彼女は妖精さんらしい。
「あら、美味しいジャムですねー」
歌うような声が聞こえてきた。
『マスターが大好きですからね。いつも作っているからコツがわかってきました。ときどきは、山で摘んできた果実で作ったりもするんですよ』
返事をしてから、三号機さんは振り返った。
キッチンには自分以外誰もいない。
ただ、テーブルにトーストを食べたあとがあった。
『誰かいるんですか』
鼻歌が聞こえてくる。
自分の部屋をのぞいてみるとPCが起動していて、清麿さんから頼まれた資料のまとめが完成していた。
「えっ、宿題なんてあったのか!?」
「おれたち高校生だぞ。そんな小学生みたいな」
「鳴神くんも歌仙くんも、板額先生のおっぱいばかり見てるから聞き逃しちゃうんだよ」
同田貫組の三人組が、朝から大騒ぎをしている。
「おまえ、千両。そこにおっぱいあるだろ。見るだろ?」
「見るけどさ。鳴神くん、それ板額先生への言い訳にするつもり?」
「あれ、なんだ……?」
女性の鼻歌が聞こえたような気がした。
同田貫組はヤクザ屋さんだ。元は補陀落渡海宙兵隊であり、今でも女性と言えば女性型アインドロイドの一号機さんしかいない。
一号機さんの鼻歌だろうか。
なんだか違うような気がした。
「あれ、おいこれ見ろ」
歌仙くんが自分の英語のノートをめくっている。
「宿題、できてる……たぶん……」
鳴神くんも自分のノートをひろげた。
「うお、おれのものだ!」
「ええっ、なにそれ! ぼくは学校と訓練で疲れ切った体で、昨日の夜のうちに必死になってやったのに! なんかずるい。なんかむかつく。なんか理不尽!」
「あれ?」
「今度はなんだ」
「エロ本が何冊かなくなってる。巨乳系だけ」
「どゆこと!!」
また鼻歌が聞こえてきた。
今度は、「ええ乳や!」「うひょひょ!」という声が混じっている。もちろん、女性の声で。
『ごめんなさい、もうイタズラしません。』
『ごめんなさい、もうイタズラしません。』
『ごめんなさい、もうイタズラしません。』……
虎徹さんに叱られて反省文書かされていた神無さん。
途中で面倒くさくなって投げ出して卵変形してゴロゴロ転がっていたが、さんざん遊んで戻ってみたら、ちゃんと反省文が一〇〇回書かれていた。
『あれ、先輩。私のデスノートがありません』
鼻歌が聞こえてきた。「不撓不屈船務長死ね!」「不撓不屈船務長死ね!」「舌噛んで死ね!」という声が混じっている。
不撓不屈の船務長さん、郷義弘さんになにしたんでしょう。
「人を見ればおしり触ってきて!」「セクハラオヤジ!」「死ね、ハゲ散らかして死ね!」
なるほど。
『郷義弘宙尉補さんという名前と実体を持つ妖精さんが、村のあちこちに出没しているようです』
「パークの外にも行動範囲を広げてるのねー」
虎徹さん、両手で頬杖をついてロボ子さんの報告を聞いている。
『しかもまだ誰も、彼女の姿を見たことがないそうです』
「『郷とお化けは見たことがない』とは、よく言ったものだねー。しかし、彼女はいつどこで眠っているんだ?」
『ホテルに問い合わせました。姿を見たことはないけれど、だれかがベッドを使っているのはたしかだそうです』
「もう妖怪だね」
『写真を見ると素敵な美人さんだし、妖精さんでいいじゃないですか。それより、個人的に気になることがあります』
「ロボ子さんが?」
『朝から、つみれを見ません』
つみれというのは、ロボ子さんの飼い猫の名前だ。
まだほんの子供の、メスの黒猫である。
鼻歌が聞こえてきた。
「肉球たまらん」「しんぼうたまらん」という声が混じっている。猫の鳴き声も混じっている。
ロボ子さん、鼻歌が聞こえた方向に両手をメガホンにして声をかけた。
『うちのつみれを返してくださーい!』
「ごめんなさーい」「あとで必ずおうちに戻しておきますー」という声が返ってきた。
「会話はできるんだね」
虎徹さん、のんびりと言った。
『先輩』
会話を聞いていた神無さんが声をかけてきた。
『なんですか、後輩』
『先輩は、なにを等価交換したんです?』
『なんです?』
『三号機さんは資料作成、同田貫組の高校生三人組は宿題。私は反省文。先輩は?』
眉をひそめ、ロボ子さんは首を傾けた。
『わかんない』
「それよりな、神無さん」
虎徹さんが言った。
「君、反省文を郷宙尉補に書かせたんだな?」
『ひい』
「やりなおしだ。『ごめんなさい、もうイタズラしません』を、今度は二〇〇回書いて提出しなさい」
『ひいい』
ロボ子さんはまだ考え込んでいる。
パークを、村を、人が見ていないところで仕事をしてくれる妖精さんが歩いている。それはなんとなく人々をほっこりさせたが、ひとり不機嫌な人がいた。
不機嫌どころではない。
ぴりぴりとしている。
長曽禰興正宙尉――お兄さんだ。
