郷宙尉補さん、はじめてのおつかい。(中編)
かかとの音を響かせ、郷義弘宙尉補さんがパークの廊下を歩いている。
パークやえっち国領事館には従業員はまだ少なく、社屋に女性の姿は少ない。というか、ロボ子さんたち女性型アンドロイドをのぞけば、唯一の女性正社員が郷宙尉補さんだ。
目立つ。
スカート姿だけでも目立つのに、郷宙尉補さんの長い髪がさらさらと目立つ。そして郷宙尉補さんは自他共に認める美人さんなのだ。圧倒的に自分から主張することが多いのだが。
まあ確かに、はっとするような美人さんなのだ。
その郷宙尉補さんが背筋を伸ばし、早足で歩いている。すれ違う者はみな、振り返ってしまう。
目指すは階上のパーク園長室。
私はもう迷わない。
この書類を地球司令代行に無事渡すのだ。
郷宙尉補さんがおかしな迷子能力を発動したのは、中学生の頃だった。
えっち国人なら誰でも知っている有名歌手だった母親は、レコーディングやツアーでいつも家を留守にいていた。郷宙尉補さんはそれに慣れていた。だけど家にいることだってやっぱりあって、そんな日には家に帰るのがおっくうだった。二人だけで顔を合わせている空気がいやだった。だから学校帰りに道草するようになった。
帰宅が遅くなっても母親は何も言わなかった。
夜遊びは覚えなかった。勉強する時間を削りたくなかった。
それなのに道草だけは長くなった。
見慣れない街並みだなと思ったら、歩いていたはずなのに駅で三つ先の街だった。
なぜか隣の州の警察署で問題集を解いていた。
登校してから気づいたが、昨日と今朝の家での記憶がなかった。
でも母親は何も言わなかった。
「もういいじゃない」
郷宙尉補さんが言った。
「もう迷うことなんてなくていいじゃない。今日で終わりにしましょう」
そして階段にたどり着いた郷宙尉補さん。
迷わず階段を降りていったのだった。
『いきなり間違えてませんか、郷宙尉補さん……』
がっくり崩れている影二つ。
郷宙尉補さんのおつかいのあとを追っていたお兄さん――長曽禰興正宙尉と、板額さんだ。
「とにかく追いましょう」
自分を励ますようにお兄さんが言った。
「社屋の中ならまだ大丈夫でしょうが、社屋の外に出られたらやっかいだ」
『そうですね。今の郷宙尉補さんなら、いきなり違う国に飛んでも不思議ではありません』
ふたりは郷宙尉補さんの後を追った。
「おばちゃーーん、きのこの里、ちょうだい!」
「あら今日は早いのね、いつものきれいなお嬢さんはどうしたの!」
「任務の途中で買い食いか……」
『迷ったのではなく、購買に直行したのですね……』
これはこれで、崩れ落ちてしまいそうなふたりだ。
『そうでした。玄関ホールの購買にはなぜか迷わずにいけるんです、郷宙尉補さん』
「あの迷い癖も、欲望には勝てないのだな」
しかしなぜだ、とお兄さんが言った。
「地球司令代行の部屋に行くのとたいして変わらない距離だぞ。迷子の達人の発想はわからない。よけいこんがらがるだけではないのか?」
あっ!と、お兄さんは拳を握り締めた。
「そうか、糖分の補給か!」
『なんです?』
「板額さんには失礼だが、我々人類の脳は大量の糖分を必要とする。彼女はこのミッションを遂行するために、まずは兵站を考えたということだ。今後何が起きようと対応できるように、脳から整えたのだ!」
興正宙尉には――と、板額さんは思った。
物事を複雑に考え、強引に答を導き出してしまう癖があるようです。
その一方。
板額さんの様子がおかしい。
ちらちらとお兄さんへと視線を飛ばしている。
「どうしました、板額さん」
『いえ、郷宙尉補さんのおつかいとは関係のないことですから……』
「ふむ?」
『購買のおばさんがなにか言いましたよね……』
「私の耳はあなたほど良くはありませんが、二人とも大きな声だったので交わした言葉は届きましたよ」
板額さんの顔が赤い。
『その、ええと……。きれいなお嬢さんとか……。いいえ、なんでもないです……』
板額さんには――と、お兄さんは思った。
突如として乙女回路を全開にしてしまう癖があるようだ。
一方の郷宙尉補さんは、貪るようにきのこの里をほおばっている。
「負けるもんか、ちゃんとやり遂げるんだ」
どうやら、おつかいのことを忘れているわけではないらしい。
「負けるもんか、もう迷わないんだ」
「あんた、イライラすることがあると、いつもそうやってお菓子ほおばってたね。よく太らないもんだと感心してたわよ」
「あんたが私をそういう体質に産んだんでしょ」
「あたしは食べれば太るよ。ちょっとうらやましかったわね」
「……」
郷宙尉補さんは手を止めた。
恐る恐る振り返ってみたが、そこにはいつもの購買のおばちゃんののんきな顔がある。
「なんだい?」
おばちゃんが言った。
「今、話しかけてきたの、おばちゃん?」
「なに言ってるんだね。あんたが独り言いってただけじゃないか。独り言に返事したらいけないっていうから、黙って見てたよ」
「そりゃ、寝言だよ」
「あー、そうだっけ!」
けらけらと、おばちゃんが笑った。
「とにかく、食べたら戻りな。怖いハンサムなお兄さんにまた叱られちゃうよ」
きのこの里の最後のひと掴みを口に放り込み、バリバリと噛み砕き、郷宙尉補さんは空き箱を丸めてくずかごに投げ入れた。
ガラス張りの玄関ホール。
パークの本格オープンはまだ先だし、そもそも関係者以外立ち入らない社屋だから人影は少ない。
『あれ?』
板額さんが言った。
