郷宙尉補さん、はじめてのおつかい。(後編)
宇宙港に迎えがあるなんて初めてのことだった。
首都からは遠く離れていたし、こっちにとってはほんの数ヶ月の旅でもあっちにとっては数年なのだから、私たちは忘れられていく。有り体に言えば、年を取らない宙軍軍人は不気味だったろう。
「お嬢」
そんな昔の呼び名で声をかけてきたのは、母さんのバンドのベーシストだった。
長身でハンサムで影があって、まあ、そういうことで母さんの恋人だったこともあったわけで、私はもちろんこいつが嫌いだった。
老けたな。
彼を目の前にした私の印象はそれだけだった。
「君のお母さんは来ない」
「来た事なんてない」
「そうじゃない。死んだ。君の母さんは二年前に病死した。おれはそれを伝えに来たんだ」
そのあと彼が黙り込んでしまったのは、私の返事を待っていたのだろうか。それとも、ただ無口だったからだろうか。
私だって、いったいなんてコメントすれば良かったというのだろうか。
熱気、低音。そして、光。
そのアリーナは最高潮にあった。
ステージで歌うのは、小柄な女性。サイズからは想像もつかないほどパワフルだ。
ああ、これ、覚えてる。
郷宙尉補さんは思った。
『たまやーー!』
『よっ! 成田屋ッ!』
郷宙尉補さんの両隣で馬鹿でかい声を張り上げたのは、やはりロボ子さんと神無さんなのだった。
「あんたたち、来ちゃったの」
『えーー!? 聞こえないーー! べいべーー!』
「アホの子」
『なんだこら、ケンカ売っとんのか、このへたれ胸』
「聞こえてんじゃん」
『私もいます、郷宙尉補』
板額さんが、戸惑いを浮かべた顔を覗かせてきた。
パークの社屋の玄関ホールを出たそこは、コンサート会場だった。
郷宙尉補さんは長い髪をかき上げた。
「あのねー。いいの? 戻れるかどうかわからないんだよ。なんでついてきちゃったの、あんたたち」
『私、あなたのパートナーですから』
生真面目な顔で、板額さんが答えた。
『楽しそうだもん!』
『楽しそうだもん!』
こちらは、聞かなくてもわかる答を平然と答える、ノリノリのアホの子コンビだ。
『なんとかなるでショ』と、さらりとロボ子さんは付け加えた。
すでに三六光年を飛んで、一〇〇年を飛んだことがあるロボ子さんなのだ。三六光年のほうを知っている板額さんは、ちらりとロボ子さんの横顔を覗った。
『郷宙尉補、ここがどこかわかりますか?』
板額さんが言った。
「たぶんね」
家の近くのアリーナ。
自分にとってはじめての母のコンサートだ。
ツアーに連れて行ってもらったことがない郷宙尉補さんは、小学生高学年になってやっと母のコンサートを見ることができたのだ。
そして、これが最初で最後。
『つまり、三六光年と十数年を旅してますね、私たち』
「私ひとりなら夢って可能性もあったんだけど、あなたたちもいるんなら、どうやらそのようね。すごい方向音痴。とんでもない迷子」
目を伏せて郷宙尉補さんが言った。
「お母さん、今度のアルバムに入っている曲、私のことでしょ!」
あれはいつのこと。
たしかもう中学生だった頃のこと。
「まあ、わかっちゃうわよねえ。でもさあ、あたしも母親なのよね。いつまでも夜の街ほっつき歩いてる不良娘じゃないわけよ。母親としての歌を作るのもリアリティなわけ」
「やめてよ! 苛つくとお菓子貪るとか、失恋しちゃったとか、私、学校でからかわれちゃったよ!」
「そうか。考えてなかった」
「今度からは考えて!」
「ごめんよ」
「わかった。もう、あたしの彼氏はこの家にあげない。それでいい?」
「ねえ、あたしはあんたの親なわけ。なんであんたは、あたしを親の仇みたいな目で見るわけ?」
「士官学校?」
「そうよ。サインして」
「え、なに、あんた、あのクソッタレな連中の仲間になるっての?」
「母さんの認識はこの際置いといて、全寮制だから家を出る。給料も出るから迷惑はかけない」
「あんた、この家、嫌いだったもんねえ」
「そうじゃないけど……」
「警察においかけられてた不良娘が生んだ娘が、追う側にまわるんだねえ」
「警察じゃないから。軍だから」
「どうでもいいんだよ、そういうのは」
「どうでもいいことじゃない」
