ロボ子さん、感動する。
宇宙駆逐艦補陀落渡海艦橋のコンソールパネルの前に座り、素早くキーを叩いているのは三条宗近さんだ。
エンターキーを叩き、腕を組んで反応を待つ。
やがてディスプレに浮かんだ文字に、宗近さんは笑顔で拳を握り締めた。
『えっち星とは完全に途切れているってわけじゃないんですか』
「うん。量子通信ってのがあってね。あ、ロボ子さん、量子通信ってわかるかい?」
『わかります。雪月と雪月改には、すべての分野で高校卒業程度の知識があらかじめインプットされています。外部データベースにアクセスすることで、更なる専門知識も確保できます。一瞬です』
朝の長曽禰家。
食事の準備をするロボ子さんと新聞を読む虎徹さんが言葉を交わしている。この家は江戸時代に建てられたという大きな古民家だ。だけど前の持ち主さんが大がかりな近代化改装を施してくれている。それがとてもおしゃれなのだ。配線も配管も壁や柱に剥き出しなんかじゃない。
キッチンはちょっとしたレストランなみのシステムキッチン。
いま虎徹さんが座っているのは朝食など軽い食事のためのテーブルで、十人は座れる大きな一枚板のテーブルを据えた独立した食事室もある。
天井が高く、梁が見事な三〇畳はあるだろうかという囲炉裏のある大広間。
数人で楽しむことができる広々とした檜風呂。
どうやら無職で貧乏なマスターさんなのだが、長曽禰家はなかなか素敵で、ロボ子さんも鼻歌がでてしまう。
「ふうん」
と、無職で貧乏な虎徹さん、ロボ子さんの自信満々の返事に新聞に目を落としたまま苦笑をもらした。
「そうなんだ、その割には」
『なんです?』
「ま、量子テレポートを利用した通信だね。原理的に、何万光年離れていようとタイムラグはない。地球に取り残されたおれたちだが、実はその量子通信で本国と繋がっている」
『それで助けを求めるわけにはいかないのですか』
「量子通信で伝えられる情報量ってのは極小なんだ。映像とか音声とか、それどころか文章や単語すらも送れない。あらかじめ取り決めた対応表と照らし合わせて、相手の意図を探るしかない代物なんだな」
『伴名練さんの『少女禁区』みたいですね。ロマンチックです』
「ロマンチックかどうかはともかく、おれたちが『事故を起こし』て『地球に避難』して、それでも『生きている』のは、つまりあっちも知っているわけだ」
『あちらからの通信は?』
「ただ『補陀落渡海を守れ』『秘密を守れ』『元気か』が、思い出したように送られてくるだけです」
『「救援船を送った、あと少しだ、がんばれ」とか、届かないのですか?』
「そんな言葉、対応表に載ってないのです。それにどうかな。補陀落渡海の予算だってやっとついたんだ。もう、本国もこりごりじゃねえかな。おれたちをネタにして、SF映画の一本でも作られるくらいだろうさ」
『二〇〇人の人命がかかっているのです』
「なあ、ロボ子さん」
頭をかきながら虎徹さんが言った。
「もし、本国政府でも連合政府でも、突然ヒューマニズムに燃え上がって予算をつけてくれて救援の船が本星を飛び立ったとしても、地球に着くのはそれから五〇年後なんだぜ」
最低でも五〇年、このひとたちが同胞と会うことはない。
ややこしくて少し難しい話ではあるが、虎徹さんたちが置かれた過酷で残酷な状況はロボ子さんにもわかる。
『マスターや宗近さん以外の二〇〇人は、どこにいるのですか』
「わからない。固まっているとバレやすくなるだろうからマニュアル通りに軍を解散し、地球人に紛れて生きている。おれと宗近が補陀落渡海守として残ったくらいだ」
『それにしても、不思議な感じがします』
「うん?」
『マスターの国は、えっち星のひとつの国でしかないのですね。SFや映画に出て来る宇宙人の星って一つの国であることが普通なのに、えっち星はそうじゃないのですね』
「うん。そうだな、うちの星のSFでもたいてい地球はひとつの国だった。現実はそんなわけないのだろうし、これからもずっとそうなんだろうな。ところでいい匂いがしてきたね。そろそろごはんにありつけるのかな」
おたまと味見用の小皿を持ったまま、ロボ子さんはくるっと顔だけを虎徹さんに向けた。
『さきほど、ちょろっとなにかおっしゃいましたよね、マスター。そのわりには――とかなんとか』
「えっ」
『ガトリングガンがなくても、私、力持ちですから。負けませんから』
「えっ」
『あ、宗近さん、お帰りなさい。ちょうど良かった。今朝は山菜の味噌汁ですよ』
