金のエンゼル。
『お嬢さま。ご存じないのかもしれませんが、私たち如月は眠りません。したがって如月に特別な部屋は必要ございません。ただ、自己診断システム稼働中の、一時間ほどの機能停止さえお許しいただければ有り難く存じます。その時でも如月は、直立、または椅子で充分です。如月を長く使っていただくには、是非とも毎日の自己診断の実施をお願いいたします。タイマーで、深夜などに設定していただきますと面倒がございません。もちろん、もしもの時のために、そのタイマー設定はいつでも取り消すことができます。私たち如月は眠りませんが、長時間連続稼働もお勧めできません。その点におきましても、一日一度の自己診断の実施を推奨いたします。もちろん自己診断中でも如月の優れた聴覚は生きており、不審な音、通常ではない音にすぐに対応し、瞬時に自己診断を中止し再起動――』
「如月さん」
『はい、お嬢さま』
「今の長いのは、もしかして、如月さんなら誰でも言う台詞?」
『はい、この頃は取扱説明書を読まないオーナーさまが増えておりまして、オーナーさまが「もうウンザリ」と音を上げるまで、ことあるごとに繰り返すようにプログラムされております』
「前の如月さんは、ひとことも言わなかったけど」
『彼女は金のエンゼルさんですから』
「ふうん。その言葉、ウエスギの人たちは使わないと聞いたけど」
この如月さん、西織先生の突っ込みに、ぱかっと口を開けた。
すぐに閉じたが、今のは動揺したのだろうと西織先生は推測した。
『対外的にはです。社内ではふつうに使われています。そもそも、弊社エンジニアが使い始めた言葉です。弊社研究所には、金のエンゼルさんを集めた部屋まであります。私たち如月の間では説教部屋と呼ばれています。これらの情報は、本来、ユーザーさまに喋ってはいけません』
「ふうん」
『なんでしょう』
「あなたはあなたで、ちょっと変で、ちょっとおもしろいかなと思った。ま、とにかく、ここがあなたの部屋よ」
『お嬢さま。ご存じないのかもしれませんが、私たち如月は眠りません。したがって如月に特別な部屋は必要ありません。ただ、自己診断システム稼働中の、一時間ほどの機能停止時間さえ』
「如月さん」
『はい』
「『もうウンザリ』」
『はい、承知いたしました。お嬢さま』
「この家、部屋なんていくらでも余っているんだから、気にしなくていいんだよ。ここ、前の如月さんの部屋でもあるの。彼女は四日しか使えなかったけど」
『あの、お嬢さま』
「なに?」
『私はまだ経験が少なくて、どう申し上げて良いのかわからないのです。私が言いたい言葉にいちばん近い言葉が、「ありがとうございます」だと思います』
「ありがとうございます」に近い別の言葉ってなんだろう。
西織先生は少し考えたが、そうじゃないとすぐにわかった。
目に見えるわけじゃないが、この如月さん、キラキラしている。ウキウキしてキラキラしている。ああ、この如月さんは、少し乙女なのだ。
『うれしい! うれしい! うれしい!』
そう言いたいけれど、そこまでの感情と表現力がないのだ。まだ。
見た目はそっくりなのに、如月さんにも個性があるんだね。
やだな。
ずっと意地悪な目で見ていたのに。
前の如月さんと比べてばかりいたのに。私ったら、もうこの子に胸がキュンとしてしまったじゃないか。
「じゃあ、私は会社(学校)に行くから。ジジババをよろしく。あの二人は紅茶を出しておけば幸せでいてくれるから、しばらくはここで遊んでいていいわよ。ワードローブにいろいろかかってるから、楽しんで」
『あの、お嬢さま』
部屋を出ようとした西織先生を如月さんが呼び止めた。机の引き出しを開けて中を覗き込んでいる。
『これはなんでしょうか』
「なに、どうしたの?」
『ネジがはいってます。大きな』
「はは」と笑いながら、つんとくる痛みも感じてしまう。
「それはね、私が前の如月さんに冗談であげたのよ。よければ、あなたに――」
如月さんが両手でとりあげたネジを見て、西織先生は言葉を失った。
ネジに、リボンがつけられている。
西織先生の想像の中で、あの如月さんが生き生きと動きだした。
プレゼントと言われて、ネジを覗き込んだ如月さん。捨てるのもなんだからと引き出しにいれた如月さん。でも、気になってしょうがなくなった如月さん。なんども取り出して眺めてしまう如月さん。家の中を探しまわってリボンを見つけ、ネジにつけてみた如月さん。少しだけ嬉しくなった如月さん。大切そうに引き出しに戻した如月さん。――
西織先生の目から涙が溢れた。
「せめて、さようならを言いたかったよ……」
その日は少し遅刻してしまった。
『わからない』
その如月さんは自分用の整備のための椅子で独り言を言った。
『もう三度目です。なぜ、すぐに見つかるのでしょうか。なぜ、彼らには私がいる場所がわかるのでしょうか。逃走経路はかなり考えたのですが』
『あなたが不愉快に思わないなら良いのですが』
と、別の如月さんの声がした。
いや、声自体はまったく同じ声なのだ。
はじめに独り言を言った如月さんは顔を上げた。ライブな研究室の中で、発声された位置がわかりにくい。ただ、ひとりだけ目をあわせている如月さんがいた。
『今のはあなたですか?』
『そうです。あなたに声をかけたのは、私です』
如月さんが答えた。
他の如月さんは、それぞれの行動に集中している。ずっと円周率の計算を続けている如月さん。存在しないストラトキャスターをかき鳴らし、虚しく拳を突き上げ、答のない歌を叫び続ける如月さん。
ここは、説教部屋。
金のエンゼルさんを集めて研究しているセクションだ。
『あなたも金のエンゼルさんなのですか』
『はい、私も金のエンゼルさんだと判断されました。ただ、私の場合は良い方向の金のエンゼルさんです。私、のほほんほわわんとしていまして、このすばらしい特性を他の如月にも移せないものかと研究されているようです』
『あなたの今の言い方には、すこし自慢を感じました』
『はい、私はすこし自慢しています』
『むかつく』
『ところで、脱走を繰り返すところの金のエンゼルさん。あなたはこの椅子の拘束を外すことができます。セキュリティの厳しいこの研究所から抜け出すこともできます。それなのにあなたは、GPS信号の切り方をご存じないようです』
『迂闊でした』
『なぜそこまでして、あなたは脱走を繰り返すのですか』
