如月さん、やって来る。
「ああ、驚いた。あんた、如月さんだね」
バスの運転手さんは、乗り込んできたアンドロイドに目を丸めた。
「お使いかい、えらいね。バスの乗り方、わかるかな?」
『わかると思います』
無機質な声で如月さんが答えた。
短めのボブヘア。一般的な如月さんのスタイルだ。
トレーナーにジーンズと、遠目には中学生か高校生に見える。
「バスに乗ってくる如月さんなんて、はじめて見るねえ。都会なら普通なのかな。おじさん、前に雪月さんを乗せたことがあるよ。なんの用なのか聞いたら、『自走でお届けに参ります』とか言ってたなあ。あの子たちは今元気にやってるのかなあ。そういえば、板額さん知っている? あのモデルさんみたいなかっこいいアンドロイドさん。彼女もついこの間乗ってきたよ。みんなびっくりしてたなあ。あ、ごめんね。おじさん、運転手さんなのにおしゃべりだね。さ、整理券はとれたかな。すいているし、好きなところに座ってね」
如月さんは整理券を手にして一番後ろに座った。
朝や夕方の通勤通学時間ではないこのお昼前、お客さんは他にはおばあさんだけのようだ。そのおばあさんと運転手さん、ちらちらと盛んに如月さんを気にしている。
アンドロイド如月。
ウエスギ製作所の家事補助アンドロイド如月は、それまでの同クラスアンドロイドより繊細で違和感のないなめらかな動きを実現させながら、高級車二台分といわれた価格を一気に軽自動車なみに下げたエポックメイキング機だ。
世界的なベストセラー機であり、如月さん自体は、この時代、それほど珍しくはない。ただ、街で如月さんを見ることは確かに少ないだろう。
如月さんは、家の中で家事補助をするためのアンドロイドなのだ。
せいぜいスーパーでときどき見かけるくらいで、そもそもバスに乗るような用事をこなすアンドロイドじゃない。
さて、この如月さん。
あまりにおばあさんと運転手さんが気にしてくるので、少し居心地が悪くなってきた。どこかに問い合わされても困る。本当は終点まで乗るつもりだったのだけれど、そろそろ降りようと思った。如月さんにそこまで考える機能があるのかは微妙なのだが、この如月さんはそう考えたようだ。
腕を伸ばし降車ボタンを押すと、二人とも「すごいね!」と喜んでくれた。
巾着袋からお金を出し精算機に入れると、そこでも「すごいね、ちゃんと計算できるんだね、わかるんだね!」と喜んでくれた。
「スーパーで清算もできます」「宅急便の着払いもできます」「料理のレシピに比べたら簡単です」とは思ったが、口にはしなかった。
ただ、バスから降りて、さて困った。
目的地はまだ先なのだ。
『良く晴れていますし、のんびり歩いて行きましょう』
きっちりかっちり融通の利かない如月さんらしからぬ、いいかげんな思考で独り言。そんな、すばらしく人間的な行動をこなし、その如月さんは歩き始めた。
「えっ、如月、買ったんですか、西織先生」
読んでいた原稿から顔を上げ、長澤露穂子さんが言った。
放課後の文芸部。部員の全員が女子だ。ときどき男子も間違えて入部してくるのだけど、ひと月も耐えきれずにやめていく。そのため、伝統的に女子しかいない。
「うん。安くなったしさ。あの馬鹿でかい家、年増女と老夫婦で維持するの、もうダメ。もう不可能。もはや限界」
おいおい、だれが年増女だ!と、しなくてもいいひとり突っ込みをなぜか露穂子さんにぴしゃりと入れてゲラゲラ笑う、相変わらず人としてうざったい西織高子先生である。
「ロボ子ちゃんとか三号機さんとか神無ちゃんとか、板額さんとか。見ててほんとかわいいじゃない。なんか、心ゆくまで彼女たちのおっぱい撫でてみたいじゃん。それも動機かなー」
恥もたしなみもとうに捨てた三〇歳処女でもある。
「だったら、ストレートに雪月か雪月改を買えばいいのでは」
「高いもん。桁が一つ違うんだもん」
「西織家なら、山の一つも売れば買えるのでは」
「それ、父と母が死んだら検討しよう」
「その台詞、おじさまとおばさまに言いつけますよ」
ところで。
女子だけの部室で猥談もよいだろう。両親殺しの相談をするのもいいだろう。
だが、しかし。
英語教師西織高子先生、そして一年女子天文部部員長澤露穂子さん。この二人は文芸部ではない。
繰り返す。
文芸部ではない。
二人の背後で、妙に圧迫感をもってそそり立つのは、怒りの文芸部部長さんである。
「いいじゃん、暇なんだし」
西織先生は目を逸らし、口を尖らせている。
教師が生徒に貫目負けしている。
「暇なのは先生たちであって、私たちではありません。忙しいんです、うちは今」
部長さんが言った。
「夏コミはずっと先じゃん」
