ロボ子さん、星を見る。
「新しい車だ、板額さん」
典太さんが得意そうに笑った。
嫌悪感に耐えながら、板額さんは助手席についた。
「こんな不道徳な生活、もういやだ」、そう会社にも泣きついたのだ。しかし、当局とは別口の謎の組織が動いている以上、レンタカーでは危ない。ましてや会社や社員の個人所有の車を使わせもらうわけにもいかない。
「一台用意できた。ただし、入手経路や手段は聞くな」
そう言われた板額さんは、会社とのオンラインを強制的に遮断したのだった。クライアントのプライベートやビジネスの秘密を守るために用意されている措置を応用したものだが、会社には「板額の乱」と記録されているらしい。
『この仕事、向いていないのかもしれません』
となりには、鼻歌交じりにご機嫌で盗難車を運転する宇宙人。
「ほらまた表情にでてるよ、板額さん」
『私は表情をコントロールできます。警備対象者さまに自分の不機嫌さを見せることなどありません。もし私が不機嫌に見えるのなら、典太さまが私にそのような表情を期待しているのです』
「あれー、ぼく、不機嫌そうに見えるなんて言ってませんよー」
中年男なんて、大嫌い!
典太さんは、はっと眼を見開いた。
その押し殺した声が、車で仮眠をとっていた典太さんの耳に届いたのだ。
『典太さま……!』
車を停めたのは郊外の空き地。
セイタカアワダチソウとススキがせめぎあっている。
太陽はまだ高い。昼食を調達に行ったはずの板額さんの姿が、背の高い夏草の中に見える。
『典太さま、助けて……!』
典太さんは周囲を探った。危険らしいものは見当たらない。しかしあの無敵の護衛アンドロイドがここまで怯えているのだ。無意識に腰に手を伸ばした典太さんは、はっと眼を見開いた。
目を覚ませ!
なまくらにもほどがある!
ここは地球だ。おれはただの負け犬だ。銃なんておれにはないんだ!
典太さんは緊急脱出用ハンマーを手に、そっとドアを開けて外に出た。特殊警棒くらいは調達しておくべきだった。
『典太さま、違うんです』
板額さんの声が聞こえる。
『危険じゃないんです。危険ですけど、危険なのは私の立場です』
ふにゃふにゃなこと言ってんじゃないよ、自称警護ロボ!
相手の目的はおれ。おれは殺さない。こちらには車もある。ふにゃふにゃだけど無敵のアンドロイドもいる。
状況が知りたい。
自称警護ロボ、状況だ!
雑草の中を板額さんが近づいてくる。片足を引きずっているようだ。典太さんは緊張をたかめた。
『違うんです、典太さま。猫なんです』
にゃー。
『どうしましょう、子猫が私の足にしがみついて離れないのです』
板額さんは泣きそうだ。
『そうです、ミッション遂行のためには子猫を連れていくわけにはいきません。それくらいの常識は生まれたばかりの私にもあります。でも、この子猫、やせっぽっちなんです。汚れているんです、必死に生きようとしているんです。生きようと、私の足にしがみついているんです。典太さま、私、どうしたらいいのかわからない……!』
からん。
緊急脱出用ハンマーが典太さんの手から落ちた。
暑い。
この日本ってのは、おれの故郷によく似ているくせにどうしてこう暑いんだ。どうしてこう空が青いんだ。典太さんは両眼を瞑り、はるかな故郷と宙軍の日々を思うのだった。
にゃー。
にゃー。
『典太さま、典太さま! すごい、おなかがぽんぽんになってます。子猫ってこんなにミルクを飲めるものなのですね!』
板額さんがはしゃいでいる。ホームセンターに寄って買ってきた子猫用品が後部座席にたっぷりと転がっている。これも経費から出るのだろうか。
『かわいいっ!』
やれやれ。
その板額さんが、ふっと静かになった。
「? どうした、板額さん」
『私、やっぱりリカバリです』
「なんのことだ?」
『私は板額型一番機です。二番機は巴さんといいます。自律的に判断し行動するために、板額型には感情が与えられましたが、まだ弊社にはノウハウが貯まっていない状況で、私にはやや感情豊かに、巴さんにはやや平坦な感情プログラムが与えられました』
ああ、なるほど。
とは、さすがに典太さんもこの状況では口に出せない。
『どうやら、その巴さんの感情プログラムが評判良いようです』
突然、典太さんはそれに気づいた。
板額さんが泣いている。
隣に座る板額さんの横顔に涙が流れているわけじゃない。だが、間違いなく板額さんは泣いている。
「……」
ゾッとした。
泣くというのは、行動と表情だけでそうするのではなく、空気を変えるのだ。典太さんははじめてそれを知った。
『ミッションの途中で子猫拾うような、出来そこないの感情プログラムなんて、誰だってリカバリします。私だってそうします。巴さんで上書きします。私の行動記録は研究所に送信されています。みんな私に呆れ果てているでしょう』
