神無さん、あくまでも空気を読まない。
怒濤のように次々と湧いてくる疑問はとりあえずいい。
問題なのは、この事実なのだ。
艦長室のトイレのドアを開けたそこに便器に座る加州清光さんがいた。あろうことか清光さんはズボンを下げてまでいるのだ。
「はいってます」
清光さんが言った。
「閉めてよ」
とも言った。
「ごめんよ、なんだかここんとこ冷えてね。おなかの調子が悪いんだ。野良ちゃんが、かっこいい言葉を教えてくれたよ。花冷えって言うんだってね。いや、今のぼくはあまりかっこよくないけどね。ごめんね、順番ね。ちょっと待っててね」
「加州清光……」
「ドアを閉めてくれないかな」
「あのな、おまえ、状況がわかってるのか。おまえを捕まえるために、この船には宙兵隊一個小隊に戦闘アンドロイドまで集まっているんだぞ」
「うん、なかなか厳しいね。だからさー、閉めてよ。なんで閉めてくれないの。見たいの?」
「おまえ、その……」
「しちゃうよ?」
「……」
提督さん、ドアを閉めるしかない。
「ありがとう」
閉じられつつあるドアの向こうから声がした。
「はー、すっきりした」
晴れ晴れとした顔でトイレからでてきた清光さんが、ベルトを締めながら言った。
「ありがとう。じゃあ、君の番ね。ぼくの直後だからちょっと臭いだろうけどゴメンね。藤四郎くんだっけ。士官学校以来だっけね」
机に両肘を置き、顔の前で手を合わせ、提督さんは清光さんを睨みあげている。
「白々しいことを言うな。不撓不屈でおれを見ていただろう」
「一方的にはね。三池典太くんも見たよ。そこのべっぴんさんも見た。ところで、はいらないの? いいよ、もうぼくはすっきりしたよ?」
「ひっこんじまったよ。おまえが驚かすからだ」
「あ、そうなの?」
ニヤニヤしながら、清光さんはベッドに腰掛けた。
「座らせてもらうよ」
「なぜこの部屋に来た」
提督さんが言った。
「君に会いに」
清光さんが言った。
「勅任艦長は士官室にいるぞ」
「わかんない男だね。おれはあんたに会いに来たんだよ」
清光さんは薄笑いを消さない。
だがびりびりとした緊張が二人の間にある。
「粟田口藤四郎吉光」
清光さんが言った。
「聞きたいことがある。あんた、どうしておれの復讐の邪魔をしている?」
「はんがーく!」
提督さんが声を張り上げた。
その瞬間、清光さんはベッドから飛びかかり、提督さんの眉間に拳銃を突きつけている。
「動くな、べっぴんさん」
しかし提督さんは少しも動じず言葉を続けたのである。
「板額、この男を殺せ!」
「藤四郎くん、君、おれを舐めているようだね。まあ、おれは知りたいだけなんだ。あんた、なんで勅任艦長たちを殺して回っているんだい?」
「どうした、板額。おれが命令しているのだ。今すぐこの男を殺せ。おれが撃たれてもかまわん。おれが死んでもかまわん。だがおまえはこの男を殺せ。全身の骨を砕き、踏みつぶし、この男に最上の苦痛を与えながら完全に最終的な死を与えるのだ!」
さすがに清光さんは考えた。
本気だろうか。
提督さんの両眼は、まっすぐに清光さんを睨みあげている。板額さんを覗うと、彼女は無表情のまま反応を示していないようだ。
「そして、板額」
と、提督さんの言葉は続いている。
「君は士官室に行って勅任艦長を撃て。虎徹やアンドロイドたちに反応する暇を与えるな。提督が殺されたという報告を持っていけばいいだろう。実際、おれは死ぬのだからな。勅任艦長を撃ったなら、君は自爆しろ。君に与えた爆弾は士官室の内部にいるものすべてを吹き飛ばすだろう」
「おい――何を言っているんだ、あんた」
板額さんに変化はない。
変化がなさすぎる。彼女は迷っているわけではない。
「どうした、板額ッ。おれの言うとおりにするのだッ」
