歌仙くん、入部する。
あまりこの地学教室に長くいるのは良くない気がした。
ややこしそうな匂いがした。
鳴神くんや千両くんは天文部に乗り気になっているようだが、これ以上長澤露穂子さんのテリトリーを荒らすのも気が引けた。彼女はそれを気にするタイプじゃないようだけど、しかし、あの座敷わらしは明らかに嫌がっている。
そもそも、いつも三人でいることはない。
自分は自分のテリトリーである美術部にさっさと入ってしまおう。
そう決めて、放課後の校舎を彷徨っている歌仙くんである。
しかし。
(どこなんだ、美術室)
朝、長澤さんに教えてもらったはずなのに。
(なんだってこんなにややこしいんだ、この学校)
ふと、廊下の向こうから歩いてきた同じ一年の男子生徒と目があった。そして互いに視線は、それぞれ手にしたスケッチブックに降りていく。
(こいつも美術室を探しているのか?)
いやまさか。
今日初めて登校した自分じゃあるまいし、もう二週間すごしているならとうに選択美術の授業もこなしているはずだ。それに放課後に美術室に行くなら、それは美術部ってことだろう。部員が迷うわけがない。スケッチブックはたまたまだ。それが証拠に話しかけてこない。
二人はすれ違った。
そして一〇分後。
ふたりはまた目を合わせたのだった。
しかもその彼、さっきより切羽詰まった顔で歌仙くんを見ている。
「君さ、もしかして君も美術室を探しているの?」
さすがに聞いてみた。
「やっぱり、君も美術室探していたんだね!」
その彼は、ほっとした笑顔を返してきた。
「もしかして、君、美術部?」
「そうなんだけど、どういうわけかたどり着けないんだ。見かけた覚えないけど、君も美術部? あ、おれ、広田智」
「歌仙海。おれは、これから入部しようと思っているんだけど」
「ほんとに!? 良かった。美術部、男はおれ一人みたいでさ。君が入ってくれるとすごく嬉しいよ! よろしく!」
よろしくはいいのだけれど……。
「それで、美術室はどこ?」
「うう」
結局、ふたりが美術室にたどり着いたのは、さらに二〇分後だった。
「わあ、彷徨える一年坊が、ハンサムボーイを連れてきたぞ!」
歌仙くんを迎えたのは、顧問の先生の嬉しそうな声だ。
山本瑞希先生。
若くてけっこう美人だ。
「背も高い。これなら高子と並べても引けを取らないな。でかした、一年坊。あんた、いつも無駄に彷徨ってるわけじゃなかったんだね。ねえ、君。うちでモデルしてくれない?」
ここで、ヒソヒソ話をするように顔を近づけて、
「もちろん、ヌードもありで!」
山本先生、ケラケラ笑って歌仙くんの背中をばんばん叩いた。
「あの、ぼくは美術部に入部するつもりできたんですが……」
「もちろん、大歓迎! よろしく!」
「な、おれが君の入部を喜んだわけわかるだろ」
広田くんが苦笑しながら言った。
「先生はあの調子だし、まわりはみんな女子だし、おれひとりじゃ太刀打ちできないんだよ」
「君もヌードやれって言われたのか?」
「おれは君みたいにかっこよくないからさ。あ、でもヌードは言われたかな」
歌仙くんは美術室を見渡した。
それほど部員は多くないようだ。でも、ほんとうに女の子だらけだ。
ここで三年過ごすんだな。
過ごせるのかな、とも思った。
この日は美術室の備品の使い方を教えて貰い、あとは歌仙くんの持ち込んだスケッチブックの品評会になった。
「へえ、素人じゃないねえ」
と、山本先生が褒めてくれた。
「中学でもやってたの?」
「というか、家でもやってますから。先輩方に厳しく叩き込まれてます」
「絵画教室みたいな?」
文字通りゲンコツ含みで叩き込まれているのを、絵画教室と言っていいのだろうか。「絵画訓練施設」のほうが合っている気がする。
来るのが遅れたため、すぐに下校時間になってしまった。
帰り支度をしていると、広田くんが声をかけてきた。
「待ってて、歌仙くん。いっしょに帰ろう」
歌仙くん、その言葉に胸がときめいてしまった。
もちろん長澤さんが喜びそうな意味じゃない。「おれ、もしかして高校生してるんじゃね!?」というときめきだ。
「おれ、バス通なんだ」
「じゃ、そこまで」
広田くんと並んで歩きながら、歌仙くんはなかなか言葉にできない。
「あのさ、やっぱ昼は美術室で食うの?」
やっと言えた。
なぜだか、めっちゃ恥ずかしい。
「ああ、女子はそうみたいだね。おれは、ほら、ひとりだし。たどり着けないし」
「じゃあ、いっしょに行こうか。おれはたぶん覚えたよ」
「そだね。おれ、六組。呼びに来てくれよ」
おれは三組。と返事しながら、「ああ、おれ、高校生してる!」と喜びを噛みしめてしまう歌仙くんなのだ。
「あ、バス停、鳴神と千両がもう来てるな。友達なんだ」
「へえ」
と、バス停に視線を投げた広田くんが、二人を見てさっと表情を凍らせた。
さらに横目で歌仙くんをそうっと窺っている。
顔が青い。
「どうしたの?」
歌仙くんが声をかけると、広田くんはびくんと体を震わせた。
「あ」と思った。
「今ごろになって気づいたんだ」とわかった。
入学式に迷彩服で乗りつけ、停学開けに三年の不良を全員病院送りにした「三人組」だと。
「おれ、こっちだから。じゃあ……」
広田くんは逃げるように離れていった。
「歌仙くん、いまの子、だれ?」
千両くんが言った。
「なあ、歌仙、おれたち天文部に入ることにしたぜ。あの先生、量子論とかも詳しくて、話しててすっげー楽しいんだ」