「その猫は、おれの猫だ」
典太さんが言った。
「おれが飼うと決めた。だから板額さんは任務から逸脱していない。君にはその猫を護る義務が生じた」
『ありがとうございます、典太さま』
「君がいい」
『はい、なんでしょうか、典太さま』
「そんな巴なんて見たこともないヤツより、おれは君がいい。わかったか。わかったら、はりきっておれを護れ、板額さん」
『はい、典太さま。必ずお護りします』
男が言う台詞じゃないし、女に言わせる台詞じゃないよな。
典太さんは心の中で自分に皮肉を投げつけるしかなかった。
盗んだ車を走らせ、出来そこないのアンドロイドに同情して。おれはいったいこの星でなにをやっているんだろう。
同情だって。
そんなことができる立場か、おれは。
夜が来た。
今日も晴れ渡り、夏の星座が輝いている。
長曽禰家では天体観測会だ。
補陀落渡海の部品を利用して、宗近さんが天体望遠鏡を作ってくれたのだ。ロボ子さんの目だって高性能だが、さすがに大口径の天体望遠鏡にはかなわない。そのいっぽう、ロボ子さんのデータベースには三千を越える天体が登録されていて、望遠鏡を操って次々に星を視野に導いてくれる。M20、M27、アルビレオ……。
『えっち星はどこですか。座標を教えてくれれば導入します』
「今の季節では見えないんだ」
虎徹さんが言った。
「航海科のやつによると、冬の星座にあるそうだ。星座を形作ることもできない名もない五等星だそうさ」
『次は花火大会をしたいですね』
「そうだな」
『お別れ会です』
ロボ子さんの言葉に、虎徹さんと宗近さんが動きを止めた。
『もうすぐ夏も終わるんです。夏とのお別れ会です。もしかして、お二人も一緒に行くというのなら、私もついて行きます』
「そういうことにはならない。彼は一人で行く」
虎徹さんが言った。
「補陀落渡海のメインコンピューターが回復したおかげで、山に突っ込んだときの修理ももうすぐ終わる。それにしてもロボ子さんの勘の良さを甘く見ていた。家族なんだから、隠していちゃだめだよな」
『そうですよ』
「メインコンピューター回復パーティを開いたように、お別れ会も開くつもりだったんだ。なかなか言い出せなくてな」
『さみしくなります』
ロボ子さんが言った。
見上げたのは鎮守さまの山。
街灯もない田舎の夜空は降るような星空だ。濃い天の川が流れている。
同じ星空を、典太さんと板額さんも車の中から見上げている。
街に近いここでは、天の川も見えない。
「なあ、日本では『アイラブユー』を『月がきれいです』というんだって?」
典太さんが言った。
どうしてこう、この宇宙人はこの世界に馴染んでいるのだろう。
『夏目漱石がそう言ったという伝説はあるようです。二葉亭四迷が「死んでもいい」と訳したという伝説もあるようです』
「奥ゆかしいね」
子猫が車の中で運動会をしている。
典太さんは何度か顔面を踏まれてしまった。
『猫を連れて外に出ましょうか』
「構わんよ、好きにさせてやってくれ。猫も夏への扉を探しているのだろうさ」
『なんです?』
「いや、今が夏なんだから、冬への扉かな。いやいや、そんなところ行きたかないか。なあ、板額さん。おれたちの星は、地球では冬の星なんだ。星座を形作ることもできない名もない五等星さ。ああ、どうも頭が回らなくなってきたようだ。寝るよ。おやすみ、板額さん」
さすがに元軍人だ。
典太さんはあっという間に眠りに落ちてしまった。
板額さんは子猫が暴れないようにあやしながら抱きかかえ、そっと車の外に出た。子猫は車のまわりをはしゃぎ回っていたが、やがて板額さんの膝の上に乗ると、こちらも電池が切れたかのように眠りについた。
板額さんは眠らない。
眠る子猫を撫でながら星を見上げ、きれいですとつぶやいた。
■登場人物紹介・アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉(大尉相当)
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。
城家長茂。(じょうけ ながしげ)
地球人。タイラ精密工業技術開発担当専務執行役員。せんむ。
板額さんを開発した。クールキャラを気取っているが、クールになりきれない。
宇宙船氏。
地球人。警視庁公安の警察官。
ゼロ出身のエリートだが、宇宙船にこだわったために「宇宙船」とあだ名をつけられてしまった。本名も設定されていたが、作者にも忘れられてしまう。
ちなみに、ロボ子さんの呼称は
虎徹さんが「ロボ子さん」
宗近さんが「ロボ子ちゃん」
それ以外は「二号機さん」で統一されています。もしそうじゃないなら、それは作者のミスですので教えてください。