『あの、今日の玄関ホール、いつもと違いませんか。私がレンズの収差を補正できなくなっているだけでしょうか』
「いいえ。私も、さきほどから違和感があります」
お兄さんが言った。
「板額さん、どう違うのか確認できませんか。さきほどまでの画像とつきあわせて」
『わかりません。差分を確認できません。それなのに私の認知は、なにかが違うと私に警告しています』
いつもの玄関ホールでありながら、いつもの玄関ホールとは異なる場所にいる感覚にふたりは襲われている。
「――まさか、これが?」
お兄さんが言った。
『いえ、郷宙尉補さんの迷子は、いつも突然です』
板額さんが言った。
『突然ホテルの壁を突き抜けたり、森の中を歩いていたり、知らない家の食卓の前にいるんです。こんな事は初めてです』
潜んでいた物陰から板額さんは立ち上がった。
『私、郷宙尉補さんのところに行きます』
その時だ。
『あなたに、この状況を否定できて?』
『あなたに、この状況を否定できて?』
『わあっ!』
「うわ、びっくりした! 二号機さんに神無さん、いつの間に!」
二人の後ろに、アホの子コンビが立っていたのだった。
『闇のロボ子と闇の神無が、今日も超常現象を解き明かす』
『先輩、両方闇だと、解決編が存在できません』
『どうせ、またいつもの「11次元の歪み」で終わりですよ』
『先輩、ぶっちゃけるのもやめてください』
「あのだな」
ふたりのトラブルメーカーの登場に、お兄さんは頭を抱えた。
「どうして君たちがここにいるのだ。君たちは仕事中だろう。君たちが揃うと、嫌な予感しかしないのだ」
え?と、ロボ子さんと神無さんは頑是無いつぶらな瞳を長曽禰宙尉さんにむけた。
『楽しそうだから』
『面白そうだから』
「帰ってくれ」
『私、やっぱり郷宙尉補さんのところに行きます。彼女が心配です』
板額さんが言った。
『私は彼女のパートナーなのですから』
当然、ロボ子さんと神無さんも言った。
『私たちも郷宙尉補さんのところに行きます。わくわくするから!』
母さん?
この気配は、母さん?
郷宙尉補さんも不思議な感覚の中にいる。
母さんは死んだんだよ。
タイムジャンプ航法でそらを飛んでいる間に死んだんだよ。忘れないで、私。間違わないで、私。
ここはパークの玄関ホール。
だけど、すごい熱気を感じる。歓声が聞こえてくる。
郷宙尉補さんは歓声に向かって足を踏み出した。
※闇のロボ子と闇の神無。
『幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー』(NHK)。
闇の栗山千明さんと光の栗山千明さんがナビゲーターをつとめる、超常現象検証番組。面白いです。本も持ってます。手品のトリックがある場合、どんなトリックなのかは明かさないなど、良心的でもあります。ちょっと残念だけど。正直にいうとどんなトリックだったのか知りたいけど。ところで、昔は「白の栗山千明と黒の栗山千明」と言ってませんでしたか?
ところで、本も持ってます。
■登場人物紹介。
郷義弘。(ごうのよしひろ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈所属の宙尉補(中尉相当)。
歴とした女性。事務仕事にかけては有能だが、とんでもない方向音痴。
板額さん。(はんがく)
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。郷宙尉補が勝手にどこかにいってしまわないように、彼女の首輪に繋がったリードを握っている。
■人物編。
長曽禰興正。(ながそね おきまさ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈所属の宙尉(大尉相当)。
超有能なのだが、その唐変木ぶりで未だに宙尉のまま。虎徹さんの実のお兄さん。
林田さん。
長曽禰宙尉の部下。地球人で非軍人。
一等兵曹。
長曽禰宙尉の部下。えっち星人で軍人。林田さんと並んでリーダー扱い。
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
ロボ子さんのマスター。
現在は領事代理代行、地球指令、パーク園長と忙しい。宙佐(本来は少佐相当だが、艦長なので中佐相当になっている)。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
モデル雪月改二号機。長曽禰ロボ子。本来の主人公。
神無さん。(かむな)
モデル雪月改のえっち星人特化モデル。雪月改よりさらに高性能。
ただし性格は、ロボ子さんに輪をかけてちゃらんぽらん。ロボ子さんを「先輩」と呼ぶ。
■その他。
11次元の歪み。
ロボ子さんの住む村は不思議な村で、かつては限界集落であったが、えっち星人たちが集まってきて、更には何千年も前から別の宇宙人も来ていたのがわかっている。
そして、11次元が歪んでいるために、不思議なことが起こる。
ロボ子さんは三六光年を飛び越えたことがある。
タイムジャンプ。
亜光速による恒星間航行技術。
亜光速にまで加速するので、その宇宙船と乗員にとっての時間の流れは遅くなる。補陀落渡海は三五光年を四五年かけて移動したが、船内時間では二年と少しだった。
それをタイムマシン、時間旅行になぞらえて、タイムジャンプ航法と俗称する。
ちなみに、その用語を使っているSFは『闇の左手』しか知らないのですが、他にもありますかね。




