夜が明けて。
ごん!
結局、西織先生は脳天に長澤先生の鉄拳をくらったのだった。
「酒くらい我慢できないのか。しかも一度吐くまで呑んでおいて、更に呑むか。生徒がいる前で。おまえ、三〇越えてタガが外れすぎだろ、いくらなんでも」
「二八ですぅ」
「なんだって?」
ゆらり、と長澤先生が体を動かした。
あわてて西織先生は山本先生の背中に隠れた。
「冗談も通じない潤いのない職場はいやだ!」
「山本先生、西織先生をすこしは教育してやってください。もう教育ってトシでもないけど」
ため息をついて、長澤先生は天体観測会終了の後片付けを確認に地学準備室を出て行った。
さすがに生徒の見ている前で叱るわけにはいかないので地学準備室を選んだわけだが、生徒(とアンドロイド)たちは西織先生が明け方にまた飲酒して屋上で吐いたのを知っているし、長澤先生に叱られているのもわかっている。
「すごいな。お兄ちゃんをあそこまで怒らせることができるって、西織先生だけだと思うよ」
長澤露穂子さんが、地学教室に繋がるドアから顔を覗かせて言った。
「あいつ、いつも怒ってるじゃん」
「そんなにいつも怒らせてるんだ、西織先生……」
西織先生、更に反論しようと露穂子さんに向き直ったが、露穂子さんの背後に歌仙くんがいるのに気づいて、そのまま一回りして背を向けた。
誰からも見えていないが、顔を真っ赤にさせて涙目になっている。
いや、ひとり、その顔を見ている人がいる。
山本先生が呆れたように言った。
「乙女回路、三〇になっても健在かよ」
「瑞希……っ!」
食ってかかってきた手を掴んで、山本先生は西織先生を引き寄せた。
「歌仙くんでもないし、鳴神くんでもないし井原さんでもない」
「な、なにが」
「たぶん、長澤くんは知らない。知ってたらもっと怒ってるだろうし。私が自分で見たんだよ、あんたのキスシーン」
「――あ、あ」
「つまり、見たのはそんだけ。ま、井原さんと鳴神くんには口止めしておいた。向こうもわかってたよ。あんたより大人だ。あんた、私がなんのために長澤くんに呼び出されたのか忘れてんの? 朝まで真面目に巡回してたんだからね、こっちは」
「で」と、山本先生は言葉を継いだ。
「どうやらその反応見る限り、あんた、純潔ってのはキスも含めてだったんだねえ……。さすがにこれは衝撃的だわ……」
「ううっ、うっうっ」
「よしよし、泣かないの。バカだねえ……」
「ねえ、歌仙くん。なんで西織先生は泣いてるんだろう……」
露穂子さんの問い掛けに、歌仙くんは顔を真っ赤にさせるだけだ。
全員が校舎から出たのを確認し、昇降口の鍵をかけようとした長澤先生はその手を止めた。
「二号機さん、なんらかのイレギュラーはありませんか?」
『はい?』
「三号機さんが夜にやってきたように、なにかあるのに知らずに施錠してしまったら大変だ」
『ちょっと待ってください』
二号機さんはすっと無表情になり、すぐに笑顔に戻った。
『特になにもないそうです。お疲れさまでした、長澤先生』
「はい、ありがとうございます。ところで、カレーや鍋の経費ですが……」
『勝手に押し掛けたんですから、心配しないでください。私も神無も社会人ですから。私たちも楽しませて頂きました』
「そうですか、ありがとうございます。でも、吟醸のお金だけはきっちり請求してやってください。西織先生に」
『はい』
にっこりと笑い、二号機さんは背を向けた。
長澤先生は考えた。
一瞬、彼女が無表情になったのは、校舎内をなんらかの技術でスキャンした時間なのだろうか。
それとも。
――なにもないそうです。
長澤先生は空や周囲のビルを見渡した。
「勘のいい青年のようですな」
スコープを覗きながら人間無骨さんが言った。
『そうですね』
一号機さんは朝のお茶を飲んでいる。
「まあ、素人に見つけられるような私ではないですがね。さて、我々も引き上げましょう、一号機さん」
伏せたまま、人間無骨さんは体を伸ばした。
自宅がやや遠い露穂子さんと高梨さんは自転車で帰宅だ。
前をチーム井原が歩いている。
「さよならー」
と、声をかけて露穂子さんたちは通り過ぎた。
「さよなら」
と井原先輩も言ったが、自転車の露穂子さんたちには届かなかったろう。
「で、結局、なにもなかったのね」
松田さんが言った。
「まあ、一日でどうにかなるものじゃないし」
井原先輩が軽やかに言った。
「それより、ごめんね。わがままに付き合ってもらって。日曜潰しちゃったね」
「なにもなかったわりに、すっきりした顔してるね、優子」
これは中沢さん。
そういえばそうかな、と井原先輩は思った。
キスまで見せられたのに。
キスの話はふたりにしていない。
単純に、西織先生の処分問題になりかねない話だから。
くやしさとか悲しさとかをあまり感じていないのは、その前にもう鳴神くんの前で泣いていたからだろうし、徹夜明けの変なテンションのせいだろう。家に帰ってシャワー浴びてベッドに潜り込んで、そうしたらくやしくて眠れなくなるかもしれない。また泣いちゃうかもしれない。
でも、今はいいや。
きれいな星もいっぱい見ることができたし。
たった一夜にしてはいろいろなことがあった校舎を、井原先輩は振り返った。
「気をつけーーいッ!」
「わああああっ!」
「うわああっ!」
「せ、先任軍曹、いらっしゃったのでありますかっ!」
せっかく軍用トラックがあるんだから便乗させてもらおうと荷台に乗り込んだ三人組だが、その背中から先任軍曹さんの雷鳴が響いてきたのだ。
「貴様らア、たるんどるぞッ!」
おっしゃるとおりで、学校生活と徹夜でたるんではいますが。
時と場所を考えて頂けませんでしょうか、軍曹どの。
ていうか、このトラック、軍曹どのが運転してきたのですか。そうとわかっていればバスに乗ったのですが。
