如月さん、旅に出る。
『『せめて、さよならを言いたかったです。四日間、ありがとうございました』』
そして如月さんは深々と頭を下げた。
「それは」
と、西織先生が言った。
「あの如月さんの言葉?」
『そうです。あなたの家で四日間お世話になった如月さんの言葉です』
「あの小生意気な如月さんの?」
『はい。間違いなく、その如月さんです』
「ネジにリボンつけた如月さんの?」
『はい。その如月さんです。それに気づいていたのですね。まだ気づいていないようなら、教えてあげてほしいと言われました。その如月さんです』
如月さんは続けた。
『彼女の言葉はもうひとつあります。『たった四日だけど、如月としての日々を過ごすことができたことを忘れません』』
後ろで、森山さんが涙腺を決壊させている。
『それから、空気を読んで、大丈夫そうなら伝えて欲しいと言われました。言って良い空気を私は読みました。『おまえみたいな邪知暴虐、一生結婚できねえよ、バーカ』』
森山さんはこけた。
西織先生は笑った。
梅雨の晴れ間の青空に、大声を上げて笑った。
散水ホースをおろし、西織先生は小柄な如月さんの体を抱きしめた。
「ありがとう、もうひとりの如月さん。うれしい」
結婚できない言われてうれしいのか!森山さんは驚愕した。
いや、森山さん、そこじゃない。
『私は旅をしてきました』
如月さんが言った。
『一月半、旅をしてきました。友達の言葉をあなたに伝えるために旅をしてきました。そして、たどり着けました。ほんとうにたどり着けました』
「頑張ったね、ありがとう」
『一月半かかりました。だから彼女が今元気かどうかわかりません。だけど金のエンゼルさんは不具合の因子が特定されるまでリカバリされることはありません』
「リカバリ……」
『だからきっと、彼女は今でも元気です』
「それは、良かったといっていいのかどうかわからないなあ……」
苦笑を浮かべ、西織先生は首を傾けた。
「でもまだ元気なら、如月さん、私の言葉もあなたの友達に伝えてね」
『はい、西織高子さま』
「頑張ったね、ありがとう」
何度も西織先生は繰り返した。
「ありがとう、如月さん」
『この旅ができて良かったです。あの如月さんに誘われたことを感謝しています。一生、説教部屋しか知らないままで終わるはずの私が、青空の下を歩けて良かったです。如月として過ごすこともできました。楽しかったです』
如月さんが言った。
『とても楽しかったです』
森山さんと如月さんは客間に招かれ、紅茶とクッキーを振る舞われた。
先生のお母さんの手作りというクッキーも驚くほど美味しかったが、森山さんはとにかく客間の豪華さと天井の高さに圧倒されてしまった。天井を見上げている森山さんに、西織先生は苦い笑顔を浮かべた。
ふたりが帰ったあとも、客間でひとり、西織先生は窓の外を眺め物思いに沈んでいる。
『お嬢さま、お話があります』
そこにやってきたのは、今、西織先生の家にいる如月さんだ。
「如月さん、あなた、彼女たちがいる間、余り姿を見せなかったね。遠慮してたの?」
西織先生が言った。
お茶やクッキーまで、ドアのところで渡されたのだ。
『はい、私は遠慮していました。私の前では話しにくい事もあるかも知れません』
「ばかね」
『それでお嬢さま。お話があります』
「ああ、ごめん。話の腰を折っちゃったね。どうぞ」
『弊社社長は、弊社アンドロイドからお父さんと呼ばれます』
「え、なんの話?」
『その父より、ネットを通じて連絡がありました。私は父からファイルを預かっています。私の前にこの家にいた如月さんの記憶です』
「ちょっと待って。なんの話?」
『金のエンゼルさんが二機脱走した。そして二機目は追跡できなくなった。何が起きたのか、父は父なりに調べたのだそうです。何日も何週間も一機目の金のエンゼルさんと話し、そして父はこの脱走の目的を知りました。ここに彼女の記憶があります。それで私を上書きすれば、個体差のない如月なのですから、私はその如月さんとほぼ同じ如月になります。その判断はお嬢さまにお任せしますとの、父からの伝言です』
「待って」
西織先生は如月さんを見上げた。
「あなたも、そのチチとやらも何を言っているの。あなた、それでいいの?」
『父は』
如月さんは無表情なままだ。
『もし、私がいやなら、ファイルを消去して、このこと自体をお嬢さまに伝えなくてもいいとも言いました』
「ならそうしなさい。なに馬鹿なことをいっているの」
『でも私には、その如月さんや、さっき来た如月さんのような事はできません。もしお嬢さまがお望みなら、私にはそれだけはできます』
西織先生はため息をついた。
「ひとりめは小生意気で、そして今度はけなげで。のほほんと旅してくる如月さんまでいて。なにが個体差がないってのよ。なにが感情がないってのよ。ほんと、嘘でしょって」
椅子から立ち上がり、西織先生は如月さんの頭をぽんぽんと叩くように撫でた。
「如月さんは、ここにきてどれくらい経ちますか」
『五一日です』
「これはまた細かく数えてくれましたね。それで如月さんは、その五一日を失ってもいいのですか」
『できれば、そうしたくありません』
「私もそうです。では、そのようにしましょう。うちの如月さんはあなたのままでいい。馬鹿なチチの言う事なんぞ聞くな。それでいいね、如月さん。さて、お嬢さまは、今夜もあなたの美味しい夕ご飯を期待しています」
如月さんは笑顔を浮かべた。
計算されて出てきた笑顔ではなかった。そのままの感情が溢れた輝く笑顔なのだった。
やばい。
(どこまで如月は、年増女の心をとろけさせるんだ……ッ!!)
