虎徹さん、笑う。
「宙尉はいいですよね。互いにタイムジャンプ宇宙船乗りで、五〇年経っているのにほぼ同じ年齢差で弟さんと再会できて。奇跡ですよ。うちなんかいつみても私が一六歳のままだからまわりは気味悪がるし母はヒステリー起こすし。それでなんですか。昨日、いい感じで和解しちゃったんですか。ばっかじゃないんですか。青春ですか。その年で青春ですか。やってらんねーですよ。ちゃんちゃらおかしーってんですよ」
納豆を練りながらねばねば言っているのは郷宙尉補さんである。
「わきまえたまえ、郷宙尉補」
同じく納豆を練っているお兄さんだ。
「ここは地球司令代理の朝食の席である。そして無理のある嘘をさらっと入れるな」
今日の長曽禰家の朝食は賑やかだ。
虎徹さん、宗近さん。ロボ子さんに神無さんに久々の板額さん。虎徹さんが朝からぶすっとしているのは、昨日のチェスでお兄さんに泣くまで叩きつぶされてしまったからだ。
そのいつものメンバーにくわえて、お兄さんに郷宙尉補さん。
どういうわけか板額さんの隣に座って「あーん」と口を開けている典太さんまでいるような気がするが幻だろう。たぶん。
ところで。
板額さんも納豆を練っている。
『板額さん、朝ごはん記念日ですね』
ロボ子さんが言った。
研究所でメンテナンスを受けていたときに、『VIPを相手にするならディナーにお付き合いする機能も必要でしょう』と、ロボ子さんや神無さんと同じような胃袋ユニットに換装してもらったらしい。実際にはうらやましくてしょうがないので『つけてつけて』とだだこねたということなのだが。
それで生まれてしまったのがウワバミ乙女ロボだが、今日は穏当に朝ごはんデビューだ。
『納豆って見た目は怖いのに美味しい!』
とっても嬉しそう。
見た目は怖いのに美味しいのは君と一緒だね♪と口走って鉄拳制裁を受けている典太さんもいる気がするが、それも幻だろう。
長曽禰家を辞しての宿舎のホテルへの道は、郷宙尉補さんといっしょだ。
前を歩く郷宙尉補さんの隣に板額さんがいる。
例の首輪とリードはしていない。以前は眠るときにもリードを離さなかったというが、今日は土曜日だ。たしかに休みの日にそこまで拘束する必要もあるまい。
しかし、休みの日なのに二人でいるんだな。
もう、ただの友達じゃないのか。
くるっと郷宙尉補さんが振り返った。びくっとお兄さんは身構えた。この人がこれをするとき、ろくなことがない。
「チェスセット、地球司令代理の家に置いてきたんですか」
郷宙尉補さんが言った。
「じいさんの形見として置いてきた。それでもっと精進しろとな。おれは新しいチェスセットを買うとする。地球のでもいい。君も――」
「なんです?」
「もうメガネは必要ない、といくかね?」
ふんと鼻を鳴らして笑い、郷宙尉補さんは顔を前に戻した。
「私はまだ一六歳ですよ。とうに枯れ果てた三〇男と一緒にしないでください。私はまだまだあがくんです。もがくんです。面倒くさいけど、しょうがないんです」
「そうかね」
お兄さんが苦笑交じりに言った。
そして板額さんとお兄さんの言葉が重なった。
『まだ言い張るんですね』
「しかし言い張るんだな」
「長曽禰興正宙尉、参りました」
月曜日。
虎徹さんに呼び出されたお兄さんは、そこに、いるはずのない人物を見た。
衛星軌道上をまわっている宇宙巡洋戦艦不撓不屈。その艦長さんが園長室の応接セットのソファーに座っていたのだ。
「やあ、長曽禰興正宙尉」
「イエス・サー!」
お兄さんは直立不動の敬礼で応えた。
「君の体調が回復したと聞いてね。連絡艇の今朝の便で来た。同じ便で帰る」
「恐縮であります!」
お兄さんのために来たのだと艦長さんは言ったのだ。
艦長さんは続けた。
「恨み言はないか。聞いてやるぞ」
「――」
「ここにはおれと、君の弟と彼のアンドロイドしかいない。言え。許す。なにを口にしても忘れてやる」
「ありません」
敬礼したままのお兄さんが言った。
「そうか。じゃあ、おれは言うぞ。すまなかったな、宙尉」
お兄さんのまぶたが、痙攣したように動いた。
「ふん、言いたいことを思い出したか。さあ言え」
「私は――」
真っ直ぐ前を見て、お兄さんが言った。
「私は、この年にしてさらに強くなりたいと思いました」
艦長さんは、ぽかんと口を開けた。
そして首を振った。
「トーヘンボクにもほどがあるぞ、おまえさんは」
「恐縮です」
「褒めていない」
「恐縮です」
「ひとつ言い訳をさせてくれ。君にあれをやらせたのは、君なら大丈夫だと思っていたからだ。宙尉はスタンフォード監獄実験やミルグラム実験を知っているかね」
神無さんがヒソヒソとロボ子さんに聞いてきた。
『先輩。なんです、それ』
『簡単に言うと、状況によっては、ためらいも良心の呵責もなく人は非人間的なことができてしまうという心理学の実験ですよ。ただし、スタンフォード監獄実験のほうは再現性がないので、学術的には疑問があると言われています』
『先輩。どうしてえっち星人さんたちって、私たちよりときどき地球の雑学に詳しいのでしょうか』
