露穂子さん、語る。
天体観測会明けての日曜日の午後。
長澤露穂子さんが自転車を走らせている。
さすがに高校生、疲労回復も早いし元気だ。それでも露穂子さん、途中からの坂道にはウンザリしてしまった。
「はやく免許とらないと……」
ぜーぜー言いながらたどり着いたのは、緑深い丘の上の邸宅だ。
「いつ見ても大きな家……」
「高子ー、露穂子さんが来てくれたわよー」
二階にひと声かけて。
頬を染め、西織先生のお母さんがささやいてきた。
「ねえ、『…とオレとは同期の桜』の続きはいつ読めるのかしら?」
今、そのタイトルを聞きたくはなかった……。
「太郎左衛門さん、いつまで耐えるの。あの人はどこまで恥辱と快楽に耐えられるの。ねえ、ねえ、少しだけ教えて」
「乞うご期待です」
なんとかつくった営業スマイルで、露穂子さんが言った。
「美人ってのは、お金持ちの家に生まれることになってるんだって思った」
部屋に入るなり、露穂子さんが言った。
「何よ、突然」
西織先生はパジャマのままだ。
ベッドの上であぐらをかき、頭をボリボリかいている。
「ここに来る途中に井原先輩の家を見たんです。あっちもお金持ちだものなあ」
「そうなの?」
「開業医の娘ですよ。知らなかったんですか?」
「彼女のクラス持ったことないからなあ。ていうか、じゃあ、彼女は医者になるんだ」
「さあ?」
「もったいなーい。看護婦になればいいのに。あんな美人の看護婦たまんねーよ。商売繁盛じゃねーかよ」
「西織先生の趣味聞いてないし、そもそも看護師と言ってくれませんか、おっさん」
「ま、適当に座って。勝手知ったるだろうし」
「いやな記憶しかないですけどね」
夏と冬。
即売会にむけて、この一二畳相当の部屋でふたりは最後の追い込みをかけるのだ。
汗と涙といやなテンション。
むせる。
「あれ、そういや、『あっちも』ってのは、比較対象は私?」
「西織先生以外、誰がいるんです」
露穂子さんはレジ袋からポカリを取り出した。
「差し入れです。どうせ二日酔いだろうから」
「知ってる? ポカリってすっごいカロリーなんだよ」
「コーラより少ないです。だいたい、太るのいやなら酒呑むな」
「うちはもう金持ちじゃないよ。没落よ、没落。今この家で働いているの、私だけだし。一人娘は結婚もしねえし」
西織先生、自分が美人であることは否定しない。
さすがである。
「働かなくてもこんな大きな家を維持できる収入があるのを、お金持ちというんです」
「維持できてないもん。お手伝いさんもいなくなって、掃除とか大変よ。つかさ、露穂子ちゃんだってけっこうきれいだけどなー。ナチュラルに怒ってるような目つき、一部のマニアさんにすごいうけそう」
「やめてください」
「特に、メガネのひょろっとした男に」
「やめろ」
「シスコンの朴念仁に」
「生徒とのキスが教育委員会に知られるのって、BL作家だって知られるのと、どっちがダメージありますかね」
西織先生がフリーズした。
三〇歳の社会人でありながら、高校生と同じレベルで会話する社会性の低い女が、この瞬間、時を止めた。
ところで。
さきほど、夏と冬の即売会のために、この部屋でふたりで追い込みをかけると書いた。実はふたりではない。三人だ。彼女たちには、イラスト担当の助っ人がいる。
「高子ー、瑞希さんがいらしたわよー」
「はーい、ポカリもってきてやったよー」
笑顔で山本先生が入ってきた。
「あら、露穂子ちゃんも来てたの」
「瑞希ぃいい!」
西織先生、真っ赤な顔で山本先生につかみかかった。
「わっ、なにごと?」
「日曜日に遊びに来るのが高校生の女の子ってのはどうなんだろうね、うちの娘」
「そもそも独身の三〇女が休みにどこにも出かけず、自分の部屋で友達と過ごすってのもどうなんでしょう」
ふたりで紅茶を楽しむ西織先生のご両親である。
「かわいいのにねえ……」
「自慢の娘だったのにねえ……」
紅茶はなぜかしょっぱい。
「山本先生は関係ありません。かまをかけてみただけです」
紅茶のカップを手に、平然と言ってのける露穂子さんだ。
テーブルの上には先生のお母さん手作りのクッキー。お店も開けると評判だそうな。
「朝の西織先生と歌仙くんの態度。ふたりともやたらと意識しているのに顔を合わせない。それでいて歌仙くん、すっきりした顔でもテカテカした顔でもなかった」
「すっきりした顔って」
「テカテカした顔って」
「あと、井原先輩も微妙に悟ったような雰囲気になってたし、井原先輩も見たんでしょう?」
末恐ろしいわ、この小娘。
「ふん」
座っていたベッドから立ち上がり髪を払い、大人の女を見せつける西織先生だ。
「興味あるの、露穂子ちゃん」
「はい。年増オンナに陥落する純情高校生。今後の創作に活かしたいと思います」
「ふふふ。どうよ。これでキスに関してだけはあなたのは妄想だけど、私のは妄想じゃない」
「あんた、三〇の女が、高校一年生相手にそれ自慢する?」
山本先生が言った。
しかも、自分からファーストキスだとバラしてしまうスタイルである。
だが、しかし。
「……」
「……」
「……」
露穂子さんは真顔のままお茶を飲み、クッキーを頬張っている。
西織先生と山本先生は顔を合わせた。
西織先生が露穂子さんからカップを取り上げ、山本先生が紅茶セットとクッキーのお皿が並べられているテーブルを部屋の隅に片付けた。
「な、なんですか」
露穂子さんが言った。
「露穂子ちゃん、もしかして」
西織先生が言った。
「あなた、経験済みなのね?」
山本先生が言った。
あの三人組をも驚かせた露穂子さんの真顔が崩れた。真っ赤に染まったのである。