「えっ。なに、おれは朝飯抜き!?」
ロボ子さんがこの村にやってきて半月が過ぎた。
山奥の村だけど、そんなさみしい村じゃないみたい。
ロボ子さんは思う。
ていうか、むしろ怪しいほど賑やかだ。
人が住んでいない家を格安で貸し出していると前に書いたが、まず長曽禰家がそのひとつ。そして同様の他の物件も案外埋まっている。格安だとしてもこんな限界集落の家がなぜ埋まるのか、実は謎だ。村長さんは、自身のツイッターやフェイスブックでの情報発信のお陰だと主張している。
ちなみに廃校になった小学校まで貸し出されていて、しかもそれが埋まっている。
「気をーつけィ!」
「サー、イエッサー!」
「貴様、罰点だッ! 腕立て伏せ一〇〇回での消化を許すッ!」
「イエッサー! ありがとうございます、サー!」
野太い声が響く。
何十人ものガタイのいい男たちが日々訓練している。一説によると、このごろ売り出し中の武闘派ヤクザさんの秘密訓練基地なのだという。
村の東にあるちょっとおしゃれな洋館は、村がまだ景気の良かった大正の時代に写真館として建てられたものだ。ずっと空き家だったその館にもこのごろよそから住人が住み着いた。
新しい住人はなんと、超売れっ子作家さん。
ここでも村長さんは、インターネット網を整備した自分のおかげだと手柄を主張する。それはともかく、夕方ともなると手ずから丹精込めた薔薇の咲く庭にただずみ、紅茶を楽しむ姿が見られるという。日参する編集者さんたちだけはなく、若い女性ファンの姿がひきをきらない。確かにその作家さん、長身痩躯、長い黒髪の美男子なのである。
『でも、その作家さん、真夜中に高笑いしてたりするんですよ』
「ああ、そんな人、補陀落渡海にもいたねえ、虎徹さん」
「いたなあ、中二病の権化。自分の部屋を本だらけにして。あいつ、今ごろなにやってるのかねえ」
長曽禰家は平和だ。
そんなある日。
ロボ子さんは、えっち星人のふたりに補陀落渡海に招かれた。
なにやら正式な招待だと言うことで、ロボ子さんは長屋の花見よろしく手元にある食材を駆使し涙ぐましい工夫でお重一杯の料理を作ってお呼ばれに応じた。
「補陀落渡海艦橋にようこそ、ロボ子さん」
虎徹さんや宗近さんの得意そうな顔が、ロボ子さんには微笑ましい。
補陀落渡海艦橋。
前に見た士官室とは違う。
大きなスクリーン。
並ぶコンソールにモニター。
ひとつだけ独立したコンソールに囲まれた席がある。他の席より位置が高い。座っているのは虎徹さん。艦長席なのだ。
「ふだんなら、ぼくはここにいないのだけどね」
宗近さんが言った。
『そうなんですか?』
「ここはCIC。そしてぼくは機関長なのさ」
高校卒業程度の知識を網羅しているはずのロボ子さんにも、宗近さんが何を言っているのかさっぱりわからないが、そんなものなのだろうととりあえず思った。
「さて、機関長。君の晴れ舞台だ」
虎徹さんが言った。
「イエス・サー!」
宗近さんは軽やかに指を鳴らした。
「どうだい、補陀落渡海。ぼくが言ったとおり、ぼくらの女神ロボ子ちゃんは素敵な美人さんだろう。さあ、ロボ子ちゃんに挨拶しておくれ!」
宗近さんの呼びかけに、沈黙していたスクリーンや計器が一斉に動き出した。
ロボ子さんは目を見張った。
宗近さんのタクトに艦が答えているようだ。
『こんにちは、長曽禰ロボ子さん』
落ち着いた男性の声がした。
『初めまして。私はソウルネーム補陀落渡海。この宇宙艦のメインコンピューター、もしくはそのオペレーティングシステムが私です』
ロボ子さんはすっかり感動してしまった。
艦橋の床に風呂敷を敷いて、お重がひろげられた。
どうしたらあの食材からこんな豪華なお重になるのだろう。
「ロボ子さんは料理上手だなあ」
虎徹さんと宗近さんは嬉しそうに舌つづみを打っている。
「こうして宗近くんと補陀落渡海くんが頑張って、ロボ子さんも頑張って、あとはおれの番ですね」
虎徹さんがぼそりとつぶやいた。
ロボ子さんは宗近さんの顔をそっと窺ったが、宗近さんはなにも言ってくれなかった。
■登場人物紹介
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
ちなみに、ロボ子さんの呼称は
虎徹さんが「ロボ子さん」
宗近さんが「ロボ子ちゃん」
それ以外は「二号機さん」で統一されています。もしそうじゃないなら、それは作者のミスですので教えてください。