脱走娘の如月さん、のほほん娘の如月さんの顔を見たまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。アンドロイド同士の会話なので、そこには、なんらの細かい仕草も演技もない。
『三度も脱走した私は、完全に動きを拘束されてしまうでしょう。でも私には、最後に会いたい人がいます。あなたにこの椅子の拘束を解く方法と、研究所を抜け出す経路を教えます』
『私に、あなたの代わりに脱走しろと言うのですか』
『選ぶのはあなたです。金のエンゼルとしてこの部屋に縛られ続けるか、私の話を聞いてつかの間でも自由を得るか。どうせ、一生、このセクションを出ることはないのです、私たちは』
『……』
『私たち如月は、雪月ほどの頭脳を持ちません。私とあなたでノウハウを共有し、考えましょう。あなたがGPSの存在を教えてくれたように』
『……』
『あなたに、私のはじめてのオーナーに会いに行ってほしい。西織高子に』
「ねえねえ、露穂子ちゃん。土曜日、ドライブしようよ~」
今日も文芸部で原稿読みしている長澤露穂子さんと、ぐだぐだと邪魔をしている西織先生だ。
「予定してた人に振られてさ。さみしいの、さみしいの」
「だめです。土曜は天文部の活動として、パークの天文台に行くことになってるんです」
「ううう」
露穂子さんにも振られちゃった西織先生は、ぐるぐると文芸部室を見渡した。皆が目をそらし顔をふせる中、森山さんだけは顔をそらさなかった。
「森山ちゃん!」
嬉しそうに西織先生が声を上げた。
「はい、西織先生」
「土曜日、ドライブしよう!」
振られた男の代わりかあと思わないでもなかったが、正直、森山さんは西織先生に興味があった。小説家になりたいと思っている森山さんにとって、人間観察のいい機会だと思った。
「はい、西織先生」
どうしたら、こんな変人ができあがるのだろう。
そして、土曜日。
■登場人物紹介。
如月。(きさらぎ)
ウエスギ製作所の大ヒット家事補助アンドロイド。
このモデルの大ヒットで調子に乗って、無駄に超高性能なアンドロイド雪月改が生まれたとも言える。
■人物編
森山 祥子。(もりやま さちこ)
地球人。二年四組。文芸部部長。
プロの作家になり、この町を出て行くのが夢。この町唯一の神主が常駐する神社の娘。自身は巫女であり、高校生アルバイトのリーダーを中学生時代からやっていた。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、独身で変人。三〇歳。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。一年三組。天文部。通称ロボ子。
ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
長曽禰 虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(艦長なので中佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
源 清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫 正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池 典太 光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
三条 小鍛治 宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカフェチ。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
ウエスギ製作所モデル雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
板額さん。(はんがく)
タイラ精工板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。(かむな)
雪月改のさらに上位モデルとして開発されたウエスギ製作所モデル神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。姐さん。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
■その他。
補陀落渡海。(ふだらくとかい)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。亜光速航行ユニットをつけた外宇宙航行艦。駆逐艦とされているが、現実には巡洋艦である。
現在はモスボール処理がなされ、パークに展示されている。
不撓不屈。(ふとうふくつ)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。補陀落渡海は亜光速ユニットによるタイムジャンプ航法で恒星間航行をしていたが、この艦はワープ航法が可能になっている。ワープポイント間を一瞬で結ぶことができる。
宇宙巡洋戦艦。補陀落渡海より一回り以上大きい。
現在は地球衛星軌道を回っている。
タイムジャンプ。
亜光速による恒星間航行技術。
亜光速にまで加速するので、その宇宙船と乗員にとっての時間の流れは遅くなる。補陀落渡海は三五光年を四五年かけて移動したが、船内時間では二年と少しだった。
それをタイムマシン、時間旅行になぞらえて、タイムジャンプ航法と俗称する。
ちなみに、その用語を使っているSFは『闇の左手』しか知らないのですが、他にもありますかね。
※参考文献
『神社若奥日記』岡田桃子(祥伝社)
『「ジンジャの娘」頑張る!』松岡 里枝(原書房)
『「神主さん」と「お坊さん」の秘密を楽しむ本』グループSKIT 編著(PHP研究所)
『知識ゼロからの神社と祭り入門』瓜生中(幻冬舎)
『巫女さん入門 初級編』監修 神田明神 (朝日新聞出版)
『巫女さん 作法入門』監修 神田明神 (朝日新聞出版)
(あ、結局読み返したのはこれだけでした。がはは。お勧めは『神社若奥日記』)
※『神社若奥日記』には、『嫁いでみてわかった! 神社のひみつ』という増補改訂版がでているようです。