「瑞希、手をおさえな!」
「がってんだ!」
「いつ? 相手は誰? 喋るまで全身をこちょがすぞーー!」
「やめろ、残念な大人たちーー!」
「賑やかだねえ、二階は……」
「高校生の娘がいるみたいですねえ……」
「ところで『キンタマとオレとは同期の桜』はどうなったの?」
「まあ、あなた。「きんたま」ですよ。あなたの発音じゃモロですよ。夏までおとなしく待ちましょう」
「ぼくたちも、どんな会話してるのかねえ」
西織先生と山本先生は驚愕した。
その名はいくらなんでも予想外だった。いや、実は想定の範囲ではあったのだが、常識として候補から外していたのだ。
露穂子さんは乱れた息で襟元を抑え、涙を浮かべている。
「まさか、ほんとうに長澤くんだったとは……」
「あのシスコン、そこまでこじらせていたのか……」
「言わないで……!」
露穂子さんが両手で顔を覆った。
「お兄ちゃん、キスしてっ!」
「ああ、いいとも」
「私だってブラコンだった頃あって、ハルちゃんがあんまり露骨に愛情アピールするので対抗心燃やして、お兄ちゃん結婚してって目を閉じて唇尖らせたことあったんです! そしたらほんとにされちゃったんです! 信じられない、あいつっ!」
ぽん、と、西織先生が露穂子さんの右の肩に手を置いた。
ぽん、と、山本先生が露穂子さんの左の肩に手を置いた。
「それで」
と、西織先生。
「どこまでいったの?」
と、山本先生。
「なに考えてるんですかーー! 小学生の時ですよ! キスだけですよ! ちょっと触れただけですよ! 当たり前でしょう、常識で考えろ、ポンコツ教師どもーー!」
「ねえ、高子さん」
「なんでしょう、瑞希さん」
「露穂子ちゃんの体、こちょがしてて良かった? 気持ちよかった?」
「ええ、とっても。胸だけ残念だったけど。若いっていいわね」
「ふふふ、今度は私の番だーー!」
「なに考えてるんですかーー! つか、やめろーー!」
「おお、創作意欲が湧いてきた……」
露穂子さんの両腕をがっちりと掴み、今度は不気味な笑顔を浮かべる西織先生だ。
「私の道はBLだけじゃない。禁断の兄と妹の恋! いいわ、ワクワクしてきたわ!」
迫るのは、にぎにぎしている山本先生の両手。
「やーーめーーてーー!」
露穂子さんは半狂乱。
■主人公編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
■学校編。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。高校一年生。天文部。通称ロボ子。
クラスメイト。ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
高梨 春美。(たかなし はるみ)
地球人。高校一年生。天文部。ハルちゃん。
小柄でボブでちょんまげ付きなので、座敷わらしと言われてしまう。長澤先生が好き。
広田 智。(ひろた さとる)
地球人。高校一年生。美術部。サトル。
歌仙くんの友達。普通っぽいアホ。
井原 優子。(いはら ゆうこ)
地球人。高校三年生。美術部部長。
板額先生と双璧の美女だが、歌仙くんらぶ。
松田 詩織。
中沢 弓子。
井川さんの親友ふたり。
長澤 圭一郎。(ながさわ けいいちろう)
地球人。地学教師で天文部顧問。露穂子さんの兄。三〇歳。
飄々とした人。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、変人。三〇歳。
山本 瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。ひとりだけ既婚者。三〇歳。
山本 一博。(やまもと かずひろ)
山本先生の夫。長澤先生の友人。この人も別の高校の物理教師。
■同田貫組周辺編。
人間無骨。(にんげんむこつ)
えっち星人。宙兵隊副長・代貸。中尉。
いつも眠っているような目をしているが、切れ者。陰険。代貸だが、代貸と呼ばれても返事をしない。
同田貫 正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。同田貫組組長。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
■アンドロイド編。
長曽禰 ロボ子。(ながそね ろぼこ)
雪月改二号機。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公だが、番外編では性格が変わる。よりひどくなると表現してもいいかもしれない。番外編では、露穂子さんがいるため「二号機さん」で統一。
一号機さん。
雪月改一号機。マスターは同田貫正国。マスターからは弥生さんと呼ばれる。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。和服が似合う。通称因業ババア。
神無。(かむな)
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
二号機さんを「先輩」と呼び、二号機さんからは「後輩」と呼ばれる。雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
板額。(はんがく)
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。護衛としてえっち星に渡ったので世界的な有名人。