郷義弘さん、母親を語る。
長曽禰家の床下を這っているのは鳴神、歌仙、千両の同田貫組高校生三人組だ。
「ねえ、なんでぼくらはこんなところを這っているわけ」
「この床の上には西織先生と山本先生がいるからだ」
長曽禰家で開かれている宴会に西織先生がやって来たらしいという情報に、隠密偵察を遂行している最中なのである。
「いたとしても、それでどうなるの」
「中間試験の情報が聞けるかも知れないだろ、千両」
「正直になれ、歌仙、千両。西織先生の使った盃や箸を奪取すれば、結構な値段で売れるとは思わないか」
「山本先生のも意外と売れるかもしれないんだよな。うちの広田とかに」
広田というのは歌仙くんの美術部友達だ。
「他にも、神無さん、板額さん、姐さん、三号機さんと、美少女アンドロイドも揃っている」
相変わらず意識的にか無意識にか、ロボ子さんの存在をすっ飛ばしてしまう失礼な三人組である。
「美少女アンドロイドたちのも、コンピューター研やアニメ研に売れるかもしれないね。すごいや、姐さんのネジ一本に右往左往してたぼくらとは思えない大人の会話だ!」
ところで。
縁の下とはいえこんな会話をしていたら、地獄耳の一号機さんに筒抜けなのではないだろうかと思われるだろう。
驚くべきことに、彼らはこの会話をすべて軍のハンドシグナルでこなしている!
いやもう、それ手話でいいんじゃね。
そして。
奥で明かりが灯った。
「まあ、こんなこったろうと思ったよ」
「代貸!」
「副隊長!」
「人間無骨副隊長!」
「おう、いま、代貸言った鳴神。おまえ、またあとでゲンコツな」
そう。
彼らはこの会話もハンドシグナルで交わしている!
「これがわかるか」
人間無骨さん、手にした小銃を三人組に見せた。
「なに、わかんないの? 勉強不足だねえ。VSS。消音狙撃銃だよ」
「あの、副隊長。そんなものをなんに使うのですか」
「なにって、上の人たちに聞かれないように、おまえらを撃つの」
「死んじゃいますよ!」
「死んじゃいますよ!」
「死んじゃいますよ!」
「おれの腕を信用しないの、おまえら」
「撤収――!」
鳴神くんの指示で、三人組は匍匐で逃げ出した。人間無骨さんも匍匐で三人のあとを追う。彼らの縁の下の戦いはまだ始まったばかりだ。
『なにやってるんでしょうね、うちの子たちは』
上の座敷では、一号機さんが苦笑いしながら盃を傾けている。
「責任を取ってもらいますよ、宙尉!」
仁王立ちで言い放った郷宙尉補さん。
そのままぶっ倒れてしまった。
完全に酔い潰れている。
とりあえず郷宙尉補さんは、ロボ子さんとお兄さんでロボ子さんの部屋のベッドに運ばれた。ロボ子さん、休むまひまもない。
巨大なアリーナのステージで拳を振り上げるひと。
小柄な体で飛び跳ねて、口パクもなしに歌声を張り上げる。
私は彼女を誇りに思ったことがあるだろうか。
ふわふわとした生活や考え方に反発することだけで、私は彼女を母親だと思ったことがあるのだろうか。
郷宙尉補さんは眼を開けた。
ロボ子さんが胸元を緩めている。
人の気配に首をそらせて目を向けると、お兄さんが真っ赤なコートの人を連れて部屋に入ろうとしている。
「板額さんを連れてきた」
お兄さんが言った。
『神無さんをと言ったじゃないですか。板額さんはお客さまです』
『私が申し出たのです、二号機さん。私は郷宙尉補のパートナーなのですから』
「それと、申し訳ないが洗面器を探させてもらった。これはそれに使っていいものなのかな。そして、水だ。塩を入れてある」
『はい、その洗面器で。お水もありがとうございます。それにしても慣れてますね、お兄さん』
「上司にも部下にも恵まれないからな、おれは。酔っ払いの世話は何度もさせられている。さて、大丈夫なようだから、おれは宴席に戻るよ。女性を介抱するのにおれがいては邪魔だろう」
『二号機さんも戻ってください』
板額さんが言った。
『あとは私が。でも任務遂行のために、私にはまずすることがあります』
板額さんは颯爽と身をひるがえした。
そして窓辺に立つと窓を開け放った。
『おろろろろろろ!』
どういう状況なんだ。
お兄さんは瞑目するしかない。
「あ、私も」
郷宙尉補さんも立ち上がり、板額さんの横で吐いた。
「おろろろろろろ!」
用意した洗面器は無駄だったな。
お兄さんは思った。
座敷に戻るロボ子さんに続いて部屋から出ようとしたお兄さんを、郷宙尉補さんの声が呼び止めた。
「宙尉」
お兄さんは振り返った。
「聞いていってくださいよ、宙尉も。板額さんを相手に昔話をしようとしているんです。部下に恵まれないって自覚しているなら、あきらめてとことん付き合ってくれてもいいでしょ」
ロボ子さんの背を見送り、お兄さんは襖を閉めた。
「たしかに」
と、お兄さんは部屋の中を歩き、ロボ子さんの机にもたれた。
「おれも君にじいさんの話を聞かせてしまった。反省している。今度はおれが君の愚痴を聞く番だな」
「そうですよ」
郷宙尉補さんが微笑んだ。
「私って、ほら、かわいいじゃないですか」
