからわかるのです、後輩……』
実は、提督さんが逮捕されたため補陀落渡海クルーが領事の代行までやらされることになり、助っ人として衛星軌道上の不撓不屈から士官がやって来たのだが、その人物がとんでもない厄災だったのだ。
まあ、これはまた別のお話。
『なにか潤いがないですかねー』
『三人組はあっさり高校に馴染んじゃいましたしねー』
『なにか面白い話ないですかー』
『美人教師とのいけない恋だとかー』
「あっ、それ」
千両くんが、あっけらかんと言った。
「今、歌仙くんがやりかけてる」
その言葉に、いちばん驚いたのは歌仙くんだったかもしれない。
実は歌仙くん、二号機さんと神無さんの来訪もお構いなしにひとり妄想タイムに浸っていて、ちょうど板額先生の胸の谷間を思い出していた最中だったのだ。「えっ?」と情けない声を上げて我に返ると、穢れを知らない八つの無垢な瞳が歌仙くんに注がれている。
母屋の校舎の一角でも、一号機さんが聞き耳を立てている。
「でしょ、歌仙くん」
千両くんが畳みかけた。
「い、いや違うよ。板額先生は魅力的なひとだけど、向こうがおれをどう思ってるかわからないし、そりゃ、すごい美人で胸も大きいし……あ、いや……その……」
しどろもどろの歌仙くんを見つめる穢れのない八つの無垢な瞳。
だけど顔にはこの上なく邪悪な笑いが浮かんでいる。
『私がなにか?』
「うわっ、板額さん!?」
そこに現れたのは、「板額先生」のあだ名の元になった板額型アンドロイド一番機、板額さんだ。
『村に戻っていたのですか、板額さん』
『おかえりなさい、板額さん』
板額さんは、えっち星に渡ったときに勝手にプログラムを弄られていたため、そのチェックで研究所に戻っていたのだ。
『ええ、おかげさまで。だけど家に帰ってみたら二号機さんも神無さんも出かけていて』
板額さんは今のところ、長曽禰家に居候している。
きれいな声だ。
歌仙くんは思った。
たしかに美人だ。板額先生に似ていると言われれば、たしかに似ているかもしれない。だけど。
ぎろり。
板額さんが歌仙くんの視線に気づいて睨んできた。あわてて歌仙くんは、視線を板額さんのぺったんこの胸から逸らすのだった。
朝。
校門の前がざわついている。
あの三年の美女、井原優子さんが誰かを待っているのだ。
そうなると相手はだいたい想像がつく。
彼女を一言で粉砕したとうわさの長身で美形の一年生。
その歌仙くん、彼女の姿を見つけたときにはさすがに動揺したが、部の後輩として「おはようございます」とだけ挨拶して鳴神くんたちと通り過ぎようとした。
「そう、顔は覚えてくれたのね」
井原先輩が言った。
きれいな声だ。板額さんに負けない。歌仙くんは思った。
「じゃあ、今度は名前も覚えてね、歌仙海くん。私の名前は井原優子」
さすがに美人というのは目力がある。
宙兵隊で屈強な男たちに揉まれている歌仙くんが、彼女の迫力に気圧されてしまっている。
「覚えた?」
「……はい」
「よろしい、一年」
軽やかに笑い、井原先輩は長い髪をなびかせて校舎へと歩いて行った。
■主人公編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
■学校編。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。高校一年生。天文部。通称ロボ子。
クラスメイト。ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
高梨 春美。(たかなし はるみ)
地球人。高校一年生。天文部。ハルちゃん。
小柄でボブでちょんまげ付きなので、座敷わらしと言われてしまう。長澤先生が好き。
広田 智。(ひろた さとる)
地球人。高校一年生。美術部。サトル。
歌仙くんの友達。普通っぽいアホ。
井原 優子
地球人。高校三年生。美術部部長。
板額先生と双璧の美女だが、歌仙くんらぶ。
松田 詩織。
中沢 弓子。
井川さんの親友ふたり。
長澤 圭一郎。(ながさわ けいいちろう)
地球人。地学教師で天文部顧問。露穂子さんの兄。三〇歳。
飄々とした人。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、変人。三〇歳。
山本瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。ひとりだけ既婚者。三〇歳。
山本一博。(やまもと かずひろ)
山本先生の夫。長澤先生の友人。この人も別の高校の物理教師。
■同田貫組周辺編。
人間無骨。(にんげんむこつ)
えっち星人。宙兵隊副長・代貸。中尉。
いつも眠っているような目をしているが、切れ者。陰険。代貸だが、代貸と呼ばれても返事をしない。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。同田貫組組長。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
■アンドロイド編。
長曽禰 ロボ子。(ながそね ろぼこ)
雪月改二号機。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公だが、番外編では性格が変わる。よりひどくなると表現してもいいかもしれない。番外編では「二号機さん」で統一。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。護衛としてえっち星に渡ったので世界的な有名人。