チーム興正の部屋も緩んでいる。
なにせ出勤してみれば、夜のうちに数人分の仕事が完璧な形で済ませてあるのだ。せっかく有能な者を集めたスペシャルチームなのに、これではまるで意味が無い。しかもこの不機嫌さは理不尽なものだと自分でもわかっている。
なんともやり場がない。
「宙尉」
「なんだ」
ぎろり、と睨んでしまう。
ただでさえ強面のお兄さんが誰がどう見ても大いに不機嫌なのだから、声をかけた林田さんはなかなか言葉を継げない。
「なんだ、早く言いたまえ。私は忙しい」
「いえ、あの、ちょっと思っただけでして……郷義弘宙尉補のこの勤務形態は、軍では問題にならないのかなあと……はあ……」
「ああ林田くん。君は報告ではなく、私に雑談を持ちかけたのか。休憩時間でもないのに、ただの雑談なのだな」
「(死にてえ……)」
他の部下たちは、林田さんを見殺しにして忙しく働くふりだけをしている。
お見通しだが、お兄さんはただ鼻を鳴らして書類に視線を落とした。
「遺憾だが――」と、お兄さんの言葉が継がれたのに、部下たちはすこし驚いた。皮肉を言って話は終わったのだと思っていたから。
「――彼女の仕事ぶりは文句のつけようがない。なんとか処理しておく。これでいいかね」
真っ青になっていた林田さん、目を丸めたあと、ぱっと笑顔になった。
「普通は通用しませんよね」
「うちでも通用せんよ」
視線を書類に落としたまま、お兄さんが言った。
「宙尉」
就業時間後、帰り支度をしていると林田さんが声をかけてきた。
こいつメンタルも強いなと、お兄さんは頭の中の林田さんの評価表に加点しておいた。
「たまにはぼくらと呑みにいきませんか」
しかも酒の誘いだったのには、正直驚いた。
こいつには、慌てている同僚たちの姿が見えないのだろうか。
「遠慮しておこう」
「それじゃ、そのうちに」
林田さんが、にっこりと笑った。
馬鹿め。
おれの悪口で盛り上がるための酒に、おれがいてどうするんだ。
案の定、ドアを閉める瞬間、林田さんが同僚たちから文句をいわれているのが見えた。お兄さんは苦笑を浮かべて歩き始めた。
ホテルに帰ってメシを食って、ハイボール手にまたチェスでもするか。
今日も愚痴を言わずに済みそうだ。
バタバタと廊下を走っているのはロボ子さんだ。
女子ロッカー室に飛び込み、周囲を確認し、神無さんがいないことを特に確認し、ロボ子さんは自分の胸を服の上からまさぐった。
『やっぱり、私、ブラジャーしてる……!』
まさか。
まさか。
『ぱんつまでしてる……!』
等価交換か!
これが私への等価交換か、郷義弘海尉補!
鼻歌とともに声が聞こえてきた。「女の子がノーブラノーパンではいけませんよ~」。
『私はアンドロイドだああ! 隠すような恥ずかしいものなんかついてないわああ! このほうがむしろ恥ずかしいわああ!』
ていうか、ていうか。
『いつ、こんなもの私につけたんですか! 朝、着替えたときにはつけてなかったはずですよ!』
「秘密でーす」。
「安心してください、それ、私のですけど、未使用ですから~」。
『そういう問題じゃないーーっ!』
「あ、猫ちゃんはおうちに戻しておきましたからー。うふふ。肉球、満喫しましたー」。
鼻歌が遠ざかっていった。
■登場人物紹介。今回のゲスト編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。この春より高校に通うようになった。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。この春より高校に通うようになった。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。この春より高校に通うようになった。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、変人。三〇歳。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
■その他。
補陀落渡海。(ふだらくとかい)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。亜光速航行ユニットをつけた外宇宙航行艦。駆逐艦とされているが、現実には巡洋艦である。
現在はモスボール処理がなされ、パークに展示されている。
不撓不屈。(ふとうふくつ)
えっち星、えっち国宙軍宇宙艦。補陀落渡海は亜光速ユニットによるタイムジャンプ航法で恒星間航行をしていたが、この艦はワープ航法が可能になっている。ワープポイント間を一瞬で結ぶことができる。
宇宙巡洋戦艦。
現在は地球衛星軌道を回っている。




