宇宙船氏の逆襲。
宇宙船氏――という人物を覚えているだろうか。
宇宙駆逐艦補陀落渡海の存在を信じ単独で探していた、警視庁公安の印象の薄い目立たない男である。
どれくらい目立たないかというと、名前も設定されていたのに書かれないまま消えていき、そして今回この幕間を書くために設定メモを開いてみたら彼の項目がまるごと削除されていた。それくらいに目立たない。
そういうことで。
彼の名前は藤沢清隆というのだが、これはたった今決められた名前なのである。
「知るか、あほう」
彼はいじけている。
やさぐれている。
陰で「宇宙船」と揶揄されていたのを知っていた彼は、なんとしても自分の手で宇宙船を見つけ出し、嗤っていた連中を見返してやるつもりだった。しかし、やっと見つけた宇宙船は彼の目の前で宇宙に旅立っていき、失意のまま警視庁に戻ってみれば、その宇宙船が別の宇宙船を連れて帰ってきたのがニュースになっていた。現場に残っていれば、少なくともその歴史的瞬間には立ち会えたのだ。
返す返すもっていない。
しかし、そうであっても、探していた宇宙船は存在していたのだ。
すこしは周囲も見直してくれるかと思えば、彼にもたらされたのは所轄署刑事課への出向の辞令だ。
藤沢氏は、そう藤沢氏である。
藤沢氏だ。よし覚えた。たぶん。きっと。
藤沢氏は愕然としたが、実際、自衛隊から借用した五千万もする携帯地対空誘導弾を密集地でないにせよ住宅地近くでぶっ放したのだから、さすがにこれはしょうがないことなのだ。
藤沢氏、所轄でも居場所がない。
彼の階級は警部補で、所轄では係長クラスだ。
しかし彼に与えられたのは係長代理という役職で、デスクも与えられず刑事課係長のとなりのソファーを席の代わりにしている。文字通り居場所がない。しかも公安で身につけた存在感のなさで、藤沢氏がソファーにいても誰も気にしていない。
それでも。
「藤沢さん、ちょっと」
刑事課の係長が手招きしている。
階級は同じとはいえ、係長相手に無視もできない。
「この写真だがな、あんた、この男に見覚えないか」
「ふん。こりゃあ外事の仕事だね。面倒なことにならんまえに課長を通して本社に確認したほうがいい」
「うん……」
しばらく眉をひそめて考え込んでいた係長さんは、やがてにっこりと笑った。
「ありがとう。やはり頼りになるね、藤沢さん」
こんな時だけ見え透いた媚びを売りやがって。
だったら机くらい用意しやがれってんだ。こんちくしょう。
藤沢氏はソファーに戻り、どっこいしょと座り、これ見よがしにアクビをした。
おっと。このおれが自分の存在をアピールしてどうする。
まだまだ修行が足んねえや。あーあ。
おれは公安ゼロの卒業生だぞ。もう少しで異星人の宇宙船を探し当てて英雄さまになるはずだった男だぞ。そのおれがただの字引扱いかよ。警視庁も長くねえやな、がははは。
「メシでも食うか」
公廨に出ると、設置されたテレビでニュースをやっている。宇宙船が母星に戻る日が決まったのだそうだ。
画面を真っ赤なコートに身を包んだ美女が横切った。
板額さんだ。
板額さんは地球答礼使節団の護衛としてこの宇宙船に同乗する。アンドロイドらしくない彼女の自然な美しさは、ニュースばかりではなくワイドショーでも話題になっている。
反射的に藤沢氏は自分のスマホを取り出した。
待ち受け画面は、板額さんの画像だ。
じっとそれを見ていた藤沢氏は、選んだ電話番号を押した。
「それで?」
一時間も経たないうちに、郊外の緑深いタイラ精工城家専務さんのオフィスにいる藤沢氏だ。
「昼のニュースを見ましたよ。おたくのアンドロイドのいい宣伝になっていましたな。さぞ売れているのでしょうね」
「おかげさまでね。ただ売れているのは旧型のほうです。肝心の板額型はまだ研究段階で、この間、三番機が出来上がったばかりでしてね。引き合いはすごいのですが」
「ふうん、研究段階」
「なにしろ自分で判断できる4・5世代アンドロイドだ。現場をもっと経験させないといけない」
城家さんの言葉に、藤沢氏は満面の笑顔を浮かべた。
「現場を」
藤沢氏の笑顔にうさんくさいものを感じながらも城家専務は答えた。
「そうです、現場を」
「一機、貸せ。その三番機でいい。おれが現場を叩き込んでやる」
「板額型は刑事アンドロイドじゃない」
「おれだって刑事じゃねえ。あ、今は刑事か。まあ、いいじゃねえか。公安エースのおれが現場を教えてやるって言ってるんだ。ありがたく思え」