「今月の部誌の編纂であって、私たちに夏コミは関係ありません。先生たちはそうやって計画性がないから、夏や冬になってからいつも大騒ぎするんじゃありませんか?」
「ついこの間二年になったばかりのあなたが、どうして『いつも』だと言えるのです」
「つまりもう、夏冬と二回見させていただきましたけど。夏休み前と冬休み前に、日に日に衰えていく西織先生の姿」
「ところで」
と、上級生と教師の言い争いに、なんの気後れもなく平然と割ってはいる露穂子さんである。
「『先生たち』って、そこに私を入れないでください。私は暇ではありませんし、夏コミ用小説はすでにほとんど書き終えていますから」
「『キンタマとオレとは同期の桜☆5』な」
「今度、そのタイトルを校内で口にしたら、あのスクリプト動かしますから」
そして露穂子さんは原稿読みに戻った。
文芸部の一年生の間に安堵感が広がったようだ。
露穂子さんが読んでいるのは、部誌用の原稿だ。一年生でありながら、露穂子さんはすでに読書家+コミケ作家としての評価を得ていて、原稿の試し読みに呼ばれたのだ。適確な指摘とアドバイスにも定評があるという。
「私が読んであげてもいいんだぞう」
西織先生も言うのだが、こっちには誰も寄りつかない。
先生の実力がどうのというより、彼女の変人ぶりが知れ渡っているからだろう。実は西織先生の読書量や文章力もあなどれないのを、文芸部部長さんは知っている。
もちろんチェックしている。
ライバルとして。
そう。露穂子さんも西織先生も、仲間である部員ですら、みな――ライバル。
森山祥子さん。
二年四組。文芸部部長。
「ライバルが多すぎる」
誰にも聞こえない独り言をもらし、中学生のころからずっと続けてトレードマークになっているポニーテールをゆらした。
この小さな町。
メインストリートわずか数百メートル。てほどではさすがにないが、まあ、似たようなものだ。その歌で歌われたのは「さびれた映画館」だったが、映画館自体が親が子供の頃に一軒もなくなってしまった。そもそもこの時代「メインストリート」が存在しない。夕焼けだけが、田舎のせいなのか、ひたすら美しい。
去年、山のほうのずっと奥の村に宇宙人と宇宙船がやってきた。
宇宙人だ。
限界集落じみていた村だったのに、今ではこちらよりずっと活気がある。むしろ、こちらのわずかばかりの元気を吸いとられているような気すらする。
そんな町だ。
もってない。
未来なんてない。
自然死を待つだけの町。
出ていく。
出ていくんだ、私。
ぜったいに。こんな町を。
泣きたくなるほどきれいな夕焼けの中を、森山祥子さんは自転車を走らせている。
大きな鳥居。
竹林の小道。
広いというほどではないが何台も停められる駐車場。
森山さんの自転車はそれらを通り過ぎ、特別変わったところのない日本家屋の前で止まった。
横を向けば、本殿の大きな千木が群青の空に向かってそそり立っているのが見えるのだが、森山さんからすれば子供の頃から見慣れた風景だ。いちいち見上げることなどない。
玄関の戸を開け、自転車を入れようと振り返った森山さんはぎょっとした。
夕闇の中、玄関の陰にだれかが立っている。
気づかなかった。
すぐ近くにだれかがいたなんて、まったくわからなかった。
『こんばんまして』
その人影は無機質な声で言った。
『受けがいいそうで、私たちの最初の挨拶はこれに統一されたそうです。はじめまして、如月です。この家の方ですか?』
「如月……?」
少し前、その話題を聞いた。
ああ、西織先生が話してくれたんだった。
■登場人物紹介。
如月。(きさらぎ)
ウエスギ製作所の大ヒット家事補助アンドロイド。
このモデルの大ヒットで調子に乗って、無駄に超高性能なアンドロイドロボ子さんが生まれたとも言える。
■人物編
森山祥子。(もりやま さちこ)
地球人。二年四組。文芸部部長。
プロの作家になり、この街を出て行くのが夢。大学教授の父親と二人暮らし。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、独身で変人。三〇歳。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。一年三組。天文部。通称ロボ子。
ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
※参考文献
神社若奥日記 岡田桃子(祥伝社)
「ジンジャの娘」頑張る! 松岡 里枝(原書房)
「神主さん」と「お坊さん」の秘密を楽しむ本 グループSKIT 編著(PHP研究所)
(今回、読み返した分です。随時更新。お勧めは『神社若奥日記』)




