あの男がやって来た。
その男は地球を回る宇宙巡行戦艦不撓不屈からやってきた。
長身、堂々たる筋肉質の体躯。
意志的な切れ長の目。
彫刻のような端正な顔立ち。
「宙尉、お気をつけて」
「ありがとう。よい乗り心地だった」
連絡艇船長に敬礼を返し、颯爽と歩いて行く。
「これで不撓不屈に安らぎが戻る」
連絡艇のスタッフの一人がうかつに漏らした声が彼にも届いているが、いつものことだ。気にはしない。
ただ振り返って微笑むだけだ。
彼の地獄耳を失念していたそのスタッフは、憐れにも立ったまま気絶してしまった。
その男が、今、地上に降り立った。
パークにはまだ桜が咲き誇っている。
春先に起きた騒動の余韻はまだ残っている。
二人で消えた清光さんと雪月さんもそのひとつだ。補給科から、前と変わらない苦情が上がって来ている。
「艦長と二号機さんのコンビが、昨日も仕込んだソーセージを奪っていきました。やめてください」
横にも広い沈黙のコックさんたちが、ニヤニヤしながらも真面目に書いている姿が浮かんでくる。
「こういうこともあるんですね」
その書類を渡しながら、虎徹さんが言った。
机の端に腰をもたれていたウエスギ製作所の社長さん、受け取った書類に目を通してうなった。野良雪月さんのこともあり、社長さんはあれからまだ長曽禰家に留まっている。
「あり得ないとしかいいようがないが、まあ、現実に起きている。野良雪月の人格と記憶があの真新しい雪月に引き継がれたらしい。どこまでかはわからんが」
『意識も量子論で説明できると言った人がいます』
そう言ったのはロボ子さんだ。
自分の机でキーボードを叩きながら。
『この村はなぜか11次元が歪んでいるんです。何かが起きる村なんです』
反応がないのでロボ子さんは顔を上げた。
虎徹さん、社長さん、そして正面の神無さんがぽかんとして自分を見ている。
『なんです?』
「確かに、何かが起きている」
虎徹さんが真面目な顔で言った。
『先輩、変なモノ食べたんですか。拾い食いですか?』
神無さんも言った。
ロボ子さん、ぷうっと頬をふくらませた。
『お父さん! 私の胃の換装はいつしてくれるんですか!』
「おお、工場から部品が届いたらすぐにやってあげるよ。同じ要望が出ている一号機、三号機もいっしょにだ」
ロボ子さん、むふん!と笑顔を浮かべた。
「それにしてもあいつらの書き置きだよ。新しい雪月の体の代金は、出世払いで払いますときたものだ」
社長さんは、清光さんと雪月さんが残したメッセージのことを言っている。
「いったい、どんな出世をするつもりなのやら」
虎徹さんが言うと、
「期待せんで、気長に待っとるよ」
社長さんは嬉しそうに笑った。
一方、ほんとうに大変だったのは勅任艦長連続死亡事件の後始末だ。
最初の勅任艦長の転落死は日本警察によって自殺と判断された。
だが、その後もうひとりが射殺され、そもそも最初の転落死も殺人で、領事でもある提督さんが連続殺人の犯人だったという事実は、えっち国関係者とロボ子さんたちしか知らない。
提督さんと「二人の」勅任艦長さんは、周回軌道上の不撓不屈さんに移動した。
病気療養のため、として。
ありのままに地球側に報告すべきではないかという主張も、もちろんあった。
しかし、まだ始まったばかりの異星人間交流の端緒であり、本星との連絡も半年後までとれず、正式開園間近のパークへの影響など様々な影響を考えると目を瞑るしかなかったのである。
「よく正論の鉄の虎徹が折れたもんだな」
と、典太さん。
「いや、パークが潰れたら、おれ無給だもん」
と、虎徹さん。
虎徹さん、人物がこなれたというより、ただのおっさんになりました。
もちろん、次の領事が赴任するなど、然るべき時が来れば謝罪とともに日本政府に伝えられることになるだろう。
問題は、えっち星えっち国領事の代役である。
領事代理および太陽系方面司令官には太陽系で最先任士官である不撓不屈艦長さんが就く。そこまではいい。
「領事代理代行および地球司令代理は君がやれ、長曽禰虎徹宙佐」
「いやです、サー」
「私は艦を離れられない。地球は、地球で最先任士官である君に任せた」
「お断りです、サー。おれはただの宙佐です。それにパーク園長なんです。社長ですよ。決裁文書が毎日すごいんです。ハンコハンコでスナップだけむっちゃ鍛えられそうですよ。ボクサーかゴルファー目指すつもりかそうなのかおれって感じですよ。だいたい典太がいるじゃないですか。宙佐でもいいなら、せめて領事代理代行のほうは副官だった典太の横滑りでいいじゃないですか、サー」
「おまえ、終わりにサーとつければなに言ってもいいと思ってないか」
醜い責任のなすりつけ合いである。
「ま、何から何まで押しつけるのも心苦しいし、新たなスタッフを地上に送り込んだ。送り込んじゃったから、あとは何事も彼と相談して決めるように」
不撓不屈艦長さんが言った。
「送り返しますよ、そんなもん」
虎徹さんが言った。
「ぷっ。できると思うんだー(笑)」
なんともいえない笑顔で言った不撓不屈艦長さんに、虎徹さんはここで気づいていなければならなかったのだ。なにかを。
「極めて優秀な男だ。君と同じ賜刀組だ。士官学校首席卒業だ」
「そんな優秀な男を手放すのですか?」
「ああ、残念だ、残念だ」
「嬉しそうですね、サー」
「ああ、今日、パーティなんだ」
「はあ」
「全艦あげてどんちゃんさわぎするんだ。これから平和が来るのだ、私の不撓不屈にも」
「その男になにか問題でも」
「さあね。うふ。ああ、これを言うのを忘れていた。君もよく知っている男だよ、彼」
「失礼ですが、サー。私は五〇年を航海で経ています。私が知っている宙軍軍人は、現在、極端に少ないと思うのですが」
「うん、その極端に少ないひとりだね」