「あんた、相変わらず礼儀を知らないな」
「警視庁のデータベースをハッキングする犯罪者に礼儀を言われたかねえな。おれがあんたのしっぽを掴んでないと思わないほうがいい」
「わかった。三番機をあんたに貸す。書類等は送るから、きっちり申請してくれ。板額型は警護アンドロイドだ。VIPを相手にするんだ。くれぐれも下品な言葉遣いを覚えさせるなよ」
「わかっているよ。おれも下品なのは嫌いだ」
藤沢氏は満足そうに笑った。
ほんとうは、あの板額そのものがおれのものになって欲しかった。
板額は宇宙のかなたに行くのだ、しょうがない。
でも三番機というのなら、それなりに似ているのだろう。
藤沢氏は、実のところ板額さんに参っていたのだ。
はじめはコンビニの防犯カメラ映像。真夏に真っ赤なコート。きりりと意志的な整った顔。その台詞自体は恥ずかしくて封印したが、思わず藤沢氏は口にしてしまったものだ。
「おれのオードリー・ヘプバーンだ」
タイラ精工からの書類と、警視庁内の申請書。
鼻歌交じりでちゃっちゃと済ませ、藤沢氏は浮かれていた。春が来た。人生は美しい。
そして彼女がやってきた。
署の公廨に響き渡る大声とともに。
『申告する! 板額型三番機誾千代! まかりきたりッ!』
藤沢氏はソファーからずり落ちてしまった。
見ると、板額さんと同じ真っ赤なコートの長身の美女だ。
慌てて藤沢氏は誾千代さんの元に駆け寄った。近づくとわかる。確かに板額さんとは顔が違う。しかし、劣らない美女だ。いや、更に美しいかもしれない。
それにだ。
それにこの胸の膨らみはどうだ。ほぼ無いといってよかった板額さんとは比べものにならないほど、この主張する胸の膨らみはどうなのだ。
その板額型三番機誾千代さんは、近づく藤沢氏をキッと睨んだ。
『藤沢清隆氏なりや!』
声量を抑える気はないらしい。
「そうだが、おいおい、もっと声を控えろ。ここをどこだと思っている。まあ、よろしくな、誾千代さん。それにしてもあんた、きれいだなあ……」
にこやかに藤沢氏の言葉を聞いていた誾千代さん。
真っ白な歯を見せて、にしゃあっ!と笑ったのだった。
『この豚ッ!』
公廨の時間が止まった。
だれもが藤沢氏と誾千代さんに注目している。
『そちらから指名しておきながら、私に命令するとはいい度胸じゃないか、豚ッ!』
ああ、と藤沢氏は思った。
ああ、おれのあだ名は宇宙船から豚になるんだなあ、今日から。
『覚えておけ、おまえから話しかけていいのは、私がをそれを許したときだけだ! それ以外で豚が喋るな!!』
誾千代さんの高笑いが轟き渡っている。
藤沢清春。三四歳。
短すぎる春だった。
「清隆だよ……」
「巴を出した方が良かったんじゃないですか」
「巴は熟成期だろ。今さら変な事を覚えられても困る」
タイラ精工研究所の社員食堂。
部下と昼食後の雑談をしている城家専務さんである。
「しかし、誾千代、生まれながらにしての傍若無人、生粋のサドですよ? なにをしでかすやら……」
「あの無礼な男となら、うまく噛み合うかもしれないぜ」
「それにしても自律的な感情を持たせるって、難しいものですねえ。板額だってあんな乙女になるとは誰も予想してなかったわけだし」
「雪月と会話してみると、あの人間らしさはすごいって思うよな。やっぱりウエスギの社長は大変な人だ。負けてられないな」
城家さんはコーヒーを飲み干した。
「ああ……ぼくはあなたのシモベです……ぼくは豚です……」
その夜、藤沢氏に濃厚な別の春が訪れていたのだった。
■登場人物紹介
宇宙船氏。
地球人。警視庁公安の警察官。
ゼロ出身のエリートだが、宇宙船にこだわったために「宇宙船」とあだ名をつけられてしまった。本名も設定されていたが、作者にも忘れられてしまう。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。
城家長茂。(じょうけ ながしげ)
地球人。タイラ精密工業技術開発担当専務執行役員。せんむ。
板額さんを開発した。クールキャラを気取っているが、クールになりきれない。
ちなみに、ロボ子さんの呼称は
虎徹さんが「ロボ子さん」
宗近さんが「ロボ子ちゃん」
それ以外は「二号機さん」で統一されています。もしそうじゃないなら、それは作者のミスですので教えてください。




