もうひとつの土曜日。
そして、土曜日。
約束の時間に神社の駐車場に入ってきた西織先生の車を見て、あれ、軽なのかと森山さんは思った。
そりゃまあ、学校で見かけるいつものパステルな軽なのだけど。
これだけの美人で長身で西織家なら、ドライブに行くと言えば、なんとなくスポーツカーを飛ばしてくるのだろうと想像していた。
トヨタ二〇〇〇GTとか期待してたんだけど。
それはちょっと欲張りすぎです、森山さん。
ただ、降りてきた西織先生がサングラスをしていたのは想像のままだった。似合ってる。西織先生はサングラスを外すと森山さんににこやかに挨拶をして通り過ぎ、玄関で「御免くださいませ」と声をあげた。
「ああ、西織のお嬢さんじゃないか。うちの娘がなにかっ!?」
「お久しぶりでございます、森山宮司。今日一日、お嬢さまをドライブにお誘いしてもよろしいでしょうか」
「うちの娘がなにかっ!?」
なぜお父さんがパニックを起こしているのかわからないが、ああ、ほんとうにうちの父は、そして西織先生はこの町の名士なんだなと妙な感慨を抱いた。ふたりは、どこか正式な場で顔を合わせているんだ。
私も、将来は、そういう社交をこなさなくてはいけないのだろうか。
森山さんは、ぶるっと身を震わせた。
いやだ。
出ていくんだ。この家を、この町を。
「そういえば、大丈夫だった? 忙しいんじゃない?」
助手席に乗り込んできた森山さんに、西織先生が言った。
「いえ、うちの例大祭で、巫女がする事はあまりありませんから」
間近に迫った森山さんの神社の例大祭は、巫女舞ではなく稚児舞が行われる。森山さんも巫女姿で裏方にまわってその日だけは忙しいが、他にアルバイト巫女を雇う必要もないし準備に追われるほどじゃない。
「振られちゃった代役で申し訳ないけどさ、まあ、森山ちゃんとは一度話してみたかったんだよね」
「私とですか?」
「千年の格式を誇る神社って、どんなんかなって」
「変わりませんよ。両親がいて、一人娘がいて。仕事が他と違うだけです」
「そうそう、一人娘だしさ」
神社の話になり少し身構えた森山さんは、ちらりと西織先生の横顔をうかがった。そういえばこの間、西織先生も一人娘だと言っていた。確か独身のはずだし、西織の家をどうするつもりなんだろう。
自分が気にする事じゃないけれど。
「じゃあ、今日はこの町の穴場巡りと、お昼はフレンチレストランに予約とってあるからね。お楽しみにっ!」
未だに呆然と駐車場に立っているお父さんに会釈して、西織先生はアクセルを踏み込んだ。
この町の穴場巡りというのは冗談でもなんでもなく、実際その通りのコースを西織先生はたどった。もちろん地元っ子の森山さんにとって、その多くはとうに知っているものだったが、旧軍の保管庫という廃墟には驚いた。
鬱蒼と茂る森の中に静かに佇むコンクリートの壁。
中二病心を揺さぶられるに充分だ。
お昼を食べた丘の途中にあるフレンチレストランも、存在だけは知っていたのだけれど足を踏み入れるのは初めてのお店で、かなり嬉しかった。
こんな小さな町でやっていけるのかなと思ったが、先生によると一日数組の予約でやっていけるのだそうだ。へえ、そんなものなのかと思ったが、あとから考えてみれば、つまり結構なお値段だったわけだ。うわ、やばいと、ちょっと思った。
「じゃあ、午後は、すこし足を伸ばしまーす」
そう言って、西織先生は国道を山へと走らせた。
「次に行くところはね、ほんとは、夜に連れていってあげるつもりだったんだ、あの子をね」
あの子?
ああ、キャンセルになったドライブの相手か。
――あの子?
年下? むしろ女の子? え、夜???
