お兄さん、君臨する。
『マスター、どこですかー』
『出てきなさーい。お兄さんはマスターを取って食いませんよー』
ロボ子さんと神無さんがパーク社屋のまわりを声をあげて探し歩いている。
虎徹さんが消えた。
ていうか、逃げた。
携帯の電源を切り、姿をくらましてしまった。
『先輩、一号機さんに聞いてみたらどうです』
『さっき電話したら、便利屋じゃありませんと叱られました。しょうがありません。私たちは仕事に戻りましょう。おなかが空いたら出てきますよ』
園長室では、虎徹さんの机でお兄さんが書類を読んでいた。
ものすごい勢いだ。
「戻ったか」
顔も上げない。
「雪月改二号機くん、神無試作一号機くん。これはいったいなんの冗談なのだ?」
『はい?』
「私の弟がだらしなく無能なのはわかっている。だが、それをフォローするのが君たち秘書アンドロイドの仕事ではないのか?」
『はあ……』
「書式の不統一。フォントの不統一。用語の不統一。君たちにとって書類とはなんなのだ。私に赤ペンを入れて欲しいのか?」
お兄さんは顔を上げ、じろりとひとにらみすると声を張り上げた。
「雪月改二号機くん!」
『はあいいっ』
文字通り、ぴょんっとロボ子さんは飛び上がった。
「通しナンバー014から028まで書き直し! 神無試作一号機くん、君のは全部だ! 一時間でやれるな!」
『はひいい!?』
「返事がない!」
『サー、イエッサー!』
『サー、イエッサー!』
ロボ子さんと神無さんは直立不動になって敬礼をした。
「よろしい」
書類に目を戻し、
「ああ、私は宙軍だ。私に返事をするときには、『イエス・サー』か『アイ・アイ・サー』にして貰えるとうれしい。巻き舌は聞き触りだ」
三〇分後、今度は領事室をチェックしてくると言い残し、お兄さんは出ていった。
ロボ子さんと神無さんは、すでに真っ白に燃え尽きている。
やがて下の階から聞き覚えのある典太さんの叫び声が聞こえてきた。なんどかやり合ったあと、やはり典太さんの「イエス・サー!」と「アイ・アイ・サあああ!」というやけっぱちな怒鳴り声。いや、宙佐である典太さんのほうが上官なのだが。
『先輩、私、おなかが痛くなってきました……』
キーボードを叩きながら、神無さんが言った。
『一人で逃げたマスターは、どこに行きやがったのでしょう……』
ロボ子さんの声にも力がない。
規則正しい足音が聞こえてきた。
お兄さんが戻ってきたのだ。
ずっと領事室にいてくれればいいのに。ロボ子さんと神無さんは体を小刻みに震わせている。
勢いよくドアが開け放たれた。
どこで見つけてきたのか、お兄さんは赤毛のおっさんを引きずっている。
「にゃーん。ただいま」
襟首をつかまれ、首の裏を掴まれた猫のように脱力している虎徹さんが言った。
えっち星えっち国宙軍宙尉、ちく・びさんは有能であった。
士官学校を首席卒業。
加洲清光さんと同様に「開学以来の英才」と呼ばれたひとりだ。ミスがあったとかどころか、なんどもその有能さを発揮しながら彼が海尉のままなのは、全方向のベクトルで誰からも敬遠されているからだ。
海尉のまま。
逆に言えば、これだけの傍若無人、傲岸不遜、提督より偉そうと言われる男であっても、馘首になっていないということだ。しかも彼は腐らない。誰よりも有能であっても、海尉という地位を粛々と全うするのだ。
彼が来た一日目の夜。
クラブ補陀落渡海は死屍累々であった。
彼はどこにでも現れた。そしてたった一日にして補陀落渡海クルーたちを一人残らず恐慌に陥れたのである。
「おまえ、なんで不撓不屈に兄貴がいるって教えてくれなかったんだよ……。それとも、うわさのトーヘンボク海尉がおれの兄貴だって知らなかったのか? んなことねえよな……」
ウイスキーのグラスを前に、両手で頭を抱えたまま虎徹さんが言った。
「いやあ、ヘタにおまえに教えたら、おまえ、招待するしかなくなるだろ。黙ってりゃ、半年で本星に帰って行くんだぜ……」
典太さんの顔にも生気が無い。
「おりゃあ、ペーペーの頃だって、こんな頭ごなしに怒鳴られりゃせんかったぜ……。しかも階級が下の男にさあ……。なあ、あれほんとうにおまえの兄ちゃんなのか?」
