ロボ子さん、朝食前に六つの不可能なことを思いつく。
今度の「この冬、最強の寒気団」も長居するようだ。
雪に閉ざされる毎日がふたたびやってきた。
昼間から雨戸を閉めた部屋はやはり気が滅入る。
灯りをつけていても、やりきれない。
ただ、おっさんふたりは、陽気になるわけじゃないけれど、たいして気にしてないようにも見える。
「だって、慣れた」
と、虎徹さん。
「そもそもぼくら、宇宙船乗りだもん。二年ちょっと、補陀落渡海の中だけで生活していたんだもん」
と、宗近さん。
『そして、三号機さんのマスターさんみたいになるのですか、みなさん』
「あれは特別だし……」
「そういう人なだけだし……」
昨日の夜も前の夜も、大雪のなか、清麿さんの高笑いが聞こえてきていたのだった。
慣れたといえば、ロボ子さんも不思議体験に慣れはじめている。
むしろ、今度はどこに飛ばされるのだろうとワクワクしている部分もある。
『スーパーに飛ばされませんかね。清算がすんだら家に戻るんです。便利です』
「どこでもドアじゃないんだから」
一太さんが言った
虎徹さんと宗近さんが出勤した隙を狙って、今日は玄関からやってきた一太さんと二太さんだ。ポリシーなのか、こんなに寒いのに今日もシャツに半ズボン姿だ。
「今日も飛ばされたみたいだね」
一太さんは少し大人っぽい。
生真面目で言葉もやや堅め。
「どこかの天文台に」
二太さんは少し子供っぽい。
やんちゃで軽いところがある。
『はい。目を覚ましたら部屋にドアがありました。そろそろ慣れてきたので、はんぺんさんを抱いてドアを開けてみました』
「アンドロイドなのに眠るんだ」
だから、これはたぶん二太さんだ。
『えへへ。はんぺんさんを抱いていると、柔らかくて暖かくて、なんだかよく眠れちゃうんです』
「それで、天文台?」
そして、話の続きを促したのが一太さんだ。
『はい、それで、ドアの向こうは天文台で、ちょっとレトロなお兄さんがいて、親切にしてくれました。はんぺんさんと土星を見せてもらいました。望遠鏡を見ているうちに宇宙を飛んでいるような感覚になって、あっと思ったらベッドに戻っていました』
「あれは三鷹のカールツァイス六五センチ屈折望遠鏡。大正一五年に作られたものだ。今はもう動かない。それなのに君は覗くことができた」
『つまり?』
「ロボ子さんは空間だけじゃなく、時間も越えている」
『ああ、それはわかってます。最初の海の時も夕方だったのに、海では夜の一時を過ぎていました。戻ったときは七時前でした』
「それはそれで驚きだが」
一太さんが言った。
「今朝のはそのレベルじゃない。おそらく君は一〇〇年近い時間を行き来したんだ。慣れてきていると君は言ったが、もう少し慎重になったほうがいい」
『……』
ロボ子さん、ぎゅっとはんぺんを抱きしめてしまった。
「ぼくらの科学水準でも時間に可逆性はないと考えられている。時間旅行なんて絵空事なんだ。それに君は一度、三六光年を飛び越えたらしい」
二太さんが言った。
「君の体験は、ぼくらにとってもスペシャル以上のスペシャルなんだ」
『修正できるのですか?』
「わからない」
一太さんが言った。
「もともと、なぜこの現象が起きるのか、ぼくらも検証可能に理解できているわけじゃない。だから、経験的な対症療法で対応して終息させるしかないんだ。その上で、ロボ子さんの体験はぼくらの経験にはないものだ。さらに、傾向がつかめない」
『傾向、ですか?』
「君が飛ばされる場所の傾向さ」
と、二太さん。
夜の海、板額さんの部屋、天文台。
確かに、傾向がない。
「この現象には『意識』が絡んでいるとぼくらは推論している」
「人間の感情、強い『意識』が『歪み』と干渉してしまうんだ」
「『意識』も量子論で説明できるという考え方もある。特別とっぴな考えというわけじゃない」
「それにぼくらは、経験からそう推論しているんだ」
「ま、ざっくばらんに言えば、ロボ子さんの『意識』がこの現象のスターターであり、11次元の『歪み』がアンプリファイアーなんだ」
「ぼくらにできることは、その流れを落ち着かせ、『歪み』への干渉を最小にして、『歪み』が自然に再構築されるのを待つ」
『それって、歪みのほうはほったらかしってことじゃないですか』
ロボ子さん、鋭い突っ込み。
一太さんと二太さん、西洋人のように肩をすくめた。
「能動的に歪みを修整できるなら、はじめから黙ってやってる」
「それができないから、ロボ子さんのところに来てるんじゃないか」
『なんかむかつく、この双子』
「双子じゃないよっ!」
「そういう設定かもしれないけどっ!」
「おや」と一太さんが立ち上がった。
「君のマスターが帰ってきたようだ。早いんだな」
『打ち合わせだけですから、お昼を食べて帰ってきたんでしょう』
「二太、帰るぞ。またね、ロボ子さん」
「はいよ、一太。じゃあね、ロボ子さん」
