お兄さん、地上に戻る。
船務長さんの「再教育」は一週間で終わった。
彼は耐えてくれた。
――獣の眼だ。
顔を洗い覗き込んだ鏡に、荒んだ眼をした自分が映っている。
いつものことだ。
この任務を終えたときにはいつもこうなんだ。
情けない。
おれはまだ、この程度の男だ。しばらく誰とも顔を合わせたくない。こんな眼をした弱いおれを人に見られたくない。
幸いと言っていいものか、艦長をはじめ感謝やねぎらいの言葉を掛けてくる者はみなおざなりで、しかもお兄さんから目を逸らしている。皮肉なものだが助かったとお兄さんは思った。
ただ、連絡艇ポートで駆け寄ってきた女性士官がいた。
彼女に敬礼されたとき、むしろお兄さんが目を半眼にして逸らすしかなかった。
「ありがとうございました、宙尉。彼の行為に追いつめられていたこの艦の女性は多かったのです。感謝しております」
「再教育」をやらされて、このような反応をもらったのは初めてだ。
たいていは感謝とはいえない態度でお茶を濁されれる。敵意を向けられることも多いのだ。
それが当然だ。
自分がこの一週間、彼にしたことを思えば。
だが、こうして真摯に感謝を伝えられたのであれば、こちらにもそれに応える義務がある。お兄さんはそう考える人物だ。お兄さんは半眼にしていた目をあげ、女性士官の顔を真っ直ぐにとらえて答礼した。
相手も視線の変化とその意味に気づいたようで、目が優しく笑った。
「ところで」
と、お兄さんが言った。
「君が知っているかどうかわからないが、郷義弘宙尉補の母親は有名な歌手だと聞いた。そうなのだろうか」
意外な言葉に、女性士官は驚いたようだ。
「はい。歌手といってもシンガーソングライターです。古典音楽とかの歌手ではありません」
「私は、そのようなものしか聞かないと思われているのか」
お兄さんが言うと、女性士官は噴き出した。
背後で連絡艇のクルーも噴き出している。
少し心外だったが、おかげで目の筋肉が少しほぐれた気もした。
そろそろ獣の鈍い光も消えてくれたろうか。
「よろしければ、チップにダビングしたものを持ってきましょうか。私に数分、時間を与えていただければ」
お兄さんは連絡艇のクルーに声をかけた。
「いいかな?」
「大丈夫ですよ、宙尉」
さっきのやりとりで、あのトーヘンボク宙尉を乗せるという緊張から解かれていたのだろう。気楽な声で返事を返してきた。
お兄さんは女性士官に向き直った。
「お願いする」
「はい、急いでやってきます」
女性士官は駆けていった。
光の加減であなた まるで違う人に見える
昔はよかったと そんな言葉をあなたが口にする
どこにいったのかしら あの頃の夢
いまでもここにいるのに わたしたちはここにいるのに
眠りましょう 朝は来る
眠りましょう きっと来る
だけど愚痴は聞かないわ あなたの嘘が好きよ
怪我を恐れない振りしてた あの頃のあなたが好きよ
眠りましょう 朝は来る
眠りましょう きっと来る 私にも
眠りましょう きっと来る あなたにも
「ふむ」
連絡艇のなかで幾つか聞いてみたが、自分には少し甘い感じがする。
まあ、女性向けなのだろう。
それより気になることを女性士官は言っていた。
「郷宙尉補の前では聞かないほうがいいですよ。不機嫌になります。あまり仲が良くなかったようです。それと」
「うん?」
「このひと、もう亡くなっているんです」
郷宙尉補の戸籍での年齢は四八歳だ。
そういうこともあるだろう。
ただ、この歌手の曲のいくつかはスタンダードになっていて、お兄さんは聞いた覚えはないのだが、現在でもよく流れているそうだ。女性士官が言ったようにふたりの仲が悪かったのであれば、郷宙尉補にとって彼女の歌を耳にする機会が多い本星の居心地はあまりよいものではなかったろう。
(それもあって、宇宙艦に乗り続けていたのだろうか。実年齢と倍近く離れるほど)
それもまた、悲しいものだとお兄さんは思った。
地上に戻ったお兄さんは、パークの連絡艇ポートからそのままの足で虎徹さんのオフィスに向かった。
パークは実質的にえっち国宙軍の宇宙基地としても機能している。
日本の片隅の田舎に異星人の宇宙基地だ。
村長さんの浮かれ具合と日本政府や国連の戸惑いもわかるだろう。
「長曽禰興正宙尉、戻りました」
「ご苦労さまでした、宙尉」
虎徹さんの機嫌が妙にいい。
「どうだ、兄貴。今晩うちで呑むか? ロボ子さんの作るつまみはうまいぞ」
勘違いではなく、この弟は自分を嫌い恐れているはずなのだが。
