巴さん、挑発する。
「飛べ!」
宗近さんが言った。
「飛べ!」
船務長さんが言った。
「飛べ!」
清麿さんが言った。
「飛ぶぞ!」
典太さんが言った。
補陀落渡海は飛んだ。
足りない揚力を山腹を利用したスキージャンプで補うという豪快かつ無茶な方法で、その大きな翼を悠々と広げ、空へと飛び立った。
「おれは置いてかれちまったんだな」
ロボ子さんの背中でつぶやいたのは虎徹さんだ。
『マスターこそ、私を置いていくつもりだったんですね』
ロボ子さんが言った。
「う」
『嘘をついたんですね、私に』
「う」
虎徹さんからはロボ子さんの後頭部しか見えない。それがよけいに怖い。
「ロボ子ちゃん、そのへんにしておきな。虎徹さんも悩んだ末の――」
『宗近さんも私に隠してましたね』
「ごめんなさい」
宗近さんも頼りにならない。
「ロボ子さん、おろしてくれ」
虎徹さんは覚悟を決めた。「ちゃんと謝る。君に謝る」
『謝ってくれなくていいです』
「ロボ子さん……」
『もう二度と、私をひとりぼっちにするようなこと考えないでください』
ロボ子さんの声は泣いていた。
虎徹さんは「うん」とだけ答えた。
補陀落渡海は星空を行く。
充分な揚力を得た今、ひろげられていた後退可変主翼が折りたたまれた。後退角二〇度から後退角六〇度へ。大気圏高速航行形態だ。
ジェットエンジンによる加速は上空一万メートルまで。
そこからはロケットエンジンで大気圏脱出、地球周回軌道へと移る。
その航跡を見ているのは、えっち星人や村の人々だけじゃない。
印象が薄いその男は地団駄を踏んで悔しがり、やがて飽きたかのように草むらの上に寝転んだ。一度電話をかけ、その電話も放り投げた。
路肩に止めたトレーラーに寄りかかり、流れていく星を見上げているのは城家専務さんだ。艦橋での戦い、外での戦い、そして板額さんの逆プロポーズ。全部、データが共有されている。
専務さんはやめていたタバコをくわえた。
板額型二番機、巴さんが隣にやって来て、同じ星空を見上げた。
『板額の戦闘データは全て回収できました』
「そうか」
『片腕を失っても戦い続けた彼女を、私は誇りに思ってよろしいですか』
「男は選べよ」
専務さんが言った。
にゃー。
にゃー。
プリウスに残されていた子猫は、空腹をアピールしてロボ子さんの腕に飛び込んだ。
ほとんどの者が眠れずに朝を迎えた。えっち星人は補陀落渡海の勇姿と永遠の別れに。村人は生で見たスペクタクルに。
長曽禰家でもそれは同じだ。
虎徹さんと宗近さんは魂が抜けたかのような顔で、もそもそと納豆ごはんを食べている。
「にゃー」
「にゃー」
元気なのは子猫だけだ。
玄関前で、これもプリウスに山のように残されていた猫缶を子猫に与えながら、ロボ子さんもぼんやり考えている。しゃがんで丸められた背中が、さっきからぴょこたんぴょこたんとうごめいている。これはいったいなんだ。
(昨日、マスターを背負っている三池典太さんを見てカッとしたとき、なにか出そうになったんですよね……)
それは、おならでもうんちでもない。
(そういう小学生みたいなこと言う人、きらいです)
ごめんなさい。
大きな車の音が聞こえてきた。
二台の大きなトレーラーが村の国道をやって来る。
長曽禰家は国道からは少し離れている。その長曽禰家と繋がる道のところでトレーラーが止まった。降りてきたのはスーツの男と、板額さんと同じ真っ赤なコートを着た女性だ。
二人はずんずんと田舎道を歩いてくる。
明らかに長曽禰家を目指している。
やがてロボ子さんの前に立ったそのアンドロイドは、しゃがんだままのロボ子さんを見下ろした。その迫力に、子猫はとっくに逃げている。
『雪月改』
『そうですけど、どなたです』
『板額の腕を斬り落としたというけど、とてもそうは見えない。間抜けっぽいカオ』
さすがにムッとくる。
「おい、巴。無礼なことを言うんじゃない」
スーツの男が言った。
「雪月改さん。あなたがいるということは、もしかしてここは長曽禰虎徹さんの家ではないかな」
「そうですが」
そう答えたのは、玄関から出てきた虎徹さんだ。手にコップを持ち、歯ブラシを咥えている。
スーツの男、城家専務さんはにやっと笑った。
「はじめまして、うちの板額がお世話になりました。タイラ精密工業、城家です」
「そうですか。でもおれはその方のことも、あんたのことも知りませんね。人違いでしょう」
「宇宙駆逐艦補陀落渡海艦長、長曽禰虎徹」
「なんですか、そりゃ」
「三三光年を旅してきた英雄でしょう」
ぺっ!