車は国道をそれてさらに山へと向かっている。人気のない山へと。
……ごくり。
作家志望なだけあって、森山さんはすこし妄想力が強い。
もしかして今日、私は大人への階段を昇るの? でも、西織先生くらいきれいな人が最初の相手なら、失ってもいい……かも……。
きっと上手なんだろうし……。
優しくして……。
「ここよ」
やがて車を停めて、西織先生は車の外に出た。
なぜか顔を真っ赤にさせた森山さんも車を降りた。ちえ、違ったのか。
視界の悪い山の中、一方だけが開けていて、そこから崖の下の川が見える。
「あっ」と森山さんは声を上げた。
まるで絵画のような光景だったのだ。
西織先生は森山さんの反応に満足したようだった。
「ほんとはね、ここより下に車止めて歩いてくるともっと劇的なの。ここまで来ると突然視界が開けて、この光景が広がるんだ。そんでね、みんなにここを教えてくれたのは天文好きのヤツでね、ここは夜がいちばんすごいの。星がね、川面に降りるのさ。キラキラと。月が出ていたら最高」
「『ムーンリバー』」と、西織先生が言った。
「仲間うちではそう呼んでた、ここを。私たちの秘密の場所。ちょっと恥ずかしい?」
「きれい……」
「でしょ。ま、いいところ探しはできるもんよ。こんな惨めな町でもね。でもさ、高校時代は毎日思ってた。こんな町、絶対に出ていくんだって」
その言葉に、森山さんは西織先生の顔を見た。
西織先生は、にっと笑った。
「やっぱりね。私と森山ちゃん、似てるかもって思ったんだ」
「スーパーと飲み屋と建設業しかない。遊びに行くにも服を買うにも、隣町に行くしかない。通りに誰も歩いていない。知ってる? 私が子供の頃なんて、セブンイレブンもなかったのさ。それで田舎なら田舎で、風景がきれいだったり自然や歴史が守られてるならいいけど、そうでもない。あるのは絡み合ったしがらみだけ」
帰り道。
西織先生は運転しながら浜田省吾の歌を軽く口ずさんだ。
森山さんも知っている。ときどきカラオケで歌う。なぜか分からないけど、少しくやしいと思った。
「都会より田舎のほうが好きだから、もっときれいな風景の町に住みたいって思ってたな」
「あきらめたんですか?」
森山さんが言った。
西織先生は横顔でふふっと笑った。
「森山ちゃんは、作家になりたいのでしょう?」
「そうですけど」
「無責任に応援してるよ。そんでもって、一〇年後に神社で権禰宜さんしてても、私はそれだって応援する。でもさ、どうせならやっぱり作家さんになって欲しいな。ここじゃないどこかにいける人がいるのなら、それが自分じゃなくても嬉しいじゃない」
「あ、でもね」と、西織先生はつけたした。「源清麿さんがさ、実はここに住んでいるんだよ」
「ええええええっ!」
大ファンの作家の名前をあげられて、森山さんは悲鳴のような声を上げてしまった。ほんとうに? ぜんぜん知らなかった!