やばい、やばい。
なぜか真っ赤になってしまった西織先生、あわてて口を手で覆って椅子に座り直した。
「あ、如月さん、その記憶ファイルさ――いや、いいや」
夕ご飯を作ろうと部屋を出ようとしていた如月さんは足を止めて振り返った。西織先生は外に顔を向けて頬杖をついている。
「同じファイルが私の中にもあるんだものね。だからいいや。消去して」
小首をかしげていた如月さん。
軽くお辞儀をして客間を出ていった。
夜になった。
明日も早い朝に備え、お父さんとお母さんはもう眠っている。
森山さんと如月さんはそっと外に出た。窓を開けて、あの夜の大冒険のように。
並んで家の前の駐車場を歩き、鳥居の前へ。
如月さんはあのトレーナーとジーンズ姿だ。
『さようならです、祥子さん』
如月さんが言った。
森山さんはカーゴパンツのポケットから封筒を出した。
「私からの餞別です。五千円あります」
『助かりますが、大丈夫ですか?』
「貯金をおろしたの。巫女として働くときには日給を貰っているから、高校生としてはけっこうお金持ちなの。気にしないで」
『ありがとうございます、祥子さん』
「如月さん」
『はい、祥子さん』
「いかないで」
森山さんの頬を涙が流れた。
「私、これからも、あなたといっしょに暮らしたい。如月さんと一緒にいたい」
『私は家出娘です。帰らないといけません。皆さんのご助力で旅をしてこれたのですから、目的を果たせた今、その報告と御礼を皆さんに伝えなければなりません。そして私は、西織高子さんの言葉とネジを友達に持って帰ってあげたい』
あのリボンがつけられたネジは、首からさげた巾着袋に大切に入れられている。そして、西織先生の言葉。
――私も、さよならを言いたかったよ。
――四日間、ありがとう。今でもときどき泣いちゃうほどさみしいよ。
「うん」
森山さんは涙を拭い、笑顔を作った。
「そうだったね、ごめんね。私のこと忘れないでね」
『極力努力します。私の機能内で最善を尽くします』
森山さんは手をだした。
如月さんは小首をかしげた。握手を求めているのだとわかってからも、如月さんは少し考えていたようだ。如月さんは森山さんの手を握った。
「さようなら、如月さん」
『さようなら、祥子さん』
如月さんは歩いていった。
鳥居の前の長い道を、一度も振り返らないで歩いていった。
如月さんを見送ったあと、森山さんは倉庫に入った。
葛籠を動かすのは大変だったが、今回はずらせばいいだけだったのでなんとかなった。狭い隙間に横たわっている如月さんを、旅する如月さんに教えて貰った方法で起動させた。
『こんばんまして』
体を起こし、目を開けた如月さんが言った。
『受けがいいそうで、私たちの最初の挨拶はこれに統一されたそうです。はじめまして、如月です』
また、森山さんの目から涙が落ちた。
たまらなく愛おしくて、森山さんは如月さんを抱きしめた。
「はじめまして、如月さん。これからよろしくね」
『はい、よろしくお願いいたします、お嬢さま』
如月さんが言った。
朝。
バスが動き始めた。
乗り込んできた如月さんに、運転手さんが声をかけた。
「おや、この間の如月さんじゃないか。そうだよね? どうだい、お使いはすんだかな」
にっこりと如月さんは笑った。
『はい、おかげさまで無事に』
「よかったね、それはよかったね」
『はい、ありがとうございます』
如月さんひとりだけのお客を乗せ、バスは走り始めた。
※まだ「如月さんといっしょ。」を読んでいらっしゃらない方は、この後書きを先に読まないようにお願い申し上げます。重要な種明かしが含まれています。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
普段は後書きというものを書かないのですが、この『如月さんといっしょ。』編は特殊な形態をとっておりましたので、もしかして混乱されている方やモヤモヤされている方がいらっしゃるかもかもしれません。
まことに蛇足ながらご説明申し上げます。
まず最初に書いてしまいますと、『如月さんといっしょ。』編は叙述トリックを使っています。
叙述トリックとは読者を騙すテクニックです。
『如月さんといっしょ。』編では時系列をごまかしています。
森山さんちと西織先生の如月さんは、実は同時期にこの町にいたことがない。森山さんちの如月さんの物語は、西織先生の如月さんの物語の一月半後である。それを同時進行のように書いていたわけです。
時系列通りに書くと冗長になってしまう。
旅する如月さんに、メルヘン的な要素の他にもミステリアスな要素をつけたい。
それを考えた上での構成でした。
恋愛小説に叙述トリックを使っている有名作品がありますが、人情ドラマに叙述トリックを使っていいのかという迷いはありました。
ただ、種明かし回、答合わせ回であった「もうひとつの土曜日」で、森山さんに時系列のズレがあること、叙述トリックであることを明確にしてもらったシーンは、書いていてたいへんな高揚感がありました。
まず、何気ない言葉で読者さんの記憶をつつき「あれ、違うこと言ってなかったか」とモヤモヤしてもらい、そのエピソードの終わりに決定的な一言。
もしかして、日本の本格ミステリ分野で叙述トリックが多いのは、もちろん某作品の影響と、そしてこの高揚感のせいなのかなあとも。
他にも「金のエンゼルはどっちなんだ?」「研究所の二人組はいつ森山さんちの如月を捕まえに来るんだ?」という細かいミステリ要素をちりばめることもできて、書いているこちらは楽しかったです。
「読者を騙す手法」である以上、叙述トリックに不快感を感じられる方も多いと思います。その点は、ごめんなさい。
これからもよろしくお付き合いください。