鳴神くんが言った。
今の歌仙くんは、鳴神くんや千両くんに返事する元気もない。苦笑いを浮かべるのがやっとだ。それでも。
「なあ、鳴神、千両、気づいてるよな?」
「ああ。まあ……」
「どうしようかなーとは思ってるけど……」
鳴神くんと千両くんはのんびりしているが、歌仙くんは虫の居所が悪い。
非常に悪い。
ここは学校前のバス停で、すぐ後ろには学校の植え込みがある。歌仙くんは、その上込みの中に手を突っ込んで、ざあっと広げた。
そこには、驚愕の顔をした同田貫さんと一号機さん。
慌てて手にした枝でカムフラージュしたが、もう遅い。そもそも同田貫さんがでかい。
「なにしてるんです……」
歌仙くんが言った。
冷え冷えとした声だ。
『だから私に任せておいてくださればよかったんです、マスター!』
「だって、おれだって自分の目で見ておきたかったんだよ!」
今度は振り返って、歌仙くんはとなりのビルの屋上を睨んだ。
「副隊長はずっとスナイプしてるし!」
歌仙くんの額に赤い光が一瞬差したのは、人間無骨さんの返事だろう。さらに電話がかかってきた。
「でかした、よくわかったなー」
「おれたちを舐めてるんですか」
「まあ、あまり怒るなー。大尉も一号機さんも、おまえたちを心配してのことだー。とにかく、今日は無事に過ごしたなー」
「……」
無事、なのかな。
「よくやった」
それだけ言って、電話は切れた。
目の前には、しゅんと小さくなっている同田貫さんと一号機さんだ。
「隊長、一号機さん」
ざっと背筋を伸ばし、歌仙くんは敬礼した。
つられて鳴神くんと千両くんも敬礼した。
「ありがとうございます! 歌仙、鳴神、千両。今度こそ、一日目を終了しました!」
同田貫さんと一号機さんが、ほうっと微笑んだ。
同田貫組ではまた祝い飯だった。
たった一日で大げさなと思うが、それでも嬉しかった。
驚いたのは、次の朝に一号機さんから弁当を渡されたことだ。一号機さんは料理をしたことがない。
『二号機さんに叱られましてね。手伝ってもらって作りました』
「ありがとうございます、姐さん!」
ひとつひとつそれぞれに手渡して、歌仙くんにだけはさらに『あの少年と仲直りできますように』と言ってくれた。
『マスターのも、ちゃんとありますよ』
うらやましそうに指をくわえて覗いていた同田貫さんに、一号機さんが声をかけた。
昼休み、お弁当を手に地学教室に行った鳴神くんと千両くんを後目に、歌仙くんはひとりでお弁当の蓋を開けた。
ハート型になったそぼろがごはんにかけられている。
全員このバージョンなのだろうか。
それとも隊長用のを間違えて歌仙くんに渡してしまったんだろうか。
ぼんやりながめていると、見覚えがある顔がチラチラと教室を覗き込んでいるのに気づいた。
「広田くん……」
目が合い、広田くんは頭をかいている。
「連れて行ってくれよ。おれひとりじゃ美術室にいけないから……」
決まり悪そうに広田くんが言った。
■主人公編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
■学校編。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。高校一年生。天文部。通称ロボ子。
クラスメイト。ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
高梨 春美。(たかなし はるみ)
地球人。高校一年生。天文部。ハルちゃん。
小柄でボブでちょんまげ付きなので、座敷わらしと言われてしまう。長澤先生が好き。
広田 智。(ひろた さとる)
地球人。高校一年生。美術部。サトル。
歌仙くんの友達。普通っぽいアホ。
井川 優子
地球人。高校三年生。美術部部長。
板額先生と双璧の美女だが、千石くんらぶ。
長澤 圭一郎。(ながさわ けいいちろう)
地球人。地学教師で天文部顧問。露穂子さんの兄。三〇歳。
飄々とした人。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、変人。三〇歳。
山本瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。ひとりだけ既婚者。三〇歳。
山本一博。(やまもと かずひろ)
山本先生の夫。長澤先生の友人。
■同田貫組周辺編。
人間無骨。(にんげんむこつ)
えっち星人。宙兵隊副長・代貸。中尉。
いつも眠っているような目をしているが、切れ者。陰険。代貸だが、代貸と呼ばれても返事をしない。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。同田貫組組長。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
■アンドロイド編。
長曽禰 ロボ子。(ながそね ろぼこ)
雪月改二号機。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公だが、番外編では性格が変わる。よりひどくなると表現してもいいかもしれない。番外編では「二号機さん」で統一。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。