再び、提督さんが声を張り上げた。
板額さんがやっと反応を示した。
瞳だけが動いたのだ。
両眼の大きな瞳が提督さんを見下ろしている。
アンドロイドを見慣れている清光さんが不気味だと思った。芝居がかっている。そう感じた。
板額さんが口を開いた。
『命令は――』
と、張りのある声で板額さんが言った。
『命令は私が与えてやるッ。おまえはただ這いつくばって待っていればいいんだ、豚ァッ!』
それは美しい声だった。
美しく、力強く、全てを委ねたくなる声だった。
いつの間にか心に築いていた分厚く高い城壁。それを一瞬で崩し去り、裸の、誰にも見せたことない嘘偽りのないほんとうの自分をさらけだしてしまう、そんな声なのだった。
提督さんがつぶやいた。
「あんた、だれ……?」
この時、補陀落渡海の外で警戒していた同田貫組からも声が上がっている。
「野良雪月だーー!」
「野良雪月が出たぞーー!」
さすがに野良生活で鍛えた野良雪月さんはすばやい。するすると包囲網をすり抜けて駆け抜けていく。背中には大きな風呂敷袋。
「なにかを背負った野良雪月が行くぞーー!」
「補陀落渡海の中に入れるなーー!」
「もう入ってるーー!」
そして、士官室。
それまでぴくりとも動かず、瞑目して銅像のように立っていた巴さんの両眼がカッと見開かれた。
『誾千代より通信!』
巴さんが言った。
『誾千代は提督の正体の記録に成功しました。加州清光さんも一緒です!』
虎徹さんと典太さんが立ち上がった。
ロボ子さんを含め、他の者にはなんのことがわからない。そこに補陀落渡海さんの報告が入った。
『野良雪月さんの侵入を許した模様です』
「補陀落渡海、全隔壁緊急閉鎖!」
間髪入れず虎徹さんが言った。
典太さんと巴さんは構わず虎徹さんの横を抜けて走っている。
虎徹さんは、勅任艦長を守り集まっている人々へと振り返った。
「おれたちは艦長室に行く。野良雪月さんの侵入以外はすべて作戦通りだ。みんなは勅任艦長を守ってくれ。間違っても、野良雪月さんに人殺しをさせるな!」
虎徹さんとロボ子さんの視線が合った。
『あとで、何が起きたのか教えてくれますね』
微笑んだロボ子さんに、虎徹さんも微笑んだ。
「もちろんだ。今は急ぐ。ごめんな」
虎徹さんは、先行する典太さんと巴さんのあとを追った。
その間、ごろごろと卵が転がっている。
『命令は私が与えてやるッ! おまえはただ這いつくばって待っていればいいんだ、豚ァッ!』
「あんた、だれ……?」
にしゃあっ!と白い歯をむき出して板額さんが笑った。
板額さんじゃない。
真顔でいればまだ板額さんのメイクで騙されてしまうが、表情を作るともう板額さんじゃない。
『板額型三番機、誾千代ッ!』
叫ばなくていい。
『まかり来たりッ!』
たいして広くもない艦長室で、戦国武将のようなことしなくていい。
呆然としている提督さんの腕を取り一瞬で制圧、清光さんには拳銃。そのあいだ、このアンドロイド娘は爆音で続けているのだ。
『おしとやかな板額のマネをするのは肩が凝ったわッ。あはは、そんな機能ないけどねッ。ときどき怒鳴りつけたくなるのを抑えるのに苦労したわよッ。ムチでしごきたいわッ! ああ、この豚ども、ムチでしごいてあげたいわッ!』
高笑いあげるのはけっこうだけど、なんだか面白そうな人だけど、言ってることの半分も聞き取れないよ。
清光さんが閉口しているところに、虎徹さんたちが飛び込んできた。
「清光!」
「ねえ、虎徹くん。なにこれ。おれ、置いてけぼり?」
「もとよりおまえは部外者だ。それより野良雪月さんが侵入してきたらしい」
さっと、清光さんは表情を変えた。
「――なんだって、野良ちゃんが?」
「彼女を止めてくれ。彼女を殺人者にするな!」
虎徹さんの言葉より早く、清光さんは駆け出していた。