ふたりはトンビコートを羽織ると裏戸のほうから出て行った。
コートを着るくらいなら、シャツに半ズボンもどうにかすればいいのに。
背中に虎徹さんの「ただいまー」という声を聞きながら裏戸のカギを閉め、ロボ子さんが呟いたのは、
『11次元が歪んでいるってわりに、あのふたりものんびりしてます』
なのだった。
「慌ててもしょうがない」
「人生はなるようになるものさ」
「ぼくらの劇場への再訪、歓迎いたします」
ロボ子さんはまた、あの幻燈のような夏祭りの中にいる。
『そりゃ、ふたりはそうでしょうけど』
そう頬を膨らませながらも、かわいい浴衣をまた着ることができたのはうれしい。
今日は、祭の近くの駐車場にテントをはって公演しているサーカスを見物する趣向のようだ。
例によって人々の顔は見えない。
ピエロの顔すら見えない。
まるでパントマイムのような、静かなサーカスだ。
「不可能なことを考えるという手がある」
となりの席に座る一太さんが言った。
「それで意識の流れが歪みから外れ、歪みも消えたことがあったのさ」
ロボ子さんを挟んで反対側に座る二太さんが言った。
『ああ、五人の公達さんたちにさせたようなことですね』
何気なく答えたロボ子さんの言葉に、一太さんと二太さんはギョッとしたようだ。
「その通り」
「なぜそれを知っているの、ロボ子さん」
『あれ、なんででしょう。今、急に思いついたんです』
一太さんと二太さんはためいきをついた。
「どうもロボ子さんとはやりにくい」
「はじめて会ったって気もあまりしないし」
『それで――不可能なことを考えればいいのですか?』
「そう、実現不可能なことを考えるんだ」
「慣れると朝食前に六つ思いつくようになる」
『私は白の女王じゃありません。だいたい、思いつけば、たいていのことはいつかかなうんです』
「ポジティブだなあ」
「ポジティブだなあ」
「でも、なにかあるでしょう、ロボ子さん?」
『……』
その時、サーカスの幻影が歪んだ。
ドットも露わにフリーズしてしまった。
「おい、二太」
「ああ、わかってる。ちょっと修正してくる。ちえっ、なにがあったんだろう」
二太さんは席を立ち、慌ててテントを出て行った。
「で、なにかない、不可能なこと」
『うーん』
ロボ子さんは考え込んだ。
『一号機さんはーーッ! ババァくさいアンドロイドーーッ!』
ロボ子さんのその声は同田貫一家の門前で発せられ、村中に響き渡った。
『こんなの言えませんよ、不可能ですよ! 一号機さんは強いんですよ! 一号機さんの前でぜったい言っちゃいけませんよ!』
「たった今、言ったじゃないか!」
「思いっきり叫んだじゃないか!」
「あんた、こんなことするために、わざわざぼくらを連れてきたのか!」
『それどころじゃありません、見て!』
同田貫一家は廃校を利用している。
その昇降口から一号機さんが飛び出してきた。愛刀の栗原筑前守信秀を抜いて。
『逃げるんです! 捕まったら斬り刻まれます!』
「あんたな! 不可能なことを考えろと言ったんだ、ぼくらは!」
『これが、不可能だと思うことの筆頭に来ました!』
「実行すんじゃねえよ!」
ロボ子さんたちは雪道を必死に走った。
その三人の前に立ちふさがるように、空から何か重量のあるものが降ってきた。
不敵に笑う一号機さんなのであった。
※慣れると朝食前に六つ(不可能なことを)思いつくようになる。
Why, sometimes I've believed as many as six impossible things before breakfast.
そう、朝ごはん前に、ありえないことを六つも信じたことだってあります。
(角川文庫『鏡の国のアリス』河合祥一郎訳 P99)
「『不思議の国のアリス』の有名な台詞」として紹介されていることが多いが、実際には『鏡の国のアリス』での、白の女王の台詞。正直なところ、アリスを読んでいてもわけがわからない台詞ではあるので、しょっちゅうこの台詞を引用するアガサ・クリスティーのミステリでは、よけいに意味不明の訳になっていたりする。
■登場人物紹介・アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
ファンシーロボず。
第一世代と第二世代の旧型戦闘アンドロイド。よそのテーマパークで余生を送るはずが、なぜか宇宙船争奪戦に巻き込まれ、ロボ子さんに吹き飛ばされ、村に居座った。現在はパークの従業員。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
ちなみに、ロボ子さんの呼称は
虎徹さんが「ロボ子さん」
宗近さんが「ロボ子ちゃん」
それ以外は「二号機さん」で統一されています。もしそうじゃないなら、それは作者のミスですので教えてください。