先任軍曹さんが横を向いて道をあけ、乗り込んできたのは人間無骨さんだ。
「おっはよーう」
ああ、やっぱりバスにすべきだった……。
ただ、さらに一号機さんが乗り込んできて、さらにさらに、二号機さんと神無さんが野外炊具を背負って乗り込んできた。これは救いだ。
『えー。それなら私も乗せてよー』
三号機さんがダダをこね、人間無骨さんが「いーよー」といい加減に許可を出し、三号機さんも乗り込んできた。この三号機さんがすごいところは、自転車を自分で乗せるのではなく、当たり前のように先任軍曹さんにやらせちゃうところだ。
(副長相当砲雷長にそうとう甘やかされてるんだな……)
全員、清麿さんに同情せずにはいられない。
そもそも三号機に殴られ気絶したままかもしれない。
「おい、歌仙」
トラックが発進してから、鳴神くんが話しかけてきた。
「わかってるだろうけど、おまえ、あれを言いふらすなよ。先生に迷惑かかるんだからな」
ギョッとしながらも。
「……わかってるよ」
「まあ、浮かれることもできねえよなあ。直後に吐かれちゃ」
「……見てたのかよ」
「井原先輩もな」
「うっ!」
「あとは山本先生。んで……たぶん、そこのふたり」
向かいに座る一号機さんと人間無骨さんが、同時に歯を見せてニカッと笑った。
(地獄だ……)
歌仙くん、背筋が冷たくなった。
『私と後輩も見ましたようっ』
カマをかけているのかどうなのか、にまにま笑いながら二号機さんが言った。
神無さんも楽しそうだ。
『私も見ちゃった』
三号機さんまでクスクスと笑ったので、どうやらアンドロイドたちはほんとうに隠密偵察していたのだろう。
なんてこった。
いや待て、その前に、井原先輩に見られたって!?
いや待て、それのどこに問題が。おれは先生が好きなんだし。
いや待て、それで済むのか?
いや待て、バレたら、たしかに西織先生、処分だよな。ヘタしたらクビだよな?
いや待て、ええと、なんだっけ?
おい、しっかりしろよ、おれ。
徹夜明けで頭がまわらねえよ。
歌仙くんが頭を抱えていると、ひとりのけものになっている千両くんが声を上げた。
「なに、なんの話だよ。ぼくは見てないぞ!」
「おまえに見られてたら、終わりだったよ……」
頭を抱えたまま、歌仙くんが言った。
「なんだよう、教えてよ。なにがあったんだよう!」
同田貫組のトラックは、村を目指して朝の町を走っている。
■主人公編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
■学校編。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。高校一年生。天文部。通称ロボ子。
クラスメイト。ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
高梨 春美。(たかなし はるみ)
地球人。高校一年生。天文部。ハルちゃん。
小柄でボブでちょんまげ付きなので、座敷わらしと言われてしまう。長澤先生が好き。
広田 智。(ひろた さとる)
地球人。高校一年生。美術部。サトル。
歌仙くんの友達。普通っぽいアホ。
井原 優子。(いはら ゆうこ)
地球人。高校三年生。美術部部長。
板額先生と双璧の美女だが、歌仙くんらぶ。
松田 詩織。
中沢 弓子。
井川さんの親友ふたり。
長澤 圭一郎。(ながさわ けいいちろう)
地球人。地学教師で天文部顧問。露穂子さんの兄。三〇歳。
飄々とした人。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、変人。三〇歳。
山本 瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。ひとりだけ既婚者。三〇歳。
山本 一博。(やまもと かずひろ)
山本先生の夫。長澤先生の友人。この人も別の高校の物理教師。
■同田貫組周辺編。
人間無骨。(にんげんむこつ)
えっち星人。宙兵隊副長・代貸。中尉。
いつも眠っているような目をしているが、切れ者。陰険。代貸だが、代貸と呼ばれても返事をしない。
同田貫 正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。同田貫組組長。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
■アンドロイド編。
長曽禰 ロボ子。(ながそね ろぼこ)
雪月改二号機。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公だが、番外編では性格が変わる。よりひどくなると表現してもいいかもしれない。番外編では、露穂子さんがいるため「二号機さん」で統一。
一号機さん。
雪月改一号機。マスターは同田貫正国。マスターからは弥生さんと呼ばれる。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。和服が似合う。通称因業ババア。
神無。(かむな)
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
二号機さんを「先輩」と呼び、二号機さんからは「後輩」と呼ばれる。雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
板額。(はんがく)
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。護衛としてえっち星に渡ったので世界的な有名人。