「サー」虎徹さんにも、さすがにわかってきた。「どうやら私にとんでもない問題児を押しつけようとしているようですがね、そんなヤツ、さっきも言いましたが、さっさと送り返しますよ」
「だからさー。できると思ってるんだ、そんなことー(笑)」
「誰なんです」
「有能だよ?」
「ですから、誰なんです」
「戸籍上は君より少し年上だ。ただ、年がら年中船に乗ってたので、君と同じくらい若い。軍人一家の長男でね。彼の父親も優秀だし、弟もちゃらんぽらんだが優秀らしい。そこでおかしいと思わないか? 首席卒業で優秀なら、普通、もう艦長にはなっているだろう。若き勅任艦長になっていてもおかしくないし、最低でも宙佐だ。ところが彼はまだ宙尉なのだよ。おかしいよね、優秀なのに」
この会話を自分の机で聞いていたロボ子さんと神無さん。
ふて腐れて半眼になっていた虎徹さんの目が、徐々に極限にまで見開かれていくのを観察することができたのだという。
「あんた、まさか――」
「ああ、その暴言、聞かなかったことにしてあげよう。私は機嫌がいい」
「誰一人、そんなこと言わなかったですよ!? 提督も、典太も、板額さんも、そもそもあんたも!」
「ん~、彼ってアンタッチャブルじゃない?」
「ていうか、あいつ、生きてたんですか!」
「元気、元気。君も彼の元気味わってね。じゃっ」
うっきうっきの艦長さんの声で通話が切れた。
消えたモニタを呆然と眺めていた虎徹さん、慌てて帰り支度を始めた。
「ロボ子さん、神無さん。おれは消える。探さないでくれ」
『はあ?』
「すまん、またしてもマスターとしての責任を放棄してしまう。だがこれはしょうがない事なんだ。彼が来れば君らにもわかる。あとは宗近や典太と相談して決めてくれ。じゃっ!」
一方的にまくしたて、虎徹さんは園長室のドアを開けた。
そこに一人の男が立っていた。
虎徹さんより、少し背が高い。確かに似てはいるが、全体的に虎徹さんをバージョンアップさせたような姿だ。違うのは髪の色だ。赤毛の虎徹さんに対し、その男は漆黒の髪をしている。
「久しぶりだな、弟」
バリトンの良く通る声が響いた。
虎徹さんはその場にすとんと座り込んでしまった。腰を抜かしてしまったらしい。
「さて、兄弟としての挨拶はここまでだ。おれは君の階級を知っている。おれは見ての通り宙尉であり、おれはこの場に適した挨拶をすべきだ」
お兄さんは、ざっと背筋を伸ばし敬礼した。
「申告します、宙佐! ちく・び宙尉、ただいま着任しました!」
「なんでその名前、最初っから大声で言っちゃうかな……」
虎徹さん、涙目でやっとそれだけ言ったのだった。
■登場人物紹介・アンドロイド編。
ロボ子さん。
雪月改二号機。長曽禰ロボ子。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公。買われた先が実は宇宙人の巣窟で、宇宙船を廻る争いに巻き込まれたり、自身も改造されて地上最強のロボになってしまったりする。
時代劇が大好き。通称アホの子。
一号機さん。
雪月改一号機。弥生。マスターは同田貫正国。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。
和服が似合う。通称因業ババア。
三号機さん。
雪月改三号機。私の天使。マスターは源清麿。
小悪魔風アンドロイド。マスターが彼女を溺愛している上に中二病小説家で、それにそったキャラにされている。
基本的にゴスロリ。描写は少ないが眼帯もつけている。
板額さん。
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。三池典太さんと付き合っている。浮気などしたら許さない。
神無さん。
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
野良ロボ子さん。
野良雪月。
前のマスターである「おばあちゃん」の記憶を消されるのが嫌で野良をしている。食いしん坊。充電しなくても動ける謎の根性回路を搭載している。
■人物編
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
えっち星人。宇宙艦補陀落渡海の艦長。宙佐(少佐相当)。
ロボ子さんのマスター。地球に取り残されるのが確定した時も絶望しなかったという、飄々とした性格。生きることに執着しないので、ロボ子さんからときどき叱られている。
三条小鍛治宗近。(さんじょう こかじ むねちか)
えっち星人。機関長。宙尉(大尉相当)
長曽禰家の居候。爽やかな若者風だが、実はメカマニア。ロボ子さんに(アンドロイドを理由に)結婚を申しこんだことがある。
源清麿。(みなもと きよまろ)
えっち星人。副長相当砲雷長。宙尉(大尉相当)
三号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、小説家に転身。現在は超売れっ子となっている。三号機さんを溺愛する中二病オヤジ。美形。
同田貫正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
三池典太光世。(みいけ でんた みつよ)
えっち星人。航海長。宙尉から後に宙佐。
方針の違いから虎徹さんと袂を分かった。後に補陀落渡海を廻って争うことになる。虎徹さんとは同期で、会話はタメ口。板額さんのパートナー。
加洲清光。(かしゅう きよみつ)
えっち星人。密航者。
幽霊と呼ばれるほど神出鬼没。宙軍士官学校では虎徹さん、藤四郎さんと並んで三羽ガラスと呼ばれた。補陀落渡海の航海に匹敵するほどタイムジャンプを繰り返していたので、虎徹さんと同い年のままのように見える。