「それと兄貴。三日ほど休め。チーム興正は兄貴がいたときとは違う形ではあるが、ちゃんと機能している。安心していい」
ああ、と、お兄さんは理解した。
ああ。
この弟は、おれが不撓不屈でやらされたことを知っている。
瞬く間に、お兄さんは不機嫌になった。
「あ、ごめん。なにか気に障った?」
「地球司令代理」
お兄さんが言った。
「上官が部下の健康状態を心配するのは結構なことです。しかし私はそんなヤワな男ではありませんし、そう思われていたのだとすれば心外ですな」
「ごめんなさい」
虎徹さんはすくみ上がっている。
ロボ子さんと神無さんは虎徹さんを見捨て、ひたすらキーボードを叩いている。
「私はこれからチーム興正の部屋に戻ります。そして明日も出勤します。では」
お兄さんは敬礼し、園長室をでた。
廊下を早足で歩きながら、お兄さんは思った。
今ごろ、スチャラカ弟はトーヘンボクやろうとおれを罵っているのだろう。アンドロイドたちとおれの悪口を言いあっているのだろう。
そうしてくれ。そのほうがいい。
同情されるより、はるかにいい。
「気をーつけいッ!」
チーム興正の部屋に入ったときの号令が心地よかった。
少しもだらけていない。さすがにおれが選んだ部下たちだ。
「今戻った。君たちの仕事ぶりを地球司令代理から褒められたぞ。私も鼻が高い」
お兄さんは自分の椅子に座った。
気持ちのいい椅子だと思った。
どうだ。
おれは日常に戻った。おれは帰ってきた。
おれは勝った。また勝った。
おれは負けない。
おれは――。
おかしいなと思ったのは、しばらくあとの事だった。
お兄さんは郷宙尉補と板額さんの不在を質問したと思った。そして、林田さんが答えてくれているようだ。
「あのふたり、たぶん今ごろ鬼ごっこしてます。郷宙尉補は勤務時間の半分は真面目に仕事して、半分は板額さんからの逃亡に費やしています。でも、その半分でぼくらの倍の仕事するんですから、こっちはめげてしまいますよ」
何かを言っているようだ。単語ひとつひとつはわかるのに、意味がまるで掴めない。
誰だったろう、この林田という男は。
郷宙尉補に板額さん。
聞き覚えがある単語だ。
ふわふわする。
現実感がない。
不意に、怯えて震える男の顔が浮かんだ。
船務長の顔だ。
フラッシュバックだ。
その男を平手で叩き続ける獣のような男の姿が浮かんだ。
おれだ。
その獣は、おれだ。――。
林田さんはそれを見ていた。
お兄さんが急に真っ青になったのを。
そしてお兄さんは嘔吐した。
そのまま吐瀉物に顔を突っ込むように、お兄さんは机の上に突っ伏した。
違う、そうじゃない。
おれはおれを、同情されるような男に作り上げていない。
おれはおれを、憐れんでもらうような男に作り上げていない。
おれは、何十年も掛けておれが作り上げた――おれだ。
お兄さんの頭の中を、連絡艇で聞いた曲のフレーズがただリフレインしている。
眠りましょう 朝は来る
眠りましょう きっと来る
眠りましょう 朝は来る
眠りましょう きっと来る
眠りましょう 朝は来る
眠りましょう きっと来る。あなたにも
■登場人物紹介・主人公編。
長曽禰興正。(ながそね おきまさ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈の宙尉(大尉相当)。
超有能なのだが、その朴念仁ぶりで未だに宙尉のまま。虎徹さんの実のお兄さん。
郷義弘。(ごうのよしひろ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈の宙尉補(中尉相当)。
歴とした女性。事務仕事にかけては有能だが、とんでもない方向音痴。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
■その他。
補陀落渡海。(ふだらくとかい)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。亜光速航行ユニットをつけた外宇宙航行艦。駆逐艦とされているが、現実には巡洋艦である。
現在はモスボール処理がなされ、パークに展示されている。
不撓不屈。(ふとうふくつ)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。補陀落渡海は亜光速ユニットによるタイムジャンプ航法で恒星間航行をしていたが、この艦はワープ航法が可能になっている。ワープポイント間を一瞬で結ぶことができる。
宇宙巡洋戦艦。
現在は地球衛星軌道を回っている。