「どういう意味だ」
「いやあ、あんなんじゃ、なんどかぜったい闇討ちに遭っただろ。絶対なんどか死んで、今のお兄さんは何代目かの兄ちゃんだろ」
同田貫組の人間無骨さんも、ロボ子さんに同じような事言われてましたね。
「人間無骨のおっさんか。アレはアレで、たしかにときどき首締めたくなるけどな……。しかし参ったなあ。おれたち五〇年経っているんだから、兄貴とか親父とか、もうとっくに死んでると普通に思ってたよ。そういやそうだ。あっちも宇宙船乗りなんだから、タイムジャンプしてたんだよなあ……」
メイド服姿のロボ子さんが、二人の氷が溶けきった水割りを新しいものに取り替えた。
『他人事みたいに言うんですね、マスター』
ロボ子さんの後ろには同じくメイド服を着た神無さんもいるが、この天然突撃娘までもが無表情で無口になっている。
「これがタイムジャンプ時代の宙軍の宇宙船乗りの感覚なのさ」
水割りを一口呑んで、虎徹さんが言った。
「おれなんか、七〇越えた妹とケンカしたしなあ」
典太さんも苦笑いを浮かべた。
「そういや虎徹の父ちゃん、まだやってんの?」
「兄貴に驚かされたんで、さっき不撓不屈のデータベースにアクセスして調べてみた。親父も勅任艦長やってたわ。実年齢がまだ五〇前だってさ。怖えよ……」
『ほんと、他人事ですね』
「おれんち、じいちゃんも宇宙船乗りだしさ、その前は海軍だしさ、元をただせば海賊だしさ。感覚が一般的じゃないらしいのは認めるよ」
その時、士官室のハッチがゆっくりと開いた。
ゾンビのごとくだらだらになっていた士官たち全員が、その場に立ち上がって直立不動の体勢をとった。虎徹さんと典太さん、ロボ子さんと神無さんまでもだ。
入って来たのは清麿さんと三号機さんだ。
「うん、どうしたんだ。私が珍しいか?」
全員がへなへなと座り込んだ。
虎徹さんに至っては、床に大の字に寝転がってしまった。
「腹部の換装が済んだ私の天使が、お酒を飲んでみたいというのでね。いいかな。あれ、珍しく艦長はいないのか?」
「いいよー、許可するー」
床から声が聞こえてきて、清麿さんを驚かせた。
さらにハッチが開いた。
今度もみなビクッとしたが、姿を見せたのは同田貫さんと一号機さんだ。
「一号機さんのおなかの改装がすんでね。お祝いを兼ねてクラブ補陀落渡海で呑もうかと。艦長、許可を」
「いいよー」
『そうです、私の胃袋もカートリッジ式になったんです! これでいくら食べてもメンテナンスは簡単! 一号機さん、三号機さん、乾杯しましょう!』
明るさを取り戻したロボ子さんが笑顔で言った。
ゾンビたちや神無さんにも笑顔が帰ってきた。
乾杯ならビールだろうと全員にビアグラスが配られ、虎徹さんが乾杯の音頭を取った。
「では、雪月改三姉妹のバージョンアップを祝して。そして彼女たちがあまり呑みすぎないことを祈って、か――」
虎徹さんの言葉の最中に、またしてもハッチが開かれた。
今度はとてつもない勢いで。
虎徹さんは、この時、まるで映画やアニメのように様々なアングルでなんども開けられるハッチの幻影を見たのだという。
立っていたのは、こんどこそ正真正銘のお兄さんなのだった。
「諸君!」
お兄さんが声を張り上げた。
いや、普段からこの人の声はでかいのだ。それが本気で大声を出したら耳元で拳銃を撃たれているようなものなのだ。
「一日の疲れを癒やす、適度の飲酒は良いだろう!」
ドキューン!
「だが、明日の業務に支障を来すようであるなら、それは害悪である!」
ドキューン!
「ほどほどに! そして適度にチェイサーをはさむのも忘れるな、諸君!」
ドキューン!
ドキューン!
そしてお兄さんは、来たときのように勢いよくハッチを閉めて行ってしまった。
雪月改三姉妹と神無さんを含め、全員が固まっている。
典太さん、そうっとハッチを開けてのぞいてみた。歩き去るお兄さんがじろりと睨んできて、典太さんは慌ててハッチを閉めた。
『このビール、どうしましょう……』
ロボ子さんが呆然と呟いた。
■登場人物紹介・アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。