「どうでもいいことなんだよ、あんたが自分で自分の道を見つけたことに比べたら」
巨大なアリーナのステージの上の母親は、米粒程度にしか見えない。
『見てますよ』
板額さんが言った。
「……」
うずく予感を感じていたのだ、郷宙尉補さんも。
ステージの上の母が、自分の存在に気づいている。
「そうか、軍服着た変な客がいるって思ってるんだ。だって、あっちからじゃ私ってわかるわけがない。だいたい、この時の私はまだ小学生だったんだから」
『それはわかりません。でもあなたのお母さんは、頻繁にあなたに視線を合わせています。それは確かです』
「……」
『郷宙尉補さん、あなたのお母さん、すごいですーー!』
ロボ子さんが両腕を振り上げた。
『私もこんなコンサート、初めてです! 初めてのコンサートなんですけどーー!』
神無さんも叫んだ。
ステージでは母親が観客を煽っている。
「頑張んな。この家や、あたしを嫌って出ていくんだから」
「だから、ちがうって」
「聞きなさい。あんたは今日、家を出て行くんだから。覚悟するんだ。泣いて帰ってきたって、あげてやらない」
「……」
「だけど、あんたが帰ることができる家はここだけだから。それも忘れるんじゃない」
「なに言ってるのか、わかんないよ……」
「泣いてるんじゃないよ、ばか。あんたの誇らしい日だろう。もう行きな」
「君の母さんは二年前に病死した。おれはそれを伝えに来たんだ」
郷宙尉補さんの眼から涙が溢れた。
「板額さん!」
郷宙尉補さんが叫んだ。
『はい、ここにいます』
「私、お母さんに言いたいことがあった! 伝えたいことがあった! いっぱいあった!」
『言えますよ、今なら言えます』
曲が最高潮だ。
ステージと観客が一体となって、叫び続けている。
郷宙尉補さんも口を開けた。何かを言いかけて、なにかを叫びかけて――しかし郷宙尉補さんは歯を食いしばったのだった。
母さん。
あなたに伝えられなかった言葉があるよ。
だけど、言わない。
ここでなんか、言わない。
あなたはもう、死んだのだから。
伝えたくて伝えたくて後悔して後悔して、くやしくて。悲しくて。泣いて。それがこんな都合よく伝えられてたまるもんか。母さんと私のあの日々を、こんなお手軽に終わりにできてたまるもんか。
なめるな、私の人生を。
なめるな、こんちくしょう。
振り返ると、板額さんが困った顔をしていた。
郷宙尉補さんが笑うと、板額さんも笑ってくれた。
歌い終えた母親が、暗くなったステージで手を振っている。
「お嬢、はじめて生で聞くお母さんの歌はどうだった」
そう楽屋で話しかけてきたのはギターのひとりで、その日のベーシストは隅っこでぬぼーっと立っていただけだったと思う。
「すごかった!」
笑顔でこたえた、そんな無邪気な頃が自分にもあった。
その時、母はどんな顔をしたろうか。
思い出せない。
ただ、少しだけ幸せだったような気がするのだ。
パークの玄関ホール。
四人が消えた玄関の向こうから、歓声が届いている。
やがて熱気は去り、まずロボ子さんと神無さんが戻ってきた。
『わあー、凄かったです、最高です!』
興奮冷めやらないのはロボ子さんだ。
『しかもタダで見ることができちゃいましたーー!』
『先輩、貧乏ったらしい台詞で気分を盛り下げないでください』
そんな二人の後から、郷宙尉補さんと板額さんも現れた。
全員無事だ。お兄さんは、ほっと笑顔になった。
お兄さんの姿に気づき、郷宙尉補さんは敬礼した。
「郷宙尉補、ただいま戻りました!」
そして。
「遅れましたが、これより地球司令代理に書類を届けてまいります!」
まだそれを覚えていたことに、お兄さんは驚いた。
「よろしい、郷宙尉補。任務を遂行せよ」
お兄さんも敬礼を返した。
郷宙尉補さんの目元に泣いた痕があるのが見て取れたが、お兄さんはそれには言及しなかった。ただ板額さんに視線を流しただけだった。
板額さんもなにも言わなかった。
書類を胸に、今度こそ虎徹さんの部屋を目指して郷宙尉補さんが邁進している。
だけど階段の踊り場で大きな帽子の女性とすれ違うときに接触してしまい、書類を落としてしまった。女性は書類を拾うのを助けてくれた。
この社屋で、自分以外の女性?