『そっちのほうは謎なのです、後輩』
一方、お兄さんは答えた。
「はい、知っております」
背後でアンドロイド二機が外国人のように大げさに肩をすくめているのは、お兄さんには見えない。
「君なら、そのようにはならないと思った」
艦長さんが言った。
「君は間違っても非人間的な行動をとらない。その実績もある。強靭だ。だがいくら強靭でも君はただ一人の人間だった。その君を、おれは便利な道具として使ってしまった。おれはおれがその役目をするべきだった。さもなければ船務長を解任し君をその後任に就かせるべきだった。なのにおれは君を便利に使い、安易な選択をしてしまった。君の言葉を借りれば、おれはこの年にして、まだ艦長として成長すべきなのだと知った」
艦長さんは立ち上がり、お兄さんに正対して敬礼した。
「長曽禰興正宙尉。君はいい宙佐となり、いい艦長となるだろう」
お兄さんは動揺したようだ。
「失礼ですが……」
「帰国したら、君を宙佐に推薦する。長曽禰虎徹先任宙佐の推薦もある」
お兄さんは、はっと振り返った。
虎徹さんは、わざとらしく天井を見上げている。
「じゃあな」
艦長さんは背を向けた。
「お供します」
「いらん。ジジイ扱いするな。あのな、久々に陸に上がったんだ。好きに歩かせろ。おまえ、どうせねちねちと規則を持ち出して気楽に散歩もさせてくれないんだろ。来るな!」
もつれるように園長室を出るとき、お兄さんはもう一度虎徹さんを睨み付けた。
虎徹さんは、今度はにやりと笑っている。
艦長さんの怒鳴り声とお兄さんの足音が遠ざかっていく。
『ふうん』
静かになった園長室で、そんな声を上げたのはロボ子さんだ。
「なんですか、何か言いたいことありそうですね、ロボ子さん」
虎徹さんが言った。
『マスターは、お兄さんのことを嫌っているのだと思ってました』
「嫌いだよ。昨日だって、久々にふたりでチェス囲んで、いいことだって言ってやったのに本気でおれを叩きつぶしに来やがった。大ッ嫌いだね」
「でもな」と、虎徹さんは続けた。
「違うんだよ。本人は自分が弱くなったと嘆いているようだが、違うんだ。兄貴は周囲に気を配るようになったんだ。もともとそういう男だったのかもしれない。じいさんは本物のトーヘンボクだった。あれと傲岸不遜を競ってどうすんだ。兄貴はいい艦長になるだろうし、白髪交じりになる頃には、いい校長になるだろう」
『それも、昨日、言ってあげたんですか?』
「言ってやるもんか、くそったれ」
虎徹さんは頭の後ろで両腕を組んだ。
「ま、次に倒れたり、泣き言を言いだすようだったら、言ってやってもいい。でも、もうそんなことにはならないだろうぜ。きっとさ」
そして愉快そうに笑った。
■登場人物紹介・主人公編。
長曽禰興正。(ながそね おきまさ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈の宙尉(大尉相当)。
超有能なのだが、その唐変木ぶりで未だに宙尉のまま。虎徹さんの実のお兄さん。
郷義弘。(ごうのよしひろ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈の宙尉補(中尉相当)。
歴とした女性。事務仕事にかけては有能だが、とんでもない方向音痴。
林田さん。
長曽禰興正宙尉(お兄さん)の部下。
■ゲスト編。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、独身で変人。三〇歳。
山本 瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。既婚。三〇歳。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
■その他。
補陀落渡海。(ふだらくとかい)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。亜光速航行ユニットをつけた外宇宙航行艦。駆逐艦とされているが、現実には巡洋艦である。
現在はモスボール処理がなされ、パークに展示されている。
不撓不屈。(ふとうふくつ)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。補陀落渡海は亜光速ユニットによるタイムジャンプ航法で恒星間航行をしていたが、この艦はワープ航法が可能になっている。ワープポイント間を一瞬で結ぶことができる。
宇宙巡洋戦艦。
現在は地球衛星軌道を回っている。
タイムジャンプ。
亜光速による恒星間航行技術。
亜光速にまで加速するので、その宇宙船と乗員にとっての時間の流れは遅くなる。補陀落渡海は三五光年を四五年かけて移動したが、船内時間では二年と少しだった。
それをタイムマシン、時間旅行になぞらえて、タイムジャンプ航法と俗称する。
ちなみに、その用語を使っているSFは『闇の左手』しか知らないのですが、他にもありますかね。