士官室に、けたたましい悲鳴が響き渡った。
飛び込んできた清光さんに、三号機さんがパニックを起こしたのだ。
さすがに姐御である一号機さんは愛刀の鯉口を切っている。清麿さんと同田貫さんも銃を構えた。そんな彼らが目に入らないかのように、清光さんが言った。
「野良ちゃんは!」
「なんだと?」
銃の狙いをつけながら、清麿さんが言った。
追いかけてきた虎徹さんと典太さんが清光さんを後ろから制圧した。しかし構わず清光さんは声を張り上げた。
「野良ちゃんはどこだ、まだここに到達していないのか!」
『清光っ!』
清光さんの言葉に呼応するように、床板を持ち上げて野良雪月さんが飛び出してきた。
『見つけたっ!』
今度は三号機さんだけではなく、そこにいた全員が悲鳴を上げた。
清光さんと、鼻歌交じりでゴロゴロしている卵をのぞいて。
■登場人物紹介・アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
巴さん。
板額型戦闘アンドロイド二番機。
極端な性格になりやすい板額型の良心。ただ、雪月改や同じ板額型の暴走に振り回されてしまう。
誾千代さん。
板額型戦闘アンドロイド三番機。
乙女になりすぎた板額さんの反省で生まれた、生粋のサド。ただ戦闘能力だけはそれに見合って高いようだ。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
野良ロボ子さん。
野良雪月。
前のマスターである「おばあちゃん」の記憶を消されるのが嫌で野良をしている。食いしん坊。充電しなくても動ける謎の根性回路を搭載している。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
粟田口藤四郎吉光。(あわたぐち とうしろう よしみつ)
えっち星人。宙軍提督。
えっち星のえっち国領事としてやってくる。虎徹さん、典太さん、清光さんの同期。タイムジャンプをそれほどこなしていないので六〇歳を越えている。
加洲清光。(かしゅう きよみつ)
えっち星人。密航者。
幽霊と呼ばれるほど神出鬼没。宙軍士官学校では虎徹さん、藤四郎さんと並んで三羽ガラスと呼ばれた。補陀落渡海の航海に匹敵するほどタイムジャンプを繰り返していたので、虎徹さんと同い年のままのように見える。
■その他。
補陀落渡海。(ふだらくとかい)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。亜光速航行による外宇宙航行艦(ただし、事故で亜光速航行ユニットを失っている)。駆逐艦とされているが、現実には巡洋艦である。
現在はモスボール処理がなされ、パークに展示されている。
なお、メインコンピューターも補陀落渡海と呼ばれ、ロボ子さんの友人でもある。
不撓不屈。(ふとうふくつ)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。補陀落渡海は亜光速ユニットによるタイムジャンプ航法で恒星間航行をしていたが、この艦はワープ航法が可能になっている。ワープポイント間を一瞬で結ぶことができる。
宇宙巡洋戦艦。地球名は「ドーントレス」にしたかったとも言う。
現在は地球衛星軌道を回っている。
タイムジャンプ。
亜光速による恒星間航行技術。
亜光速にまで加速するので、その宇宙船と乗員にとっての時間の流れは遅くなる。補陀落渡海は三五光年を四五年かけて移動したが、船内時間では二年と少しだった。
それをタイムマシン、時間旅行になぞらえて、タイムジャンプ航法と俗称する。
ちなみに、その用語を使っているSFは『闇の左手』しか知らないのですが、他にもありますかね。