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
帽子で顔が見えない。
すこし年が行っているが、きれいな佇まいをしている。
女性は口元に微笑を浮かべ階段を降りていった。郷宙尉補さんはそれを見送っていたが、やがてささやくように口にした。
「私、それなりにやっているよ、母さん」
それはほんの小さな声だったのに、女性は立ち止まった。
「見ているよ」
再び階段を降りはじめた女性の背から、そんな声が届いた気がした。
逃げなくてもいい。
追わなくてもいい。
私はあなたとともに行く。だって私はあなたの娘なんだから。あなたという母親の娘なんだから。
「郷宙尉補? とうに書類持って来たよ。なに、まだ戻ってないのか?」
お兄さんは眼を閉じ、虎徹さんとの電話を切った。
『じゃあ、このGPS情報は正しいのですね』
板額さんが言った。
「驚くほどのことではない。彼女はすでに三六光年と数十年を旅している」
お兄さんが言った。
『あの不思議な経験で、郷宙尉補の迷い癖は治ったのかもしれない。私、そう思っていたんです。私ってやっぱり、乙女回路搭載のアンドロイドなのですね』
実は、同じことを期待していたお兄さんなのだ。
「なかなか、甘くない」
お兄さんはつぶやいた。
「ナマステ」
郷宙尉補さんは立ち尽くしている。
「ナマステ」
「ナマステ」
私は今、どこにいるの!?
■登場人物紹介。
郷義弘。(ごうのよしひろ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈所属の宙尉補(中尉相当)。
歴とした女性。事務仕事にかけては有能だが、とんでもない方向音痴。
板額さん。(はんがく)
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。郷宙尉補が勝手にどこかにいってしまわないように、彼女の首輪に繋がったリードを握っている。
■人物編。
長曽禰興正。(ながそね おきまさ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈所属の宙尉(大尉相当)。
超有能なのだが、その唐変木ぶりで未だに宙尉のまま。虎徹さんの実のお兄さん。
林田さん。
長曽禰宙尉の部下。地球人で非軍人。
一等兵曹。
長曽禰宙尉の部下。えっち星人で軍人。林田さんと並んでリーダー扱い。
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
ロボ子さんのマスター。
現在は領事代理代行、地球指令、パーク園長と忙しい。宙佐(本来は少佐相当だが、艦長なので中佐相当になっている)。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
モデル雪月改二号機。長曽禰ロボ子。本来の主人公。
神無さん。(かむな)
モデル雪月改のえっち星人特化モデル。雪月改よりさらに高性能。
ただし性格は、ロボ子さんに輪をかけてちゃらんぽらん。ロボ子さんを「先輩」と呼ぶ。
■その他。
11次元の歪み。
ロボ子さんの住む村は不思議な村で、かつては限界集落であったが、えっち星人たちが集まってきて、更には何千年も前から別の宇宙人も来ていたのがわかっている。
そして、11次元が歪んでいるために、不思議なことが起こる。
ロボ子さんは三六光年を飛び越えたことがある。
タイムジャンプ。
亜光速による恒星間航行技術。
亜光速にまで加速するので、その宇宙船と乗員にとっての時間の流れは遅くなる。補陀落渡海は三五光年を四五年かけて移動したが、船内時間では二年と少しだった。
それをタイムマシン、時間旅行になぞらえて、タイムジャンプ航法と俗称する。
ちなみに、その用語を使っているSFは『闇の左手』しか知らないのですが、他にもありますかね。