虎徹さんはゆすいだ水を庭に吐きだした。
「その年で想像力がたくましいってのはいいことだ。おれなんか、最近はSFを読んでも前より楽しめなくなってしまいましてね」
「ふん」
城家さんは薄笑いを消した。
「あんたたちの存在証明である宇宙船が飛び去ってしまった以上、なにもなかったで済ますつもりですか。あの船にはうちの板額も乗ってましてね。手塩にかけた一番機だ。数十億注ぎ込んだクラスリーダー機なんだ。私は虫の居所が大変悪い。不機嫌でしてね!」
二人の会話をロボ子さんはしゃがんだままで聞いている。無表情ではあるが、先ほどからの背中のぴょこたんが激しくなっている。
そのロボ子さんの肩に、宗近さんが手を置いた。
「だめだ、ロボ子ちゃん」
『なんです?』
「だめだ。今、それを出したらいけない」
『だから、なんです?』
顔を近づけて宗近さんがささやいた。
「ごめん、説明はあとでする。君は改造されている。ぼくが趣味で改造した。たぶん君は、現在、地球最強のアンドロイドだ」
『はあ』
「そのうち、使い方とか教えるつもりだった。なにも知らないでそれを出したら、事故を起こしかねない」
『あのう、宗近さん、なにを言っているんです?』
『面白いじゃない!』
巴さんが歓声を上げた。
『専務! この子、地球最強のアンドロイドなのですって! お願い、私に潰させて! いいでしょう!』
「好きにしろ」
城家さんが苛立たしそうに言った。
「私は長曽禰虎徹さんと話しているのだ。邪魔をするな、巴。やるならさっさと済ませろ」
『アイ・アイ・サー!』
おどけて敬礼をして、巴さんはロボ子さんに顔を向けた。
『見せてよ、地球最強。板額の腕を斬り落としたそうだけど、私はそうはいかない。板額だって、ややこしいことにならないように弓以外を武装していなかった。フル装備の板額型の力を見せてあげるわよ』
『だから、腕を斬り落としたとか、ロボ子さんにはさっぱり身に覚えがないってんですよ』
ゆらりと、ロボ子さんが立ち上がった。
『でも、ロボ子さんも昨日から少し機嫌が悪いんです。うちの嘘つきのど腐れマスターのせいですよ(ここで虎徹さんがビクッと体を震わせた)。少し付き合ってもらいましょうかね、ですよ』
城家専務さんはニヤニヤとアンドロイドたちを振り返り、そして虎徹さんに視線を戻した。
「止めましょうか。雪月改ってお高いんでしょう? 私はあなたと話し合いに来たんだ。脅しだととられるのは不本意だからね。ねえ、長曽禰さん。私はね、あなたちを弊社の顧問として迎えいれたいと――なんです、なにがおかしい」
今度は虎徹さんがニヤニヤと笑っている。
変だ。
背中の方から、とてつもない気配がする。気配だけじゃない、なにかとんでもない音がしている。なにかが――自分の背後で起きている。おそるおそる城家専務さんは振り返った。
巴さんが腰を抜かしていた。
城家さんもまた腰を抜かした。
「おっはよーさーん!」
いい年こいたおっさんが、ご機嫌に鼻歌まで歌ってやって来た。
なれなれしく彼の肩に手を回し、
「なあなあ、リンちゃんかわいいな、あんなOL、うちの部にもいないものかねえ」
そりゃ『ゆるキャン△』じゃなく『ヲタクに恋は難しい』だ、ドあほう!
課長じゃなければ然るべき制裁を与えるべきだ。
しかしこの男は上司なのだ。課長なのだ。こんちくしょう!
「ああそれでな。昨日の『宇宙船』のやつな。送っておいたよ」
課長さんが言った。
「は?」
「は?じゃねえよ。おまえが電話してきたんだろ。朝イチで決済して送り込んでやったよ。どうだ、働き者だろ、おれも」
「あの課長」
「なんでしょう」
「あれ、誤報だったと『宇宙船』氏から電話があって、私もそうご連絡したはずですが」
「あ」
「あ」じゃねえよ。
■登場人物紹介・アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉(大尉相当)
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。
城家長茂。(じょうけ ながしげ)
地球人。タイラ精密工業技術開発担当専務執行役員。せんむ。
板額さんを開発した。クールキャラを気取っているが、クールになりきれない。
宇宙船氏。
地球人。警視庁公安の警察官。
ゼロ出身のエリートだが、宇宙船にこだわったために「宇宙船」とあだ名をつけられてしまった。本名も設定されていたが、作者にも忘れられてしまう。
ちなみに、ロボ子さんの呼称は
虎徹さんが「ロボ子さん」
宗近さんが「ロボ子ちゃん」
それ以外は「二号機さん」で統一されています。もしそうじゃないなら、それは作者のミスですので教えてください。