いいところ探しって、ほんとにできちゃうんだ。
こんな惨めな町でも。
大きな鳥居が見えてきたところで、西織先生が言った。
「ほんとはさ、今日、如月ちゃんを乗せるはずだったんだ」
「如月?」
「不良品だからって、連れてかれちゃった。たった四日しかいなかった」
「だれです?」
「違う、違う」
西織先生は笑った。
「アンドロイド。あれれ、その話してなかったっけ」
ああ、年増をとろけさせるってアンドロイド。
そういえば、如月といったっけ。
振られたってのは、アンドロイドにだったのか。アンドロイドをドライブに連れて行くつもりだったのか。やっぱり変人だ、この人。
森山さんは、そう思った。
四月下旬の土曜日。
そして、一月半後――もうひとつの土曜日。
ここ数日、中休みなのか、梅雨なのに晴れが続いてくれて良かった。
森山さんと如月さんは自転車を走らせている。坂道が続く。つらい。如月さんが平気そうなのがうらやましい。
丘の上の大きな家。
子供の頃から見てはいたけど、訪れたのは初めてだ。
自転車を止め、少し怖じ気づきながらも門からのぞいてみると、あのパステルの軽を洗車している西織先生が見えた。この時になってやっと、森山さんは「あっ」と思った。はじめに電話しておくべきだった。もしここまで来て西織先生が出かけていたらどうするつもりだったんだ。幸い、西織先生から気づいて声をかけてきてくれた。
「森山ちゃん。どうしたの」
そして、森山さんのうしろの如月さんに気づいたようだ。
「西織先生。うちでも如月を買ったんです。それで……」
この先は、自分が言うわけにはいかない。
如月さんは、この瞬間のためにやって来たのだ。
ひとりで旅をしてきたのだ。
「如月さん、この人が西織高子さん。あなたの友達のオーナーです」
森山さんちの如月さんは西織先生に顔を向け、確認するように森山さんを見て、そして歩き出した。
森山さんの横を抜け、西織先生の前に。
『私、あなたの家にいた如月の友達です。彼女から伝言を頼まれています』
如月さんが言った。
西織先生は水も止めずに呆然としている。
『『せめて、さよならを言いたかったです。四日間、ありがとうございました』』
そして森山さんちの如月さんは、深々と頭を下げたのだった。
■登場人物紹介。
如月。(きさらぎ)
ウエスギ製作所の大ヒット家事補助アンドロイド。
このモデルの大ヒットで調子に乗って、無駄に超高性能なアンドロイド雪月改が生まれたとも言える。
■人物編
森山 祥子。(もりやま さちこ)
地球人。二年四組。文芸部部長。
プロの作家になり、この町を出て行くのが夢。この町で唯一の神主が常駐する神社の娘。自身は巫女であり、高校生アルバイトのリーダーを中学生時代からやっていた。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、独身で変人。三〇歳。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。一年三組。天文部。通称ロボ子。
ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
長曽禰 虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(艦長なので中佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
源 清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫 正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池 典太 光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
三条 小鍛治 宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカフェチ。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
ウエスギ製作所モデル雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。時代劇が大好き。通称アホの子。
板額さん。(はんがく)
タイラ精工板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。(かむな)
雪月改のさらに上位モデルとして開発されたウエスギ製作所モデル神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。姐さん。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが中二病小説家で、それにそったキャラにされている。基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
■その他。
補陀落渡海。(ふだらくとかい)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。亜光速航行ユニットをつけた外宇宙航行艦。駆逐艦とされているが、現実には巡洋艦である。
現在はモスボール処理がなされ、パークに展示されている。
不撓不屈。(ふとうふくつ)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。補陀落渡海は亜光速ユニットによるタイムジャンプ航法で恒星間航行をしていたが、この艦はワープ航法が可能になっている。ワープポイント間を一瞬で結ぶことができる。
宇宙巡洋戦艦。補陀落渡海より一回り以上大きい。
現在は地球衛星軌道を回っている。
タイムジャンプ。
亜光速による恒星間航行技術。
亜光速にまで加速するので、その宇宙船と乗員にとっての時間の流れは遅くなる。補陀落渡海は三五光年を四五年かけて移動したが、船内時間では二年と少しだった。
それをタイムマシン、時間旅行になぞらえて、タイムジャンプ航法と俗称する。
ちなみに、その用語を使っているSFは『闇の左手』しか知らないのですが、他にもありますかね。
※参考文献
『神社若奥日記』岡田桃子(祥伝社)
『「ジンジャの娘」頑張る!』松岡 里枝(原書房)
『「神主さん」と「お坊さん」の秘密を楽しむ本』グループSKIT 編著(PHP研究所)
『知識ゼロからの神社と祭り入門』瓜生中(幻冬舎)
『巫女さん入門 初級編』監修 神田明神 (朝日新聞出版)
『巫女さん 作法入門』監修 神田明神 (朝日新聞出版)
(結局読み返したのはこれだけでした。がはは。お勧めは『神社若奥日記』)
※『神社若奥日記』には、『嫁いでみてわかった! 神社のひみつ』という増補改訂版がでているようです。