なぜそのような言葉で始まる必要があるのかわからないが、とにかく、同宙尉補さんの話はそこから始まった。
「期待されていたんですよ、母の娘として。いつかデビューする歌手として」
プロのコーチにひととおりレッスン受けて。
私って、ほら、なんでもできちゃう人じゃないですか。ちゃっちゃとレッスン終わらせて、勉強ばかりしてましたね。
勉強は好きでした。
頑張っただけの成果が出るって、楽しいじゃないですか。
音楽なんて、今回の曲はヒットしそうだなと思ってもぜんぜんダメで、ずいぶんお手軽な曲作っちゃったなって曲は大ヒットしたり。
そんな世界にいる母と暮らすのは苦痛でした。
いつもいい加減なのに、突然ピリピリして気を使わないといけないし。
だからレコーディングをはじめたりツアーにでたりして、母が家にいないと嬉しかった。
「でも、そのうち気づいたんですよ。メガネをしていると母がいても気にならないって」
ああ、とお兄さんは思った。
おれのチェスと同じだ。
おれのチェスはおじいさんを呼び出す道具。郷宙尉補のメガネは母親を無視する道具。共通するのは、ないものねだりだ。
「おかげで成績はぐんぐん伸びて、こんなにかわいいのに頭もいいって嫌になるほどもてるし」
でも、それで身に付いたのは母を無視すること。
家にいても、目の前にいても、彼女の存在を無視すること。
高校の頃、デビューさせるかで結構大きく揉めたみたいです。
もともと、盛り上がってたのはレコード会社のスタッフのほうだけ。
現実には、デビューしたって売れるのは難しい。
母の七光りの印象を崩すのは大変だし、母の印象にまで色をつけてしまう。学校はいちばんいい大学にいけというし。
「母にははっきり言われましたね」
郷宙尉補さんが言った。
「その時がはじめてだったかな、あんなにはっきり言われたのは」
おまえのことなんか知らないから、好きにしな。
自分はロクに中学もでてないのに、私が成績優秀だったから?
そういえば音楽だって、ほぼ独学だった母と、プロから体系的に叩きこまれた私じゃ雲泥の差だった。だから?
だいたい、私のほうがかわいいし。
身長だって私のほうが三センチ高いし。
あたりまえだけど、私のほうがずっと若いし。
「でもあたりまえなんです。私だってわかってた」
郷宙尉補さんの眼から涙が落ちた。
「自分を無視する相手なんて、だれだって好きになれないんです。それが自分の娘ならよけいそうだったでしょうよ」
でも私って、ほら、わがままじゃないですか。
「私だってお母さんに、おまえのことが好きだっよって言って貰いたかったんです。おまえを産んでよかったよって。誇りに思っているよって。一度でいいから言って貰いたかったんです」
でももう、それはかなわない。
何度目かのタイムジャンプ航海から戻ったとき宇宙港で私を迎えてくれたのは、まだ六〇前だった母が二年前に死んだって報せだったのだから。
■登場人物紹介・主人公編。
長曽禰興正。(ながそね おきまさ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈の宙尉(大尉相当)。
超有能なのだが、その唐変木ぶりで未だに宙尉のまま。虎徹さんの実のお兄さん。
郷義弘。(ごうのよしひろ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈の宙尉補(中尉相当)。
歴とした女性。事務仕事にかけては有能だが、とんでもない方向音痴。
林田さん。
長曽禰興正宙尉(お兄さん)の部下。
■ゲスト編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
人間無骨。(にんげんむこつ)
えっち星人。宙兵隊副長・代貸。中尉。
いつも眠っているような目をしているが、切れ者。陰険。代貸だが、代貸と呼ばれても返事をしない。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、独身で変人。三〇歳。
山本 瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。既婚。三〇歳。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
■その他。
補陀落渡海。(ふだらくとかい)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。亜光速航行ユニットをつけた外宇宙航行艦。駆逐艦とされているが、現実には巡洋艦である。
現在はモスボール処理がなされ、パークに展示されている。
不撓不屈。(ふとうふくつ)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。補陀落渡海は亜光速ユニットによるタイムジャンプ航法で恒星間航行をしていたが、この艦はワープ航法が可能になっている。ワープポイント間を一瞬で結ぶことができる。
宇宙巡洋戦艦。
現在は地球衛星軌道を回っている。




